バッドエンド回避のために結婚相手を探していたら、断罪した本人(お兄様)が求婚してきました

りつ

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26、平和な日常

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 結局レーモンと話してしまったので、兄が担当する講義の準備の手伝いをすることができなかった。

 それでも講義が始まる前に顔だけでも見ておきたい(どうせ授業中も見るのだが)と、兄にあてがわれた個室に急いで駆け込んだ。

「お兄様!」
「どうした、イザベル」

 落ち着きなさいと、フェリクスはイザベルを椅子に座らせて、茶まで淹れてくれた。

 ごくごくそれを飲み干したイザベルはふぅ……と一息つく。

「って、つい流れるように飲んで、落ち着いてしまったわ」
「それで、どうしたんだ?」

 兄のぶれない態度にイザベルは急に照れ臭くなる。

「いえ、別にどうということはないのだけれど……あ、これ、お兄様に渡そうと思って」
「? ……パンじゃないか。購買で買ったのか? 今日は確か友達と食堂で食べると言っていたはずだが」
「ええ。でも、早く食べ終えてお兄様に会いに行く途中でいろいろあって……その、殿下と話したの」

 兄の眉がぴくりと動いた。怒るかと思ったが、感情を抑えた静かな声で尋ねた。

「何を話したか、教えてくれるか?」
「ええ。その……以前わたしが見た夢の話に関係するのだけれど……」

 イザベルはレーモンに話した内容よりも、さらに自分の考えを交えて説明した。

「そうか……お前は正面から殿下に向き合ったんだな」
「殿下は腹立つ物言いもするし、夢で起きたことを知っている身からすると複雑な気持ちにもなるけれど……今の彼とは混同してはいけないと思ったから」

 ふっとフェリクスは優しく目を細めた。

「強いな、イザベルは」
「強い?」
「ああ。違う、ってことを認めて、今の殿下を受け入れようとしている。ひどいことをされたという記憶があっても……。それはなかなかできることじゃない」

 褒められて、むずむずする。

 兄は少々大げさすぎる。イザベルは照れ臭さを隠すように兄の肩に頭を押し付けた。

「別に、すごくないわ。わたしが強いというなら、お兄様のお陰だと思うし」
「私の?」

 イザベルは膝の上に置かれた兄の手を取って、指先を絡めながら頷いた。

「お兄様に愛されている今のわたしがいるから、だから、殿下とも向き合えたと思うの」

 幸せは最大の武器だ。どんな人にでも優しくしてやりたい気持ちになって、許したくなる。そして何とかなると前向きに生きる勇気が湧いてくる。

「お兄様が大好きだっていう気持ちがそうしてくれたの」

 自分を見る愛しい人の顔を見つめ返して、イザベルははにかんだ。フェリクスの青い瞳が揺れたかと思うと、顔がぐっと近づき、気づけば口づけされていた。

「んっ……」

 入り込んでこようとした舌を拒絶するように口を閉じたのは、ここが学院で、しかも臨時とはいえフェリクスは教職の立場だからだ。

 しかし兄はそのことを忘れてしまった……あるいは、どうしてもイザベルが欲しい気持ちを抑えきれなかったせいか、無理矢理口を割って舌を捩じ込んできた。

「っ……ふぅ、だ、め、おにい……んんっ」

 耳をくすぐられて、イザベルの言葉はくぐもった声に変わる。兄はどんどん体重をかけてきて、赤い革張りのソファにイザベルは押し倒されてしまう。

「は、だめ……お兄様……ここ、じゃ……」

 いや、それよりももうすぐ講義が始まる。

 兄や自分が遅れれば誰かが心配して、様子を見にこの部屋へ訪れるかもしれない。それでもしこんな姿を見られたら――

「お願い、お兄、さま……夜なら、いいから……」

 すでにプリーツスカートを捲り、下着の隙間から手を差し込んで蜜口を弄っていたフェリクスの指がピタリと止まる。くちゅりと音が鳴り、ゆっくりと引き抜かれる感触に物欲しげな気持ちになったことをイザベルは懸命に隠さねばならなかった。

