52 / 74
51.あふれる想い
しおりを挟む
出立の日。国王陛下も王女殿下も前日に別れの挨拶は済ませたと、見送りにわざわざ足を運ぶことはせず、他の臣下たちもジョナスも、特に彼らを咎めることはしなかった。
「ナタリー様。どうか道中、お気をつけて」
ジョナスが代表して見送りの言葉をかけ、恭しく頭を下げてくれる。彼は常に一定の距離間を保ちながらも、時折こちらの体調を気遣う言葉をかけるのがナタリーにはなぜか不思議であった。
「ジョナス様。わざわざありがとうございます」
「いいえ。お礼を申し上げるのはこちらの方でございます。あなたのおかげで、多くの民が救われるのですから」
物静かな話し方ではあるが、それだけに嘘偽りのない率直な意見を述べられているようで、張りつめていた緊張の糸が少しだけ解れる。彼はナタリーを囲む騎士たちを見渡し、指示を任せてあるオーウェンに目をとめた。
「ナタリー様には王宮を出立する際、教会の方で祈りを捧げてもらうよう国王陛下から仰せつかっております。あなた方はここでしばしお待ちいただけますか」
オーウェンはならば自分も、と言いたげであったが、ジョナスの必要ないという雰囲気に圧され、わかりましたと承諾した。
(王宮での最後の祈り……)
護衛がついているとはいえ、何があるかわからない。もしかすると二度と王都へは戻ってこれない可能性だってある。怖い、と思う。でも耐えなければならない。それが聖女の役目だ。
「私は外でお待ちしております。中には誰もおりませんので、安心して祈って下さい」
見上げてもなお果ての見えない天井に、昼間なのに光の届かぬ薄暗い空間は、自分という存在はどうしたって無力だということを思い知らされ、癒すことのできない孤独な感情へ突き落とす。
(思えば声を聞いたのも、この教会だった)
自分の歩く音だけが、静寂の中に響き渡る。祭壇のはるか上から注がれる美しくも、幻想的な光。こちらを優しく見下ろす聖女たちの微笑。目を瞑る。あの時、聖女の使命を自覚した時に思ったことは――
「ナタリー」
パッと目を開けて振り返る。今しがた考えていた姿が眼の前に映っており、ああこれは己の都合のよい幻かと思っていると、どんどん自分の方へ近づいて来て、勢いよく身体を引き寄せられた。
(ああ……)
リアンだ、とナタリーは思った。彼の香り。懐かしい温もり。愛しいという感情。自分を守ると言ってくれた人。離れていて、とても寂しかった。ずっと会いたかった。
「ナタリー」
掠れた声で、リアンは何度も自分の名前を呼んでいる。彼女もリアンの名を呼んだ。彼の息が首筋にかかってくすぐったい。少しだけ身をよじれば、逃がさないとますますきつく抱きしめられる。二人は隙間もないほどぴったりとくっついて互いの存在を確かめあった。
「後悔しているんだ」
顔を上げぬまま、リアンがくぐもった声で言った。
「……何を後悔しているの」
「俺がユグリットへ旅立つ前、きみに別れを告げなかったこと」
そう。彼はナタリーに別れを告げてくれなかった。
「ええ、酷いわ。とても、心配したのよ……」
なぜか素直に、ナタリーは自分の心情を吐露できた。ずっと心の奥底、頑なに守り続けていた感情が、彼を前にして脆く崩れていく。久しぶりで、でもとても自然なことに感じた。
「どうして何も言ってくれなかったの? せめて顔だけでも、見せて欲しかったわ……」
「ごめん。余計に心配させると思ったんだ。それに……怖かったんだ。俺がきみに会ったことがばれたら、もっと酷い環境で酷使させられるんじゃないかって……」
わかっている。ぜんぶ自分のためだ。
「でも、いざ自分がその立場になったら、一言でも伝えたくて、顔が見たくて……」
「だから、会いに来てくれたの?」
ああ、と顔を上げて彼が微笑んだ。今にも泣きそうで、悲しみとか苦しみとか、喜びも混じっている複雑な表情をしていた。ナタリーもたぶん同じだ。あまりにも長く会っていなくて、いざ会ってみたら、どうすればいいかわからない。
けれど素直に伝えようと思った。いま一番思っていること。
「うれしい。リアン。わたしもずっとあなたに会いたかったから」
「ほんとう?」
本当だよ、と目を閉じておでこを彼の額に優しくぶつけた。よかった、とつぶやくような彼の声。
「俺もだよ、ナタリー」
リアンの手がナタリーの頬に触れ、そっと顔を近づけてくる。彼女は拒まなかった。大きくて広い背中にしがみついて、わたしもあなたが好きだと伝える。なんて甘美で幸福に満ちた行為なのだろう。
(ああ。わたしはやっぱりこの人が好きなんだ……)
聖女ならば浅ましい欲は捨てねばならない。でも今この瞬間、ナタリーは違うのではないかと思った。
(彼のためなら、わたしは何だってできる)
もう一度リアンと会うためなら。誰かを救うことがこの国のためとなって、リアンの安寧に繋がるのなら――彼女は何だって耐えられる気がした。
「ナタリー様。どうか道中、お気をつけて」
ジョナスが代表して見送りの言葉をかけ、恭しく頭を下げてくれる。彼は常に一定の距離間を保ちながらも、時折こちらの体調を気遣う言葉をかけるのがナタリーにはなぜか不思議であった。
「ジョナス様。わざわざありがとうございます」
「いいえ。お礼を申し上げるのはこちらの方でございます。あなたのおかげで、多くの民が救われるのですから」
物静かな話し方ではあるが、それだけに嘘偽りのない率直な意見を述べられているようで、張りつめていた緊張の糸が少しだけ解れる。彼はナタリーを囲む騎士たちを見渡し、指示を任せてあるオーウェンに目をとめた。
「ナタリー様には王宮を出立する際、教会の方で祈りを捧げてもらうよう国王陛下から仰せつかっております。あなた方はここでしばしお待ちいただけますか」
オーウェンはならば自分も、と言いたげであったが、ジョナスの必要ないという雰囲気に圧され、わかりましたと承諾した。
(王宮での最後の祈り……)
護衛がついているとはいえ、何があるかわからない。もしかすると二度と王都へは戻ってこれない可能性だってある。怖い、と思う。でも耐えなければならない。それが聖女の役目だ。
「私は外でお待ちしております。中には誰もおりませんので、安心して祈って下さい」
見上げてもなお果ての見えない天井に、昼間なのに光の届かぬ薄暗い空間は、自分という存在はどうしたって無力だということを思い知らされ、癒すことのできない孤独な感情へ突き落とす。
(思えば声を聞いたのも、この教会だった)
自分の歩く音だけが、静寂の中に響き渡る。祭壇のはるか上から注がれる美しくも、幻想的な光。こちらを優しく見下ろす聖女たちの微笑。目を瞑る。あの時、聖女の使命を自覚した時に思ったことは――
「ナタリー」
パッと目を開けて振り返る。今しがた考えていた姿が眼の前に映っており、ああこれは己の都合のよい幻かと思っていると、どんどん自分の方へ近づいて来て、勢いよく身体を引き寄せられた。
(ああ……)
リアンだ、とナタリーは思った。彼の香り。懐かしい温もり。愛しいという感情。自分を守ると言ってくれた人。離れていて、とても寂しかった。ずっと会いたかった。
「ナタリー」
掠れた声で、リアンは何度も自分の名前を呼んでいる。彼女もリアンの名を呼んだ。彼の息が首筋にかかってくすぐったい。少しだけ身をよじれば、逃がさないとますますきつく抱きしめられる。二人は隙間もないほどぴったりとくっついて互いの存在を確かめあった。
「後悔しているんだ」
顔を上げぬまま、リアンがくぐもった声で言った。
「……何を後悔しているの」
「俺がユグリットへ旅立つ前、きみに別れを告げなかったこと」
そう。彼はナタリーに別れを告げてくれなかった。
「ええ、酷いわ。とても、心配したのよ……」
なぜか素直に、ナタリーは自分の心情を吐露できた。ずっと心の奥底、頑なに守り続けていた感情が、彼を前にして脆く崩れていく。久しぶりで、でもとても自然なことに感じた。
「どうして何も言ってくれなかったの? せめて顔だけでも、見せて欲しかったわ……」
「ごめん。余計に心配させると思ったんだ。それに……怖かったんだ。俺がきみに会ったことがばれたら、もっと酷い環境で酷使させられるんじゃないかって……」
わかっている。ぜんぶ自分のためだ。
「でも、いざ自分がその立場になったら、一言でも伝えたくて、顔が見たくて……」
「だから、会いに来てくれたの?」
ああ、と顔を上げて彼が微笑んだ。今にも泣きそうで、悲しみとか苦しみとか、喜びも混じっている複雑な表情をしていた。ナタリーもたぶん同じだ。あまりにも長く会っていなくて、いざ会ってみたら、どうすればいいかわからない。
けれど素直に伝えようと思った。いま一番思っていること。
「うれしい。リアン。わたしもずっとあなたに会いたかったから」
「ほんとう?」
本当だよ、と目を閉じておでこを彼の額に優しくぶつけた。よかった、とつぶやくような彼の声。
「俺もだよ、ナタリー」
リアンの手がナタリーの頬に触れ、そっと顔を近づけてくる。彼女は拒まなかった。大きくて広い背中にしがみついて、わたしもあなたが好きだと伝える。なんて甘美で幸福に満ちた行為なのだろう。
(ああ。わたしはやっぱりこの人が好きなんだ……)
聖女ならば浅ましい欲は捨てねばならない。でも今この瞬間、ナタリーは違うのではないかと思った。
(彼のためなら、わたしは何だってできる)
もう一度リアンと会うためなら。誰かを救うことがこの国のためとなって、リアンの安寧に繋がるのなら――彼女は何だって耐えられる気がした。
21
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?
浅海 景
恋愛
水谷 瑛莉桂(みずたに えりか)の目標は堅実な人生を送ること。その一歩となる社会人生活を踏み出した途端に異世界に召喚されてしまう。召喚成功に湧く周囲をよそに瑛莉桂は思った。
「聖女とか絶対ブラックだろう!断固拒否させてもらうから!」
ナルシストな王太子や欲深い神官長、腹黒騎士などを相手に主人公が幸せを勝ち取るため奮闘する物語です。
婚約破棄? めんどくさいのでちょうどよかった ――聖女もやめて、温泉でごくらくしてます
ふわふわ
恋愛
婚約破棄を告げられた聖女リヴォルタ・レーレ。
理由は、「彼女より優秀な“真の聖女”が見つかったから」。
……正直、めんどくさい。
政略、責任、義務、期待。
それらすべてから解放された彼女は、
聖女を辞めて、ただ温泉地でのんびり暮らすことを選ぶ。
毎日、湯に浸かって、ご飯を食べて、散歩して。
何もしない、何も背負わない、静かな日常。
ところが――
彼女が去った王都では、なぜか事故や災害が相次ぎ、
一方で、彼女の滞在する温泉地とその周辺だけが
異様なほど平和になっていく。
祈らない。
詠唱しない。
癒やさない。
それでも世界が守られてしまうのは、なぜなのか。
「何もしない」ことを選んだ元聖女と、
彼女に“何もさせない”ことを選び始めた世界。
これは、
誰かを働かせなくても平和が成り立ってしまった、
いちばん静かで、いちばん皮肉な“ざまぁ”の物語。
冤罪で殺された聖女、生まれ変わって自由に生きる
みおな
恋愛
聖女。
女神から選ばれし、世界にたった一人の存在。
本来なら、誰からも尊ばれ大切に扱われる存在である聖女ルディアは、婚約者である王太子から冤罪をかけられ処刑されてしまう。
愛し子の死に、女神はルディアの時間を巻き戻す。
記憶を持ったまま聖女認定の前に戻ったルディアは、聖女にならず自由に生きる道を選択する。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。
国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。
悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。
どちらの王妃でも問題ありません【完】
mako
恋愛
かつて、広大なオリビア大陸にはオリビア帝国が大小合わせて100余りある国々を治めていた。そこにはもちろん勇敢な皇帝が君臨し今も尚伝説として、語り継がれている。
そんな中、巨大化し過ぎた帝国は
王族の中で分別が起こり東西の王国として独立を果たす事になり、東西の争いは長く続いていた。
争いは両国にメリットもなく、次第に勢力の差もあり東国の勝利として呆気なく幕を下ろす事となった。
両国の友好的解決として、東国は西国から王妃を迎え入れる事を、条件として両国合意の元、大陸の二大勢力として存在している。
しかし王妃として迎えるとは、事実上の人質であり、お飾りの王妃として嫁ぐ事となる。
長い年月を経てその取り決めは続いてはいるが、1年の白い結婚のあと、国に戻りかつての婚約者と結婚する王女もいた。
兎にも角にも西国から嫁いだ者が東国の王妃として幸せな人生を過ごした記録は無い。
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる