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2章
2 素晴らしい友人
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2.
あれから更に5日。森の中でのサバイバル生活も大分板に付いてきた。
集落から離れた場所を散策し、最近は石畳の道を見かけるようになった。ところどころで見かける案内板によると、この先に行くと村があると書いてあった。
村には非常に興味があったが、僕がいるせいでまたアマネに襲撃されてしまうのも怖いし、チェシャ猫の予言が気になって森から離れられないのもあった。
素晴らしい友人に出会える…出会ったこともないのに、そんなことが有り得るだろうか。正直、半信半疑だ。
この5日間であまり大きな出来事はなかったが、ちょっとした変化はあった。
僕は自分の足元を見やる。そこには、自分の下半身から生えたトカゲのような黒い鱗を持つ細長い尻尾があった。
そうだ、僕に尻尾が生えた。多分、ジャバウォックの尻尾だ。挿絵でしか知らないが、ジャバウォックはドラゴンのような何かということだけは知っている。
ジャッジもイディオットもチェシャ猫も、みんな外見的な変化があるのに自分だけないのが不思議に思えていたが、どうやら時間経過で姿は馴染んでいくようだった。ついに僕も、この世界の仲間入りを果たすらしい。
今日は森でフルーツを採ってきた。一見ザクロのようだが、切り開くと中からブドウのような身が出てくるし、食べると味はブドウだ。この世界のフルーツはやけにブドウ推しな気がする。
チェシャ猫と出会った、僕オリジナルのキャンプ地でフルーツを短剣で切って食べる。最近、この短剣は包丁と化してして、ちょっとイディオットには申し訳ない。
不意に頭に冷たいものが落ちてくる。ポツポツとそれは数を増やし、地面を湿らす。
「…雨?」
僕は傍らに置いていた傘を開く。それを差したままフルーツを口に含み、咀嚼していてふと気付く。
雨…イディオットと探し回った雨…。
「ジャッジ!」
僕は慌てて立ち上がる。食べていた分を全て口に放り込み、森の中へと再び走った。
雨が強い場所へ向かうんだ。そしたら、きっとジャッジがいるに違いない。
ジャッジに会ったら聞きたかったことを全部聞こう。この世界が出来たばかりのお茶会で何があったのか。アリスはどこにいるのか。どうして、アリスはこの世界の門を閉じたのか。
「ジャッジー!」
大声を張り上げ、周囲を見回す。雨足は強まらない。小降りなまま。一体広いこの森のどこに彼がいるのか、GPSもなしに探すのは困難を極めた。
ガサガサと少し遠くで何かが動く音がした。僕は急いで振り返り、音の方へ走った。
「ジャッジ!」
人影を見つけ、僕は走り寄る。自然と笑みが零れた。また会いたいと思っていた彼と話せる。質問を抜きにしたって、会えるのは嬉しかった。
「ひっ…」
声を掛けると、人影は驚いたように高い声を上げた。茶色のフードを被ったその人は、透き通るような水色の瞳で僕を見た。
長くて黒い髪、彫りの深い目元には怯えた表情が浮かぶ。泣き腫らした後のように目元が赤かった。
僕より年下の、10代終盤から20歳くらいに見える若い女の子だった。近寄って見れば、彼女はジャッジよりも随分小柄で、華奢だった。
「あっ、えっと、ごめん…なさい…?」
フードの端をキュッと手で握りしめ、彼女は僕から離れるように後退した。
僕は彼女に伸ばしていた手を慌てて引っ込める。ごめんなさいは僕の方だ。人違いにも程がある。
「あっ、いや、こちらこそ…ごめん、知り合いかと…」
僕も彼女と距離を取るように後退する。彼女は気まずそうに目を逸らし、もじもじと服の裾をいじった。
雨が降っているということは、てっきりジャッジがいるものだと思っていたが、ジャッジの周囲では時間が止まるはずだ。しかし、彼女は普通に動いて喋れる。
時間が止まっていないのか。それなら、この雨は普通に世界に降る雨なのかもしれない。ジャッジの傍だけに雨が降るものだと勘違いしていた。
雨足が強まる。ザアザアと降り出す雨に、僕は傘を差し出した。
「驚かせてごめんね。凄い雨だね、お詫びに良かったら家まで送るよ」
彼女に傘を傾け、僕は微笑んでみる。僕の身体が傘からはみ出て、羽織っていたトレンチコートに雨が染み込んだ。
