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11、騎士団
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マリアはカリウス辺境伯夫人となった。ジークハルトの妻に。
辺境伯の妻。また城の女主人となれば、やらなければならないこと、覚えることはたくさんある。
と言っても、いきなりすべてをこなしていく必要はないと言われた。
「まずはここでの生活に慣れてくれればいい。わからないことや困ったことがあったら、俺や他の者に相談してくれ。みんなマリアの力になりたいと思っているから」
ジークハルトは優しくそう言うと、使用人たち一人一人を改めて紹介してくれた。
「ベルタと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
すでに名前を教えてもらっていたベルタも、正式にマリア付きのメイドに決まったので畏まった様子で挨拶してくれた。
自分より少し年が上のベルタにマリアはすでに親しみを覚えており、こちらこそと返した。
「男の俺には相談しにくいことは、ベルタを頼るといい。ベルタ、よろしく頼んだぞ」
はい、とベルタは頷きながら、真面目な顔に少し笑みを浮かべた。
「旦那様、そう何度もおっしゃらずとも、理解しておりますわ」
「……そんなにしつこく言っていたか?」
「はい」
きっぱりと、どこか面白がるようにベルタは肯定したので、ジークハルトは気恥ずかしそうに頬をかく。
「奥様。旦那様はよほど奥様のことが心配で、この城で快適に過ごしてほしいとお思いのようです」
こちらに話を振られて、マリアは少し照れ臭い気持ちになりながら答えた。
「えっと……ジークハルト様、いろいろお気遣いいただきありがとうございます。その……嬉しいです」
「そうか。なら、よかった」
ぎこちない……けれども、決して悪くない雰囲気になり、ベルタが気配を消すようにその場を離れようとしたので、気づいたジークハルトがコホンと咳払いして今度は城内を案内すると言った。
わかっていたことだが、城の中は広く、王都の王宮にも匹敵するのではないかと思われるほど部屋数が多かった。
一人では絶対に行かないようにと言われた場所もある。
「ここから先は仕掛けがあるんだ。万が一敵が攻め込んだ時、普段使用している通路に行かないよう扉を封鎖して、ここを通るように誘導する。ある場所で下に落下したり、上から剣や槍が落ちてきて敵を捕らえる仕掛けになっている」
串刺しにされれば当然命は落とすだろう。他にもいくつかの仕掛けを教えられて、マリアは背筋が凍るような思いがした。
「すまない。気分が悪くなったな」
「いえ、大丈夫です。きちんと教えてくれてありがとうございます」
知ってしまえば、絶対に足を踏み入れようとは思わない。
ジークハルトもそう思ってマリアに伝えたのか、騎士見習いの子どもたちにも一番初めに教えることだと言った。
「少年はちょっとした危険程度では、冒険心が刺激されて探検してみようとするからな」
「……もしかして、ジークハルト様も?」
こっそり忍び込んだことがあるのかと訊くと、彼は不意を突かれた様子で目を反らした。
だがマリアがじっと見つめていると、内緒だぞ、と前置きして秘密を打ち明けてくれた。
「厳しい鍛錬に憧れた時期があってだな。命を懸けてこそ、カリウス辺境伯の騎士だと思っていたんだ。それに実際に自分たちで体験した方が、より効率的に敵を捕まえる参考になると思った。だから注意されても、ラウル……幼馴染の少年と一緒に通路先へ行ってみたというわけだ」
「まぁ……」
少年とはなんと無謀な生き物なのか。
マリアが保護者の立場だったら血の気が引いて、気を失っていたかもしれない。
「それで、どうなりましたの?」
「いくつかトラップを乗り越えて気が緩んだのが、敗因の始まりだった。目の前の穴を飛び越えたかと思えば、着地した床が開いて、下へ落ちて呆気なく閉じ込められた。真っ暗で、酸素も薄い。あれは怖かったな。幸いすぐに大人たちがやってきて助けられたが、拳骨を落とされて、しばらく部屋で反省するよう命じられた」
今となってはいい思い出だというようにジークハルトが語るので、マリアは少し呆れた。
「まぁ、とにかく、そういう俺自身の経験もあるから、子どもたち含めて、あなたにもきちんと伝えたわけだ」
マリアは納得した様子で深く頷いた。
自分たちが暮らしている城の中にそういう仕掛けがあることは怖いが、敵に侵入された時のことを考えると、すごく心強く思えた。女子どもだけしかいない時は特にだ。
マリアがそう言うと、ジークハルトは神妙な顔で頷いた。
「ああ。昔は戦が頻繁に起こっていたから、男性は城を留守にすることが多かった。その間、どうしても女性や子どもに任せるしかなかった。……男の方も、気が気じゃなかっただろうな」
城の中をあらかた案内し終わると、普段マリアたちが過ごす建物と併設するようにして建てられている騎士団の施設に行こうとジークハルトは言った。
最初マリアは嫁いできたばかりの自分が足を運んでは迷惑になると思い断ろうとしたのだが、ジークハルトは真面目な顔をして知っておいてほしいんだと伝えた。
「もし俺に何かあった時、その時はあなたが俺の名代として騎士団に命じることになる」
「えっ、わたしがですか?」
何百人といる騎士団員を自分が指揮すると言われてマリアは蒼白になった。
「もちろん作戦を練ったりするのは、俺の部下だ。だが最終的な決断……部下が練った作戦を聞き、それを実行してもいいと許可を与えるのが、マリアの役目だ」
決して少なくない人間が命を落とす作戦だと思えば、重すぎる責任だ。
マリアは自分にそんなことできるのだろうかと、つい不安が顔に出てしまう。
「怯えさせるようなことを言ってすまない。あなたがそんな立場を担う必要がないよう、俺も十分気をつける。それに、万が一そうなっても、俺の部下たちはとても優秀で思いやりがある。マリアのことも、絶対に守る」
「……はい。わかりました」
「うん。では、行こうか」
ジークハルトに手を差し出されて、マリアはそっと手を取った。
(辺境伯の妻、ってすごく大変なのね)
マリアはめげそうになる。そんな彼女の心を励ますように握っていた手に力が込められた。
顔を上げても、彼は前を見据えていた。
ジークハルトが宣言したように、彼は無責任な人には見えない。
信じることが今の自分のできることだと、マリアは自身に言い聞かせた。
◇
騎士団員が駐在している施設はマリアたちが暮らしている建物の近くと、堀にかかった跳ね橋を渡った外にもあるそうだが、今回は前者を見学させてもらうことにした。こちらの騎士団員は主に城の警備を任されているそうだ。
「今日は鍛錬する様子を見学すると予め伝えてあるから、みんな張り切っているはずだ」
ジークハルトの言葉通り、木刀で素振りしている者や、地面に手をついて腕立て伏せする者と、みな熱心に身体を鍛えていた。
「団長!」
大きな声にマリアがそちらを見れば、元気よく手を振りながら駆け寄ってくる者がいた。癖のある金髪にやや垂れ目の男性。確か初めて城に来た日、砕けた態度で黒髪の男性と喧嘩していたラウルという青年だ。
「ラウルか。どうした」
「どうした、って。団長の奥方が顔を出したから、ご挨拶しなきゃと思って」
ラウルはそう言うと、胸の前に手を置き、王都の貴公子のように恭しく頭を下げた。
「本日は我が騎士団に足を運んでいただき、大変恐悦至極です。できればその見目麗しいお手に口づけを落としたく――いたっ」
「いい加減にしろ、ラウル。マリアが困っている」
本人の許可を得る前にすでにマリアの手を取っていたラウルの頭をジークハルトが叩いた。
そんなに力は込めていないように見えたが、ラウルは大げさな素振りで痛いと頭を押さえた。
「なんだよ、ジーク。もう夫気取りかよ!」
「結婚したのだから、当然夫だ」
「独占欲なんか滲ませちゃって!」
「お前がマリアの承諾を得ず、安易に触ろうとするからだろう」
「じゃあ彼女が許可したら、してもいいんだな?」
するとジークハルトはむっとした表情で黙り込んだ。
