17 / 24
17、逃げ出す
しおりを挟む
「奥様。今日はとても天気がいいですわ。散歩でも行きませんか?」
日がな一日部屋に籠ってぼうっとしているセシリアを気遣い、タバサがそう提案した。
しかしセシリアは曖昧に微笑んで、今日も外出しない意思を伝える。
「外は暑いもの。室内で読書したりして過ごすわ」
「そうですか……」
見るからにがっかりした様子のタバサにちくりと胸が痛むものの、セシリアは発言を撤回することはしなかった。
このところずっと鬱々とした気持ちを抱えている。何をしても気が晴れないし、何もする気になれなかった。
そんな自分の様子にタバサや他の使用人たちが気を揉んでいることにもきちんと気づいていた。
「旦那様も、奥様のことを心配なさっていました」
「……そう」
嘘だ、とセシリアは心の中で返した。そんな反抗的な気持ちが顔に出ていたのか、タバサがさらに力説する。
「本当ですよ? 食事も、奥様が好きなものを中心に作るよう命じられて、私たちにも奥様の体調には十分気を配るようおっしゃっているんですから」
「ええ、わかっているわ……」
タバサの言葉を疑っているわけではなかったし、本当に彼女の言う通り、クライヴはセシリアのことを気にかけているのだろう。
でもそれは、セシリアが公爵家の妻であり、子を産んでもらわなければならない立場にあるからだ。
(だからあの時も、 あんなことしたのよ)
ハンスのいる部屋の隣で、おまえたちの恋はどうあっても叶わないと現実を突きつけるために。
(ハンスに助けに来てほしいって思ったのは、確かに今思うと、失礼だったと思うけど……)
クライヴの行いをはっきりと拒絶できなかったのは、ハンスへのそうした気持ちを見透かされて、後ろめたくもあったからだ。
(でも、そんなことしなくても、もうとっくに終わっていたのに……)
余計なことをせずとも、何も間違いは起こらなかった。
自分を信じてくれなかったクライヴの行いに傷つきもしたが、心のどこかで仕方がないと諦めた気持ちもあった。
セシリアがクライヴの考えていることがわからず、自分とは違う世界の人間なのだと、結婚した今でも思うように、彼もまた妻を完璧に自分の支配下に置かないと管理しきれない存在だと危惧しているのだろう。
それはクライヴだけでなく、タバサやハンスとのやり取りを報告したと思われる御者など、彼に仕える人々にも共通している。もちろん彼らはセシリアに敬意を示してくれるし、心配する気持ちもある。だが彼らが仕えているのは、やはりクライヴなのだ。
それが今回のことで浮き彫りになり、セシリアは裏切られたような、寂しい気持ちになった。これが当たり前なのだと受け入れて今後生活していかなければならないことにも、疲れを覚えるのだった。
◆
タバサの思いに何とか応えないといけないと思いつつ、セシリアはその後も部屋で一日を終えた。次の日の午後も、そうするつもりだった。
「では奥様。何かありましたら、お呼びください」
頭を下げて、タバサが部屋を出て行く。
当初は何かあった時のために同じ部屋で控えていたのだが、セシリアがずっと読書に耽っており、飲み物を持ってきてほしいなどの要望も出さないので、この時間はいつも他のメイドの手伝いをするようになった。王都の屋敷なら大勢使用人がいるのだが、連れてきたのは最低限であったので、人手はいくらあっても困らないそうだ。
(何だか本を読むのも飽きてしまったわ……)
伯爵家ではあまり読むのを推奨されなかった恋愛小説を脇に置き、セシリアはソファから立ち上がると、外へと目をやった。
(そういえばこの部屋、バルコニーがあったのよね)
今セシリアがいる場所は、三階の東側、本棚や書き物机が置かれた部屋である。
田舎の涼しい地域とはいえ、三階となれば暑く、そのためか外の空気が入ってくるようガラス扉が僅かに開けられていた。
これまでは特に気にならず、きっと見慣れた光景が広がっているだけだとバルコニーへ降りたこともなかった。
しかし今は読書にも飽きてしまい、セシリアは何となく外へ出てみた。
(やっぱり森ばっかりね……)
三階なので遠くまでよく見える。