それを見た彼女は、迷ったように僕との距離を縮める。2人で一緒に傘に収まるが、彼女は言葉を選ぶように小さく首を横に振った。
「…家、分からないんです。気付いたらここにいて…だから、どこに行けばいいのか分からなくて…」
雨音に混ざって消えてしまいそうなほど小さな声に、僕は頑張って耳を傾ける。彼女のおどおどとした様子は、この世界に来たばかりの僕を彷彿とさせた。
「家が分からないの?」
「はい、自分の名前しか覚えてなくて…」
僕が尋ねても彼女は一向に目を合わせてくれなかったが、それでもか細い声で答えてくれた。
もしかすると、彼女は本当にここに来たばかりなのかもしれない。そうだとしたら、さぞ心細いだろう。僕もジャッジが教えてくれなかったら、どうなっていたか分からない。
それなら、僕が教えてあげなくては。
「僕はアスカ。君は不思議の国のアリスって知ってる?僕はジャバウォックなんだ」
「不思議の国のアリス…?ジャバウォック?」
彼女はチラと僕を見るが、目が合うとまたすぐに目を逸らした。
「私はミズキです。ヒムカイ ミズキ。不思議のアリスは知ってますが…」
ミズキは申し訳なさそうに身を縮こませる。不安が全身から滲み出る彼女に、僕は出来るだけ優しく笑う。
「不安だよね、驚かせちゃってごめん。良かったら、僕が知ってる限りでこの世界について話すよ。良かったら、一緒にフルーツでも食べながらどうかな?この先に僕がいつも野宿してる場所があるんだ。屋根も何もないけど…」
ジャッジがいないタイミングで雨が降ることを想定していなかったせいで、あのキャンプ地に屋根を設けなかったことが悔やまれた。
僕はジャッジのような家を持っていない。招くメリットは置いてきたフルーツくらいなものだ。
ミズキは警戒するように僕を横目に見てから、少し沈黙を置いて頷いた。
「…お願いします」
「うん、じゃあこっちに行こう」
彼女にキャンプ地の方向を手で示すと、彼女はトボトボとした足取りで一緒についてきた。
その様子が、頼りない姿が、僕にはどうにも放っておけなかった。ミズキを助ければ、過去の自分も助かるような気がしたのだ。
ミズキとキャンプ地へと戻り、僕は先程手に入れたフルーツを彼女に分けた。木陰にある倒木に2人で距離を空けて並んで座る。彼女はザクロなのかブドウなのかよく分からない食べ物に凄く驚いた様子だったが、お腹が減っていたのか良く食べた。
僕はジャッジやイディオットから聞いたこの世界の話をした。ミズキはその間、ほとんど僕と目を合わせなかったが、ちゃんと聞いているようで、時折深く頷いてくれた。
「なんていうか…実感が湧かないですね。私、不思議の国のアリスは好きなんですけど、自分がその世界に来るなんて思わなかった」
彼女は食べ終わったフルーツの皮を両手に持ったまま、雨が降る森を見つめる。森を見ると言うより、どこを見ていればいいのか分からないと言った方が正しいのかもしれない。
「私にも配役ってありますか?」
「うーん…どうだろう。僕も尻尾が生えたのはつい最近だし、白兎に教えて貰えなかったら、今も分からなかっただろうし、しばらく過ごしたら分かるかも…?」
ミズキの質問に僕は頬をかく。彼女を見ていて感じるが、僕は本当にラッキーだったのだろう。あの場でジャッジが助けてくれなければ、彼の助言がなければ、僕はずっと自分の配役も能力も知らなかった。
何も知らないまま生き延びたとして、そのままイディオットに招かれて、アマネが襲来に来ていたら…想像しただけでゾッとする。
「せっかくなら、私も何か能力があったりしたらいいなあ…」
そんなことを考えていると、ミズキが小さく笑った。相変わらず遠くを見ているが、少し恥ずかしそうに、それでもどこか嬉しそうにも見える笑顔だ。
「帽子屋とかはずっと補充されていないんだって。もしかしたら、もしかするかも」
僕も彼女につられて思わず笑う。
アマネのような恐ろしい人間がいて、目の前で大勢が死んだとはまだ彼女には話していない。何か配役を貰えば、貰っただけの面倒事はあるだろうが、危機感のない彼女の呟きは純粋で可愛らしく思えた。
「アスカさんの能力ってどんなものなんですか?」
彼女はずっと遠くを見ていた視線を僕の手元に落とす。目を合わせるのが苦手なだけで、どうやら僕に興味はあるようだ。
