氷の騎士様は実は太陽の騎士様です。

りつ

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9、舞踏会

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 入り口付近はすでに大勢の人で混雑していた。そして当然のことながら全員、正装である。真っ赤な赤いドレスを着こなした夫人もいれば、水色のドレスに着せられた令嬢もいる。

 恐ろしいのは、そんな女性がたくさんいることで、かえって誰も目立たなく見えることだ。母、マリエットがいかに社交界で華になることが難しいか、愚痴を零したくなる気持ちがわかった気がする。

 ここではよほど貧相な格好をするか、とびっきりの容姿と衣装を拵えなければ、いとも簡単に埋もれてしまうのだ。

「なんだか、酔ってしまいそう……」
「これだけ多いとな……」

 ラファエルもうんざりした様子であるが、そこはイリスよりも慣れているためか、すぐに隙間を見つけて上手に間を通り抜けていく。彼のエスコートがなければ、イリスは今頃窒息死していたかもしれない。

(わたし、こんなんできちんと踊れるかしら……)

 すでに疲労が半端ない。

「イリス。上を見てみろ」

 ラファエルに耳元で囁かれ、言われた通りイリスは上を見上げる。

「わぁ……」

 天井には息を呑むほど壮大な絵が描かれていた。

「神々の世界を描いているんだ」

 真っ青な空と白い雲、見事な裸体を布で隠した人間たち――神々だろうか、背中から羽を生やした美しい女性や少年に手を引かれて悠然と微笑む者、恐れ慄き地上へ逃げ帰ろうとする者、恍惚とした表情で接吻を受ける者……まるで地上で暮らす人間たちのように描き分けられていた。

「あの神々の中には人間もいる」
「そうなの?」

 どれ? とたずねれば、太陽の光を受けている者だと教えられた。

「あれはこの国の王を意味しているんだ」

 神々の世界で生きていくことが許されるただ一人の尊い人間。これは王の威光を讃えるために描かれた作品なのだ。

 シャンデリアの光が雲間から差し込む光と重なり、絵画の中の真昼の世界と現実の夜の世界が混じりあって、イリスは自分が本当に神の世界へ迷い込んだ錯覚に陥った。

(ここは神の住まう場所なんだわ……)

「すごいね……」
「だろう。俺も初めて見た時は驚いた」

 後でもう一度見に来ようと言われて、イリスはうんと頷いた。
 ダンスホールはとても広く、オーケストラの演奏者たちや準備で忙しく回る侍女や侍従の姿も目に入った。

(あ、騎士服の人もいる)

 そういえば、とイリスはラファエルの顔を見る。

「ラファエル、お仕事の方は大丈夫だったの」
「ああ。この日の休みを得るために、働き続けた」
「えっ、そうだったの!?」

 やはり舞踏会当日は警備にあたるのが普通なのだ。それなのにわざわざ無理をしてまでイリスの隣にいてくれるのは……婚約者であるから、なのだろう。

「ラファエル……」
「おまえを他の人間に任せるには不安すぎる、ってのもあった」

 ある意味王宮の警備より不安だと言われ、さすがにムッとしたが……でも、やはり彼がいてくれてよかったと思っているので、何も言わないでおいた。

(なんだかんだ彼といれて嬉しいもの)

 うふふ、と隠しきれぬ喜びに浸っていると、ドンと誰かにぶつかってしまった。というより、ぶつかられた。後ろから。

「あっ、ごめんなさい」
「いいえ。こちらこそ――えっ、」

 イリスは振り返って真ん丸と目を見開いた。相手もである。

「アナベルさん?」
「イ、イリスさん!?」

 なんと寄宿学校で別れを告げたアナベル嬢ではないか。

「どうしてここに……」
「わ、わたくしがここにいてはいけませんの!?」

 ふん、とつい数か月前にも見たそっぽを向くアナベル嬢に、イリスはなぜか懐かしさが込み上げる。怖い人ではあったが、もう二度と会えないと思っていた同級生に会えて嬉しい気持ちになったのだ。