「イザベル。今の約束、決して違えるなよ」

 兄はイザベルの愛液で濡れた指を舐めて、いつもの彼らしからぬ口調で言った。イザベルはむっつりとした顔で起き上がり、ハンカチで兄の指をごしごし拭う。

「わかっているわ。もう……わたしだって辛いんだから。こんな中途半端なところでやめられて……」

 イザベルが子どものように拗ねてぶつぶつ文句を言えば、フェリクスもようやく冷静さを取り戻したのか、機嫌を取るようにイザベルの頬に口づけた。

「悪い。お前があまりに可愛すぎて、抑えられなかった。……辛いならば、お前だけいかせようか」

 耳元で甘くそう囁かれ、イザベルはかっとなる。

「いい!」

 ぷいっと顔を逸らすと、兄がくすりと笑った。イザベルはじとっとした目で睨んだが、兄の笑顔が可愛くて結局許してしまう。

「もう。こんなやり取りしていたら本当に授業に遅れてしまうわ。わたし、先に行っているから、お兄様も――先生も遅れないでくださいね」

 兄は目を丸くして、なぜか目を閉じた。

「その言い方だと、こう……背徳感が増してしまうな」

 イザベルは呆れて、さっさと部屋を後にした。

 その後夕方まで授業を終えて、イザベルは兄と共に帰宅した。

 その次も変わらぬ日常を送っていき、友人も増えた。

 レーモンやアラン、ジルベールへの態度も、以前のような刺々しいものから、普通の友人のような接し方に変わった。

「イザベル。きみは体育の授業は受けないのか?」
「汗をかくのが嫌ですから受けませんわ」
「そんなこと言って、本当は運動神経があまりよくないんだろう」
「なっ。違います! わたしこう見えて、木登りとか得意でしたから。今は自重していますけれど、屋根の上によじ登って、お父様たちを驚かせていたんですよ?」
「それは胸を張って言えることなのか?」
「ご両親やフェリクス殿の苦労が窺えますね」

 なんて気楽なやり取りもできて、悪くない。

「……イザベルはお転婆だったんだな」

 ぽつりと呟くレーモンに、イザベルはニヤリと笑った。

「殿下は木登りとか、できなそうですよね。虫とか途中で見つけて、悲鳴を上げて落ちそうになったところをアランたちに助けられていそう」
「なっ」
「すごいな。よく知っているな」
「あの時の殿下の取り乱しようはひどかったですね。ものすごく小さな虫でしたのに……」
「アラン! ジルベール!」

 真っ赤になって怒るレーモンに、イザベルは笑った。

「イザベル」
「あ、お兄様だわ。それじゃあ、みなさん、さようなら」

 手を振って別れを告げれば、レーモンがイザベルを呼び止める。

「どうしました?」
「……いや。気を付けて、帰るように」
「はい。殿下も」

 レーモンもずいぶんと優しくなった。最近ぽつぽつと婚約者探しをしていると聞くので、イザベルに対しても紳士に接せねばと思うようになったのだろう。

(それにしても、結局まだ一度もマリオンとは会っていないのよね)