僕は少し考える。せっかくなら、彼女には殺伐としたことだけじゃなくて、楽しいことを知ってもらいたい。
「僕は自分の持ち物を想像した武器に変えられる能力…らしいよ。僕も使いこなせてないんだけどね!」
僕はジャッジから貰ったあの黒い傘を手に立ち上がる。雨足が弱まってきている森に向けて傘を構え、彼女に見せたい光景を思い描く。
ミズキが僕を見上げる。彼女の視線が緊張を呼ぶ。それに蓋をして、僕は頭に思い描いた引き金を引いた。
パンッと花火の様な音と共に銃口から銃弾が3つ発射される。それらは互いに螺旋を描くように飛び、七色の光を交互に発した。キャンプ地を一周するように円の軌道を描き、パチパチと線香花火のような光を発するそれは上空へ舞い上がり、パチンと弾けて細かい星のように霧散する。銃弾が弾けた場所からは七色のシャポン玉が散らばり、フワフワと風に吹かれて僕らの元へと降りて来た。
ミズキの目がまん丸に見開かれ、彼女は頬を高揚させて見とれるように黙ってそれを見つめる。シャボン玉が消えるのを見届けてから、彼女は拍手をしてくれた。
「凄い…!今のがアスカさんの武器?綺麗ですね」
上下に身体を跳ねさせて喜ぶ彼女がようやく僕と目を合わせてくれた。弧を描くその水色の瞳はまるで幼い子供のように無邪気で、真っ直ぐな褒め言葉が嬉しくてむず痒い。
「いや、まあ…へへ…」
「凄いなあ…私もやりたい。他にもあるんですか?」
思わず照れてしまう僕に、彼女は遠慮がちに他のバリエーションを求めてきた。相変わらず座っている僕らの間には距離があって、警戒はされているようだが、警戒よりも興味に彼女が傾き始めているのが分かった。
本当は花火みたいに木よりも上空に打ち上げたら、もうちょっと芸が増えるのだが、あまりやりすぎるとアマネに見つかってしまいそうだから悩ましい。
「うーん、じゃあ今度のこれは?」
と、思いつつも、豚もおだてりゃ木に登ると言うわけで。僕はつい得意気になって傘を再び握ってしまう。
ジャッジいわくは、ジャバウォックの武器は想像力が最大の火力。集落を離れてもどんな武器が1番強いか、アマネに勝てるかをずっと考えてきた。
命懸けの戦術は考えていて疲れる。上手く行けば相手が死に、上手くいかなければ僕が死ぬ。どう転んでも悲しい結末しか生まれないそれを1人で永遠に考えていると、憂鬱になってしまう。
でも、ミズキが見たいのは綺麗なもの。上手くいけば、彼女が手を叩いて喜んでくれる。それだけで、凄く嬉しくて楽しかった。
思いつく限りの綺麗な銃弾を考えた。弾けると絵の具が散る銃弾、星空を作る銃弾、七色の軌道で模様を描く銃弾。どれもミズキは惜しみない拍手を送ってくれた。キラキラとした瞳でそれを見て、無邪気に喜んだ。
「あっ、あの…差し出がましいもしれないんですけど、ち弾が空気中を走ると、走った場所に花が咲くのとか…弾が弾けると花びらが散って…」
「ああ!それって凄く素敵だね!やってみよう!」
「いいんですか?やったあ、見たいです!」
肩身が狭そうに、申し訳なさそうに、それでも遠慮がちにミズキがリクエストを送ってくるようになった。それは僕にはない視点だ。喜んで引き受けると、彼女表情や身体から少しずつ緊張が消えていく。
「僕は虹が好きなんだけど、ワンパターンなんだよね。ミズキさんはどういうのが好き?参考にしたいんだけど…」
「あっ、私サボテンの花とか好きです。あんなにトゲトゲしてるのに、花は可愛くてギャップ萌えがあるというか…」
僕から彼女にアイデアを強請ってみると、リクエストのたびに怯えるような様子を見せていた彼女は安心したようによく喋ってくれた。
彼女は自分から話すのが苦手で、人に意見することに引け目を感じているように思えた。それならば、僕から話を振るだけだ。彼女が何かを話したいなら、僕から聞き出してあげればいいだけ。今まで顔色ばかり伺って生きてきたせいで、ミズキの反応はあまりに分かりやすくて、逆に円滑なコミュニケーションが図れた。
そうやって僕から積極的に話を振っていると、次第に彼女も一緒になって、どんな銃弾が綺麗か自ら進んで考えて発言してくれるようになった。彼女は僕に持っていない発想を沢山持っていて、どれも聞いていてワクワクした。
まるで、幼い日に戻ったみたいだった。一緒にクレヨンを持って、画用紙にそれぞれが好きに落書きをして、気付くとそれが一つの作品になっているような。