「アナベルさん。お会いできて嬉しいわ」

 見ると彼女も白いドレスに身を包んでいる。イリスと同じ、社交界デビューなのだ。

「あなたには言っていませんでしたけど、わたくしは以前から王都に戻ってくることが決まっていましたの」
「まぁ、そうだったの?」
「そうよ」
「わたし、王都には知り合いがあまりいないから、アナベルさんとこうして再会できるなんて思いもよらなかったわ」

 正直ほっとした、と伝えればアナベルは片眉を上げた。

「あら。お友達の一人もいないの?」
「ええ。これから作っていかなくてはならないから……正直不安なの」

 王立学校に入っていれば同世代の友人がたくさんいただろうけど、仕方がない。

「アナベルさん、よかったらこれから仲良くしてね」

 イリスとしては精いっぱいの友好を示したつもりだが、アナベルは「なんでわたくしが?」と苦虫を噛み潰したような顔をされてしまった。地味に傷ついた。

「イリス。こちらはおまえのご友人か?」

 ラファエルの質問に、イリスは我に返る。すっかり彼のことを忘れてしまっていた。

「そうなの。寄宿学校で同学年だった、アナベルさん。ドラージュ家のご令嬢よ」
「ドラージュ……男爵の娘か」
「そう。それでアナベルさん。こちらはわたしの婚約者、ラファエル・デュランよ」
「初めまして、アナベル嬢」

 ラファエルの顔を見て、アナベルはポカンとした顔をした。彼女にしては珍しい類の表情である。

(でもわかるわ)

 長い付き合いのイリスから見ても、ラファエルの顔は綺麗で美しい。ふとした時に、(わぁ、きれい……)と感嘆の声を心の中で漏らすのだから。

「この人が、あなたの婚約者?」
「ええ。そうなの」
「イリスがいつもお世話になっています」
「い、いえ……」

 ラファエルに挨拶され、アナベルはそわそわと落ち着かぬ視線を彷徨わせる。

 緊張しているのかなと思っていると、わぁっという歓声が聞こえてきた。国王と王妃、彼らの子どもたちのご登場らしい。

「いよいよ始まるな」

 最後に着席した王女殿下を合図に、オーケストラの演奏が始まった。イリスたちも男女に別れて、向かい合う形で並ぶ。ラファエルとは少し離れた位置になってしまい、心細い。

(ああ、どうしよう……)

 心臓が口から飛び出してしまいそうである。イリスが緊張で倒れそうになっていると、ふと視線を感じた。ラファエルである。彼は口パクで何か伝えようとしている。

(なんて言っているのかしら……)

 でもこんな時まで自分のことを気にかけてもらって……本当にあの本の騎士様みたいだと思ってイリスは微笑んだ。

(そうよ。せっかくですもの。楽しまないと損よね)

 音楽が変わった。最初は指先だけ触れるような軽いものから徐々に身体を密着させた踊りへとなる。楽しもう……と思っていたイリスだが、しだいにその考えも消え去り、無心で音楽に身体を合わせていく。

 間違いないように。相手の足を踏んだりしてしまわないように。お上品に微笑を浮かべる余裕は今回の彼女にはなかった。なのでせっかくお相手の男性が意味ありげな視線を投げかけてきても、彼女は全く気付かなかったのである。

「――ス、イリス」
「……はっ、ラファエル!?」

 何人かパートナーが変わって、その相手がラファエルとなった時、イリスはようやく意識の彼方から戻って来た。 

「大丈夫か?」
「わたし、集中し過ぎて意識がここになかったわ」
「? よくわからんが、集中していたってことか?」

 うん、とイリスは頷く。

「おかげで失敗しなかったわ」
「それはよかった」

 えへへ、と気の抜けた笑みでイリスは笑った。

「そういえばラファエル。踊る前、なんて言ってたの?」
「気の抜けた顔晒すな、って言った」
「うそ。そんなこと言ってたの?」

 てっきり頑張れとかおまえなら大丈夫だという励ましの言葉だと思っていたのに。

「わたし、そんなひどい顔していたかしら」
「ああ。魂が口から今にも飛び出そうな顔をしていたな」
「ええ、ひどい。そりゃ心臓が飛び出しそうな心地だったけど」
「同じじゃないか」
「でも言い方がひどい!」