 同じ学院に通っているはずなのに不思議だ。

 でも、会わないでいいのならばそれでいい。優しくて可愛い彼女のことだから、イザベルが気にするまでもなくきっと充実した学院生活を送っているはずだ。

 イザベル自身、自分のことで頭がいっぱいだった。

「イザベル。学院を卒業したら、すぐ結婚できるようにしたいんだが、いいか?」
「はい。許可が下りたのですね!」
「そうだ」

 兄は無事に、遠縁の貴族の養子となった。……といっても、相変わらず侯爵家のことは兄が管理しているので、屋敷内が変わることは特にないが。

 使用人たちも普通に祝福してくれた。いや、普通より、かなり感激した様子でおめでとうございますと言ってくれた。

「わたし、お兄様の妻になれるんですね。嬉しい」
「ああ。私もだ……」

 もう憂うることは何もない。
 そんなことを疑いなく思い始めていたある日の放課後。

「――イザベル。すまない。今日は先に帰っていてくれるか?」

 兄はどうやら臨時とはいえ、役立つ存在として認められて、仕事を任せられるようになった。残業するほどまでに。

「明日の授業で使う資料の作成がまだ終わらないから、すまない」
「わたしも終わるまで待っているわ」
「いや……恐らく夜までかかると思う」

 イザベルは眉間に皺を寄せた。

「お兄様、そんな大変な量の仕事を頼まれてしまったの? ちょっとあんまりではなくて?」

 上の立場であることを利用した嫌がらせではないか。

「大丈夫だ。私も引き受けたからにはきちんと作りたい。他の生徒たちにも理解できるように。……お前にもな」

 イザベルはため息をつき、笑った。

「お兄様って本当に真面目ね。そういうところ、嫌いじゃないわ。……わたしにも、何かできることある?」
「帰らなくていいのか」
「お兄様と一緒じゃないと嫌」

 机に座る兄をしゃがんで上目遣いで見つめ、優しい声でイザベルは言った。兄は困った顔をして頭を撫でてくれる。

「わかった。だが私に任せられたことは自分でするから、お前は課題でもしていなさい」
「はーい。あ、違った。はい、わかりました」

 以前注意されたことを思い出して訂正すると、兄はもう一度頭を撫でてくれた。

 それからしばらく頑張って課題に取り組み、無事に何とか終えると、兄の方はまだ終わっていない様子だったので、腹ごしらえに何か買ってきてやろうと静かに部屋を出た。

(マリオンのパン、まだあるかしら)

「――シャルル。こんばんは」
「おや、イザベル様。まだ学校に残っていらしたのですか」

 もう閉める時刻なのか、シャルルはトレイや残ったパンの後片付けをしていた。

「ええ。お兄様がまだ仕事していて……もう、買えないかしら?」
「いえいえ。大丈夫ですよ。あ、よかったら、全部持っていってください」

 手際よくササッと紙袋に入れられて手渡される。

「さすがにこんなには食べられないわ。手持ちも足りないし」
「はは。貴族のご令嬢がお金を気にしてどうしますか。大丈夫です。あなたのお兄様が継続的に寄付してくれた額に、そのパンのお代も含まれていますから」
「その言い方、聖職者としていかがなものかと思うけれど……ありがたくいただくわ」

 カレーパンや夕食の代わりになりそうなカロリー高めのパンが残っているので、ちょうどよかった。メロンパンもある。

 頬を緩ませるイザベルをにこにこ見つめながらシャルルは訊いた。

「最近、調子のほどはどうですか」
「絶好調よ。……あなたの目からもそう見える?」

 シャルルは魂の色が見え、出会った時イザベルは真っ赤だと言われた。それは魂が揺らいでいる証拠だと……ゲームの中のイザベルのようになりかけていた。

「ええ。無色透明になっています」
「本当? よかった。もう何も心配ないのね」
「そうですねぇ……でも、油断は大敵といいますから。安寧が訪れた頃、神はまた新たな試練をお与えになるのですよ」

 脅かすシャルルにふん、とイザベルは鼻を鳴らした。

「たとえそうなっても、わたしとお兄様の愛を邪魔することは誰にもできないわ」
「はは。それは頼もしい。――期待していますよ」

 何だか含みを感じさせる言葉であったが、イザベルは兄が待っていると急いで戻ることにした。

「もし、学院に泊まる際は、自重してくださいね」
「余計なお世話よ!」

 シャルルは本当に童貞なのだろうか。あの真っ赤になって狼狽えていた彼が幻のようなだ。なんてことを考えながら足早に脚を動かす。

(うー、夜の学校って暗くて怖い)

