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どこからか騒がしい声や、なにかが壊れる音が聞こえてきた。
「――ご避難を」
すぐさま各々の護衛が、橙実や紫釉、蒼嵐を避難させようと動き始める。
「――春鈴!」
蒼嵐がそう叫び、紫釉が「宝よ!」と春鈴へ手を伸ばすが、各々の護衛たちがその手を引いて部屋の外へと出そうとしていた。
「きちんとお連れします。 まずは御身のご避難をっ!」
そう早口に言った優炎が蒼嵐の背中を押して外へと連れ出すのを、身をすくめながら見送った春鈴は、ハッと意識を取り戻すときょときょとと辺りをうかがいながらみんなが避難したほうへ足を向けた。
(つ、ついていけばいい……んだよね⁉︎)
――しかし、このほんの少しのまごつきが原因で春鈴は逃げ遅れてしまった。
ガチャン! という大きな音がすぐそばで聞こえ、春鈴は身体をすくめる。
その瞬間、部屋の中に投げ込まれたビンのようなものが割れ、黒い煙がもくもくと吹き出す。
そして尋常ではない量の真っ黒な煙がすぐに部屋中を覆いつくしてしまった。
「なんだこれは⁉︎」
「退避しろ! 距離を取れ‼︎」
という声が外から聞こえ、春鈴は動揺しながらも外だと思われる方向に足を向ける。
(外はすぐそこ……こんな煙なんか外に出ちゃえばなんてこともない……!)
そう自分を鼓舞する春鈴だったが、それをあざ笑うかのようにその外からも慌てたような怒声が聞こえてきた。
「――何者だ⁉︎」
「っ待ち伏せだ! 応援をっ!」
「守り抜け! 絶対に離れるな‼︎」
そんな声に混乱した春鈴は、自分がどうすべきなのか分からなくなってしまった。
(――え、外のほうが危険なの……? どうしよう……ここに隠れる? それともやっぱり外??)
迷っている間にも部屋の中の煙は濃くなり、更には部屋の中に何者かがぞろぞろと入ってくる気配を感じる。
(……味方、だよね? ――優炎さんか浩宇さんが私を迎えに来てくれただけで……――そう、きっとそう……)
そう思っているはずの春鈴だったが、そんな思いとは裏腹に手探りで見つけた収納棚の影にそっと身を隠した。
「――おい、誰かいるぞ」
聞こえてきた声は低くしゃがれていて、優炎のものでも浩宇のものでも、春鈴が覚えている限り、どの龍族の者でもなかった。
(――敵……? どうしよう……私ここにいていいのかな――今からでも逃げる……?)
春鈴は収納棚の位置から推測した庭園のほうを見つめながらごくりとつばを飲み込んだ。
「――……捕まえたぁ!」
「なっ⁉︎ それは俺だよ!」
「なんだよー、紛らわしいなぁ……」
「さっさと離せっ!」
(っ……――耐えたーっ! 危なかった、声が出るところだった……! ダメだ、逃げなきゃ……私がいることはもうバレてる……!)
春鈴は涙目になりながらも、グッと唇を噛みしめながらゆっくりと立ち上がる。
「――今動いたぞ!」
(ううう動いてないよ! 本当だよ! まだちょっとしか動いてないし、私を捕まえないなら動かないから、こっち来ないで⁉︎)
「――本当かぁ? 間違えたからって適当言うなよなー……」
「本当だし間違えたのはお前だ! 痛った⁉︎ おい人の足を踏むなっ!」
「うわ、うるさ……そんなに怒んなくったっていいだろー?」
そう言いながら侵入者たちはガシャガシャと音を立てながらこの部屋に入り人物を――春鈴を探し始めた。
「おいもう少し静かに……」
「お前さぼんなよー」
「サボってねぇよ⁉︎」
(――今ならいける? ……いや、今しかないよね……?)
そう考えながらそろそろと立ち上がった春鈴は、少しの音を立てながらも庭園を目指し動き始める。
(とりあえず外に出て……――みんなと合流したいけど……今って迎えにとか来てもらえるかな……? 少しの間どっかに隠れてから式を飛ばしたほうが安全?)
