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第1話 しがみつ鬼
(13)最後の糸
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ゼーゼーと荒い息を吐きながら、栄次郎はチビに話しかける。
「……アタシは、思ったより長く……、この世に留まれたよ……。
これも……おつやに出会えたおかげだろうねぇ……。
もちろん、おまえもだよ。チビや。ありがとなぁ……」
ミャア! ミャア、ミャア!
チビが答えるように鳴くと、栄次郎はふっと微かに笑う。
「おまえは、これからも……おつやのそばにいるんだろ……?
羨ましいねぇ……。アタシも、アタシも出来るなら……。
ずっと、ずっと、おまえたちと共に……ゲホッ、ゲフッ」
ニャアーーー。
チビが案じるように長く鳴くと、栄次郎の膝にスリスリと体をこすりつける。
その頭をさするように、栄次郎が撫でてやる。
チビは、気持ち良さげにゴロゴロと喉を鳴らす。
「チビや。アタシには、おまえの姿がハッキリ見えるよ……。
アタシは、もうほとんど、あの世に行っちまってるのかねぇ……。
今日はさ、暖かくていい日和だねぇ。
逝くなら、こんな日がいいねぇ……。
チビや。猫は、逝く姿を人には見せないだろ?
人が悲しまないように、ってのは本当かねぇ?
アタシにも……、指南しとくれよ。その……悲しませない術ってのを……」
ポツリ、ポツリと聞こえていた栄次郎の声が、消える。
ポカポカと暖かい日差しが、長屋に差し込む。
夜着にくるまり壁にもたれ掛かっていた栄次郎の首が、コトリと落ちる。
チビは、亡骸になった栄次郎を守るように、そっと寄り添う。
***
チビは、ただ、おつやが嘆き悲しむのを見たくなかった。
おつやは、前のおつやでは、無くなってしまった。
泣き濡れすぎた瞳には、チビさえも映らないようだった。
おつやの嘆きを消し去るためには、栄次郎が必要だった。
けれど、栄次郎はもういない。
その亡骸も、どこかにやられてしまった。
どうすれば、おつやに栄次郎を返してやれる?
どうすれば、元のおつやに戻ってくれる?
「おっかさん、おとっつぁんは、よく頑張ってくれたよ。
今度は、おっかさんが頑張る番だよ。目を覚ましておくれよ」
チビの目の前に、若き日の栄次郎が現れた。
おつやの手を取って、優しくさする若い男の姿。
栄次郎に間違いない。
チビには、分かる。
栄次郎は、ずっとおつやと共にいたいと願っていたから。
きっと、栄次郎は死んでなんかいない。
チビと同じ。
おつやのそばにいたくて、帰って来たに違いない。
おつや、おつや!
栄次郎が帰って来たよぅ!
目を開けて、こっちを見とくれよぅ!
ニャア、ニャア! ミャア、ミャア!
必死に鳴くチビの声は、果たしておつやに届いた。
おつやの虚ろな瞳の奥に、再び明るい光が宿る。
「チビ……? 栄さん……? 栄次郎さん⁉︎」
*****
綺麗な繭玉は、巳之吉と桔梗を丁寧に送り出した。
これまでの繭のように、ポイッと放り出されはしない。
繭から出てきた巳之吉は、腕組みをして、う~んと唸る。
「桔梗よぅ……。だぁれも悪くねぇってのによ?
悪りぃことが起きちまうってぇことも、あるんだなぁ……」
「そう、ですね……。それが、因果ってものの困ったところです」
「それにしてもよ? 悩ましいよなぁ……。
この糸を切っちまったら、あの夫婦は出会えなくなるんだろ?
久助も生まれねぇ。だけどよ?