ラウルはそれを見てニヤニヤしている。
「どうした? 嫌なのか?」
「……そうだな。嫌だな」
かぁーっとラウルはよくわからない声を上げて、一人会話に入れていないマリアに笑いかけた。
「奥様。ジークハルト団長はとっても嫉妬深いようですから、これから気をつけてくださいね」
「はぁ……」
「あっ、俺の名前はラウルと申します。団長をどんな時でも支える、有能かつイケメンな男ですので、以後お見知りおきを」
マリアがよろしくお願いしますとぎこちなく返答し、ジークハルトはそれではよくわからないだろうと苦笑しながら補足してくれた。
「ラウルとは昔からの付き合いなんだ。それで今は俺の補佐をしてくれている」
「団長殿は細々とした事務作業が苦手でありますからね」
聞くと秘書官のような仕事を担っているらしい。
ぱっと見た感じ器用そうに見えるので、適任に見えた。
(先ほどジークハルト様のお話にも出てきた方よね。親友って感じなのかしら)
「奥様。よろしければ、私もご一緒させていただいて構わないでしょうか」
「えっと、わたしは構いませんが……」
「では早速――」
「団長!」
また別の人間が駆け寄ってくる。今度は初日にラウルと言い争いをしていた黒髪の青年だ。
マリアたちの前でピタリと足を止め、きびきびした所作で敬礼する。
「こちらにいらしていたのですね」
「ああ。マリア、彼はヘリベルト。小隊を率いている。真面目で正義感にあふれた青年だ。剣の扱いにも優れている」
ジークハルトの紹介にヘリベルトは恐縮した、しかし嬉しさを隠せない様子で口元に笑みを浮かべた。
「えージークハルト様ぁ。俺の時と違いませんかぁ? 俺も超真面目で頼りになる男だって言ってくださいよぉ」
「お前は九割方ふざけた態度をとるのが欠点だな」
「ひどい!」
「おい、ラウル。奥方の前でみっともない姿を晒すな」
不敬な態度は許さないと、すかさずヘリベルトが注意する。ラウルの方は魚が釣り針にかかったようにニヤリとした。
「なぁに、ヘリベルト君ったらいい子ぶっちゃって。奥方の前だから、かっこつけようとしてるんでしょ」
「なっ、俺は別に」
「結婚式の時も、花嫁衣装を着た奥方に鼻の下伸ばしてたもんねぇ」
「違う! 俺はジークハルト団長と一緒に並ぶ姿が美しくて目を奪われていたんだ!」
「それを鼻の下を伸ばすって言うんだよ」
「全然違う! お前はなんでそう一々下品な表現を――」
「団長!」
ラウルたちの喧嘩を止めたのはまたこちらへ走ってくる騎士だ。今度は一人ではない。ヘリベルトたちのやり取りを見て自分たちも輪に加わりたいと思った大勢の団員たちがジークハルトとマリアの周りをあっという間に取り囲んだ。
「俺たちにも紹介してくださいよ!」
「そうだそうだ。ラウルだけずるい!」
きらきらした眼差しを注がれてマリアは少したじろいでしまう。気づいたジークハルトが守るように腰を引き寄せた。
「こら、お前たち。そんな一斉に詰め寄られたらマリアが怖がる」
「あの、ジークハルト様。わたしは大丈夫ですから」
「いや、彼らにははっきり言っておいた方がいい」
「そうそ。戦うことしか頭にない脳筋がほとんどだから」
ラウルがさらりとひどいことを述べたが、意外にも彼らは否定しなかった。
「団長! 奥方のことは何と言えばよいでしょうか!」
「お名前でお呼びしてもよろしいでしょうか!」
「そうだな……マリア。いいか?」
「あ、はい。どうぞお好きなように」
「じゃあ俺、マリアちゃん!」
「ラウル!」
またヘリベルトがラウルに突っかかり、他の騎士団員も野次を飛ばしたり面白そうに見守っている。一気に騒がしくなって収拾がつかないと思われたが……。
「はい、そこまで!」
ジークハルトがパンと手を叩いたことで、ピタリと喧騒が止んだ。
「みな、マリアのことは敬称を付けて呼ぶように。わかっていると思うが、無礼な真似は決してせず、俺の妻として、カリウス家の女主人として敬うように」
「はい!」
全員の声が一つに重なり、ジークハルトはよしと頷くと、それぞれの鍛錬を再開するよう命じた。
