死せる勇者、魔界で生きる 〜蘇った俺はただ静かに暮らしたい〜

夢乃アイム

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第三章:動乱の魔界

第一話:記憶に囚われて

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 セリオの館は朝霧に包まれていた。まだ日が昇り切らぬ薄明の時刻、庭先の濡れた石畳には、昨夜降った霧雨が残り、冷えた空気にかすかに魔力の粒子が漂っていた。
 リゼリアは窓際に立ち、薄いヴェール越しに外を見つめていた。
 手には一冊の古びた魔導書——イゼルファーンの断片写本——がある。しかし、目線はそこにはなく、遥かな記憶の淵をさまよっていた。

          ※

 ……人間界、魔境——

 天使の加護も魔族の呪も一切が干渉しない、世界の理の外側に存在するような死の地。
 あの地に足を踏み入れた瞬間の、肌を焼くような空気の痛みを、リゼリアは今でも覚えている。
 常人なら数歩で骨まで溶けるという「酸の雨」が断続的に降り続け、天空は裂けた傷のように赤黒く染まっていた。

 そこに『彼女』は封印されていた。
 かつて三界を繋ぎ、滅ぼそうとした古代の魔王——アズラグノス。この地を魔境に変えたのは、『彼女』の呪いだと言われている。

 リゼリアは、崩れかけた巨石の祭壇を前に、じっとその中心を見つめていた。
 彼女の傍らには、蝋燭のように痩せた人影——シルヴィス・ノクターンが立っている。

「リゼリア。見届けてほしいのよ。あなたの目で、時代が動き出す瞬間を」

 この時のシルヴィスの声は、男とも女ともつかぬ、不安定なものだった。その髪は白銀に揺れ、どこか妖精じみた面差しは不気味なほどに笑っていた。

 祭壇の周囲には、数十人の信徒たちが並ぶ。
 その目は虚ろで、口元は微笑んでいる者すらいた。
 彼らは、シルヴィスによって啓示を与えられた者たち——人間、魔族、そして天使。そのすべてが、アズラグノスの復活を望んでいた。

「三界の理は、いつかひとつに還るべきなのよ。あの御方こそ、その礎となる存在……」

 シルヴィスは宙に浮かびながら、薄く開いた祭壇の裂け目に手をかざした。

「時よ、還れ——
 魂よ、よみがえれ——
 忘却の淵より顕現せよ——アズラグノス!」

 信徒たちは一斉に詠唱を始めた。
 地を揺るがすような低音のうねりが広がり、魔力の奔流が渦を巻く。
 裂け目の中から瘴気が噴き出し、地面を焼き、空を蝕む。

 そして——

 次の瞬間、裂け目から浮かび上がるように現れたのは、まるで絵画の中から抜け出たような女だった。
 長くなびく金髪、深い青の瞳。天使の羽を思わせる暗く輝く霊翼と、魔族の蹄のような脚、そして人間の少女の柔らかな微笑——その身体は、天使の光輪と魔族の呪印、人間の血肉をすべて持ち合わせていた。
 それでいて、どれにも染まり切らない、美しさと恐ろしさを併せ持っていた。

「……本当に、目覚めたのね」

 リゼリアは息を呑む。
 その手は、いつでも術を放てるように構えていたが、足は動かない。
 アズラグノスはゆっくりと目を開いた。

「——イゼルファーン……」

 目覚めた彼女が最初に口にしたのは、リゼリアのよく知る名前だった。
 その声には、執着と、哀しみと、そして深い怒りが宿っていた。
 イゼルファーン。エルフの魔導師にして、封印術の創始者。彼は死んだはずだった。だが、その名前を呼ぶ姿に、ただの魔王ではない何かを、リゼリアは確かに見た。

「彼の血は、今も……受け継がれているのか?」

 その問いかけに、リゼリアは答えられなかった。だが、アズラグノスはまるで満足したように微笑んだ——それが余計に恐ろしく、美しかった。

「アズラグノスは……“再構築”の鍵を知っている」

 シルヴィスはリゼリアの方に視線を向けて、にやりと笑った。

「あなたがここにいる理由よ、リゼリア。あなたが師と仰ぐイゼルファーンの秘儀、三界融合術式の“写し”が、きっとあなたの無意識の領域に眠っている。そうでしょう?」

 リゼリアは無言だった。
 この場でアズラグノスに対抗できる者は——自分しかいない。
 だが、シルヴィスの罠はもう完成していた。

 信徒たちは熱狂に震えながら、アズラグノスに跪いた。
 彼女はただ静かに、彼らを見下ろしていた。

「……まだ、世界は終わっていないのね」

 その呟きとともに、アズラグノスは一歩、封印の地から現世へと足を踏み出した。
 そしてその瞬間——リゼリアは悟った。
 この存在が再び世界を歩むなら、三界は確実に——終焉を迎える。

          ※

「……それでも、あの時、私は彼女を封じ直すことができなかった」

 リゼリアは小さくつぶやいた。
 あのとき、自分が迷わなければ、すべては——と、何度も思い返した記憶だった。
 その時、静寂を破るようにノックが響いた。

「リゼリア様。お客様が……」

 声の主はセリオの館の執事、冷静な口調で続ける。

「魔王陛下が崩御されたとの報が入りました」

 リゼリアは魔導書をそっと閉じた。
 回想の霧は瞬時に晴れ、現実の戦乱の気配が、またしても彼女の周囲を取り巻いていた。

「……始まるのね」

 小さく、誰に向けるでもなく呟いたその言葉は、朝靄の中にすっと溶けていった。
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