因果の糸、断ち切り申す

クリヤ

文字の大きさ
14 / 29
第1話 しがみつ鬼

(13)最後の糸

しおりを挟む
 ゼーゼーと荒い息を吐きながら、栄次郎はチビに話しかける。

 「……アタシは、思ったより長く……、この世に留まれたよ……。
  これも……おつやに出会えたおかげだろうねぇ……。
  もちろん、おまえもだよ。チビや。ありがとなぁ……」

 ミャア! ミャア、ミャア!
 チビが答えるように鳴くと、栄次郎はふっと微かに笑う。

 「おまえは、これからも……おつやのそばにいるんだろ……?
  羨ましいねぇ……。アタシも、アタシも出来るなら……。
  ずっと、ずっと、おまえたちと共に……ゲホッ、ゲフッ」

 ニャアーーー。
 チビが案じるように長く鳴くと、栄次郎の膝にスリスリと体をこすりつける。
 その頭をさするように、栄次郎が撫でてやる。
 チビは、気持ち良さげにゴロゴロと喉を鳴らす。

 「チビや。アタシには、おまえの姿がハッキリ見えるよ……。
  アタシは、もうほとんど、あの世に行っちまってるのかねぇ……。
  今日はさ、暖かくていい日和だねぇ。
  逝くなら、こんな日がいいねぇ……。
  チビや。猫は、逝く姿を人には見せないだろ?
  人が悲しまないように、ってのは本当かねぇ?
  アタシにも……、指南しとくれよ。その……悲しませない術ってのを……」

 ポツリ、ポツリと聞こえていた栄次郎の声が、消える。
 ポカポカと暖かい日差しが、長屋に差し込む。
 夜着にくるまり壁にもたれ掛かっていた栄次郎の首が、コトリと落ちる。
 チビは、亡骸になった栄次郎を守るように、そっと寄り添う。


 ***

 チビは、ただ、おつやが嘆き悲しむのを見たくなかった。
 おつやは、前のおつやでは、無くなってしまった。
 泣き濡れすぎた瞳には、チビさえも映らないようだった。
 おつやの嘆きを消し去るためには、栄次郎が必要だった。
 けれど、栄次郎はもういない。
 その亡骸も、どこかにやられてしまった。
 どうすれば、おつやに栄次郎を返してやれる?
 どうすれば、元のおつやに戻ってくれる?

 「おっかさん、おとっつぁんは、よく頑張ってくれたよ。
  今度は、おっかさんが頑張る番だよ。目を覚ましておくれよ」

 チビの目の前に、若き日の栄次郎が現れた。
 おつやの手を取って、優しくさする若い男の姿。
 栄次郎に間違いない。
 チビには、分かる。
 栄次郎は、ずっとおつやと共にいたいと願っていたから。
 きっと、栄次郎は死んでなんかいない。
 チビと同じ。
 おつやのそばにいたくて、帰って来たに違いない。

 おつや、おつや!
 栄次郎が帰って来たよぅ!
 目を開けて、こっちを見とくれよぅ!

 ニャア、ニャア! ミャア、ミャア!
 必死に鳴くチビの声は、果たしておつやに届いた。
 おつやの虚ろな瞳の奥に、再び明るい光が宿る。

 「チビ……? 栄さん……? 栄次郎さん⁉︎」


 *****

 綺麗な繭玉は、巳之吉と桔梗を丁寧に送り出した。
 これまでの繭のように、ポイッと放り出されはしない。
 繭から出てきた巳之吉は、腕組みをして、う~んと唸る。

 「桔梗よぅ……。だぁれも悪くねぇってのによ?
  悪りぃことが起きちまうってぇことも、あるんだなぁ……」
 「そう、ですね……。それが、因果ってものの困ったところです」
 「それにしてもよ? 悩ましいよなぁ……。
  この糸を切っちまったら、あの夫婦は出会えなくなるんだろ?
  久助も生まれねぇ。だけどよ?
  猫のやつも、おつやに会わなけりゃ、化け猫には、なんねぇわけで」
 「糸を切ることで、この人たちの行く末がどうなるのかは……。
  絶対に、こうなるとは言えないのが本当のところです。
  巳之吉様が切れるのは、今回の因果の糸。
  久助さんに親殺しをさせた因果の糸です。
  その糸を断ち切ることで、幸せそのものが消えてしまうのか……。
  それは、誰にも分かりません」
 「う~ん。そう、だよなぁ……。
  この糸を切っても、当人たちゃ、気づかねぇんだよなぁ。
  別の生き様があった、なんてことにはよぅ」
 「ええ。ですから、ここは心を決めていただいて」
 「あぁ、分かってらい! 人様の辛い過去を見せられるのも。
  それを断ち切るのも、俺に科せられた罰なんだってことはよぅ!」
 「そう、憤りませぬよう。どなた様かの魂を救ってもいるのですから」
 「おう。そうだな。それじゃあ、切るとするかねぇ」

 綺麗な繭玉から伸びる糸は、これまでの糸とは様子が違う。
 逃げようともせず、暴れることもなく。
 これから断ち切られる己の定めを受け入れるように。
 ただ、そこに在った。

 腰から抜いた扇子を、巳之吉がパラリと広げる。
 黒雲と共に現れた龍は、軽口を叩くことなく、静かに浮かんでいる。
 一度閉じた扇子を縦に持ち替える。
 スーッと龍が黒雲もろとも扇子へと吸い込まれていく。
 ピカーッ!
 強い光がおさまるのを待って、巳之吉が目を開ける。
 その手には、黒光りする、件の糸切り鋏が握られていた。

 輝くようにも見える紫色の糸。
 それを左手で掴むと、巳之吉は鋏の刃の間に糸を置く。

 「因果の糸、断ち切り申す!」

 巳之吉の口から響くのは、きっぱりとしたひと言。

 ジャキンッ!
 あっさりと紫色の糸が、断ち切られる。
 切られた途端、糸は赤色と青色の二本に分かれる。
 そして、バラバラの方向へと宙を進んでいく。
 やがて、どちらの糸も、見えなくなっていった。

 「私たちも戻る刻です」

 桔梗は、そう言うと腰に指していた篠笛を抜く。
 ピョーロロロ。ピィーーー。
 物哀しいような、けれども美しい音色が、辺りに響き渡る。
 辺りを覆っていた紫色の霧のようなものが、少しずつ消えていく。
 巳之吉は目を閉じて、笛の音に身を任せた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

夜鳴き蕎麦徒然草子

いわん
歴史・時代
日本橋の袂、湯気の向こうに映る江戸の人間模様。 文化四年、江戸。夜の静寂に包まれた日本橋で、一台の夜鳴き蕎麦屋「清吉」に灯がともる。 店主は、寡黙な職人。茹で上げる蕎麦の音と出汁の香りに誘われ、今夜も暖簾をくぐる者たちがいた。 愚痴をこぼす同心、ささやかな祝いを分かち合う老夫婦、故郷を懐かしむ上方者、そして袖口に不穏な汚れをつけた訳ありの男……。 店主は何も聞かず、ただ淡々と蕎麦を差し出す。 冬の夜から春一番が吹く頃まで。 風鈴の音とともに流れる、切なくも温かい十の物語。 一日の終わりに、江戸の粋を味わう「蕎麦」の人情連作短編。 2026/01/23、全10話。完結しました。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

処理中です...