囚われ王子の幸福な再婚

高菜あやめ

文字の大きさ
32 / 34
第三部

1. リカルド

しおりを挟む
 さいきん朝の空気がとても冷たくなった……そのことに気づいたリカルドは、新鮮な驚きを覚えた。
 リカルドが暮らしていたヒースダインの家屋は風通しがよく、この季節なら室内とはいえ朝晩はとても冷えこむからだ。風が冷たいとか、突然気づくことはなかった。
 冷えた手で眼鏡の押し上げると、うっとうしくなっても切れない黒髪がサラリと耳の横にこぼれ落ちた。重い瞼が被さる黒目を細めて、冷えた外気を肺に吸い込む。

「いつまでそこに立っているつもりですか?」

 耳元で静かに響いた声に、リカルドは大きく体を揺らした。こわばった肩に置かれた手のひらは、手袋越しでも分かるほど硬くて大きい。リカルドの貧相な肩など、ひと握りで砕いてしまいそうだ。

「……失礼しました」

 窓を閉めかけた手に、もう片方の手が重なる。硬くて筋張った、武人の手。いや元武人の手だろう……なぜなら彼は。

「離してください」

 言葉の抵抗なんて、この人の前では何も意味を持たない。分かっているのに、今日も拒絶の言葉を吐き出してしまう。
 リカルドの反抗的な態度に、男の口元に柔和な笑みをたたえた。

「可愛げのない口ですね」
「……んっ……」

 噛みつくようなキスからは、怯えしか生まれない。こうした情熱的な行動は、常に甘やかな感情から生まれるとは限らない。少なくともリカルドにとってこの男――マクシミリアン・ピアース宰相は、捕食者のそれだった。
 恐怖から無意識に逃げを打つと、あっさりと離された。温情ではない。いつでも食らい尽くせる余裕があるだけだ。

「唇が青いから心配しましたよ。熱はないようですね」

 柔らかに波打つ栗色の髪に、少し垂れた淡い色合のやさしげな瞳。甘やかな外見だが、中身は底知れない恐ろしさを感じる。実際ウェストリン国王の右腕として、様々なことをしてきたようだ。そしておそろしく剣の腕も立つと聞く。
 要するにピアースは、これまでリカルドが出会った中でも、群を抜いてアンバランスな人間だった。

 リカルドは自分の意思で、ピアースの使用人にしてもらった。自分自身が信用できないから、なにか間違いが起こったときに力づくでねじ伏せてくれる人が必要だと思った。
 十二のとき医師だった父親についてヒースダインの後宮に入ってからずっと、自分はどこか欠落している人間だと感じていた。父親が地下の部屋で繰り返す実験について、なんの感情も動かなかったのだから。

 そんなリカルドだが、一年前ウェストリンで新たな生を受けた。過去の自分は命を落としたことになり、あらたに『リカルド』としての人生が始まった。
 だがヒースダインの宮廷医師として生きた過去は、一瞬たりとも忘れたことはない。忘れないことが、医師とは名ばかりの行為を繰り返してきた自分に課せられた、最低限の義務だと思っていた。

(あとは宰相殿に仕えるだけだ)

 リカルドの名を与えたのは、ピアース宰相だった。はじめてその名を呼ばれたときの会話が脳裏によぎる。

『リカルド、ですか』
『ええ。私の親友の名です』

 そんな大事な名前にふさわしくない、そう思った矢先。

『元、親友ですけどね。裏切られて、危うく寝首をかかれるところでしたよ』

 ――その言葉に、血の気が引いた。

『まあやられる前に、始末しましたので。もうその名は、あなただけのものですよ』

 ピアースのやさしげな口調が、恐怖をいっそう駆り立てる。リカルドは目の前の優男が、恐ろしくてしかたなかった。だから彼のそばにいようと決めた。
 今後リカルドが再び道を踏み外そうとしたら、その前に始末してくれるだろう。他力本願になってしまうのも、自分が欠落人間だから。ヒースダインでの自分の二の舞になりたくなかった。

 そうしてピアース付きの使用人として過ごすうち、いつしか主の視線に情欲の色を感じるようになった。
 しかしリカルドは、それだけは応じられない理由があった。

「……ご気分は?」
「特に問題ありませんよ。多少の唾液くらい、毒慣れした私には効きませんから」

 リカルドの体はヒースダインの蠱毒に侵されている。唾液からも毒が滲み出ているため、本来なら指で触れるのも危険なはずだ。

 また蠱毒といっても、ヒースダインの宮廷医師たちが作り出した、いわば『まがいもの』だ。本物は過去の文献の中でしか残ってない。
 作り方は想像に絶するえげつなさで、リカルドがはじめてそれを目撃したとき、しばらく食事が喉を通らなかった。

 実際に投与する瞬間は、さらなるえげつなさがあった。だが父親に付いて繰り返しその様子をながめているうちに、慣れて何も感じなくなった。
 やがて父が病死し、後を継いでから初めて任されたのがエンシオ王子だった。

(マリオンは、そろそろ医務室へ向かってるころか……)

 すっかり体調を回復させた元王子は、マリオンとしてガイヤ医師の解毒剤開発に協力している。しかしさいきんでは、新しい看護師として周知されつつあった。丁寧な対応と、どこか気品のある物腰が、男女問わず人気らしい。

「……誰のことを考えていたのです?」
「……ぐっ……」

 顎をつかまれたリカルドは、顔を引き上げられて眉を寄せた。甘い微笑にそぐわない冷ややかな双眸に、手にしたリネンの布を浴室の床に落としてしまう。
 ピアースは床から拾い上げた布で、洗ったばかりの顔を乱暴に拭くと、リカルドをその場にねじ伏せた。

「解毒の時間ですよ」
「やめっ……一人で、やりますからっ……」

 ピアースは片手で簡単に相手を床に押さえつけたまま、洗面台に用意されていた小瓶を取り上げた。
 リカルドは床に片頬をつけたまま、その様子を見て歯噛みする。最初からこうするつもりだったのだと、なぜ浴室に入ったときに気づかなかったのだろう。だが気づいたとして、すでにこの部屋に入ってしまった自分は逃げる術はない。
 けっきょくは、ピアースの言いなりになるしかないのだ。

 ピアースは、歯で瓶の封を開けると、中身をリカルドの口に無理やり流し込んだ。甘苦い薬品の味が口中に広がって、喉の奥へと吸い込まれていく。

「は、はなしてくださ……一人で」
「いけませんよ。吐いたもので窒息でもしたら大変ですからね」

 いっそのこと窒息して、最悪命を落としても惜しくなかった。もうマリオンは元気になって、別の人生を歩んでいる。それを見届けたのだから、思い残すことはないはずだ。

「……勝手なことは許しませんよ。あなたは私のものなのでしょう?」

 耳元で響く甘い声音は、まるで悪魔の誘惑のようにリカルドの胸に響いた。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

悪役会計様に転生した俺は、生徒会長に媚び売って生き残る

桜城 寧
BL
処刑された記憶とともに、BLゲームに登場する悪役会計に転生したことに気付く。処刑されないために、チャラ男としての仮面を被り、生徒会長に媚び売ったり、どうにか能力を駆使したりして生きてたら、色々な人に構われる話。

【完結】恋人になりたかった

ivy
BL
初めてのキスは、 すべてが始まった合図だと思っていた。 優しい大地と過ごす時間は、 律にとって特別で、 手放したくないものになっていく。 けれど……

帝に囲われていることなど知らない俺は今日も一人草を刈る。

志子
BL
ノリと勢いで書いたBL転生中華ファンタジー。 美形×平凡。 乱文失礼します。誤字脱字あったらすみません。 崖から落ちて顔に大傷を負い高熱で三日三晩魘された俺は前世を思い出した。どうやら農村の子どもに転生したようだ。 転生小説のようにチート能力で無双したり、前世の知識を使ってバンバン改革を起こしたり……なんてことはない。 そんな平々凡々の俺は今、帝の花園と呼ばれる後宮で下っ端として働いてる。 え? 男の俺が後宮に? って思ったろ? 実はこの後宮、ちょーーと変わっていて…‥。

昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

王太子殿下に触れた夜、月影のように想いは沈む

木風
BL
王太子殿下と共に過ごした、学園の日々。 その笑顔が眩しくて、遠くて、手を伸ばせば届くようで届かなかった。 燃えるような恋ではない。ただ、触れずに見つめ続けた冬の夜。 眠りに沈む殿下の唇が、誰かの名を呼ぶ。 それが妹の名だと知っても、離れられなかった。 「殿下が幸せなら、それでいい」 そう言い聞かせながらも、胸の奥で何かが静かに壊れていく。 赦されぬ恋を抱いたまま、彼は月影のように想いを沈めた。 ※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」にて同時掲載しております。 表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。 ※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。 ©︎月影 / 木風 雪乃

【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~

蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。 転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。 戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。 マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。 皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた! しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった! ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。 皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。

俺の好きな人は誰にでも優しい。

u
BL
「好きなタイプは?」と聞かれて世界で一番多く答えられているのは間違いなく「優しい人」だろう。 相手の優しいところに惹かれ、気づいた時には引き返せないところまで恋に落ちている。 でも次第に気付くのだ。誰だってみんな「優しい人」ではなく「"自分だけに"優しい人」が好きなのだと。 ロランは、"誰にでも優しい男"、フィリオンに恋をしてしまい、地獄のような日々に身を焼かれていた。 そんなとある日「この恋、捨てたいな…」と溢したら「それ、捨てようとすんの、やめてくんね?オレ、あんたがアイツを見る視線に興奮すっからさ」と遊び人で有名な男、ヒューゴに言われる。 彼は、自分を好きな人間には興味がなく、別の誰かに恋い焦がれている人間の目が好きな変態らしい。 そんな身勝手な遊び人とちょくちょく話すようになってからというもの、フィリオンの様子はどんどんおかしくなっていく。 恋を捨てたい男と、恋を捨てるなと言う男と、優しさが狂い始めていく男の話。 ※作者の意思ではなくキャラの意思で結末が決まります。ご要望は受け付けられませんのでどちらとくっついても美味しいと思う方のみお読みください。 ※中世ヨーロッパ風学園ものです。 ※短編予定でしたが10万文字以内におさまらないので長編タグへと変更します。 ※完結までノンストップで毎日2話ずつ更新。

処理中です...