(あ、あそこ開けているわ……)
穴が空いたようにぽっかりと木が生えていない場所を見つける。建物があるのだろうか。
少し興味が湧いて、もっとよく見たいと目を凝らす。
散歩に行くついでに見てこようか。
(……でも散歩には、誰かついてくるわよね)
やはり気が進まず、どのみち今日は一日部屋で過ごすとタバサに言ってしまった。急に予定を変えては迷惑がられるだろう。
諦めて読書の続きをしようと部屋へ戻ろうとしたセシリアは、バルコニーの隅に目を留めた。
(階段がある)
火事が起きた時などのために設置したのか、外用の階段が壁に這うようにして備え付けられてあった。
ふと、このまま逃げてしまおうかという誘惑に駆られた。
(何を考えているの)
逃げるといっても、どこへ逃げるというのだ。
自分の家にだって居場所はなかったというのに。それに突然いなくなったとすれば、タバサやクライヴに迷惑をかける。
(でも、ほんの少しの時間なら……)
そう。何も永遠に帰ってこないわけではない。その辺を少し散歩するくらいなら、誰にもばれないのではないか。誰にも内緒で外へ行きたい。
気まぐれな思いつきはとても魅力的な案に思えた。
(よし)
セシリアはそのまま階段を下りようとして、やはり足を止めた。部屋の中へ入り、書き物机に置かれた紙にペンを走らせる。
『急に散歩がしたくなり、外出しています。すぐに戻りますので、どうか心配せずに待っていてください。――セシリア』
万が一、タバサが部屋へやってきた時、大慌てしないようメモを書き記しておく。風で飛ばされないよう本を重しにすると、また外へ出て、今度こそ階段を下り始めた。
ルームシューズを汚してしまうことが申し訳ないが、靴下を汚せばすぐにばれて事情を話す羽目になってしまう。
(無事に戻ることができたら、今履いているのは戸棚の後ろにでも隠して、替えのシューズに履き替えなくちゃ)
一段ずつ慎重に下りながらセシリアはそんなことを考えた。階段は隙間から下が容赦なく見え、正直少し怖い。
でも昔は自分の背丈よりうんと高い木に登って、そこから飛び降りたこともあった。それらと比べれば、手すりもあるし、安全だ。
何より地上へ近づくにつれて、高揚感が湧き起こる。
(着いた!)
誰にも見咎められることなく、セシリアは無事に一階まで下りることができた。周りは草木が植わっており、自分の姿もすっぽりと覆い隠してしまう。
ここで満足して、もう戻るべきか。――いや、さらに進みたい。
セシリアは木陰に身を隠しながら、足早に敷地の外へ向かう。正面からではなく、少し外れた場所に人一人通れるほどの抜け穴を見つけ、口元に笑みを浮かべた。
そしていよいよ屋敷の塀を越えることができると、少しだけ屋敷を振り返り、また前を向いて歩き続けて、次第に小走りになり、やがて全速力で雑木林の中を駆け抜けていく。
木漏れ日が眩しくて、頬に当たる風が気持ちいい。滲んでくる汗に、苦しくなってくる呼吸にさえ、不快感ではなく嬉しさを覚えてしまう。今自分は生きているのだ。
部屋を抜け出した興奮であまり考えずに走っていたが、セシリアは視界の先が開けてくることに気づいた。走る速度をだんだん落としていき、やがて――
(わぁ……)
目の前に広がる水面に目を奪われた。
地下水が自然に地表へ湧き出てできたものと思われる泉だった。
(きれい……)
自分の故郷にこんな場所があるなんて、セシリアは今まで知らなかった。
近くまで寄って、水の中を覗き込む。自分の顔が鏡のように映り、手を浸せば冷たくて気持ちいい。
しゃがんでしばらく輝く水面を眺めていたが、日差しが少しきつく感じたので、立ち上がって木の下へ移動する。
柔らかな草の上に座り、太い幹に背中を委ねる。ここへ来るまで全速力で走ってきたからか、少し疲れてしまった。
(あと少し休憩したら戻ろう……)
重い瞼を閉じながらそう心に留める。そよそよと吹く風が心地よく、鳥の囀りが子守歌に聞こえてくる。
目を開けるのがひどく億劫で、何も考えない時間が続いた。
――次に目を覚ました時、セシリアは仰天する。
いつの間にか太陽は傾きかけており、夕方になっていたからだ。
(いけない!)