そろりそろりと庭園に出た春鈴が、煙から逃れるように大きく足を踏み出した――
その瞬間。
ガッ! とものすごい力で腕をつかまれ、とっさに振り払おうとした手は、逆に相手の力に負け、そのままの勢いで春鈴は地面に転がった。
ザザザッと地面に手や腕をこすりつけながら倒れこむ春鈴。
痛みに歪むその視線の先には、この場にそぐわない美しい作りの女物の靴がいくつも並んでいて、やけに泥で汚れているのが印象的だった。
「見つけたわよ……」
聞こえた声は魅音のもので――
「――えっ、と」
(――……なにか用? とか、逃げないの? とか聞いてる場合じゃないんだけど……なんでこいつらがここに?)
痛む腕を引き寄せながら、春鈴はゆっくりと体を起こす。
そして見上げた魅音たち――外で多少薄くなっているとはいえ、建物から近いこの辺りには、まだまだ黒い煙が充満していて魅音たちの表情を覆い隠していた。
この煙の中それを払う素振りも、嫌がる素振りも見せない魅音に強烈な違和感を感た春鈴。
理由は分からないままに、その頭の中では危険を知らせるかのような鐘の音がずっと鳴り響いていた。
――倒れ込んだまま、本能に従い距離を取ろうとした春鈴だったが、足を動かした拍子にジャリ……っと音を立ててしまった。
それを聞きとがめられたのか、魅音は普段からは想像もつかないような俊敏な動作で春鈴の胸ぐらを掴み、大きな声で喚き散らし始めた。
「お前が仕組んだのね! お前が私に恥をかかせたっ!」
「なにを……?」
いぶかしみながらも掴まれている腕を振り払おうとするが、どこにそんながあったのか春鈴の腕力をもってしても魅音の腕はびくともしなかった。
「私が一番なのよ! 誰よりも上なの! なのにどうして鳥もどきどもにバカにされなきゃいけないの⁉︎」
(――そんなこと私に言われても……)
「……魅音、サマ――あの……今はとりあえず避難したほうが……」
春鈴は未だに頭の中で鳴り響いている警鐘に従って、魅音を刺激しないよう気を使いながらやんわりと声をかけた。
いつものように魅音に追従ぜず、後ろでじっとこちらの様子をうかがっている侍女たちの存在にたまらなく不安をあおられた。
「……私の口答え⁉︎ いいご身分ね! 稀布の織り手だからって昔から大きな顔をして!」
(誰よりもでかい顔してきたお前が言うかね……?)
「なんでお前ばっかり……」
そう言ってうつむく魅音、その拍子に胸ぐらを掴まれていた手がずるりと外れ、春鈴はこれ幸いと距離を取って素早く立ち上がった。
「――どうしてお前ばかりが認められるの⁉︎ 私は国で一番なんだから! お前みたいなバケモノ憑きとは違う! ――お前の、ような……?」
喚き散らしていた魅音はなにかに気が付いたように静かになり、ひたり……と春鈴をジッと見つめていた。
「な、なによ……」
ごっそりと感情が抜け落ちたかのようなそんな魅音の表情に恐怖を覚えた春鈴は、視線を揺らしながらズリズリと後ずさった。
「あはっ……ははっ! そう――そうよ、その目なのね⁉︎」
「……は?」
「その目があるから龍族どもはお前の言うことを聞く! その目があったから……」
(――この目を持っていたからこそ、お前に昔からバケモノって呼ばれ続けたんだけどね……?)
「よこせ……」
「――は?」
「よこしなさいよ!」
手を差し出しながらこちらに向かってくる魅音。
逃げるべきだと分かっていた春鈴だったが、腹の底からふつふつと湧き上がってくるその怒りが、春鈴の動きを阻害していた。
「――……バケモノの目を?」
春鈴はその日、人の身体は怒りを感じすぎると震えてしまうのだということを知った。
「うるさい黙れ! 黙ってその目をよこせぇぇぇ!」
そう言って飛び掛かってくる魅音を迎え撃ちながら、春鈴はその激情のまま魅音の胸ぐらを掴み吠えるように言い返していた。
「っ! ふざけんなっ! よこせ⁉︎ よこせだと⁉︎ お前自分が今まで私になんて言ってきたか忘れたわけ⁉︎ ――都合の良いお前の頭では覚えてらんない⁉︎」
「っ無礼者っ! 黙れ黙れっ!」
春鈴の手を振り払おうとする魅音だが、そう簡単には外れず二人は前後左右にたたらを踏みながらもみ合う。
「この目が気持ち悪い、バケモノのようだ! お前はバケモノ憑きっ! 気持ち悪い子供っ! そう言って罵ってきたのはお前‼︎ なのにこの目ををよこせ⁉︎ ――どこまでも高慢な女!」
そう言いながら掴んでいた胸ぐらをグッと前に突き出す。
首が閉まったのか、のけぞる限界か、魅音は春鈴の腕や顔にその長い爪でひっかき傷を付けながら春鈴の手を外そうと躍起になっている。
(――喧嘩は先手必勝! そうだよね母ちゃんっ!)
バッとその手を自らの意思で引いた春鈴は、その反動で前傾姿勢になった魅音のほほめがけて大きく振り上げた手を勢いよく振り下ろした。
――パアンといい音が鳴り響き、魅音の頭が大きく揺れる。
「ぎ、貴様……私の顔にっ‼︎」
少しの沈黙の後、ギロリと春鈴を尋常ではない目つきで見据える魅音。
顔をぶたれた怒りからぶるぶると震えている魅音の鼻から一筋の血が滴り落ち、それを見ていた春鈴は楽しそうに顔をゆがめた。
「はっ! ざまーみろ‼︎ ずいぶん綺麗なお化粧ね? ――とってもお似合いっ‼︎」
「うるさい! 黙れ、黙れ黙れ黙れ!! バケモノ憑きの分際でぇぇぇっ!」
そう大きく吼えて春鈴に飛び掛かる魅音。
そんな魅音を受け止めきれずに地面に倒れこむ春鈴。
しかし倒された春鈴も負けてはおらず、地面に転がりながらも魅音の髪やほほを引っぱり、魅音のほうも負けじと春鈴の肌に爪を立て――そんな取っ組み合いの真っ最中、ようやくこの諍いを止める者が現れた。
「――春鈴!」
と、蒼嵐の慌てた声が聞こえたかと思うと、魅音から引きはがされ、引っ張り上げられるように立たされた。
そして蒼嵐の腕の中に抱き留められる。
(――一発! せめてもう一発!)
しかし怒りでヒートアップしきっている春鈴は、それでも魅音のほうに無理やり身体をねじると、ギッと睨みつけながらそちらに腕を伸ばし続ける。
「……元気そうだな?」
蒼嵐は怒り狂う春鈴に苦笑を漏らすと、安心したように笑う。
そして、その腕に慎重に力をいれ、ぎゅう……と優しく抱きすくめると耳元でささやいた。
「――無事でよかった」
「ぅぇ……あ、え……そう、らん?」
そこまでされて、ようやく自分の現状を理解する春鈴。
腕を下ろしきょどきょどとその視線を揺らし始めた――そんな時だった。
「……どこまでも! 忌々しい黒龍風情がっ ――殺せ! 黒龍など殺してしまえ!」
四つん這いになった魅音は立ち上がろうともせず、そのまま顔だけを上げて春鈴、そして蒼嵐を睨みつけていた。
通常ならばそんな命令を実行に移す者などいなかったが、後ろに控えていた侍女たちは、魅音の言葉にふらりふらり……と足を前に進め始めた。
(――え? この人たち……――やっぱり操られてる……?)
