18 / 41
十四日目
しおりを挟む
「……眠れないの?」
窓の外がぼんやりと白んできた頃、隣で寄り添うように眠っていたはずの殿下が、俺に腕を回してささやいた。
背中からすっぽりと包まれて、人肌の温かさに体が縮こまる思いがした。俺はこういう扱いに慣れてなくて、どうも落ちつかない。一呼吸置いてから、動揺を悟られないよう、ゆっくりと慎重に口を開いた。
「いえ、今しがた目が覚めたところです」
「……」
殿下こそ、眠ってなかったのか。俺は首だけ回して温もりの元を確認する。
長い髪が、暁の薄明かりを集めて清涼な滝のように淡く光り、しどけなく投げ出された肢体に沿ってシーツに流れ落ちている。そして澄みきった海の底を思わせる、静かな瞳を見た途端、目をそらせなくなった。
その深く透明な緑色は、海岸線をなぞる波間を思い起こさせた。あの色は、昨日のことのように思い出せるほど、鮮やかに脳裏に刻まれている。
あれはとても苦しく、険しい道のりだった。負傷した右足をかばいながらの強行軍は、体力ばかりか精神までも蝕んでいった。
事の発端は、Y国とその隣国の国境争いだった。
当時Y国は、国境警備一個隊を人質に取られ、戦況は膠着状態に陥っていた。政府の中枢機関は打開策として、密かにX国の傭兵部隊を調達し、最前線へと送りこんだ……俺は、その傭兵部隊の一員だった。
俺たち傭兵部隊の派遣は、当時最前線を任されていたY国の戦闘部隊のプライドをいたく傷つけたと聞く。しかし戦況が悪化するにつれ、プライドだとか面子だとか、そんな悠長なことを言ってられなくなった。
俺たちX国の部隊と、Y国の部隊の間には、次第に仲間意識のようなものも生まれていった。お互い協力し合って、どうにか敵陣の裏をかき、最後の接戦にもちこんだ頃には、全員満身創痍だった。
それでも最後の力をふりしぼって敵を蹴散らし、捕虜になってた国境警備隊員を全員解放させ、まさに勝利の一歩手前まできた頃……俺たちは姿を消した。
俺たちは裏で雇われた傭兵だ。だから、あくまで裏方に徹しなくてはならず、勝利の瞬間や功績は、表舞台に立てる者たちにゆずらなくてはならない。
俺たちは、夜目のきく仲間の案内によって、夜通しかけて戦場を離れた。ケガの処置もおざなりに出発した為、かなりの強行軍となった。
――耐えろ。せめて、あの岬の崖まで進むんだ。
俺は、負傷した右足を引きずりながら、何度も自分にそう言い聞かせた。
沿岸部にそびえる断崖絶壁には、想定していた脱出ルートの中では最も見つかりにくいとはいえ、同時に最も危険を伴うルートでもあった。
眼下には、海岸線をなぞる穏やかな海が広がっていた。夜明けが近づくにつれ、海は澄んだ緑色を帯び、吸い込まれそうに美しかった。
俺は崖をつたいながら、何度もあの波間へ身をゆだねてしまいたい誘惑に駆られた。この辺りの海水温は高いと聞くから、きっとあたたかな波飛沫が全身を包みこみ、海の底でおだやかな眠りを誘うことだろう。
「ロキ、ロキ……!」
「……ん」
俺はどうやら眠っていたらしい。揺り起こされて瞼を持ち上げると、あの日の夢を凝縮したような、緑に輝く海の色をたたえた瞳が、俺の顔をのぞきこんでいた。
(……落ちたのかと思った)
白い波しぶきに包まれた錯覚は、顔の周りを囲むように流れ落ちた、銀色の髪のせいだろう。
「ロキ、大丈夫?」
「え、俺うなされてました?」
「ううん。でも、泣いてた……」
長い指が眦をなぞった時、自分が寝ながら泣いていたことを知った。恥ずかしさのあまり、その手を押し返すと、顔を枕にうずめた。
「怖い夢でもみたの?」
「いえ……どちらかと言えば、心地良い夢でした」
そうだ、とても心地良かった。あたたかな波間に揺られて、深く透明な海の底へと沈んでいく……と、そこでハッとした。
(それってダメじゃん……俺、死んじゃうじゃん)
顔を上げると、殿下が心配そうにこちらを見つめていた。
「いえ、やっぱり怖い夢でした」
俺はそう言って両腕を伸ばすと、殿下の首にしがみつく。すると殿下は、夢の水面からすくい上げるように、俺の体を深く抱きしめてくれた。
背中をやさしく撫でられて、次第に気持ちが凪いでくる。ザワザワと胸の内側でうごめく恐怖と焦燥感が、片っ端から溶けて消えていった。
(ん……?)
そう言えば、足の傷が少し変な気がする。いつもなら座ると、引き攣れるような痛みがあるのに、今はなんだか麻痺したように何も感じない。
するとまるで、俺の心を読んだかのように、殿下がゆっくりと俺の右太腿を撫でた。
「傷、まだ痛む?」
「あ、いえ……その、不思議と大丈夫、です」
「そう、よかった。根気よく続けていけば、そのうち傷も消えていくからね……いや、婚礼の儀を迎えれば、きっと」
「え、え?」
殿下は微笑むと、小さな音をたてて俺の唇を何度もついばみ、頭をやさしくなで回した。こんなの、物心ついた時から知らない、たぶんはじめての経験だ。とても貴重な、大切な思い出となるだろう。
(きっと、何度も思い出すんだろうな……)
これから先、どこへ向かおうと、どんなつらい目に合おうと、この思い出が俺をギリギリの淵から救ってくれる。きっと、生への執着を思い出させてくれる。
「俺、殿下にお会いできて、本当によかった」
「うん……僕も」
殿下は、抱きしめる腕をいっそう強くした。
「君をつかまえられて、本当によかった……もう、はなさないよ」
窓の外がぼんやりと白んできた頃、隣で寄り添うように眠っていたはずの殿下が、俺に腕を回してささやいた。
背中からすっぽりと包まれて、人肌の温かさに体が縮こまる思いがした。俺はこういう扱いに慣れてなくて、どうも落ちつかない。一呼吸置いてから、動揺を悟られないよう、ゆっくりと慎重に口を開いた。
「いえ、今しがた目が覚めたところです」
「……」
殿下こそ、眠ってなかったのか。俺は首だけ回して温もりの元を確認する。
長い髪が、暁の薄明かりを集めて清涼な滝のように淡く光り、しどけなく投げ出された肢体に沿ってシーツに流れ落ちている。そして澄みきった海の底を思わせる、静かな瞳を見た途端、目をそらせなくなった。
その深く透明な緑色は、海岸線をなぞる波間を思い起こさせた。あの色は、昨日のことのように思い出せるほど、鮮やかに脳裏に刻まれている。
あれはとても苦しく、険しい道のりだった。負傷した右足をかばいながらの強行軍は、体力ばかりか精神までも蝕んでいった。
事の発端は、Y国とその隣国の国境争いだった。
当時Y国は、国境警備一個隊を人質に取られ、戦況は膠着状態に陥っていた。政府の中枢機関は打開策として、密かにX国の傭兵部隊を調達し、最前線へと送りこんだ……俺は、その傭兵部隊の一員だった。
俺たち傭兵部隊の派遣は、当時最前線を任されていたY国の戦闘部隊のプライドをいたく傷つけたと聞く。しかし戦況が悪化するにつれ、プライドだとか面子だとか、そんな悠長なことを言ってられなくなった。
俺たちX国の部隊と、Y国の部隊の間には、次第に仲間意識のようなものも生まれていった。お互い協力し合って、どうにか敵陣の裏をかき、最後の接戦にもちこんだ頃には、全員満身創痍だった。
それでも最後の力をふりしぼって敵を蹴散らし、捕虜になってた国境警備隊員を全員解放させ、まさに勝利の一歩手前まできた頃……俺たちは姿を消した。
俺たちは裏で雇われた傭兵だ。だから、あくまで裏方に徹しなくてはならず、勝利の瞬間や功績は、表舞台に立てる者たちにゆずらなくてはならない。
俺たちは、夜目のきく仲間の案内によって、夜通しかけて戦場を離れた。ケガの処置もおざなりに出発した為、かなりの強行軍となった。
――耐えろ。せめて、あの岬の崖まで進むんだ。
俺は、負傷した右足を引きずりながら、何度も自分にそう言い聞かせた。
沿岸部にそびえる断崖絶壁には、想定していた脱出ルートの中では最も見つかりにくいとはいえ、同時に最も危険を伴うルートでもあった。
眼下には、海岸線をなぞる穏やかな海が広がっていた。夜明けが近づくにつれ、海は澄んだ緑色を帯び、吸い込まれそうに美しかった。
俺は崖をつたいながら、何度もあの波間へ身をゆだねてしまいたい誘惑に駆られた。この辺りの海水温は高いと聞くから、きっとあたたかな波飛沫が全身を包みこみ、海の底でおだやかな眠りを誘うことだろう。
「ロキ、ロキ……!」
「……ん」
俺はどうやら眠っていたらしい。揺り起こされて瞼を持ち上げると、あの日の夢を凝縮したような、緑に輝く海の色をたたえた瞳が、俺の顔をのぞきこんでいた。
(……落ちたのかと思った)
白い波しぶきに包まれた錯覚は、顔の周りを囲むように流れ落ちた、銀色の髪のせいだろう。
「ロキ、大丈夫?」
「え、俺うなされてました?」
「ううん。でも、泣いてた……」
長い指が眦をなぞった時、自分が寝ながら泣いていたことを知った。恥ずかしさのあまり、その手を押し返すと、顔を枕にうずめた。
「怖い夢でもみたの?」
「いえ……どちらかと言えば、心地良い夢でした」
そうだ、とても心地良かった。あたたかな波間に揺られて、深く透明な海の底へと沈んでいく……と、そこでハッとした。
(それってダメじゃん……俺、死んじゃうじゃん)
顔を上げると、殿下が心配そうにこちらを見つめていた。
「いえ、やっぱり怖い夢でした」
俺はそう言って両腕を伸ばすと、殿下の首にしがみつく。すると殿下は、夢の水面からすくい上げるように、俺の体を深く抱きしめてくれた。
背中をやさしく撫でられて、次第に気持ちが凪いでくる。ザワザワと胸の内側でうごめく恐怖と焦燥感が、片っ端から溶けて消えていった。
(ん……?)
そう言えば、足の傷が少し変な気がする。いつもなら座ると、引き攣れるような痛みがあるのに、今はなんだか麻痺したように何も感じない。
するとまるで、俺の心を読んだかのように、殿下がゆっくりと俺の右太腿を撫でた。
「傷、まだ痛む?」
「あ、いえ……その、不思議と大丈夫、です」
「そう、よかった。根気よく続けていけば、そのうち傷も消えていくからね……いや、婚礼の儀を迎えれば、きっと」
「え、え?」
殿下は微笑むと、小さな音をたてて俺の唇を何度もついばみ、頭をやさしくなで回した。こんなの、物心ついた時から知らない、たぶんはじめての経験だ。とても貴重な、大切な思い出となるだろう。
(きっと、何度も思い出すんだろうな……)
これから先、どこへ向かおうと、どんなつらい目に合おうと、この思い出が俺をギリギリの淵から救ってくれる。きっと、生への執着を思い出させてくれる。
「俺、殿下にお会いできて、本当によかった」
「うん……僕も」
殿下は、抱きしめる腕をいっそう強くした。
「君をつかまえられて、本当によかった……もう、はなさないよ」
113
あなたにおすすめの小説
光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。
みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。
生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。
何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。
追放された『呪物鑑定』持ちの公爵令息、魔王の呪いを解いたら執着溺愛ルートに入りました
水凪しおん
BL
「お前のそのスキルは不吉だ」
身に覚えのない罪を着せられ、聖女リリアンナによって国を追放された公爵令息カイル。
死を覚悟して彷徨い込んだ魔の森で、彼は呪いに蝕まれ孤独に生きる魔王レイルと出会う。
カイルの持つ『呪物鑑定』スキル――それは、魔王を救う唯一の鍵だった。
「カイル、お前は我の光だ。もう二度と離さない」
献身的に尽くすカイルに、冷徹だった魔王の心は溶かされ、やがて執着にも似た溺愛へと変わっていく。
これは、全てを奪われた青年が魔王を救い、世界一幸せになる逆転と愛の物語。
あと一度だけでもいいから君に会いたい
藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。
いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。
もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。
※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります
2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。
ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。
異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。
二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。
しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。
再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。
追放された味見係、【神の舌】で冷徹皇帝と聖獣の胃袋を掴んで溺愛される
水凪しおん
BL
「無能」と罵られ、故郷の王宮を追放された「味見係」のリオ。
行き場を失った彼を拾ったのは、氷のような美貌を持つ隣国の冷徹皇帝アレスだった。
「聖獣に何か食わせろ」という無理難題に対し、リオが作ったのは素朴な野菜スープ。しかしその料理には、食べた者を癒やす伝説のスキル【神の舌】の力が宿っていた!
聖獣を元気にし、皇帝の凍てついた心をも溶かしていくリオ。
「君は俺の宝だ」
冷酷だと思われていた皇帝からの、不器用で真っ直ぐな溺愛。
これは、捨てられた料理人が温かいご飯で居場所を作り、最高にハッピーになる物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる