囚われ王子の幸福な再婚

高菜あやめ

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第二部

14. 物語の終わり*

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 素肌が白いシーツに触れると、冷たくて『気持ちいい』――カシュアが今感じたのは、自分の感覚だ。

(また感覚が混じって、おかしくならないかな……)

 カシュア自身の快感だけなら、まだ耐えられる。だがバージルの、あのすさまじい感覚まで拾いはじめると……。

「なにか心配ごとでもあるのか」

 バージルの静かな声に、カシュアは我に返った。
 そこには金色の前髪をゆらして、カシュアを見下ろしている男の顔があった。

(俺の言葉が足りなくて、心配ばかり掛けるのは、もう嫌だ)

「……その、苦しくて」

 ゆっくりと口火を切ったカシュアに、バージルの水色の瞳が一瞬不安そうに揺れた。何にも動じなさそうな彼が、カシュアのことになると、これほど感情を見せる。

(いや、違う。この人は、感情に蓋をすることが上手いだけだ)

 本当は感情豊かで、人一倍傷つきやすいのかもしれない。冷徹と言われる氷のような瞳の奥に、時おり雪解け水のような清らかさがのぞく。

 子どものころに、妖精の物語に夢中になった少年は、まだ彼の中に息づいていて……今も憧憬のこもった視線をカシュアに向けている。

「あなたが苦しまないよう、できる限り体調を整えている。それでも、駄目だろうか……」

 バージルの暗くなる表情に、カシュアはあわてて首を振った。

「ちがう、そういう意味ではなくてっ……」

 カシュアはバージルの妃だ。バージルに求められたら、拒否権などないはずなのに。

(この、どうしようもなくやさしい人は、まだ俺の気持ちを尊重しようとしてくれる)

 だからカシュアは、バージルのことが特別になった。彼の望むなら応じたい……そして、できることなら、しあわせを感じてもらいたい。

「俺……痛みだけじゃなくて、あなたが気持ちいい、と思うことまで感じるみたいなんだ」

 ああ、とうとう言ってしまった。カシュアは視線をそらして、審判の時を待つ。
 気味が悪いと思われるか、君が悪いと思われるか。どちらにせよ、良い感情ではないだろう。

「それは……私も同じだが?」

(ん……?)

 カシュアは、思わずバージルの顔を見てしまった。
 彼の少し乱れた前髪の束が、カシュアの頬を撫でるように揺れた。

「あなたが心地良いと、私も心地良くなる。うれしそうな顔をされれば、うれしくなる。ベッドで気持ち良さそうにされたら……私も」

 ズクリ、と体の奥がうずいた。
 男の少し骨ばった、硬い手がゆっくりと肌けた胸をなぞり落ちていく。

「あっ……」

 中心をやわらかく包まれて、カシュアは思わず声を洩らした。そのまま揉みしだかれ、快感が波のように押し寄せてくる。
 いつのまにかつぶっていた両目をうっすら開けると、目の前には恍惚とした表情を浮かべた男の顔があった。

(胸の奥が……熱い)

 手を取られ、バージルの硬い胸に押しつけられた。

「あなたのその顔……見てるだけで、ここが熱くなる」
「お、俺も、です……」

 バージルは破顔した。

「同じだな」

 カシュアは目を大きく開いた。感覚を共有することに、これほど抵抗なく受け入れれる日がくるとは思わなかった。

「泣かせてしまったな。しかしあなたは、泣き顔すら美しい……」

 頬に舌が伸ばされ、こぼれた涙を舐めとられた。そのまま吸い込まれるように、口の中へと差し込まれ、ゆっくり嬲られる。そのあまりの気持ち良さに、カシュアの意識は飛びそうになった。
 おたがいに熱く感じる胸が重なると、あたかも心まで繋がったみたいで、なんとも言えない面映さを感じた。

 丁寧な愛撫に、やさしい言葉はいつものとおりだが、少しだけ物足りない。
 そんな不満が顔に出ていたのか、バージルは困ったように頬を撫でてくる。まるで機嫌を取られてるみたいで、不満がどんどん大きくなり、ついに我慢ならずに口を開いた。

「本当に、それで足りてるのか?」
「……あなたには、本当に敵わない」

 汗に濡れた男の顔が、あきらめたように苦笑する。

「なにもかも伝わってしまうから、素直にならざるを得ないなんて……」

 照れたような笑みに、カシュアは愛おしさがこみあげた。

「……我慢なんて、されたくないんだ」

 バージルの長いまつ毛が汗に濡れて、やさしげな表情に色香を添えている。それが一瞬震えると、ガラリと空気が変わった。

「もう、我慢しない。だから……」

 激しくなる愛撫の手を、カシュアは恍惚の表情で受け止めた。愛されている実感と、愛してる実感が、体の芯を貫いていく。

「だから……そんな顔しないで」
「バージル、バージル……」

 気が狂うほどの快楽には、怖いことなどなにもなかった。ただ甘く、くすぐったい可愛らしさと、無垢なあどけなさが入り混じり、二人の心を揺さぶった。

 やがて二人がほとんど同時に果てたあと――不思議な達成感と安堵が、胸いっぱいに広がっていった。

 汗ばんだ手を繋ぎ、強く握りしめた。湿った唇が顔じゅうに落ち、時おり唇を吸われる。まるで手中の宝玉のように扱われ、カシュアは赤い顔をさらに赤くした。

「物語の終わりは、このような幸せが、ずっと続くんだ」

 甘く、とろけるような笑みには、無垢なほどの貪欲さがにじむ。

「だから、あなたもそのつもりで、私と一緒にいるといい」

 カシュアはそっと目を伏せた。

(そんなの……それこそ夢物語だ)

 しかし、そんなことを言う彼こそ、嫌になるくらい殺伐とした現実を知っている。血塗られたクーデターに関わり、多くの敵を排し、実の父親にも手をかけた。

 だからこそ、物語を渇望するのだろう。

 彼の中には、美しい物語が息づいている。その中心に、カシュアを立たせようとしているのだ。
 彼の夢も希望も、現実世界で探すのは難しい。しかし胸の中だけは自由に彩られ、鮮やかな色彩で描かれる。

「じゃあ、ずっと一緒に」

 カシュアは手を伸ばし、バージルの頬をそっと撫でた。

 ――死が、二人を分かつまで。

 それほど遠くない未来のこと。バージルの物語の世界には、小さな墓標が立つだろう。
 苔むす石に花冠が添えられ、やがて景色の一部となる。すると本物の妖精がやってきて、そこに住みつくのだ。

 妖精は白い花冠を頭に乗せ、太陽の使徒となった彼の前に現れる。そして二人は手を取り合い、長い旅に出るのだ。

「約束する」

 物語の幸せな終わりを迎えて、十日ほどたったころ。
 カシュアは、静かに倒れた。



 ピアース宰相は、ふと窓の外に目をやった。執務室から望む景色は、かつて北の塔があった方角である。

「なんだ、鳥でも来たのか」

 部屋の奥では、ソファーに腰かけたエドワード国王が、優雅に茶を口にしていた。午後の一杯分だけ、休憩を取る約束を宰相と交わしてからの習慣だ。

「いえ……でもそろそろかと」
「ああ。収穫はあったかな」

 城を旅立った第二王子から、不定期な報告が届くようになって、もう一年たつ。
 伝書鳥が現れるのは、決まってあの北の塔があった方角からだ。

「どうせなら、妃殿下の祠がある南方向から飛んでくればいいものを。おかげで私の執務室は、こんな日当たりの悪い場所になってしまいましたよ」
「恨みごとを言うな。それに本当は、あいつの執務室を使わなくてすむ、体の良い口実だろう?」

 エドワードは小さく笑うと、熱い茶を一気に飲み干した。
 ピアースは、その姿に眉をひそめる。

「火傷でもしたらどうするのです? 王妃様からのご好意ですよ?」
「わざわざ時間をかけさせようとしても無駄だと、何度言えば分かるのだろうね。あの子は少し、心配性すぎないか?」

 ピアースは目を細めると、手にした書類を握りしめた。

「真面目なところは、ご兄弟良く似ておられる」
「そうか? 職務放棄したあいつが?」

 エドワードは軽口を叩きながら、テーブルの上の飲み干したカップを押しのけた。

「少しばかり、舌を火傷したかもしれない」
「ならば、本当の休憩を取られますか。そろそろ祠へ向かうお時間でしょう?」

 エドワードは上着を手に取り、ソファーから立ち上がった。

「久しぶりに、お前も来るか?」
「そうですね、たまには妃殿下の変わらぬ美しいお顔に癒されてきますか」

 眠りについた妃殿下は、いつでもエドワードたちを、憂いのない顔で迎えてくれる。目を覚さないのが不思議なくらいだ。

「早く、薬が見つかるといいが……」

 祠の前で、エドワードは変わらない言葉をつぶやく。
 ピアースはふと、かつてバージルが語った物語を思い出した。

(なぜ、あのような作り話に、夢中になれるのでしょうね……)
 
 現実は、色あせた物語より、よほど鮮烈で極彩色に彩られている。生々しいほど生はほとばしり、空気のゆらぎを生み出して、生きるものを圧倒する。

 ――まだ、あの方は生きている。

 だからこそ物語は終わりを告げ、バージルを外の世界へ旅立たせたのだろう。
 愛する者との再会を、現実のものにするために。

(第二部・完)
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