「蒼嵐……!」
春鈴は後ろを振り返りながらその事実を伝えようとするが、その言葉を発する前に頷いた蒼嵐にその続きを飲み込んだのだったが……
「案ずるな、一人で来たわけではない」
春鈴の言いたいことはうまく伝わっていなかったようだった。
「いや、あの……」
(操られてるっぽいので、手荒な真似は……とかいうことを言おうかと思ったんですけど……――死ななきゃいっか……? 蒼嵐偉い人だろうし……――あいつらのこともそんなに好きじゃないし)
そう思いながらも、春鈴は侍女たちの顔をもう一度見まわし凛風がいないことを確かめた。
そしていないことに安堵の吐息をもらすのと、なにかが素早く自分の両脇を通りすぎていくのは同時のことだった。
その動きは早すぎて、春鈴は周りに残っていた煙の流れだけでなにかが通ったことを把握した。
そしてふらふらとこちらに向かってきていた侍女たちがドサリ、ドサリと倒れ込んで行く。
「ったく……真っ先に突っ込んでいかないでくださいよ……」
「春鈴、怪我はないか?」
「あ……浩宇さん、優炎さん」
苦笑いを浮かべながら一瞬のうちに侍女たち気絶させた二人は、当然のように蒼嵐の両脇を固める。
その直後、周りからもバサッガサッという音が聞こえ、大分薄くなってきた煙の合間から知った顔の龍族が見え、春鈴はようやくほかの護衛たちも到着したのだということを知った。
「ああああっ! 不吉な黒龍がっ 私の邪魔をするなあぁぁぁ!」
「――何だと貴様⁉︎」
魅音の絶叫に浩宇が牙をむき、周りを囲んでいる者たちの怒気も尋常ではないほどに膨れ上がるのを春鈴はその肌で感じていた。
「誰に向かって物を言っている――……歌もまともに歌えぬ人間風情がっ!」
優炎が威嚇するように大声で吠えた。
「っな⁉︎ ――うるさい、うるさいうるさいうるさい! バケモノの分際で! バケモノが人間に口答えするなあぁぁぁっ!」
血走った目を大きく見開いて、つばをまき散らし四つん這いのままで魅音は周囲全てのものに怒鳴り散らす。
その顔には未だに鼻血がこびりつき、服は土で汚れ、髪もぐちゃぐちゃ……
――バケモノと呼ばれるの見た目なのはお前だよ……春鈴は冷たい視線を魅音に投げつけながら、そんなことを考えていた。
「――ご避難を」
すぐさま各々の護衛が、橙実や紫釉、蒼嵐を避難させようと動き始める。
「――春鈴!」
蒼嵐がそう叫び、紫釉が「宝よ!」と春鈴へ手を伸ばすが、各々の護衛たちがその手を引いて部屋の外へと出そうとしていた。
「きちんとお連れします。 まずは御身のご避難をっ!」
そう早口に言った優炎が蒼嵐の背中を押して外へと連れ出すのを、身をすくめながら見送った春鈴は、ハッと意識を取り戻すときょときょとと辺りをうかがいながらみんなが避難したほうへ足を向けた。
(つ、ついていけばいい……んだよね⁉︎)
――しかし、このほんの少しのまごつきが原因で春鈴は逃げ遅れてしまった。
ガチャン! という大きな音がすぐそばで聞こえ、春鈴は身体をすくめる。
その瞬間、部屋の中に投げ込まれたビンのようなものが割れ、黒い煙がもくもくと吹き出す。
そして尋常ではない量の真っ黒な煙がすぐに部屋中を覆いつくしてしまった。
「なんだこれは⁉︎」
「退避しろ! 距離を取れ‼︎」
という声が外から聞こえ、春鈴は動揺しながらも外だと思われる方向に足を向ける。
(外はすぐそこ……こんな煙なんか外に出ちゃえばなんてこともない……!)
そう自分を鼓舞する春鈴だったが、それをあざ笑うかのようにその外からも慌てたような怒声が聞こえてきた。
「――何者だ⁉︎」
「っ待ち伏せだ! 応援をっ!」
「守り抜け! 絶対に離れるな‼︎」
そんな声に混乱した春鈴は、自分がどうすべきなのか分からなくなってしまった。
(――え、外のほうが危険なの……? どうしよう……ここに隠れる? それともやっぱり外??)
迷っている間にも部屋の中の煙は濃くなり、更には部屋の中に何者かがぞろぞろと入ってくる気配を感じる。
(……味方、だよね? ――優炎さんか浩宇さんが私を迎えに来てくれただけで……――そう、きっとそう……)
そう思っているはずの春鈴だったが、そんな思いとは裏腹に手探りで見つけた収納棚の影にそっと身を隠した。
「――おい、誰かいるぞ」
聞こえてきた声は低くしゃがれていて、優炎のものでも浩宇のものでも、春鈴が覚えている限り、どの龍族の者でもなかった。
(――敵……? どうしよう……私ここにいていいのかな――今からでも逃げる……?)
春鈴は収納棚の位置から推測した庭園のほうを見つめながらごくりとつばを飲み込んだ。
「――……捕まえたぁ!」
「なっ⁉︎ それは俺だよ!」
「なんだよー、紛らわしいなぁ……」
「さっさと離せっ!」
(っ……――耐えたーっ! 危なかった、声が出るところだった……! ダメだ、逃げなきゃ……私がいることはもうバレてる……!)
春鈴は涙目になりながらも、グッと唇を噛みしめながらゆっくりと立ち上がる。
「――今動いたぞ!」
(ううう動いてないよ! 本当だよ! まだちょっとしか動いてないし、私を捕まえないなら動かないから、こっち来ないで⁉︎)
「――本当かぁ? 間違えたからって適当言うなよなー……」
「本当だし間違えたのはお前だ! 痛った⁉︎ おい人の足を踏むなっ!」
「うわ、うるさ……そんなに怒んなくったっていいだろー?」
そう言いながら侵入者たちはガシャガシャと音を立てながらこの部屋に入り人物を――春鈴を探し始めた。
「おいもう少し静かに……」
「お前さぼんなよー」
「サボってねぇよ⁉︎」
(――今ならいける? ……いや、今しかないよね……?)
そう考えながらそろそろと立ち上がった春鈴は、少しの音を立てながらも庭園を目指し動き始める。
(とりあえず外に出て……――みんなと合流したいけど……今って迎えにとか来てもらえるかな……? 少しの間どっかに隠れてから式を飛ばしたほうが安全?)
そろりそろりと庭園に出た春鈴が、煙から逃れるように大きく足を踏み出した――
その瞬間。
ガッ! とものすごい力で腕をつかまれ、とっさに振り払おうとした手は、逆に相手の力に負け、そのままの勢いで春鈴は地面に転がった。
ザザザッと地面に手や腕をこすりつけながら倒れこむ春鈴。
痛みに歪むその視線の先には、この場にそぐわない美しい作りの女物の靴がいくつも並んでいて、やけに泥で汚れているのが印象的だった。
「見つけたわよ……」
聞こえた声は魅音のもので――
「――えっ、と」
(――……なにか用? とか、逃げないの? とか聞いてる場合じゃないんだけど……なんでこいつらがここに?)
痛む腕を引き寄せながら、春鈴はゆっくりと体を起こす。
そして見上げた魅音たち――外で多少薄くなっているとはいえ、建物から近いこの辺りには、まだまだ黒い煙が充満していて魅音たちの表情を覆い隠していた。
この煙の中それを払う素振りも、嫌がる素振りも見せない魅音に強烈な違和感を感た春鈴。
理由は分からないままに、その頭の中では危険を知らせるかのような鐘の音がずっと鳴り響いていた。
――倒れ込んだまま、本能に従い距離を取ろうとした春鈴だったが、足を動かした拍子にジャリ……っと音を立ててしまった。
それを聞きとがめられたのか、魅音は普段からは想像もつかないような俊敏な動作で春鈴の胸ぐらを掴み、大きな声で喚き散らし始めた。
「お前が仕組んだのね! お前が私に恥をかかせたっ!」
「なにを……?」
いぶかしみながらも掴まれている腕を振り払おうとするが、どこにそんながあったのか春鈴の腕力をもってしても魅音の腕はびくともしなかった。
「私が一番なのよ! 誰よりも上なの! なのにどうして鳥もどきどもにバカにされなきゃいけないの⁉︎」
(――そんなこと私に言われても……)
「……魅音、サマ――あの……今はとりあえず避難したほうが……」
春鈴は未だに頭の中で鳴り響いている警鐘に従って、魅音を刺激しないよう気を使いながらやんわりと声をかけた。
いつものように魅音に追従ぜず、後ろでじっとこちらの様子をうかがっている侍女たちの存在にたまらなく不安をあおられた。
「……私の口答え⁉︎ いいご身分ね! 稀布の織り手だからって昔から大きな顔をして!」
(誰よりもでかい顔してきたお前が言うかね……?)
「なんでお前ばっかり……」
そう言ってうつむく魅音、その拍子に胸ぐらを掴まれていた手がずるりと外れ、春鈴はこれ幸いと距離を取って素早く立ち上がった。
「――どうしてお前ばかりが認められるの⁉︎ 私は国で一番なんだから! お前みたいなバケモノ憑きとは違う! ――お前の、ような……?」
喚き散らしていた魅音はなにかに気が付いたように静かになり、ひたり……と春鈴をジッと見つめていた。
「な、なによ……」
ごっそりと感情が抜け落ちたかのようなそんな魅音の表情に恐怖を覚えた春鈴は、視線を揺らしながらズリズリと後ずさった。
「あはっ……ははっ! そう――そうよ、その目なのね⁉︎」
「……は?」
「その目があるから龍族どもはお前の言うことを聞く! その目があったから……」
(――この目を持っていたからこそ、お前に昔からバケモノって呼ばれ続けたんだけどね……?)
「よこせ……」
「――は?」
「よこしなさいよ!」
手を差し出しながらこちらに向かってくる魅音。
逃げるべきだと分かっていた春鈴だったが、腹の底からふつふつと湧き上がってくるその怒りが、春鈴の動きを阻害していた。
「――……バケモノの目を?」
春鈴はその日、人の身体は怒りを感じすぎると震えてしまうのだということを知った。
「うるさい黙れ! 黙ってその目をよこせぇぇぇ!」
そう言って飛び掛かってくる魅音を迎え撃ちながら、春鈴はその激情のまま魅音の胸ぐらを掴み吠えるように言い返していた。
「っ! ふざけんなっ! よこせ⁉︎ よこせだと⁉︎ お前自分が今まで私になんて言ってきたか忘れたわけ⁉︎ ――都合の良いお前の頭では覚えてらんない⁉︎」
「っ無礼者っ! 黙れ黙れっ!」
春鈴の手を振り払おうとする魅音だが、そう簡単には外れず二人は前後左右にたたらを踏みながらもみ合う。
「この目が気持ち悪い、バケモノのようだ! お前はバケモノ憑きっ! 気持ち悪い子供っ! そう言って罵ってきたのはお前‼︎ なのにこの目ををよこせ⁉︎ ――どこまでも高慢な女!」
そう言いながら掴んでいた胸ぐらをグッと前に突き出す。
首が閉まったのか、のけぞる限界か、魅音は春鈴の腕や顔にその長い爪でひっかき傷を付けながら春鈴の手を外そうと躍起になっている。
(――喧嘩は先手必勝! そうだよね母ちゃんっ!)
バッとその手を自らの意思で引いた春鈴は、その反動で前傾姿勢になった魅音のほほめがけて大きく振り上げた手を勢いよく振り下ろした。
――パアンといい音が鳴り響き、魅音の頭が大きく揺れる。
「ぎ、貴様……私の顔にっ‼︎」
少しの沈黙の後、ギロリと春鈴を尋常ではない目つきで見据える魅音。
顔をぶたれた怒りからぶるぶると震えている魅音の鼻から一筋の血が滴り落ち、それを見ていた春鈴は楽しそうに顔をゆがめた。
「はっ! ざまーみろ‼︎ ずいぶん綺麗なお化粧ね? ――とってもお似合いっ‼︎」
「うるさい! 黙れ、黙れ黙れ黙れ!! バケモノ憑きの分際でぇぇぇっ!」
そう大きく吼えて春鈴に飛び掛かる魅音。
そんな魅音を受け止めきれずに地面に倒れこむ春鈴。
しかし倒された春鈴も負けてはおらず、地面に転がりながらも魅音の髪やほほを引っぱり、魅音のほうも負けじと春鈴の肌に爪を立て――そんな取っ組み合いの真っ最中、ようやくこの諍いを止める者が現れた。
「――春鈴!」
と、蒼嵐の慌てた声が聞こえたかと思うと、魅音から引きはがされ、引っ張り上げられるように立たされた。
そして蒼嵐の腕の中に抱き留められる。
(――一発! せめてもう一発!)
しかし怒りでヒートアップしきっている春鈴は、それでも魅音のほうに無理やり身体をねじると、ギッと睨みつけながらそちらに腕を伸ばし続ける。
「……元気そうだな?」
蒼嵐は怒り狂う春鈴に苦笑を漏らすと、安心したように笑う。
そして、その腕に慎重に力をいれ、ぎゅう……と優しく抱きすくめると耳元でささやいた。
「――無事でよかった」
「ぅぇ……あ、え……そう、らん?」
そこまでされて、ようやく自分の現状を理解する春鈴。
腕を下ろしきょどきょどとその視線を揺らし始めた――そんな時だった。
「……どこまでも! 忌々しい黒龍風情がっ ――殺せ! 黒龍など殺してしまえ!」
四つん這いになった魅音は立ち上がろうともせず、そのまま顔だけを上げて春鈴、そして蒼嵐を睨みつけていた。
通常ならばそんな命令を実行に移す者などいなかったが、後ろに控えていた侍女たちは、魅音の言葉にふらりふらり……と足を前に進め始めた。
(――え? この人たち……――やっぱり操られてる……?)
「蒼嵐……!」
春鈴は後ろを振り返りながらその事実を伝えようとするが、その言葉を発する前に頷いた蒼嵐にその続きを飲み込んだのだったが……
「案ずるな、一人で来たわけではない」
春鈴の言いたいことはうまく伝わっていなかったようだった。
「いや、あの……」
(操られてるっぽいので、手荒な真似は……とかいうことを言おうかと思ったんですけど……――死ななきゃいっか……? 蒼嵐偉い人だろうし……――あいつらのこともそんなに好きじゃないし)
そう思いながらも、春鈴は侍女たちの顔をもう一度見まわし凛風がいないことを確かめた。
そしていないことに安堵の吐息をもらすのと、なにかが素早く自分の両脇を通りすぎていくのは同時のことだった。
その動きは早すぎて、春鈴は周りに残っていた煙の流れだけでなにかが通ったことを把握した。
そしてふらふらとこちらに向かってきていた侍女たちがドサリ、ドサリと倒れ込んで行く。
「ったく……真っ先に突っ込んでいかないでくださいよ……」
「春鈴、怪我はないか?」
「あ……浩宇さん、優炎さん」
苦笑いを浮かべながら一瞬のうちに侍女たち気絶させた二人は、当然のように蒼嵐の両脇を固める。
その直後、周りからもバサッガサッという音が聞こえ、大分薄くなってきた煙の合間から知った顔の龍族が見え、春鈴はようやくほかの護衛たちも到着したのだということを知った。
「ああああっ! 不吉な黒龍がっ 私の邪魔をするなあぁぁぁ!」
「――何だと貴様⁉︎」
魅音の絶叫に浩宇が牙をむき、周りを囲んでいる者たちの怒気も尋常ではないほどに膨れ上がるのを春鈴はその肌で感じていた。
「誰に向かって物を言っている――……歌もまともに歌えぬ人間風情がっ!」
優炎が威嚇するように大声で吠えた。
「っな⁉︎ ――うるさい、うるさいうるさいうるさい! バケモノの分際で! バケモノが人間に口答えするなあぁぁぁっ!」
血走った目を大きく見開いて、つばをまき散らし四つん這いのままで魅音は周囲全てのものに怒鳴り散らす。
その顔には未だに鼻血がこびりつき、服は土で汚れ、髪もぐちゃぐちゃ……
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自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
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