雨が止む頃になると、初めて会った時が嘘のように僕らは打ち解けていた。自分に欠けていた部分に、ぴったりのピースがはまりこんだよう。僕と彼女は全く違う物を持っているのに、不思議なくらいに一体感があった。
最初は倒木の端と端と表現してもいいくらい距離を空けて座っていたのに、気が付くと距離が縮まっていた。話に夢中で僕が詰めてしまったようだったが、ミズキはもうそんなことは気にしていないようだった。
「小さい頃に友達と一緒に絵を描いてたの思い出すなあ」
絵の具やら花やら砂やら、散らかりに散らかったキャンプ地を前に僕は笑う。
「アスカさん、絵を描くんですか?どうりで!綺麗なものいっぱい作る人だなあって思ってました!」
カラフルになった地面を見ながらミズキが言う。相変わらず僕の顔を見てはくれないが、その笑顔と高揚した頬からは純粋な好意が読み取れる。
「どんな絵描くんですか?」
「ん~、僕は想像力に乏しいから、大したもの描けないけど…」
僕はあまり自分の絵に自信はないが、デッサンも人並み程度に嗜んだし、絵柄も写実寄りなので模写くらいなら出来る。そばに落ちていた木の枝で、地面にそのへんの木の実を描き写す。
地面がキャンバスだとザリザリしていて描きずらい。それでも概ね正体がわかる程度に描いて見せると、ミズキは目を細めて手を叩いてくれた。
「すごい、上手ですね…!」
「ミズキさんは絵を描いたりはしないの?」
僕が尋ねると、何故かミズキは笑みを浮かべたまま目を泳がせる。彼女は笑顔を少し曇らせたまま黙り、そのまま小さく頷いてみせた。
「え!そうなの!?見たいなあ!」
身を乗り出してリクエストすると、彼女は驚いたようにこっちを見て、迷うように目を伏せる。
そんなに何か悪いことを言ってしまったのかと僕は一瞬だけ焦る。みんな絵を描く人は誰かに見せたくて当たり前だと思っていたから。
「あっ、ごめんね?無理にとは言わないけど…」
「私…本当に物凄く下手くそなんで…希望に添えないかもしれなくて…その…」
僕の言葉にミズキはもじもじと手をいじった。何か絵について嫌な思い出でもあるのだろうか。僕はそんな彼女に笑ってみせる。
中学、高校とかなら絵を描くもの同士、絵を見せあったり交換したりはよくある話だろう。自信がない子もそう言いつつ、見せてと言えば大概、僕の周囲は喜んで見せてくる。
絵はコミュニケーションツールだ。絵描きなら、仲を深めるには絶好の機会ではないだろうか。僕はもう一押しすることを決める。
「絵はみんなが描きたくて描いてるものだから、上手い下手なんて!僕はミズキさんが見ている世界が見たいな!笑ったりしないよ?」
あくまで、相手が断れるような空気を残そうと、冗談っぽく笑う。僕も自分の絵や銃弾を見せたんだし、ちょっとくらい許されたい。怒られたって、僕は一人旅をする身だ。悲しいけど、一期一会だと思えばそんなに辛くもない。
僕の顔と地面を交互に見ながら、ミズキは困ったように笑った。
「下書きできないので、デフォルメになっちゃいますけど…」
水色の絵の具が着いた指先で、彼女は地面に絵を描く。震えるその手からは緊張が伝わってくる。
そこまで怖いことだったのだろうか。そこまで気負って絵を描く人は初めて見た。無理をさせてしまったようで、今更のように申し訳ない気持ちになりながら、僕はハラハラと彼女が絵を描くのを見守った。
デフォルメというのは、リアルの正反対でなるべく対象を少ない線で特徴を描くことだ。簡単に思えるが、特徴を少ない線で描くのは案外難しい。僕はどちらかと言えば、リアルで写実的な絵ばかり練習してきたので、僕にとってデフォルメは苦手分野だ。
彼女が描いたのはまん丸としていて、小さな耳と、大きな羽のある生き物。
「コウモリ?」
「あっ…わかってくれて嬉しいです!私よくこれ描くと、クリオネみたいって言われちゃって…」
「さすがにクリオネには見えないよ!まーるくて可愛い!凄い!上手だね!」
ミズキの言葉に僕はお腹を抱えて笑う。
でも、絵を描く者あるあるだと思う。僕も一生懸命描いた渾身のエレキギターをクラスメイトに見せて「バイオリン?」と聞かれた時は衝撃が走ったものだ。
「僕は逆にこういうデフォルメ描けないから羨ましいよ!なんかキャラクターのグッズにありそう」
「そんなこと…私はリアルに描くのは苦手だし…」