少し休憩するつもりが、かなり長く眠ってしまったようだ。
身体が強張っていたものの、セシリアは慌てて立ち上がって屋敷へ戻り始める。
(タバサにばれていたらどうしよう!)
出てきた時は、ばれてもいいやという気持ちだったが、いざその可能性が高まると生きた心地がしない。
焦りながらもどうにか屋敷に着き、抜け穴を通って階段を急いで駆け上がり、バルコニーで服の裾やお尻を叩き、ルームシューズを脱いで部屋の中へ入ると、空箱を見つけてそこへ汚れたルームシューズを入れ、戸棚の隅に隠した。
「奥様、タバサです。喉が渇いていませんか? お茶をお持ちしました」
まるで見計らったようにタバサの声が聞こえ、セシリアはびくっとした。じゃっかん声が上擦ったものの、セシリアは入ることを許可する。その間、部屋に置いてあった新しいルームシューズに素早く履き替えるのを忘れなかった。
「あら奥様……」
自分を見て目を丸くするタバサにどきりとする。
(まさか外出したことがばれてしまった⁉)
「寝ていらしたのですか?」
「え?」
「髪が乱れていますから」
「あっ、そ、そうなの! 本を読んでいるうちに眠くなってしまって、ぐっすり眠ったせいか汗もかいてしまって……」
寝ていたのは本当であるが、恐らく汗だくで走ってきたのが一番の原因だ。
もちろんそんなことは言えず、いつになくじっと見つめてくるタバサにセシリアは心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思うほど緊張する。
(やっぱり、ばれるかな。いっそ正直に打ち明ける?)
そしてセシリアは重大な見落としに気づく。タバサへの書置きをそのままにしていたのだ。
もう終わりだ、と絶望すると同時に、ふっとタバサが相好を崩した。
「では先に湯浴みの準備をしますね」
「え?」
「汗をかいては気分が悪いでしょう? その後に何か冷たいものを召し上がってはどうですか? 甘い物も一緒に」
タバサの優しい表情に、セシリアは呆けた様子のまま頷いた。
彼女は笑顔で承諾し、さっそく準備をしてくると言って部屋を一度出て行った。
セシリアはほっと安堵の息を吐くと、机に置いてある書置きを手に取り、四つ折りにすると抽斗の中に仕舞った。
(なんとかばれずに済んだわ……)
安心して、笑ってしまった。
日がな一日部屋に籠ってぼうっとしているセシリアを気遣い、タバサがそう提案した。
しかしセシリアは曖昧に微笑んで、今日も外出しない意思を伝える。
「外は暑いもの。室内で読書したりして過ごすわ」
「そうですか……」
見るからにがっかりした様子のタバサにちくりと胸が痛むものの、セシリアは発言を撤回することはしなかった。
このところずっと鬱々とした気持ちを抱えている。何をしても気が晴れないし、何もする気になれなかった。
そんな自分の様子にタバサや他の使用人たちが気を揉んでいることにもきちんと気づいていた。
「旦那様も、奥様のことを心配なさっていました」
「……そう」
嘘だ、とセシリアは心の中で返した。そんな反抗的な気持ちが顔に出ていたのか、タバサがさらに力説する。
「本当ですよ? 食事も、奥様が好きなものを中心に作るよう命じられて、私たちにも奥様の体調には十分気を配るようおっしゃっているんですから」
「ええ、わかっているわ……」
タバサの言葉を疑っているわけではなかったし、本当に彼女の言う通り、クライヴはセシリアのことを気にかけているのだろう。
でもそれは、セシリアが公爵家の妻であり、子を産んでもらわなければならない立場にあるからだ。
(だからあの時も、 あんなことしたのよ)
ハンスのいる部屋の隣で、おまえたちの恋はどうあっても叶わないと現実を突きつけるために。
(ハンスに助けに来てほしいって思ったのは、確かに今思うと、失礼だったと思うけど……)
クライヴの行いをはっきりと拒絶できなかったのは、ハンスへのそうした気持ちを見透かされて、後ろめたくもあったからだ。
(でも、そんなことしなくても、もうとっくに終わっていたのに……)
余計なことをせずとも、何も間違いは起こらなかった。
自分を信じてくれなかったクライヴの行いに傷つきもしたが、心のどこかで仕方がないと諦めた気持ちもあった。
セシリアがクライヴの考えていることがわからず、自分とは違う世界の人間なのだと、結婚した今でも思うように、彼もまた妻を完璧に自分の支配下に置かないと管理しきれない存在だと危惧しているのだろう。
それはクライヴだけでなく、タバサやハンスとのやり取りを報告したと思われる御者など、彼に仕える人々にも共通している。もちろん彼らはセシリアに敬意を示してくれるし、心配する気持ちもある。だが彼らが仕えているのは、やはりクライヴなのだ。
それが今回のことで浮き彫りになり、セシリアは裏切られたような、寂しい気持ちになった。これが当たり前なのだと受け入れて今後生活していかなければならないことにも、疲れを覚えるのだった。
◆
タバサの思いに何とか応えないといけないと思いつつ、セシリアはその後も部屋で一日を終えた。次の日の午後も、そうするつもりだった。
「では奥様。何かありましたら、お呼びください」
頭を下げて、タバサが部屋を出て行く。
当初は何かあった時のために同じ部屋で控えていたのだが、セシリアがずっと読書に耽っており、飲み物を持ってきてほしいなどの要望も出さないので、この時間はいつも他のメイドの手伝いをするようになった。王都の屋敷なら大勢使用人がいるのだが、連れてきたのは最低限であったので、人手はいくらあっても困らないそうだ。
(何だか本を読むのも飽きてしまったわ……)
伯爵家ではあまり読むのを推奨されなかった恋愛小説を脇に置き、セシリアはソファから立ち上がると、外へと目をやった。
(そういえばこの部屋、バルコニーがあったのよね)
今セシリアがいる場所は、三階の東側、本棚や書き物机が置かれた部屋である。
田舎の涼しい地域とはいえ、三階となれば暑く、そのためか外の空気が入ってくるようガラス扉が僅かに開けられていた。
これまでは特に気にならず、きっと見慣れた光景が広がっているだけだとバルコニーへ降りたこともなかった。
しかし今は読書にも飽きてしまい、セシリアは何となく外へ出てみた。
(やっぱり森ばっかりね……)
三階なので遠くまでよく見える。
(あ、あそこ開けているわ……)
穴が空いたようにぽっかりと木が生えていない場所を見つける。建物があるのだろうか。
少し興味が湧いて、もっとよく見たいと目を凝らす。
散歩に行くついでに見てこようか。
(……でも散歩には、誰かついてくるわよね)
やはり気が進まず、どのみち今日は一日部屋で過ごすとタバサに言ってしまった。急に予定を変えては迷惑がられるだろう。
諦めて読書の続きをしようと部屋へ戻ろうとしたセシリアは、バルコニーの隅に目を留めた。
(階段がある)
火事が起きた時などのために設置したのか、外用の階段が壁に這うようにして備え付けられてあった。
ふと、このまま逃げてしまおうかという誘惑に駆られた。
(何を考えているの)
逃げるといっても、どこへ逃げるというのだ。
自分の家にだって居場所はなかったというのに。それに突然いなくなったとすれば、タバサやクライヴに迷惑をかける。
(でも、ほんの少しの時間なら……)
そう。何も永遠に帰ってこないわけではない。その辺を少し散歩するくらいなら、誰にもばれないのではないか。誰にも内緒で外へ行きたい。
気まぐれな思いつきはとても魅力的な案に思えた。
(よし)
セシリアはそのまま階段を下りようとして、やはり足を止めた。部屋の中へ入り、書き物机に置かれた紙にペンを走らせる。
『急に散歩がしたくなり、外出しています。すぐに戻りますので、どうか心配せずに待っていてください。――セシリア』
万が一、タバサが部屋へやってきた時、大慌てしないようメモを書き記しておく。風で飛ばされないよう本を重しにすると、また外へ出て、今度こそ階段を下り始めた。
ルームシューズを汚してしまうことが申し訳ないが、靴下を汚せばすぐにばれて事情を話す羽目になってしまう。
(無事に戻ることができたら、今履いているのは戸棚の後ろにでも隠して、替えのシューズに履き替えなくちゃ)
一段ずつ慎重に下りながらセシリアはそんなことを考えた。階段は隙間から下が容赦なく見え、正直少し怖い。
でも昔は自分の背丈よりうんと高い木に登って、そこから飛び降りたこともあった。それらと比べれば、手すりもあるし、安全だ。
何より地上へ近づくにつれて、高揚感が湧き起こる。
(着いた!)
