【完結】おじさんはΩである

藤吉とわ

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15話ー告白①

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 その日、戸賀井の帰りは遅かった。いつもならとっくに帰宅している時間帯なのに帰って来ない。一度雄大の方から「今日は遅いの?」とメッセージをしたが返事がないどころか既読にもならない。
 昼間、雄大がクリニックを受診した時に何処かに戸賀井も居たはずだ。
 姿を見なかったのは単に忙しかっただけだろうけど、田口から聞いた話を確認をしたかった雄大は帰り際に何気なく廊下に目をやり行き交う看護師やクリニックの関係者らを眺め見たが結局その中に戸賀井の姿は見つけられなかった。
 もしかして帰りが遅いのは帰って来辛いから?
 戸賀井が隠していた事実を田口がうっかり口にしてしまったことを知ったから?
 迎えに行こうか。
 思い立って雄大は部屋から出る。でも何処に? 戸賀井の行動範囲はこの家と勤務先のクリニックしか知らない。実家も何処にあるのか教えて貰っていない。それはそうだ、実家のことなんて雄大が知れば自ずとバース性診断をミスした元院長の血縁者だとバレてしまうのだから。
 雄大はゆっくりと部屋から出た。玄関に向かうのではなくリビングの方へと足を進める。
 どうせ外へ出たって彷徨うだけで何も出来ない。それなら帰って来ることに望みを掛けて、戸賀井が部屋に入るには必ず通らなければならないリビングで待っていた方が良い。
 ダイニングテーブルの椅子に腰掛け、一度立ってソファーに移動する。意味のない行動をして、一緒に暮らしているのに、ヒートとはいえ体まで繋げたのに、戸賀井のことを何も知らなかったという事態に衝撃を受けている思考を何とか頭の隅に追いやる。
 立ったり座ったり、キッチンの方へ行って無意味に冷蔵庫を開けてみたりしている内に玄関が開く音がした。物凄く控えめな「ただいま」が聞こえる。
 戸賀井が帰って来た。廊下を鳴らす音が数歩分続いて一旦止まる。
 もしかしたら雄大の部屋の前で立ち止まっているのかもしれない。ひょっとするとそれは戸賀井の習慣になっていて、雄大の部屋の前で声を掛けようかどうか毎日迷っていたのかもしれない。
 見たわけでもないのにそんなふうに思うとリビングで一人戸賀井を待っている雄大の心臓はドクドクと騒ぎ出す。
 再び動き出した足音がリビングへと近付き、ドアが開く。
「おかえり、戸賀井くん」
 ソファーに座って、やぁ、と手を挙げると雄大がリビングに居るとは思わなかったのか戸賀井が心底驚いた表情をする。
「遅かったね。何処か寄って来たの?」
「えっと、友達がやってる飯屋に寄ってました」
「そっか。晩御飯用意してたけど……明日の朝でも食べて」
「あ、すいません」
「謝ることないよ。俺が勝手に作ってただけだし」
 スッと立ち上がると雄大はダイニングテーブルに近付く。
 すぐそばに戸賀井が居て、周辺には甘い花の香りがふわふわと浮いている。初めて来たヒートのあとも、αの匂いはこれだ! という決定的なものを知ったわけではない。けれど戸賀井の香りだけは嗅ぎ分けることが出来る。心を預けることの出来る安心感。戸賀井のテリトリーに入れば花の蜜が零れるような甘い匂いに包まれて、緊張していた心身が解れていく。
「冷蔵庫の中に入れとくからね」
 ダイニングテーブルの上に置いてあるラップをした皿を両手で持って冷蔵庫まで運ぶ。戸賀井も味噌汁椀と小鉢を持って雄大を手伝ってくれた。
「……怒ってないんですか」
「なにを?」
「田口先生から聞いたんですよね。俺の――」
「戸賀井くんのおじいさんが俺のバース性を告知ミスしたこと?」
「……はい」
「なに、俺が怒ると思って言わなかったの?」
「嫌われたくなかったです、門村先生に」
 冷蔵庫を開くと冷気が外に飛び出して来て、顔面に浴びると冷たくて顔を顰めてしまう。
 戸賀井の言葉はちゃんと耳に入っている。嫌われたくなかったから、なんて、随分と古い知人のような言い方をする。
「あのさ、俺たち何処かで会ってる? それこそ君のおじいさんが院長ってことならクリニックで会ってるとか」
「……」
「あのね、怒ってるかどうかで言うと怒ってないよ。そりゃ本人が生きていたら多少は怒りも湧いたかもしれないけど、クリニック側は医療過誤を認めて慰謝料や今後の治療費だって負担してくれてる。俺はその謝罪を受け入れてるし、真剣に治療に取り組んでくれるクリニック側に感謝もしてる」
 だから怒ってないよ、と念を押して戸賀井の持っている味噌汁椀と小鉢を受け取って冷蔵庫の中に仕舞ってしまう。
「だから君もおじいさんの孫であることを俺に隠したりしなくていい。おじいさんと君は別の人間なんだから堂々としてて良いんだよ」
 冷蔵庫を閉めながら「それが伝えたかっただけ。だから待ってた」と言って雄大は笑う。
「……先生って……ほんと誰にでもそうなんですか」
「え?」
 冷蔵庫の前で両肩を掴まれた。ビクッと上半身が跳ねる。戸賀井は雄大の目線に合わせるように少し屈み、肩に掛けていたリュックが腕の方にまで落ちて来ている。真剣、というよりもちょっとばかり怒気を含んだ視線に怯む。
 怒らせるようなことを言ったか? 寧ろ戸賀井を傷付けないよう気を遣ったつもりだったが、それが逆に気に障った?
 別に良い人になりたいわけじゃない。確かに初めは「バース性の告知をミスった!? ふざけんな! 今更αじゃないって言われても納得出来るか!」と思っていたのは認める。
 けれど自分がΩと言われて腑に落ちる部分の方が多くて、短期間の内に正しい性に落ち着いてしまった。Ωの性質か、小さなことに苛々することもない。自分の周囲が平和でいてくれれば、少しくらい腹の立つことだってその平穏な水流の中に紛らわせて流してしまえる。
「なんで戸賀井くんが怒るの?」
「怒ってないです……怒ってないけど、俺ってそんな……門村先生の感情一つ動かせないのかなと思ったら悔しくて」
「……怒られたかったの?」
「……そうかも……そうかもしんないです。ヒートの対処の時ももっと適切なやり方があっただろうに、あんなことして……でも門村先生全然怒んないし、それどころか礼とか言うし。俺以外にああいうことされても礼言うんかなとか考えたら……あー、すいません、違う。これ絶対違う。すいません、ほんと。じいちゃんのこと、黙ってたのを先に謝んなきゃなのに」
「それはもういいよ。戸賀井くんは怒って欲しいのかもしれないけど、怒りようがないし、それにヒートの時のことも……感謝してるぐらいだし……俺みたいなおじさんにあんなこと、普通は出来ないよ」
「門村先生はおじさんじゃないです」
「いや、立派なおじさんだよ。加齢臭するよ」
「しないです」
 戸賀井の手に力が入って掴まれた肩が熱くなる。華奢で贅肉とは縁のない体つきをしたΩが多い中で、雄大は細身といっても筋肉はなく腰回りにはなかなかにしっかりとした肉がぶら下がっているし、先程も戸賀井に言ったようにいい年した男でもあるのに、彼の前に立つと自分が無力で守って貰わねばならぬか弱い存在に思えてくる。
「門村先生は良い匂いしかしないです」
 引き寄せられて戸賀井の胸に体がくっ付くとαの香りを全身に浴びて勘違いしそうになる。戸賀井に好かれているのかもしれない、と。
「待っ、戸賀井くん、あの、っ」
「先生は、俺のこと覚えてないですか」
 絞り出したような戸賀井の声色がくっ付いた場所を伝って雄大の体に響く。やはり何処かで会っていたのだ。古くからの知人に感じるような感覚は間違いではなかった。
「……ごめんね。何処で会ってたんだろう。職業柄物覚えは良いはずなんだけど、君の名字に心当たりがなくて。会った場所なんかを言って貰えたらきっと思い出すから、教えて貰えると有難いな」
 努めて優しく言葉にした。子供に言うように、教え子を諭す時と同じ口調を使う。
「名字では分からないと思います。俺に見覚えはありませんか?」
「見覚え……」
 バース性関係なく、今まで出会った人間の中で一番と言って良いほど戸賀井の見た目にはインパクトがあった。
 悪い意味ではなく、最大限の褒め言葉として使用するとすれば、顔面が強い。一つ一つ形の整ったパーツが神の手で配置されているとしか思えない顔に、身長も体の造りも理想的だ。彼ならばどんなΩでも、いやΩでなくとも同じαですらも思いのままではと思う。そんな男に「見覚えはないか」と尋ねられている。
 正直に言えば、ない。というかこんな見た目の男を忘れる方が難しいと思うのだが、どうしても記憶の中から引き出せない。戸賀井の方が勘違いしているという可能性すら疑うほど、雄大には彼を何処かで見かけたという覚えがない。
 滅多に行くことはないがたまに顔を出すカフェの店員だった? よく通っていた牛丼屋の常連? それこそ、生徒の父兄の類――
 頭の中身をひっくり返して隅から隅まで探してみるけれど、やはり戸賀井と何処かで接触したというメモリは残ってない。
「……覚えてないんですね」
「おっ、ぼえてないわけじゃなよ。そうじゃなくて、ヒントが欲しいだけ」
「それを覚えてないっていうんですよ」
「……ごめん。そうだね。君は覚えているのに俺が覚えてないなんて酷いよね」
 しゅんとして戸賀井の胸に頬をくっ付けて大人しくしていると頭の上から、ふふふ、と笑い声が降ってくる。
「……なに、俺に意地悪してるの?」
「可愛いなって思ってました」
「おじさんに向かって可愛いは酷だよ」
「だから門村先生はおじさんじゃないです。昔から変わらないし、ずっと可愛い」
 完全に揶揄われているのが分かって、雄大は戸賀井に見えない場所で唇を尖らせる。そうすると戸賀井が機嫌を窺うみたいに耳や頬に口付けをしてくる。子供じゃないんだからそんな擽りのようなキスをくれても笑ってやるものかと思っていたら戸賀井が体を離して寂しそうに笑う。そういう表情こそ反則で、揶揄われても隠し事があっても知らぬ振りをしてやろうという気にさせる。
「親が離婚して名字が変わってるんです。戸賀井は母親の旧姓で、前は三津谷でした。覚えてませんか、門村先生」
 ふいに核心部分に触れてくる。欲しかった手懸りを貰って、雄大は戸賀井が明かした名字を自分の脳内で検索にかける。
「……みつたに……みつたにクリニックの、みつたにだよね」
「アルバム見ますか? 門村先生も一緒に写ってるやつ」
 ヒントを教えて貰えたら絶対に思い出すから! なんて威勢良く言っておきながら実際には脳内検索にヒットせずフリーズ状態だ。けれど戸賀井は笑って雄大の手を引いてソファーの方へと歩いて行く。
 本当は無理して笑顔を作っているんじゃないか。思い出して貰えないことが怖かったんじゃないだろうか。
 戸賀井の手が僅かに震えていることに雄大は気付いていて、何も声を掛けてやれなかった。
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