ミズキは苦笑いするが、それでも僕の反応に安心したのか、続けて地面に描いたコウモリに絵の具を塗っていく。水色、青色、紺色で陰影を描きこんでいき、彼女は最後にそのコウモリにカラフルな光を点描で描いた。
「ちょっと前に、家にコウモリが入って来ちゃったことがあるんですけど、彼氏が捕まえてくれたので、近くで見たら凄く可愛くて。キーキー鳴くんですよ」
初対面が嘘のように饒舌な彼女の言葉に耳を傾ける。それだけ家の中にコウモリが迷い込んできた話が彼女にとって刺激的であったのだろう。語られるそれは凄く楽しそうで、僕もなんだかワクワクした。
しかし、恋人まで現実で待ってるなんて彼女からしたら焦るだろうに。彼女も早く現実に帰れたらいいのだが。
「だからコウモリなんだ。その小さい点は?キラキラしてるのは星?」
彼女の話に耳を傾けながら尋ねると、彼女は絵を描く手を止めずに笑った。
「そうなんです…!星空みたいなコウモリがいたら、きっと可愛いだろうなって!」
ミズキが笑った。コウモリの絵が完成する。ずんぐりむっくりと丸い身体をした、可愛らしいコウモリだ。
その瞬間、地面に描かれたコウモリが動き出す。むくむくと平面から立体へと、地面から生まれるようにそれは身体を起こすと、羽を羽ばたかせてキーキーと小さく鳴いた。
僕は驚いてミズキを見る。ミズキも僕を見ていた。
「絵が…生きてる…」
自分で描いたものなのに、ミズキは少し怯えたように言う。僕がコウモリに手を伸ばすと、コウモリはパタパタと羽ばたいて僕の腕にとまった。
丸い身体は思っていたよりフサフサしていて、体重は軽かった。被毛が月明かりにキラキラと細かい反射を起こし、それは本当に夜空のようだった。
「凄い、これもしかしてミズキの能力なんじゃない?」
腕にとまったコウモリを見せると、ミズキはまだ警戒するようにこちらを見た。そんなミズキにも容赦なくコウモリは彼女に向かって飛び立つ。
ビクリと身をすくめた彼女の肩にコウモリがとまる。まるで自分の巣のように、コウモリは肩から逆さまになって彼女の胸元にぶら下がる。なんだかブローチのようだった。
ミズキは恐る恐る指先でコウモリをつつく。コウモリはつつかれるまま、ブラブラと小さく彼女の胸元で揺れた。
「…かわいい」
怯えた表情だった彼女の口元がゆっくり弧を描く。コウモリはキーとふてぶてしく鳴いた。
「この能力って…もしかして私にも配役があるってことですか?それとも、この世界にいる人たちみんなが持ってるんですか?」
「えっ…どうだろう…。僕の周りでは能力を使っていた人はみんな配役があったけど…」
ミズキの質問に僕は唸る。
ジャバウォックの武器を変える力と回復力、村人の対ジャバウォック用特攻火力、三月兎の硬化、チェシャ猫の予知…ジャッジや本人たちから聞いた情報では僕はそれくらいしか知らない。配役がなかったトゥルーやメアが何か能力を持っているようにも見えなかった。
「…配役は分からなくても、それがミズキさんの特技って認識でいいんじゃないかな?」
「そっか…」
僕の言葉に耳を傾けながら、彼女は嬉しそうに口元に笑みを描いた。その表情は、どこか目標を達成したような満足感があるような気がしたが、どうしてそのような表情になるのかは分からない。
この世界に来たばかりのミズキには、配役はアニメの異能力者みたいで憧れるものなのだろうか。配役があるからっていいことばかりではないのだが、もしそう思っているなら、そのままにしてあげるべきかと僕は追求をやめた。
「もっと上手に絵が描けたら、色々作れるのかな」
「かもね!いっぱい使い道はありそう!」
呟く彼女の顔を覗き込むと目が合った。彼女はすぐに目を逸らしたが、嬉しそうに笑ってくれた。
雨が止んでから月が出て、星が出て、気が付けば空から月は消えかけていて、空が白んできている。こんなに人と話をしていて楽しかったことはない。夜通しミズキと話し込んでしまったのだろう。
「ミズキさん、朝が来るよ。そろそろ村へ行った方がいい」
僕は立ち上がり、自分のお尻についた土を叩き落とす。ミズキはキョトンと僕を見上げて首を傾げた。
「村があるんですか?アスカさんの家はそこじゃないんですか?」
「僕は森で暮らしてたけど、そろそろ別の場所に行こうと思って。夢から目覚める方法を探して旅をしてるんだ」