直前までのぐだぐだしたやり取りはいったい何だったのだと思うくらい彼らは綺麗に散っていった。
辺境伯の妻。また城の女主人となれば、やらなければならないこと、覚えることはたくさんある。
と言っても、いきなりすべてをこなしていく必要はないと言われた。
「まずはここでの生活に慣れてくれればいい。わからないことや困ったことがあったら、俺や他の者に相談してくれ。みんなマリアの力になりたいと思っているから」
ジークハルトは優しくそう言うと、使用人たち一人一人を改めて紹介してくれた。
「ベルタと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
すでに名前を教えてもらっていたベルタも、正式にマリア付きのメイドに決まったので畏まった様子で挨拶してくれた。
自分より少し年が上のベルタにマリアはすでに親しみを覚えており、こちらこそと返した。
「男の俺には相談しにくいことは、ベルタを頼るといい。ベルタ、よろしく頼んだぞ」
はい、とベルタは頷きながら、真面目な顔に少し笑みを浮かべた。
「旦那様、そう何度もおっしゃらずとも、理解しておりますわ」
「……そんなにしつこく言っていたか?」
「はい」
きっぱりと、どこか面白がるようにベルタは肯定したので、ジークハルトは気恥ずかしそうに頬をかく。
「奥様。旦那様はよほど奥様のことが心配で、この城で快適に過ごしてほしいとお思いのようです」
こちらに話を振られて、マリアは少し照れ臭い気持ちになりながら答えた。
「えっと……ジークハルト様、いろいろお気遣いいただきありがとうございます。その……嬉しいです」
「そうか。なら、よかった」
ぎこちない……けれども、決して悪くない雰囲気になり、ベルタが気配を消すようにその場を離れようとしたので、気づいたジークハルトがコホンと咳払いして今度は城内を案内すると言った。
わかっていたことだが、城の中は広く、王都の王宮にも匹敵するのではないかと思われるほど部屋数が多かった。
一人では絶対に行かないようにと言われた場所もある。
「ここから先は仕掛けがあるんだ。万が一敵が攻め込んだ時、普段使用している通路に行かないよう扉を封鎖して、ここを通るように誘導する。ある場所で下に落下したり、上から剣や槍が落ちてきて敵を捕らえる仕掛けになっている」
串刺しにされれば当然命は落とすだろう。他にもいくつかの仕掛けを教えられて、マリアは背筋が凍るような思いがした。
「すまない。気分が悪くなったな」
「いえ、大丈夫です。きちんと教えてくれてありがとうございます」
知ってしまえば、絶対に足を踏み入れようとは思わない。
ジークハルトもそう思ってマリアに伝えたのか、騎士見習いの子どもたちにも一番初めに教えることだと言った。
「少年はちょっとした危険程度では、冒険心が刺激されて探検してみようとするからな」
「……もしかして、ジークハルト様も?」
こっそり忍び込んだことがあるのかと訊くと、彼は不意を突かれた様子で目を反らした。
だがマリアがじっと見つめていると、内緒だぞ、と前置きして秘密を打ち明けてくれた。
「厳しい鍛錬に憧れた時期があってだな。命を懸けてこそ、カリウス辺境伯の騎士だと思っていたんだ。それに実際に自分たちで体験した方が、より効率的に敵を捕まえる参考になると思った。だから注意されても、ラウル……幼馴染の少年と一緒に通路先へ行ってみたというわけだ」
「まぁ……」
少年とはなんと無謀な生き物なのか。
マリアが保護者の立場だったら血の気が引いて、気を失っていたかもしれない。
「それで、どうなりましたの?」
「いくつかトラップを乗り越えて気が緩んだのが、敗因の始まりだった。目の前の穴を飛び越えたかと思えば、着地した床が開いて、下へ落ちて呆気なく閉じ込められた。真っ暗で、酸素も薄い。あれは怖かったな。幸いすぐに大人たちがやってきて助けられたが、拳骨を落とされて、しばらく部屋で反省するよう命じられた」
今となってはいい思い出だというようにジークハルトが語るので、マリアは少し呆れた。