誰にも見咎められることなく、セシリアは無事に一階まで下りることができた。周りは草木が植わっており、自分の姿もすっぽりと覆い隠してしまう。
ここで満足して、もう戻るべきか。――いや、さらに進みたい。
セシリアは木陰に身を隠しながら、足早に敷地の外へ向かう。正面からではなく、少し外れた場所に人一人通れるほどの抜け穴を見つけ、口元に笑みを浮かべた。
そしていよいよ屋敷の塀を越えることができると、少しだけ屋敷を振り返り、また前を向いて歩き続けて、次第に小走りになり、やがて全速力で雑木林の中を駆け抜けていく。
木漏れ日が眩しくて、頬に当たる風が気持ちいい。滲んでくる汗に、苦しくなってくる呼吸にさえ、不快感ではなく嬉しさを覚えてしまう。今自分は生きているのだ。
部屋を抜け出した興奮であまり考えずに走っていたが、セシリアは視界の先が開けてくることに気づいた。走る速度をだんだん落としていき、やがて――
(わぁ……)
目の前に広がる水面に目を奪われた。
地下水が自然に地表へ湧き出てできたものと思われる泉だった。
(きれい……)
自分の故郷にこんな場所があるなんて、セシリアは今まで知らなかった。
近くまで寄って、水の中を覗き込む。自分の顔が鏡のように映り、手を浸せば冷たくて気持ちいい。
しゃがんでしばらく輝く水面を眺めていたが、日差しが少しきつく感じたので、立ち上がって木の下へ移動する。
柔らかな草の上に座り、太い幹に背中を委ねる。ここへ来るまで全速力で走ってきたからか、少し疲れてしまった。
(あと少し休憩したら戻ろう……)
重い瞼を閉じながらそう心に留める。そよそよと吹く風が心地よく、鳥の囀りが子守歌に聞こえてくる。
目を開けるのがひどく億劫で、何も考えない時間が続いた。
――次に目を覚ました時、セシリアは仰天する。
いつの間にか太陽は傾きかけており、夕方になっていたからだ。
(いけない!)
少し休憩するつもりが、かなり長く眠ってしまったようだ。
身体が強張っていたものの、セシリアは慌てて立ち上がって屋敷へ戻り始める。
(タバサにばれていたらどうしよう!)
出てきた時は、ばれてもいいやという気持ちだったが、いざその可能性が高まると生きた心地がしない。
焦りながらもどうにか屋敷に着き、抜け穴を通って階段を急いで駆け上がり、バルコニーで服の裾やお尻を叩き、ルームシューズを脱いで部屋の中へ入ると、空箱を見つけてそこへ汚れたルームシューズを入れ、戸棚の隅に隠した。
「奥様、タバサです。喉が渇いていませんか? お茶をお持ちしました」
まるで見計らったようにタバサの声が聞こえ、セシリアはびくっとした。じゃっかん声が上擦ったものの、セシリアは入ることを許可する。その間、部屋に置いてあった新しいルームシューズに素早く履き替えるのを忘れなかった。
「あら奥様……」
自分を見て目を丸くするタバサにどきりとする。
(まさか外出したことがばれてしまった⁉)
「寝ていらしたのですか?」
「え?」
「髪が乱れていますから」
「あっ、そ、そうなの! 本を読んでいるうちに眠くなってしまって、ぐっすり眠ったせいか汗もかいてしまって……」
寝ていたのは本当であるが、恐らく汗だくで走ってきたのが一番の原因だ。
もちろんそんなことは言えず、いつになくじっと見つめてくるタバサにセシリアは心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思うほど緊張する。
(やっぱり、ばれるかな。いっそ正直に打ち明ける?)
