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29話ー本物の恋
しおりを挟むインターホンを押すと室内に音が響いて雄大が居る外にまで漏れ聞こえる。
戸賀井はまだ帰っていない。
雄大は時計を確認して、過去に戸賀井とやり取りをしたメッセージを見る。大体の帰宅時間に目安を付けて来てみたが、事前に連絡を取り合っていたわけではなく(今は返信もないので)突然押しかけたのだから待つしかないと玄関のドアに凭れる。
掛け持ちをしている病院の当直業務に就いていて今夜は自宅に戻らなかったらどうしよう。ある程度の時間まで待ってみて、帰って来なければ日を改めようか。
「……ストーカーみたいだな」
零した独り言は廊下を流れる空気に紛れて消える。
暖かい季節といえど、夜は冷える。何もせず外で突っ立っているだけでは体が冷たくなっていくばかりだから踵を上げて下げてをしつつ戸賀井を待つ。
時折、同じ階の住人にも出くわした。以前、ここに少しの間住んでいたとはいえ、雄大はクリニックやちょっとした買い物以外は外に出ていなかったので顔見知りの住人は居ない。不審者を見るような視線を向けられる度に、怪しい者ではないという意味を込めた笑みで会釈を返す。
それを三度ほど繰り返してから、合鍵を持っているのだから中で待っていれば良いではないかという答えに辿り着くが、こうして待っているだけでも十分に付き纏い行為なのに、勝手に鍵を使って部屋に侵入するのはそれこそ行き過ぎた迷惑行為だろうと思い直す。
面識もない両隣の住人よりも、戸賀井にどう思われるかの方が今の雄大にとっては大事だ。
髪も皮膚も指先も、外気に晒されている部分全てが冷え切った頃、漸く戸賀井が帰宅した。
まだ姿を見たわけではないが、スニーカーで廊下を擦る音は間違いなく戸賀井のもので、雄大はドアに凭れていた体を起こして足音が聞こえた方を向く。
「……門村先生?」
名前を呼んでくれた戸賀井を見て安心する。
「ぁ……こんばんは」
職場復帰して、同僚らや生徒たちに囲まれ一日を過ごしたというのに、今日初めて喋ったかのように声が出にくい。
緊張と体の冷えが声帯まで及んでいるようで、雄大は何度か咳払いをしてから「会いたくて、来てしまいました」と戸賀井に言う。少しぐらいは喜んでくれる、そんなふうに思っていた。
自惚れていたわけではない。いや、自惚れていたから今ここに自分は立っているのだろう。
戸賀井は真顔で固まっている。雄大が訪ね来て、喜んでいるようには見えない。
「……なんで来たんですか」
「話がしたくて」
「話? なんの?」
低くて小さな声が雄大の胸にチクチクと当たる。先程まで満杯にあった勇気は戸賀井の鋭い声色に刺されて徐々に萎んでいく。
「謝りたい、君に」
一度廊下の途中で足を止めた戸賀井のものではない別の足音がマンションに響く。他の部屋の住人が部屋を出入りしている音もする。
このまま外で話し続ければ一人で待って居た時よりも近隣住人の興味を引いてしまう。
「戸賀井くん、部屋で、話せるかな」
雄大が言うと、戸賀井は返事をせずに近付いてくる。一緒に匂いが運ばれて来て、戸賀井の甘い香りが雄大の周囲を包む。安心してしまう。許されるのだと。
けれど、戸賀井は「中で待って居れば良かったのに」と言わない。いつもならそう言ってくれるのに、今日はそれがない。
期待と落胆が両天秤に掛けられ不安定に揺れる。
戸賀井が部屋のドアを開けて玄関の中へと入る。雄大もそれに続くと、廊下に上がった戸賀井が電気を点けて「ここで」と発した。
「ここで聞きます」
「……中には上げてくれないの?」
靴は脱ぐな、家の中に上がるな、と言われて雄大は玄関のタイルの上で立ち尽くす。
「わかった。ここでいい」
「謝るつもりなら聞きませんよ」
牽制されて、喉元まで来ていた謝罪の言葉は引っ込む。
何とか引き連れて来た勇気は戸賀井の態度に萎み切った。それでもここまで来た理由を話さなければ帰れない。
「首の、跡付けた人に本を貸してた。あの日、具合が悪くなって寝てたらそれを返しに来てくれて、でも家まで来るとは思ってなくて、家の中に上がって良いとも言ってなくて、今の俺みたいに玄関で待ってて貰ってた。そしたら、に……匂いがするって、俺から。君が言ってたみたいにΩの匂いが漏れてたんだと思う。それと俺の部屋からαの匂いもするって。君の匂い。それで、色々混ざって彼も感情的になったんだと思う」
「だからそいつを許せってことですか?」
「違う、違くて、事実を知って欲しくて。確かに、首に跡は付けられたけど、本を貸してた人とはそういう関係じゃない。君が勘違いしてるようなことは何もなくて、俺の気持ちは別のところにあるから」
「向こうは? 向こうは先生のことなんて言ってるんですか」
「……」
「先生がいくら否定しても向こうにその気があったら今の説明なんて意味がないんですよ。過程なんてどうでも良くて、俺らαはΩの気持ちなんて無視でうなじを噛めるんです。自分の意思一つで同意なく好きなΩを自分の番に出来る。それってすごい怖いことでしょ」
「……俺の自覚が足りなかったせいだね」
「俺は門村先生に自分を責めて欲しいわけじゃないんです。ただそういうαも居るってことを知って欲しい。俺自身がそうなんです。先生がヒートを迎える頃に一緒に居られればうなじを噛むことが出来るかもって考えてた。先生はただ俺を信じて身を任せてくれただけなのに、俺はヒートで抵抗出来ない弱ってるとこにつけ込もうとしてた」
「でも、君は噛まなかった。俺がやめてって言ったら、やめてくれたよ。それは君が優しいからでしょ」
「我慢してただけですよ。門村先生のヒート中、俺はうなじを噛むことだけ考えて、必死に欲を抑えてました。先生はあの時噛まれなくて良かったって思ってるかもしれないけど、俺は後悔してます。噛めば良かったって、今でもそう思ってます。最低ですよ、俺。結局自分のことしか考えてない。先生の首に跡を付けたって奴に文句言う資格もないです」
「俺は……俺、あの――」
戸賀井にうなじを噛んで欲しいと思っている。番になりたいのは君しかいない。
それを口にしたいのに戸賀井は何を勘違いしているのか、雄大が言葉を発そうとしているのを遮るように続ける。
「先生からの謝罪は要らないです。謝らなきゃいけないのは俺の方ですから。酷いことしてすいませんでした。連絡返してないのも、俺から会いに行けなかったのも合わす顔がないから。最悪なことして門村先生のこと怖がらせたし、傷付けた」
「……俺だって君からの謝罪は要らないよ。悪いのは君じゃない」
「先生だって悪いわけじゃないでしょ。俺は、結果的にああいうことしちゃったから、それに対しては謝りたい」
「ねぇ、戸賀井くん、俺の話を聞いて」
中々話す順番をくれない戸賀井に対し言うも、寂し気に笑みを返してくるだけ。
最初から話を聞くつもりなどないように見える。
「それ、痛みますか? 強く噛んだから痛みますよね」
戸賀井が自分の首を触りながら雄大を見る。雄大は首を横に振って「痛くない。ほんのちょっと赤みがあるから仕事中だけ絆創膏を貼っているだけ」と伝える。
「ごめんね、門村先生……もうしないから」
「……どういう意味? もうしないって、どういう意味で言ってる?」
「そのままの意味です。もう触らないから、安心して」
戸賀井の声を聞いて、途端に雄大の唇の先端が震え出す。
「次の診察の時、ヒートの間隔が掴めるまでは強めの抑制剤を使うよう田口先生から話があると思います。番が見つかったらそれが一番だけど、見つからなくても抑制剤で抑えていくことは可能です。自分に合った薬を見つけて、ヒートが安定したらきっとまたクラスを受け持つことが出来ます。門村先生なら絶対出来る」
淡々と話されてもじわじわと鼻の奥が熱くなるだけで戸賀井の励ましは雄大の心に届きはしない。
「戸賀井くんが俺の番になるんじゃないの?」
「俺は、ダメです。先生を傷付けるだけだから。番は本当に先生のことを大事に思ってくれる人じゃないと」
「お……俺のこと見捨てるんだ……」
外で冷えた体は一瞬にして熱くなり、そしてまた一気に熱を失う。
急激な変化に耐え切れず、全身の力が抜けていく。ここで倒れたら戸賀井に迷惑が掛かるという一心だけで何とか立っていられる。
「見捨てるんじゃないです。俺みたいな奴から先生を自由にしたい」
「俺は最初から自由だよ。自分の意思でここにいるよ」
言い返すと、戸賀井は黙って雄大を見つめる。雄大も今の戸賀井の姿を記憶に留めようとしっかりと見つめ返す。
「話が終わったなら帰ってください」
「いやだ、帰らない」
「先生が帰らないなら俺が出て行きます」
戸賀井が靴を履こうと廊下を下りたのを見て、本気なのだと知る。雄大は一歩下がって、玄関のドアを塞ぐように立つ。
これで、終わり? 全部?
目の奥から溶け出すように涙が出てくる。悲しいのか寂しいのか悔しいのか、どの感情か分からない。
ただ、戸賀井のことが愛おしい。この気持ちは止められるものではない。
「……帰る。帰るから。……突然来て、ごめん」
スニーカーに差し込まれた戸賀井の足が抜かれた。雄大の涙が玄関タイルの上に落ちる。
振り絞った勇気は望んだ方向へは作用されず、別れの方へ向いてしまった。雄大は静かに玄関を出た。ドアを締め切るところまでは確認していないが後ろの方で鳴ったガチャンという音を聞く限りでは無事に閉まったらしい。
戸賀井は追いかけても来ない。誰に聞かせるでもなく、雄大はしゃくり上げて泣いた。
自分がαではなくΩであると判明した時、だから今までΩとの恋愛に夢中になれなかったのだと思った。だから次はきっと――なんて幻想を抱いていた。
今本気の恋を目の前に、何も出来ぬ悲しみに溺れそうになってその時の自分の甘さを実感する。
こんなに人を好きになって、こんなにも苦しい。
本物の恋は痛くて辛くて、呼吸を阻むほどの涙が出る。知らない方が幸せだったのかもしれない。
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