呉宮史桜の優雅な放課後

詩央

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Case.01【消えるピアニスト】

day1─旧音楽室の怪異と静英高校優雅部─

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 五月。連休が明けたばかりの静英高校せいえいこうこうは、どこを切り取っても「普通」だ。学力、普通。部活動、普通。何から何まで至って普通。勿論、一部には優秀な生徒や部活動なども在りはするが、特筆すべき点は殆ど無く、強いて言えば、創立からの歴史が長いくらい。そんなどこにでもあるような高校。
 赤に近いブラウンのブレザーに、学年色のネクタイ──一年生は赤、二年生は緑、三年生は青。中庭のツツジは派手すぎない程度に色を差し、石畳の隙間に積もった砂埃も、夕立が来ればきれいに流れてしまう。

 お昼休みの一年一組の窓際、東雲絢葉しののめあやはは、赤いタイを指先で軽く整え、腰まで伸ばした長い黒髪をゆるく結い直して、弁当箱の蓋を外した。
 身長一五二センチの細身。顔立ちは整っているが、本人は目立つことを好まない。大人しい性格だが人一倍強い好奇心は、他人には滅多に見せない──はずだった。

「ねえ絢葉、聞いた?」
 黒い三つ編みを揺らし、眼鏡の奥をきらきらさせて鈴井京香すずいきょうかが椅子ごと寄ってくる。
「旧音楽室でさ、また“幽霊ピアノ”。放課後に勝手に鳴るんだって」

「新聞部も取材したらしいけど、やっぱり誰も居なかったんだって!」
 京香の隣の三国文子みくにあやこがボブを跳ねさせて笑う。
「曲は毎回同じ。異様に上手い。なのに、誰もいない」

 箸先が宙で止まる。絢葉の胸の奥で、小さな火花がはぜた。
「……本当に、誰も?」

「先生が開けても、入った瞬間に音が止まるんだって」京香がわざと小声で囁く。
「今日、見に行かない?放課後」

 絢葉は控えめに、けれど確かに頷いた。二人の背中押しもあったが、それ以上に──その“奇妙”に触れてみたい衝動が、もう引き返せないところまで来ていた。



─────



 放課後。下校時刻間近で、生徒も校内にはあまり残っておらず、空にも赤みが差してきた頃。特別教室棟三階の端、旧音楽室。
 もう一〇年程も前に、当時の最新設備で新設された新音楽室が出来て以降使われなくなって久しいその部屋は、重厚な防音扉がどっしりと鎮座し、プレートの文字は薄く擦れていた。廊下の空気は冷え、かすかに湿気と木の匂いが混じる。

 扉越しに──聞こえた。
 ぽろん、ぽろん……と水面に輪を描くような音。単音が、やがて和音になり、旋律が形を持つ。

「本当に鳴ってる……」
「いくよっ」京香が取っ手に手をかける。
 がちゃん──重い金属が鳴り、扉が少しずつ押し開かれていく。

 その瞬間、音は切断されたテープのように唐突に途切れた。
 中は、静寂。斜陽の帯が埃を照らして漂っている。譜面台、教卓、折りたたまれた椅子──すべてに薄い灰が降り積もり、触れてはいけない静けさを纏っていた。

「……だれも、いない」
 文子が息を呑み、京香が半ばふざけて肩をすくめる。二人は「ひゃー!」と笑い混じりの悲鳴を上げ、早々に撤退していった。

 絢葉だけが、敷居をまたいだ。
 踏みしめる床板がわずかに鳴る。
 ──おかしい、とすぐ思った。部屋のものは一面に埃を被っているのに、遠目に見ても、奥のグランドピアノだけが異様に清潔だ。ふきんで拭いたような艶。鍵盤カバーも、手跡が目立たないほどにきれい。

 近づきかけたとき、背後の廊下の遠くから足音が聞こえた。

 さっと旧音楽室を出て扉を閉めた直後、階段を上がって廊下に現れた見回りの教師と顔があった。
「そこの一年、何をしてる。そこは立ち入り禁止だぞ」
「す、すみません!」
 絢葉は反射的に頭を下げ、胸をどきどきさせながら反対方向へ駆け出した。
 教師の制止の声を振り切って走り、角を曲がって階段を降り、別棟へと紛れ込み──そこで漸く足が止まる。そこは、部室棟。入学してまだひと月そこらで、どの部活にも所属していない絢葉には、未知の場所だった。直ぐに引き返そうとしたが、視線の端にまだ明かりの付いている部屋が映った。そっと近づいてみると、僅かに開いた窓の向こうから、ほのかに紅茶の香りが流れてきた。

 部屋のプレートには、達筆でこうある。

『優雅部』



 ……優雅部?

 吸い寄せられるように、絢葉は扉を押し開けた。



─────



 狭い部屋だった。古い机とスチール棚。天井付近の壁の換気扇は頼りなく回る。
 ただ一点、中央の重厚な西洋風の肘掛け椅子だけが異質で、そこで一人の男子生徒が優雅に紅茶を口へ運んでいた。

 金髪。涼し気な切れ長の目。
 緑のネクタイ──二年生だ。足を組んで座り、右手で持ったティーカップを口へ運ぶその所作が一切の無駄なく美しい。

「ようこそ。静英高校・優雅部へ」
 彼は微笑んだ。声はやわらかいのに、言葉の端に冷たい刃が仕込まれているような調子だ。

「あの、すみません。迷い込んでしまって……一年の東雲絢葉といいます」
 絢葉が慌てて言うと、彼は軽く首を振った。
「迷子は運命の偏光だ。私は呉宮史桜くれみやしおう、二年。優雅部の部長だ」

「ゆ、優雅部……?」

「特にこれだという部の活動内容は無い。規約は柔らく、自由に、優雅に。だが、校内外に於いての奇妙な事件や現象に関しての調査依頼等が、便利屋の如く寄せられる事が多くてね。それについて一点だけ、矜持がある。『人の威厳を守りつつ、真実に到達する』」
 紅茶を受け皿に戻し、彼は絢葉をまっすぐ見た。
「そして君──東雲君。赤いタイの結び目が少し崩れている。息もやや上がっているようだ。先ほどまで走っていたろう? だが瞳の奥に残る光は疲労ではなく、好奇心の粒。不可解な事象に心を囚われた者の目だ。……よければ、話してみないか?紅茶でも飲みながら」

 胸の奥がひやりとし、すぐに温かくなる。
 絢葉は、旧音楽室のことを話した。さっき体験したこと、扉を開けると消えた音、埃の海でピアノだけが異様にきれいだったこと。

 史桜は目を細め、やがて微笑をわずかに深くした。
「なるほど。最近校内で話題になっている話だね。ならばその怪異の正体、我々と君とで暴こうじゃないか。優雅に、ね」

「えっ……わたしも?」

「当然。私はここから動かないからね。現場には代わりに調査員が行く。私の目となり耳となり、足となって」
 彼はスマートフォンを傾け、絢葉に示した。
「調査の指示や報告はこれで。……戸惑ってはいるようだが、君も直接到達したいんじゃないかね?怪異の真実へ」

 返事の代わりに、絢葉の喉が小さく鳴った。
 怖さとわくわくが拮抗する。
「……わかりました。やってみます」

「よろしい。君の報告は美しくなるだろう」


こうして、東雲絢葉の奇妙な放課後は始まった。
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