 はいはい、とラファエルはイリスの胴を抱え、くるりと回った。ちょうど音楽も終わりである。軽口を叩いているうちにあっという間に終わってしまった。

「もう終わり?」
「ここからは基本的に自由だ。踊りたい相手に申し込んだり、普段話すことのできない人間と情報交換したり、立食もできる。イリスはどうする?」

 ラファエルが相手だと無駄に力を入れず、安心して踊れた。少し、物足りないくらいだ。

「……もう一回、踊ってくれる?」
 イリスのお願いにラファエルは目を細めた。
「喜んで」

 イリスはそれから続けてラファエルと踊った。踊り終わると、さすがに疲れてしまい、休憩しようとテラスの方へ移動し、一息つく。給仕から受け取った水をラファエルが手渡してきた。

「なんだか……本当にすごい所だね」

 喧騒から外れて、イリスはしみじみつぶやいた。夢の中にいるようで、ふわふわした心地である。きっと帰ってからも夢のようだったと思うのだろう。

「お母さまたちは毎晩こんな煌びやかな世界で過ごしていらしたのね」

 イリスの両親は夫婦そろって楽しげに踊っていたかと思うと、今は見知らぬ相手と談笑している。お目付け役として娘を監視する立場であるが……ラファエルを完全に信頼しているか、彼にその役目を押し付けていると言えよう。

(お母さまとお父さま、まるで知らない人みたい)

 家族に見せる顔とは別の表情をイリスは遠くからじっと見つめてふと思った。

「……ねぇ、ラファエル。大人になるっていうことは、これから頻繁にこういう場に参加するということ?」

 ラファエルはいささか面食らった顔をして、「そうだな……」と考え込むように言った。

「ここは各界の名士が集まる場所でもあるから、親しくなれば恩恵は受けられるかもしれないな」
「用がない人は?」

 イリスの質問に彼はちょっと笑う。

「ないなら来る必要はないだろうな」
「そうなの? でもお母さまたちは、わたしにもたくさん参加するようなことをおっしゃったわ」
「それは……おまえが年頃の娘で、相応しい相手を探すためなんじゃないか」

 感情を押し殺したような声で彼は答えた。イリスはグラスの水に視線を落としたまま、母の言葉を思い出す。

『ラファエル様以外にも目を向けなさいってこと』

 デビュタントの意味を、イリスは今日この日まであまりよく考えなかった。ただの儀式のようなものだと思っていた。

 けれどたぶん、もっと別に意味はある。社交界は未婚の女性と男性の出会いの場なのだ。そしてイリスの両親は娘にラファエル以外の男性と結婚させようとしている。なぜだろう。彼のことが気に入らなくなった? それともイリスにはわからぬ深い思惑があるのだろうか。

 考えたって、小娘の自分には正解を導きだすことはできない。ただ言えることは――

「じゃあわたしはラファエルと結婚するから、必要ないね」

 そうでしょう? とラファエルを見上げて、イリスはにっこり微笑んだ。彼は少し呆気に取られていたが、やがて困ったようにそうだなと頷いた。ほっとした、とも見えた。

「あ、でもラファエルの仕事関係の人とかは知っておかないとだめかな?」
「そういう時は個人的に家に招待すればいいから、別にいい」
「そうなの?」
「ああ。イリスがもう行きたくないと思うなら」

 舞踏会はもう嫌か、とたずねられて、イリスはわからないと答えた。参加したのは今回が初めてである。

「でもラファエルと踊るのは……楽しかったから。それは、またやってもいい気がする……」

 他の人と踊るのは緊張するし、気疲れするからあまりやりたくない。でもラファエルなら、とイリスは思った。

「そうか」
「うん」
「イリス。俺も――」
「やぁ、ラファエル。休みをもぎ取って、大事なお姫様を囲って、楽しんでいるかい?」

 朗々とした声が二人を遮る。見れば赤髪の青年が笑みを浮かべて突っ立っている。そしてなぜか周囲もそんな彼を注目している。

(あれ、というかこの人……) 

 どこかで、と思ったイリスはラファエルの苦々しい呟きを耳にする。

「王太子殿下」

 ……どこかで見たことがあるわけである。この国の第一王子、サミュエルであった。


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