猫のやつも、おつやに会わなけりゃ、化け猫には、なんねぇわけで」
「糸を切ることで、この人たちの行く末がどうなるのかは……。
絶対に、こうなるとは言えないのが本当のところです。
巳之吉様が切れるのは、今回の因果の糸。
久助さんに親殺しをさせた因果の糸です。
その糸を断ち切ることで、幸せそのものが消えてしまうのか……。
それは、誰にも分かりません」
「う~ん。そう、だよなぁ……。
この糸を切っても、当人たちゃ、気づかねぇんだよなぁ。
別の生き様があった、なんてことにはよぅ」
「ええ。ですから、ここは心を決めていただいて」
「あぁ、分かってらい! 人様の辛い過去を見せられるのも。
それを断ち切るのも、俺に科せられた罰なんだってことはよぅ!」
「そう、憤りませぬよう。どなた様かの魂を救ってもいるのですから」
「おう。そうだな。それじゃあ、切るとするかねぇ」
綺麗な繭玉から伸びる糸は、これまでの糸とは様子が違う。
逃げようともせず、暴れることもなく。
これから断ち切られる己の定めを受け入れるように。
ただ、そこに在った。
腰から抜いた扇子を、巳之吉がパラリと広げる。
黒雲と共に現れた龍は、軽口を叩くことなく、静かに浮かんでいる。
一度閉じた扇子を縦に持ち替える。
スーッと龍が黒雲もろとも扇子へと吸い込まれていく。
ピカーッ!
強い光がおさまるのを待って、巳之吉が目を開ける。
その手には、黒光りする、件の糸切り鋏が握られていた。
輝くようにも見える紫色の糸。
それを左手で掴むと、巳之吉は鋏の刃の間に糸を置く。
「因果の糸、断ち切り申す!」
巳之吉の口から響くのは、きっぱりとしたひと言。
ジャキンッ!
あっさりと紫色の糸が、断ち切られる。
切られた途端、糸は赤色と青色の二本に分かれる。
そして、バラバラの方向へと宙を進んでいく。
やがて、どちらの糸も、見えなくなっていった。
「私たちも戻る刻です」
桔梗は、そう言うと腰に指していた篠笛を抜く。
ピョーロロロ。ピィーーー。
物哀しいような、けれども美しい音色が、辺りに響き渡る。
辺りを覆っていた紫色の霧のようなものが、少しずつ消えていく。
巳之吉は目を閉じて、笛の音に身を任せた。
「……アタシは、思ったより長く……、この世に留まれたよ……。
これも……おつやに出会えたおかげだろうねぇ……。
もちろん、おまえもだよ。チビや。ありがとなぁ……」
ミャア! ミャア、ミャア!
チビが答えるように鳴くと、栄次郎はふっと微かに笑う。
「おまえは、これからも……おつやのそばにいるんだろ……?
羨ましいねぇ……。アタシも、アタシも出来るなら……。
ずっと、ずっと、おまえたちと共に……ゲホッ、ゲフッ」
ニャアーーー。
チビが案じるように長く鳴くと、栄次郎の膝にスリスリと体をこすりつける。
その頭をさするように、栄次郎が撫でてやる。
チビは、気持ち良さげにゴロゴロと喉を鳴らす。
「チビや。アタシには、おまえの姿がハッキリ見えるよ……。
アタシは、もうほとんど、あの世に行っちまってるのかねぇ……。
今日はさ、暖かくていい日和だねぇ。
逝くなら、こんな日がいいねぇ……。
チビや。猫は、逝く姿を人には見せないだろ?
人が悲しまないように、ってのは本当かねぇ?
アタシにも……、指南しとくれよ。その……悲しませない術ってのを……」
ポツリ、ポツリと聞こえていた栄次郎の声が、消える。
ポカポカと暖かい日差しが、長屋に差し込む。
夜着にくるまり壁にもたれ掛かっていた栄次郎の首が、コトリと落ちる。
チビは、亡骸になった栄次郎を守るように、そっと寄り添う。
***
チビは、ただ、おつやが嘆き悲しむのを見たくなかった。
おつやは、前のおつやでは、無くなってしまった。
泣き濡れすぎた瞳には、チビさえも映らないようだった。
おつやの嘆きを消し去るためには、栄次郎が必要だった。
けれど、栄次郎はもういない。
その亡骸も、どこかにやられてしまった。
どうすれば、おつやに栄次郎を返してやれる?
どうすれば、元のおつやに戻ってくれる?
「おっかさん、おとっつぁんは、よく頑張ってくれたよ。
今度は、おっかさんが頑張る番だよ。目を覚ましておくれよ」
チビの目の前に、若き日の栄次郎が現れた。
おつやの手を取って、優しくさする若い男の姿。
栄次郎に間違いない。
チビには、分かる。
栄次郎は、ずっとおつやと共にいたいと願っていたから。
きっと、栄次郎は死んでなんかいない。
チビと同じ。
おつやのそばにいたくて、帰って来たに違いない。
おつや、おつや!
栄次郎が帰って来たよぅ!
目を開けて、こっちを見とくれよぅ!
ニャア、ニャア! ミャア、ミャア!
必死に鳴くチビの声は、果たしておつやに届いた。
おつやの虚ろな瞳の奥に、再び明るい光が宿る。
「チビ……? 栄さん……? 栄次郎さん⁉︎」
*****
綺麗な繭玉は、巳之吉と桔梗を丁寧に送り出した。
これまでの繭のように、ポイッと放り出されはしない。
繭から出てきた巳之吉は、腕組みをして、う~んと唸る。
「桔梗よぅ……。だぁれも悪くねぇってのによ?
悪りぃことが起きちまうってぇことも、あるんだなぁ……」
「そう、ですね……。それが、因果ってものの困ったところです」
「それにしてもよ? 悩ましいよなぁ……。
この糸を切っちまったら、あの夫婦は出会えなくなるんだろ?
久助も生まれねぇ。だけどよ?
猫のやつも、おつやに会わなけりゃ、化け猫には、なんねぇわけで」
「糸を切ることで、この人たちの行く末がどうなるのかは……。
絶対に、こうなるとは言えないのが本当のところです。
巳之吉様が切れるのは、今回の因果の糸。
久助さんに親殺しをさせた因果の糸です。
その糸を断ち切ることで、幸せそのものが消えてしまうのか……。
それは、誰にも分かりません」
「う~ん。そう、だよなぁ……。
この糸を切っても、当人たちゃ、気づかねぇんだよなぁ。
別の生き様があった、なんてことにはよぅ」
「ええ。ですから、ここは心を決めていただいて」
「あぁ、分かってらい! 人様の辛い過去を見せられるのも。
それを断ち切るのも、俺に科せられた罰なんだってことはよぅ!」
「そう、憤りませぬよう。どなた様かの魂を救ってもいるのですから」
「おう。そうだな。それじゃあ、切るとするかねぇ」
綺麗な繭玉から伸びる糸は、これまでの糸とは様子が違う。
逃げようともせず、暴れることもなく。
これから断ち切られる己の定めを受け入れるように。
ただ、そこに在った。
腰から抜いた扇子を、巳之吉がパラリと広げる。
黒雲と共に現れた龍は、軽口を叩くことなく、静かに浮かんでいる。
一度閉じた扇子を縦に持ち替える。
スーッと龍が黒雲もろとも扇子へと吸い込まれていく。
ピカーッ!
強い光がおさまるのを待って、巳之吉が目を開ける。
その手には、黒光りする、件の糸切り鋏が握られていた。
輝くようにも見える紫色の糸。
それを左手で掴むと、巳之吉は鋏の刃の間に糸を置く。
「因果の糸、断ち切り申す!」
巳之吉の口から響くのは、きっぱりとしたひと言。
ジャキンッ!
あっさりと紫色の糸が、断ち切られる。
切られた途端、糸は赤色と青色の二本に分かれる。
そして、バラバラの方向へと宙を進んでいく。
やがて、どちらの糸も、見えなくなっていった。
「私たちも戻る刻です」
桔梗は、そう言うと腰に指していた篠笛を抜く。
ピョーロロロ。ピィーーー。
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