「えっ、あ…そうなんですね…。また会えますか?」
コウモリを胸元にぶら下げたままミズキがしょんぼりと肩を落とす。胸元で揺れるコウモリはそれに何か抗議したように鳴いた。
僕は苦笑いする。
「うーん、どうだろう…僕、ちょっと危ない人にストーカーされてて。一緒にいると危ないから、ミズキさんを巻き込みたくないんだ」
ミズキと一緒に行動したいのは僕も同じだ。だけど、アマネが来たら僕より先にミズキを殺すだろう。
彼は僕が弱いまま幸せになることを許してはくれない。僕が誰かと行動を共にできるのは、僕が誰かを守れるだけの強さを身に付けてからだ。
「えっ…でも…」
ミズキは僕の様子を見て、眉を寄せて視線を落とす。もじもじと手をいじり、彼女は口を開けたり閉めたりするが、渋々と頷いた。
「わ、わかりました…」
「うん、じゃあ村まで送るね!」
僕は彼女に微笑んでから歩き出す。ミズキはそれに一歩遅れて重たい足取りでついてくる。別れを惜しまれているのがアリアリと伝わってきて、僕は少しだけ嬉しかった。
何もなかったら、きっと僕は彼女とずっと行動を共にしていたんだろう。だけど、そうもいかない。
村の入り口があるあたりで足を止め、僕は彼女にそれを手で指し示した。
「あそこが村だよ。ミズキさんはまだここに来たばかりだし、保護してもらうといいよ」
「分かりました…」
ミズキはますます声を落ち込ませて、とぼとぼと僕の前へと出て行く。3歩くらい離れたところで彼女は振り返ると、不安そうに僕を見つめた。
「じゃあね、またいつか!」
僕は努めて明るく言うと、彼女は小さく手を振った。
あまり見ていると名残惜しくなる。僕は彼女に背を向けて歩き出す。
キャンプ地へと向かい、僕は村から離れていく。僕だって本当は村へ行かなくてはならないのに、まだ遠巻きにしか見られない僕は臆病者だ。
キャンプ地へと向かい始めて数分。小さな足音らしき、草木が揺れる音がした。僕は振り返る。
アマネだろうか。警戒して傘を構えたが、それらしき姿はない。注意深く見ていると、草むらにしゃがんでいる見覚えのあるケープと目深にフードを被った人影がある。
あれ?ミズキじゃないだろうか。違う人なのか?ミズキだとしたら何故…彼女も何かこっち方面に用事があるのかもしれない。気まずくて隠れたんだろうか。もう少し様子を見て、考えよう。
僕が気付かないふりをして歩き出すと、影は立ち上がってついてくる。割とよく足音が聞こえる。僕が歩幅を広げて足早に歩けば、小走りについてくる。尾行にしてはお粗末な気もする。
キャンプ地に忘れ物でもしたのだろうか。なら、キャンプ地まで行けば、また帰って行くかもしれない。
キャンプ地にたどり着き、僕はわざとミズキに背を向けて焚き火跡の前に座る。ミズキは何を取りに来たのか、目の端で姿を追うが、彼女は何をするでもなく少し離れた場所に座った。
彼女は動かない。ただ、座っているだけだ。
どうしたんだろう。まだ動けないような状態なのだろうか。なら、寝たフリでもしてみようか。
僕は地面に横になり、目を閉じる。すると、ようやくミズキが動き出す音がした。やはり、忘れ物を取りに来たのかもしれない。
そう思って待っていたが、ミズキはジリジリと僕に近寄るだけで、また座り込んでしまう。
そう、ただ座っているだけ。彼女は何もしない。
…なんだこの状態は。
「ミズキさん?」
首だけで振り返ると、ミズキはその場でビクリと身体を跳ねさせる。彼女は引きつった笑顔を浮かべると、胸の前で手をいじりながら目を泳がせた。
「えっ、あっ、ご、ごめんなさい…起こしちゃいましたか?」
「ええ…?」
起こしちゃったとかじゃなくて、なぜここに戻ってきているのかについて尋ねたいのだが、思わず困惑で苦笑いしてしまう。
彼女は笑ってごまかそうとしているのか、後ろ頭を掻きながら目を伏せて笑った。
「そのう…なんていうか…すみません…」
僕の視線で勝手にいたたまれなくなったのか、彼女は次第に申し訳なさそうに笑うのをやめて小さな声で謝罪する。別に責めているつもりではないのだが、どうしてここまで戻ってきたのか分からない。僕は身体を起こして地面に座り直した。
「忘れ物?」
「そういうわけではなく…村が怖くて…」
微笑みながら出来るだけ優しい声で尋ねると、彼女はしゅんとまた身を縮ませてしまう。