「まぁ、とにかく、そういう俺自身の経験もあるから、子どもたち含めて、あなたにもきちんと伝えたわけだ」
マリアは納得した様子で深く頷いた。
自分たちが暮らしている城の中にそういう仕掛けがあることは怖いが、敵に侵入された時のことを考えると、すごく心強く思えた。女子どもだけしかいない時は特にだ。
マリアがそう言うと、ジークハルトは神妙な顔で頷いた。
「ああ。昔は戦が頻繁に起こっていたから、男性は城を留守にすることが多かった。その間、どうしても女性や子どもに任せるしかなかった。……男の方も、気が気じゃなかっただろうな」
城の中をあらかた案内し終わると、普段マリアたちが過ごす建物と併設するようにして建てられている騎士団の施設に行こうとジークハルトは言った。
最初マリアは嫁いできたばかりの自分が足を運んでは迷惑になると思い断ろうとしたのだが、ジークハルトは真面目な顔をして知っておいてほしいんだと伝えた。
「もし俺に何かあった時、その時はあなたが俺の名代として騎士団に命じることになる」
「えっ、わたしがですか?」
何百人といる騎士団員を自分が指揮すると言われてマリアは蒼白になった。
「もちろん作戦を練ったりするのは、俺の部下だ。だが最終的な決断……部下が練った作戦を聞き、それを実行してもいいと許可を与えるのが、マリアの役目だ」
決して少なくない人間が命を落とす作戦だと思えば、重すぎる責任だ。
マリアは自分にそんなことできるのだろうかと、つい不安が顔に出てしまう。
「怯えさせるようなことを言ってすまない。あなたがそんな立場を担う必要がないよう、俺も十分気をつける。それに、万が一そうなっても、俺の部下たちはとても優秀で思いやりがある。マリアのことも、絶対に守る」
「……はい。わかりました」
「うん。では、行こうか」
ジークハルトに手を差し出されて、マリアはそっと手を取った。
(辺境伯の妻、ってすごく大変なのね)
マリアはめげそうになる。そんな彼女の心を励ますように握っていた手に力が込められた。
顔を上げても、彼は前を見据えていた。
ジークハルトが宣言したように、彼は無責任な人には見えない。
信じることが今の自分のできることだと、マリアは自身に言い聞かせた。
◇
騎士団員が駐在している施設はマリアたちが暮らしている建物の近くと、堀にかかった跳ね橋を渡った外にもあるそうだが、今回は前者を見学させてもらうことにした。こちらの騎士団員は主に城の警備を任されているそうだ。
「今日は鍛錬する様子を見学すると予め伝えてあるから、みんな張り切っているはずだ」
ジークハルトの言葉通り、木刀で素振りしている者や、地面に手をついて腕立て伏せする者と、みな熱心に身体を鍛えていた。
「団長!」
大きな声にマリアがそちらを見れば、元気よく手を振りながら駆け寄ってくる者がいた。癖のある金髪にやや垂れ目の男性。確か初めて城に来た日、砕けた態度で黒髪の男性と喧嘩していたラウルという青年だ。
「ラウルか。どうした」
「どうした、って。団長の奥方が顔を出したから、ご挨拶しなきゃと思って」
ラウルはそう言うと、胸の前に手を置き、王都の貴公子のように恭しく頭を下げた。
「本日は我が騎士団に足を運んでいただき、大変恐悦至極です。できればその見目麗しいお手に口づけを落としたく――いたっ」
「いい加減にしろ、ラウル。マリアが困っている」
本人の許可を得る前にすでにマリアの手を取っていたラウルの頭をジークハルトが叩いた。
そんなに力は込めていないように見えたが、ラウルは大げさな素振りで痛いと頭を押さえた。
「なんだよ、ジーク。もう夫気取りかよ!」
「結婚したのだから、当然夫だ」
「独占欲なんか滲ませちゃって!」
「お前がマリアの承諾を得ず、安易に触ろうとするからだろう」
「じゃあ彼女が許可したら、してもいいんだな?」
するとジークハルトはむっとした表情で黙り込んだ。
ラウルはそれを見てニヤニヤしている。
「どうした? 嫌なのか?」
「……そうだな。嫌だな」
かぁーっとラウルはよくわからない声を上げて、一人会話に入れていないマリアに笑いかけた。
「奥様。ジークハルト団長はとっても嫉妬深いようですから、これから気をつけてくださいね」
「はぁ……」
「あっ、俺の名前はラウルと申します。団長をどんな時でも支える、有能かつイケメンな男ですので、以後お見知りおきを」
マリアがよろしくお願いしますとぎこちなく返答し、ジークハルトはそれではよくわからないだろうと苦笑しながら補足してくれた。
「ラウルとは昔からの付き合いなんだ。それで今は俺の補佐をしてくれている」
「団長殿は細々とした事務作業が苦手でありますからね」
聞くと秘書官のような仕事を担っているらしい。
ぱっと見た感じ器用そうに見えるので、適任に見えた。
(先ほどジークハルト様のお話にも出てきた方よね。親友って感じなのかしら)
「奥様。よろしければ、私もご一緒させていただいて構わないでしょうか」
「えっと、わたしは構いませんが……」
「では早速――」
「団長!」
また別の人間が駆け寄ってくる。今度は初日にラウルと言い争いをしていた黒髪の青年だ。
マリアたちの前でピタリと足を止め、きびきびした所作で敬礼する。
「こちらにいらしていたのですね」
「ああ。マリア、彼はヘリベルト。小隊を率いている。真面目で正義感にあふれた青年だ。剣の扱いにも優れている」
ジークハルトの紹介にヘリベルトは恐縮した、しかし嬉しさを隠せない様子で口元に笑みを浮かべた。
「えージークハルト様ぁ。俺の時と違いませんかぁ? 俺も超真面目で頼りになる男だって言ってくださいよぉ」
「お前は九割方ふざけた態度をとるのが欠点だな」
「ひどい!」
「おい、ラウル。奥方の前でみっともない姿を晒すな」
不敬な態度は許さないと、すかさずヘリベルトが注意する。ラウルの方は魚が釣り針にかかったようにニヤリとした。
「なぁに、ヘリベルト君ったらいい子ぶっちゃって。奥方の前だから、かっこつけようとしてるんでしょ」
「なっ、俺は別に」
「結婚式の時も、花嫁衣装を着た奥方に鼻の下伸ばしてたもんねぇ」
「違う! 俺はジークハルト団長と一緒に並ぶ姿が美しくて目を奪われていたんだ!」
「それを鼻の下を伸ばすって言うんだよ」
「全然違う! お前はなんでそう一々下品な表現を――」
「団長!」
ラウルたちの喧嘩を止めたのはまたこちらへ走ってくる騎士だ。今度は一人ではない。ヘリベルトたちのやり取りを見て自分たちも輪に加わりたいと思った大勢の団員たちがジークハルトとマリアの周りをあっという間に取り囲んだ。
「俺たちにも紹介してくださいよ!」
「そうだそうだ。ラウルだけずるい!」
きらきらした眼差しを注がれてマリアは少したじろいでしまう。気づいたジークハルトが守るように腰を引き寄せた。
「こら、お前たち。そんな一斉に詰め寄られたらマリアが怖がる」
「あの、ジークハルト様。わたしは大丈夫ですから」
「いや、彼らにははっきり言っておいた方がいい」
「そうそ。戦うことしか頭にない脳筋がほとんどだから」
ラウルがさらりとひどいことを述べたが、意外にも彼らは否定しなかった。
「団長! 奥方のことは何と言えばよいでしょうか!」
「お名前でお呼びしてもよろしいでしょうか!」
「そうだな……マリア。いいか?」
「あ、はい。どうぞお好きなように」
「じゃあ俺、マリアちゃん!」
「ラウル!」
またヘリベルトがラウルに突っかかり、他の騎士団員も野次を飛ばしたり面白そうに見守っている。一気に騒がしくなって収拾がつかないと思われたが……。
「はい、そこまで!」
ジークハルトがパンと手を叩いたことで、ピタリと喧騒が止んだ。
「みな、マリアのことは敬称を付けて呼ぶように。わかっていると思うが、無礼な真似は決してせず、俺の妻として、カリウス家の女主人として敬うように」
「はい!」
全員の声が一つに重なり、ジークハルトはよしと頷くと、それぞれの鍛錬を再開するよう命じた。
直前までのぐだぐだしたやり取りはいったい何だったのだと思うくらい彼らは綺麗に散っていった。
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