そしてセシリアは重大な見落としに気づく。タバサへの書置きをそのままにしていたのだ。
もう終わりだ、と絶望すると同時に、ふっとタバサが相好を崩した。
「では先に湯浴みの準備をしますね」
「え?」
「汗をかいては気分が悪いでしょう? その後に何か冷たいものを召し上がってはどうですか? 甘い物も一緒に」
タバサの優しい表情に、セシリアは呆けた様子のまま頷いた。
彼女は笑顔で承諾し、さっそく準備をしてくると言って部屋を一度出て行った。
セシリアはほっと安堵の息を吐くと、机に置いてある書置きを手に取り、四つ折りにすると抽斗の中に仕舞った。
(なんとかばれずに済んだわ……)
安心して、笑ってしまった。
292
あなたにおすすめの小説
最悪なお見合いと、執念の再会
当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。
しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。
それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。
相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。
最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。
愛しい人、あなたは王女様と幸せになってください
無憂
恋愛
クロエの婚約者は銀の髪の美貌の騎士リュシアン。彼はレティシア王女とは幼馴染で、今は護衛騎士だ。二人は愛し合い、クロエは二人を引き裂くお邪魔虫だと噂されている。王女のそばを離れないリュシアンとは、ここ数年、ろくな会話もない。愛されない日々に疲れたクロエは、婚約を破棄することを決意し、リュシアンに通告したのだが――
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
好きな男子と付き合えるなら罰ゲームの嘘告白だって嬉しいです。なのにネタばらしどころか、遠恋なんて嫌だ、結婚してくれと泣かれて困惑しています。
石河 翠
恋愛
ずっと好きだったクラスメイトに告白された、高校2年生の山本めぐみ。罰ゲームによる嘘告白だったが、それを承知の上で、彼女は告白にOKを出した。好きなひとと付き合えるなら、嘘告白でも幸せだと考えたからだ。
すぐにフラれて笑いものにされると思っていたが、失恋するどころか大切にされる毎日。ところがある日、めぐみが海外に引っ越すと勘違いした相手が、別れたくない、どうか結婚してくれと突然泣きついてきて……。
なんだかんだ今の関係を最大限楽しんでいる、意外と図太いヒロインと、くそ真面目なせいで盛大に空振りしてしまっている残念イケメンなヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりhimawariinさまの作品をお借りしております。
勘違い妻は騎士隊長に愛される。
更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。
ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ――
あれ?何か怒ってる?
私が一体何をした…っ!?なお話。
有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。
※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。
私は愛されていなかった幼妻だとわかっていました
ララ愛
恋愛
ミリアは両親を亡くし侯爵の祖父に育てられたが祖父の紹介で伯爵のクリオに嫁ぐことになった。
ミリアにとって彼は初恋の男性で一目惚れだったがクリオには侯爵に弱みを握られての政略結婚だった。
それを知らないミリアと知っているだろうと冷めた目で見るクリオのすれ違いの結婚生活は誤解と疑惑の
始まりでしかなかった。
初恋をこじらせたやさぐれメイドは、振られたはずの騎士さまに求婚されました。
石河 翠
恋愛
騎士団の寮でメイドとして働いている主人公。彼女にちょっかいをかけてくる騎士がいるものの、彼女は彼をあっさりといなしていた。それというのも、彼女は5年前に彼に振られてしまっていたからだ。ところが、彼女を振ったはずの騎士から突然求婚されてしまう。しかも彼は、「振ったつもりはなかった」のだと言い始めて……。
色気たっぷりのイケメンのくせに、大事な部分がポンコツなダメンズ騎士と、初恋をこじらせたあげくやさぐれてしまったメイドの恋物語。
*この作品のヒーローはダメンズ、ヒロインはダメンズ好きです。苦手な方はご注意ください
この作品は、小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる