囚われ王子の幸福な再婚

高菜あやめ

文字の大きさ
33 / 34
第三部

2. 実験台

しおりを挟む
 遠くから話し声が聞こえた。
 リカルドはゆっくりと覚醒して、声のする方へと視線を動かす。そこにはピアースとガイヤ医師の姿があった。

「よかった、気づかれましたか! ご気分はいかがですか」

 黒い瞳と視線が合うと、リカルドは気持ちが落ち着くのを感じた。故郷の人々に近い髪と瞳の色に、呼吸がいくらか楽になる。
 ガイヤは足元の鞄から薄い手袋を取り出すと、手にしっかりはめてからリカルドの脈を測った。

「呼吸は落ち着いてるようですね。胸の音を聴かせてもらえますか?」

 はい、と返事をしようとして、声が出なかった。口からは壊れた笛のような吐息がヒューヒューと漏れるばかりだ。

「……ん? 喉を痛められたようですな。試しに私の名前を呼んでみてもらえますかな?」

 リカルドは深呼吸をしてから、医師の名前を呼ぼうと試みたが、やはり音にはならなかった。
 するとガイヤの隣にピアースが並んで立った。乾いた砂のような瞳に見つめられ、思わず目を閉じて伏せてしまう。

「これは副作用ですか? 喉がつぶされましたか」
「いえ、ただ一時的なものかと。呼吸も落ち着いてますし、痛がっておられる様子もない……それともどこか痛みますか?」

 ピアースの問いかけに答えていた医師は、振り返って念を押すようにリカルドにたずねた。リカルドが首を振ると、納得したように小さくうなずく。

「ではこちらの解毒剤は、妃殿下に投与しても問題ない類のものでしょう」

 医師の言葉に、リカルドの心臓が軋み、耳ざわりな雑音を立てた。

「ええ、バージル殿下もよろこばれます。さっそくその成果を分析して、報せを飛ばしましょう」
「これでまた一日、殿下がお戻りになる日が近づきましたな」

 二人の喜色がにじむ会話に、リカルドの心は次第に冷えていった。

 ――これは当然の報いだ。

 蠱毒に蝕まれたリカルドの体は、目下新薬の実験台として使われている。
 ウェストリンでは一年前から、蠱毒によって仮死状態になった第二王子妃殿下の命を救うため、密かに解毒剤の開発を進めていた。蠱毒の解毒に有効と思われる薬品を集めて、ガイヤ医師の手で解毒剤を調合する。試薬が完成するとまず試されるのが、リカルドの体だった。

 リカルドはかつてヒースダインの宮廷医師として、毒薬の調合に携わってきた。後宮に住む多くの王女や王子たちが、その毒薬の被験者として犠牲になった。
 だから今度は、リカルドの番になっただけ。解毒剤とはいえ、蠱毒のような猛毒を解消するのだから劇薬とも言える。毒と紙一重だ。

「今回も、よく頑張りましたね」

 そっと額を撫でるのは、ピアースの手袋越しの手だ。疲れ過ぎて、それを払いのける気力もわかなかった。

(この人に逆らっても無駄だ。従っているしかない……身も心も)

 鋭い観察眼を持つピアースには、その場しのぎの従順さなど通用しない。心から従っていると思い込む必要があった。その心は『服従』だ。

「ガイヤ、もう少し試薬を作ってもらえますか。妃殿下に与える前に、彼でもう何パターンか試してみましょう、より安全性が高まります」
「ええ……もちろん」

 ガイヤの視線が、チラリとリカルドに向けられた。少し心配そうな様子が意外だった。なぜなら彼は、助手のマリオン――元エンシオ王子を害したリカルドを、ひどく嫌っているはずだから。
 しかしガイヤは医者の良心だ。どんなに嫌な患者でも公平に診てくれる。

「まずは心音を聴かせてください。そして、しばらく様子を見ましょう……次の薬を試すのは、それからでも遅くない」

 ガイヤの言葉に、リカルドはベッドの上で半身を起こした。改めてこの場所が、ピアースの寝室と気づく。
 ノロノロと上着を脱いでシャツに手をかけると、横から伸びてきたピアースがその手を阻んだ。

「ガイヤ、このままでも聴診器は使えますね?」
「ええ、問題ありません」

 ピアースは、リカルドが人前で肌をさらすことを嫌う。たとえ相手が医師でもだ。彼自身、自分の肌を人に見せたがらないから、私物であるリカルドも同様に扱いたいのだろう。

「ふむ、異常は無いようですな」
「では喉のこれは、本当に一時的なもので間違いありませんね?」
「おそらく、です。一日たったらもう一度診察しましょう」

 医師は帰り支度をし始めたが、ふと動きを止めた。

「宰相殿、お怪我をされましたか」
「ん? ああコレですか」

 ピアースは、まるでリカルドに見せつけるように、真っ白な手袋に滲む血の跡を掲げてみせた。

「彼に噛まれました。解毒中に、吐瀉物を喉からかき出していたので、仕方ありません」
「なんて危ないことを! 血管に彼の毒が入ったら、さすがのあなた様も無事ではいられますまい」
「先ほどからめまいがするので、多少は入ったかもしれませんね。私も大事を取って、本日は休ませていただきます。陛下にお伝えいただけますか?」
「もちろんですとも。今日こそ痛み止めを飲んで、ゆっくりお休みください」

 医師が部屋を出ていってしまうと、ピアースはベッドの枕元に座った。

「……なにか私に聞きたそうな顔をしてますね?」
「怪我をされたのですか」
「手なら大したことありませんよ。あなたの小さな歯で噛みつかれたくらいでは、指も落ちませんからね」

 ゾッとするような軽口に、リカルドは眉根を寄せる。

「いえ先ほど医師殿が、痛み止めを飲むようにとおっしゃられたので」
「なるほど、そちらでしたか。あの典医殿は腕は良くても心配性が過ぎますね。大昔の怪我など、今さら」
「今でも痛むのですか」

 つい遮るように言葉を被せてしまうと、ピアースはきょとんとして、それから盛大に笑った。

「今さらどうってことありません。慣れたものですから」
「なぜそんなに笑うのです? 痛みは痛みです……慣れるなど」
「あなたがそれを言うなんて、なんて可笑しいのでしょう」

 ピアースは、リカルドの鼻先に顔を近づけると、挑発的な視線で射抜く。

「失礼。あなたの言葉があまりにも医師の言葉のようで、つい笑ってしまいました」
「……」
「痛み止めを飲むと、ひどく眠くなるのです。仕事中には、とても服用できないのですよ……でも」

 ピアースは掛け布団をめくると、すばやく体を滑り込ませてリカルドを抱き込んだ。

「逃しませんよ。今日はここで一日、あなたと休むことにします」
「そうではなくて、先に痛み止めをお持ちしますからっ……ん、……」

 ピアースが手のひらが、リカルドの口を塞ぐ。唇に布が擦れる感触に、今朝のキスを思い出した。

「残念ですが、これ以上あなたの毒をいただくと、さすがに眠れなくなってしまう」

 手がゆっくりと離れていった。指先が惜しむように、リカルドの唇をなぞっていく。その手つきはまるで、愛している者に対するそれのようで……リカルドをひどく落ち着かなくさせた。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

悪役会計様に転生した俺は、生徒会長に媚び売って生き残る

桜城 寧
BL
処刑された記憶とともに、BLゲームに登場する悪役会計に転生したことに気付く。処刑されないために、チャラ男としての仮面を被り、生徒会長に媚び売ったり、どうにか能力を駆使したりして生きてたら、色々な人に構われる話。

【完結】恋人になりたかった

ivy
BL
初めてのキスは、 すべてが始まった合図だと思っていた。 優しい大地と過ごす時間は、 律にとって特別で、 手放したくないものになっていく。 けれど……

帝に囲われていることなど知らない俺は今日も一人草を刈る。

志子
BL
ノリと勢いで書いたBL転生中華ファンタジー。 美形×平凡。 乱文失礼します。誤字脱字あったらすみません。 崖から落ちて顔に大傷を負い高熱で三日三晩魘された俺は前世を思い出した。どうやら農村の子どもに転生したようだ。 転生小説のようにチート能力で無双したり、前世の知識を使ってバンバン改革を起こしたり……なんてことはない。 そんな平々凡々の俺は今、帝の花園と呼ばれる後宮で下っ端として働いてる。 え? 男の俺が後宮に? って思ったろ? 実はこの後宮、ちょーーと変わっていて…‥。

昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

王太子殿下に触れた夜、月影のように想いは沈む

木風
BL
王太子殿下と共に過ごした、学園の日々。 その笑顔が眩しくて、遠くて、手を伸ばせば届くようで届かなかった。 燃えるような恋ではない。ただ、触れずに見つめ続けた冬の夜。 眠りに沈む殿下の唇が、誰かの名を呼ぶ。 それが妹の名だと知っても、離れられなかった。 「殿下が幸せなら、それでいい」 そう言い聞かせながらも、胸の奥で何かが静かに壊れていく。 赦されぬ恋を抱いたまま、彼は月影のように想いを沈めた。 ※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」にて同時掲載しております。 表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。 ※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。 ©︎月影 / 木風 雪乃

【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~

蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。 転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。 戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。 マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。 皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた! しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった! ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。 皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。

俺の好きな人は誰にでも優しい。

u
BL
「好きなタイプは?」と聞かれて世界で一番多く答えられているのは間違いなく「優しい人」だろう。 相手の優しいところに惹かれ、気づいた時には引き返せないところまで恋に落ちている。 でも次第に気付くのだ。誰だってみんな「優しい人」ではなく「"自分だけに"優しい人」が好きなのだと。 ロランは、"誰にでも優しい男"、フィリオンに恋をしてしまい、地獄のような日々に身を焼かれていた。 そんなとある日「この恋、捨てたいな…」と溢したら「それ、捨てようとすんの、やめてくんね?オレ、あんたがアイツを見る視線に興奮すっからさ」と遊び人で有名な男、ヒューゴに言われる。 彼は、自分を好きな人間には興味がなく、別の誰かに恋い焦がれている人間の目が好きな変態らしい。 そんな身勝手な遊び人とちょくちょく話すようになってからというもの、フィリオンの様子はどんどんおかしくなっていく。 恋を捨てたい男と、恋を捨てるなと言う男と、優しさが狂い始めていく男の話。 ※作者の意思ではなくキャラの意思で結末が決まります。ご要望は受け付けられませんのでどちらとくっついても美味しいと思う方のみお読みください。 ※中世ヨーロッパ風学園ものです。 ※短編予定でしたが10万文字以内におさまらないので長編タグへと変更します。 ※完結までノンストップで毎日2話ずつ更新。

処理中です...