村が怖い、なんてどういう心境なのだろう。こんなキャンプ地で命と隣り合わせする方がよほど怖い気もするが…アマネについての危機感が薄いのなら仕方のない話だ。
「僕と一緒にいても危ないよ?さっきも話したけど、ストーカーがいて、そのストーカーは本当に命を狙ってくるんだよ。僕と一緒にいるのと、村にいるのとじゃ、村の方が絶対安全だと思うけど…」
「い、いや、私も何か…ほら、この子もいますし!戦えます!」
両手に乗せたコウモリを僕に差し出し、彼女は急に声を大きくして自信あり気にに提案する。手の平のコウモリもキーキーと鳴いた。
一緒にいてくれるというのは僕の精神衛生はありがたい申し出だが、やはりすんなりとは受け入れずらい提案だ。そんな弱そうなコウモリでどうこう出来る相手ではない。不安しかない。なぜそんなに自信に溢れているのだろう。
「いや、気持ちは嬉しいけど、多分ミズキさんが考えているほど温い相手じゃないよ」
「そしたら、アスカさんはずっと1人になる…なんかそれって凄い寂しいというか…確かに、私はそのストーカーを知らないので、危機感は足りないのかもしれないんですけど…」
僕の言葉にミズキは自信なさそうに語尾を小さくしたが、それでも諦めきれないのか再び僕の目を見る。
「私は多分、アスカさんに会わなかったら自分の能力とか分からなかったと思いますし、私って暗いからきっと村にも馴染めないし…。それに、純粋にもっとアスカさんと仲良くなりたいなって…」
彼女の手の平に乗っていたコウモリが飛び立つ。パタパタとそれは僕の肩にとまると、彼女の時と同じように逆さまになってぶら下がった。
「僕もミズキさんとはもっと一緒にいたいし、仲良くなりたいけど…」
ミズキの申し出を受けたい気持ちと、本当にそれで大丈夫なのかという気持ちで板挟みになる。戦力と呼ぶには、ミズキも僕もあまりに非力だ。
だけど、こんなに話が合って、一緒にいたくて、仲良くなりたいと思う人は初めてだ。だからこそ、離れがたいのは僕も一緒だし、同時に失いたくないのもそうだった。
踏ん切りのつかない僕をミズキはまた急に肩を落とした。
「も、もしかして…ご迷惑ですか…?」
顔を青くして震え始めるミズキに僕は慌てて首を振る。ガタガタと震える彼女は生まれたての小鹿よりもか弱くて、見ているこっちが可哀想になってきた。ていうか、野に放つのが心配になる小鹿だ。これは一緒にいた方がいいのかもしれない。
「全然迷惑とかじゃ!じゃ、じゃあ一緒にいよっか…?まだ僕も弱いから、あまり守ってあげたりは出来ないかもしれないけど…」
「本当ですか!嬉しいです!」
ミズキは食い気味にパッと顔を明るくして、花が咲くような笑顔を見せる。こんな顔をして笑う彼女を僕は初めて見た。そんなに嬉しそうにされてしまうと、なんだかちょっと照れてしまう。
でも、確かにミズキの想像力は僕にはないものだ。とても話は合うのに、センスは全く違う。想像力を武器にして戦うなら、自分一人だけが持つ引き出しを漁るより、二人で考えた方が武器に幅が出るのは間違いなかった。
もしかしたら、彼女と出会ったのも何かの縁かもしれない。チェシャ猫が予言するくらいなのだ、彼女の手を借りてもいいような気がした。
「じゃあ、よろしくお願いします…!」
彼女が手を差し出すと、僕は笑いながらその手を捕まえる。ギュッと掴んで、それを両手で包んで上下に小さく振った。
「こちらこそ!」
明るくなった空が朝焼けで真っ赤に染まる。僕らの長い夜が明けた。
あれから更に5日。森の中でのサバイバル生活も大分板に付いてきた。
集落から離れた場所を散策し、最近は石畳の道を見かけるようになった。ところどころで見かける案内板によると、この先に行くと村があると書いてあった。
村には非常に興味があったが、僕がいるせいでまたアマネに襲撃されてしまうのも怖いし、チェシャ猫の予言が気になって森から離れられないのもあった。
素晴らしい友人に出会える…出会ったこともないのに、そんなことが有り得るだろうか。正直、半信半疑だ。
この5日間であまり大きな出来事はなかったが、ちょっとした変化はあった。
僕は自分の足元を見やる。そこには、自分の下半身から生えたトカゲのような黒い鱗を持つ細長い尻尾があった。
そうだ、僕に尻尾が生えた。多分、ジャバウォックの尻尾だ。挿絵でしか知らないが、ジャバウォックはドラゴンのような何かということだけは知っている。
