この手に抱くぬくもりは

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紅茶の香りと沈黙

23話 永遠に閉じたまなざし sideレオニス

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レティーナが目を覚ましたのは、倒れてから数週間後の夜だった。

その瞬間、私は崩れ落ちそうになる膝を、必死に踏みとどめた。
「おかえり」——そう言えたのは、彼女の手が、私の指をそっと握り返してくれたときだった。

だが、医師の言葉はあまりに冷ややかだった。

「目覚めたのは確かですが、体力も神経も……回復は極めて難しいでしょう。
このまま寝たきりになる可能性が高いかと」

……それでも構わない。
意識があるだけでいい。声が届くだけで、私はもう、それで十分だった。

レティーナは、あの日と変わらぬ微笑みで私を迎えてくれた。
やせ細った頬も、動かぬ足も——それでも、彼女は笑っていた。

「ユリウスは元気にしてる? またルシアン様とお茶をしたいわ。……紹介してもいいかしら?」

そんな、他愛のない会話が何よりの癒しだった。

……けれど、時間は残酷だ。

笑顔の頻度は少しずつ減っていき、声は次第に弱くなり、眠る時間は日に日に長くなっていった。

そのたびに、医師たちは曖昧な表情で「状態は維持しています」と口にした。
その“維持”が何を意味しているか——私は、わかっていた。

つまりこれは、緩やかに、しかし確実に、命が削られているということだった。

神よ。なぜ——
どうして、あの人を。ユリウスからも、私からも、奪おうとするのか。

穏やかな瞳。優しい笑み。
それを失う現実を、私は、どうしても受け入れられなかった。

それでもレティーナは、最後まで私を見て、言ったのだ。

「ユリウスを、お願いね」

……頼まないでくれ。
あの子は、私の子でもある。私が守る。それは当然のことだ。
それなのに、その言葉は——まるで“遺言”のように響いた。

私は何度も首を振りながら、「大丈夫だ」「すぐに良くなる」と繰り返すしかなかった。
ただ祈りながら、何も変えられない現実の前に、立ちすくむしかなかった。

ユリウスは、強くあろうとした。
幼いながらも、母の容体を理解しようとしていた。
けれど、ときおり、一人で空を見上げて黙りこむ背中に、私は何度も胸を締めつけられた。

……私は、何をしているのだろう。

ルシアンには、レティーナのことを伝えていた。
あのとき感じた温もりを、香りを、私は思い出していた——
——「救われた」と感じてしまった自分が、怖かった。

レティーナがいるのに。
私は、あの人を誰よりも愛しているのに——

だから、私はセバスに頼んだ。
「ルシアンの様子を見てやってくれ。必要なものは、なんでも届けてほしい」と。

けれど、それだけだった。
それ以上近づくことは、許されないと思っていた。自分で、自分に線を引いた。

……そんな日々が続き、季節がまたひとつ、巡ろうとしていたある朝。

レティーナの呼吸が、急に浅くなった。
何度目かわからない“危機”——だが、その朝の空気は、どこか違っていた。

私は、彼女の手を握り続けていた。
何も言えず、何も望まず、ただその指先の熱だけを頼りに、何時間も座っていた。

そして——夜。

それは、本当に、静かすぎるほど穏やかに訪れた。

呼吸が止まったことに、最初は気づけなかった。
誰かがすすり泣く声が、遠くで聞こえた。
医師が首を横に振ったとき、ようやく、現実が押し寄せてきた。

私は、言葉を失った。
何も言えなかった。
何も、できなかった。
何も、届かなかった。

それでも——
彼女の手は、最後まで、私の指を包んでくれていた。
その手を、私は……放すことができなかった。

……

ゆっくりと、立ち上がる。
音を立てぬよう、部屋を出て、扉を閉めた。

——扉一枚の向こうに、彼女がもういないという現実が、背中を凍らせた。

私は、セバスを呼び止め、かすれた声で、たったひとことだけ告げた。

「……ルシアンに、伝えてくれ。……頼む」

セバスは黙って頷き、夜の帳の中へと消えていった。

そのときの私は、まだ知らなかった——
ルシアンが、その報せに崩れ落ち、声を押し殺して泣いたことを。
ユリウスが、その夜、眠れずに母の枕元へぬいぐるみを置いたことも。

ただ私は、立ち尽くしていた。
何もできず、誰も抱きしめられず——
あの温もりを、ただ、喪ったのだった。
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