「イザベル?」

 いきなり後ろから呼びかけられてイザベルは大げさなほど背中を震わせた。恐る恐る振り返り、なんだと肩の力を抜く。

「殿下。驚かせないでくださいよ」
「普通に声をかけただけだが……怖かったのか?」
「そ、そんなことありません! それより、殿下はこんな時間まで何を?」
「生徒会での仕事を片付けていたんだ」

 兄と同じだ。真面目に取り組むことはいいことだが、少し心配にもなる。

「身体、気を付けてくださいね。若いからって無理しすぎていると、後になって響きますから」
「なんだか母親のような言葉だな」

 レーモンは笑って、イザベルの抱えているパンを話題にする。

「わざわざそれを買い占めたくて、こんな時間まで残っていたのか?」
「違いますよ! 兄が残業しているので、息抜きにあげようと思ったんです」
「……そうか」

 少し表情が曇ったので、もしかするとパンのお裾分けを期待していたのかとイザベルは思った。

「たくさん買ってしまったので、殿下もよかったらいくつかもらってください」
「えっ、いや、僕は、むぐ――」

 いつかと同じように遠慮する口をメロンパンで塞いでやる。

「ふふ。腹が減っては、頭も働きませんから。わたしの大好きなパンを特別にあげます」

 イザベルをじっと見つめながらもぐもぐ口を動かしていたレーモンは喉をごくりと動かした。

「……ありがとう」
「いえいえ。どういたしまして」

 他にもサンドイッチなど分けてやり、イザベルは兄のもとへ戻ろうとする。

「それじゃあ、殿下。ほどほどに頑張ってくださいね」

 立ち去ろうとするイザベルの手をレーモンはとっさに掴んだ。

「殿下?」
「あ、いや……生徒会室で、少し休んでいかないか。アランやジルベールたちもいるし、パンをくれたお礼にお茶も淹れる。王家御用達の茶葉ですごく美味しいから、きっときみも気に入るはずだ」

 珍しいお誘いにイザベルは目を丸くして、ふわりと微笑んだ。

「ありがとうございます。でも、そろそろ戻らないと兄が心配しますから」
「そう、か……そう、だな。きみは、フェリクスの婚約者であるし、彼を、愛しているのだから……」

 自分で言うのは平気だが、他人から――しかも以前まで嫌っていたレーモンに言われて、イザベルは思わず頬を赤らめた。離そうとしていた彼の手にまた力がこもる。

「なぁ、イザベル。以前きみは、夢に悩まされていると教えてくれたな。その夢には僕が出てきて、きみを傷つけると……僕はきみと、どんな関係だったんだ? きみにとって、特別な人間だったのか? その世界では、僕はきみの……婚約者だったりしたか?」

 イザベルは瞠目してレーモンの顔を見つめた。彼の真っ直ぐな目に動揺して、顔を逸らしてしまう。

「……いいえ。違います。わたしが、殿下を一方的に慕っていたのです。あなたには、他に好きな女性がいたのに、無理矢理……だから、すごく、嫌な夢なのです」
「きみが僕を? ……そうか」
「でも、しょせん夢ですから!」

 イザベルが少し大げさなほど明るく言い放てば、ようやくレーモンの手が離れて、いつもの彼に戻ったように見えた。

「そうだな。現実的に考えて、きみが僕を好きになるはずないし、僕も、もう少しお淑やかな女性を選ぶだろう」
「なんだか腹が立つ言い方ですけれど……そうですよ。殿下には、わたしよりももっと相応しい人がいますから」

 うん、とレーモンは微笑んだ。その笑みが少し寂しそうに見えた気もしたが、イザベルはそれ以上気にかけることはしなかった。

「では、わたしは今度こそ失礼しますから」
「ああ。引き留めて悪かった。――また、明日」
「はい」
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