ジャッジもイディオットもチェシャ猫も、みんな外見的な変化があるのに自分だけないのが不思議に思えていたが、どうやら時間経過で姿は馴染んでいくようだった。ついに僕も、この世界の仲間入りを果たすらしい。
今日は森でフルーツを採ってきた。一見ザクロのようだが、切り開くと中からブドウのような身が出てくるし、食べると味はブドウだ。この世界のフルーツはやけにブドウ推しな気がする。
チェシャ猫と出会った、僕オリジナルのキャンプ地でフルーツを短剣で切って食べる。最近、この短剣は包丁と化してして、ちょっとイディオットには申し訳ない。
不意に頭に冷たいものが落ちてくる。ポツポツとそれは数を増やし、地面を湿らす。
「…雨?」
僕は傍らに置いていた傘を開く。それを差したままフルーツを口に含み、咀嚼していてふと気付く。
雨…イディオットと探し回った雨…。
「ジャッジ!」
僕は慌てて立ち上がる。食べていた分を全て口に放り込み、森の中へと再び走った。
雨が強い場所へ向かうんだ。そしたら、きっとジャッジがいるに違いない。
ジャッジに会ったら聞きたかったことを全部聞こう。この世界が出来たばかりのお茶会で何があったのか。アリスはどこにいるのか。どうして、アリスはこの世界の門を閉じたのか。
「ジャッジー!」
大声を張り上げ、周囲を見回す。雨足は強まらない。小降りなまま。一体広いこの森のどこに彼がいるのか、GPSもなしに探すのは困難を極めた。
ガサガサと少し遠くで何かが動く音がした。僕は急いで振り返り、音の方へ走った。
「ジャッジ!」
人影を見つけ、僕は走り寄る。自然と笑みが零れた。また会いたいと思っていた彼と話せる。質問を抜きにしたって、会えるのは嬉しかった。
「ひっ…」
声を掛けると、人影は驚いたように高い声を上げた。茶色のフードを被ったその人は、透き通るような水色の瞳で僕を見た。
長くて黒い髪、彫りの深い目元には怯えた表情が浮かぶ。泣き腫らした後のように目元が赤かった。
僕より年下の、10代終盤から20歳くらいに見える若い女の子だった。近寄って見れば、彼女はジャッジよりも随分小柄で、華奢だった。
「あっ、えっと、ごめん…なさい…?」
フードの端をキュッと手で握りしめ、彼女は僕から離れるように後退した。
僕は彼女に伸ばしていた手を慌てて引っ込める。ごめんなさいは僕の方だ。人違いにも程がある。
「あっ、いや、こちらこそ…ごめん、知り合いかと…」
僕も彼女と距離を取るように後退する。彼女は気まずそうに目を逸らし、もじもじと服の裾をいじった。
雨が降っているということは、てっきりジャッジがいるものだと思っていたが、ジャッジの周囲では時間が止まるはずだ。しかし、彼女は普通に動いて喋れる。
時間が止まっていないのか。それなら、この雨は普通に世界に降る雨なのかもしれない。ジャッジの傍だけに雨が降るものだと勘違いしていた。
雨足が強まる。ザアザアと降り出す雨に、僕は傘を差し出した。
「驚かせてごめんね。凄い雨だね、お詫びに良かったら家まで送るよ」
彼女に傘を傾け、僕は微笑んでみる。僕の身体が傘からはみ出て、羽織っていたトレンチコートに雨が染み込んだ。
それを見た彼女は、迷ったように僕との距離を縮める。2人で一緒に傘に収まるが、彼女は言葉を選ぶように小さく首を横に振った。
「…家、分からないんです。気付いたらここにいて…だから、どこに行けばいいのか分からなくて…」
雨音に混ざって消えてしまいそうなほど小さな声に、僕は頑張って耳を傾ける。彼女のおどおどとした様子は、この世界に来たばかりの僕を彷彿とさせた。
「家が分からないの?」
「はい、自分の名前しか覚えてなくて…」
僕が尋ねても彼女は一向に目を合わせてくれなかったが、それでもか細い声で答えてくれた。
もしかすると、彼女は本当にここに来たばかりなのかもしれない。そうだとしたら、さぞ心細いだろう。僕もジャッジが教えてくれなかったら、どうなっていたか分からない。
それなら、僕が教えてあげなくては。
「僕はアスカ。君は不思議の国のアリスって知ってる?僕はジャバウォックなんだ」
「不思議の国のアリス…?ジャバウォック?」
彼女はチラと僕を見るが、目が合うとまたすぐに目を逸らした。
「私はミズキです。ヒムカイ ミズキ。不思議のアリスは知ってますが…」
ミズキは申し訳なさそうに身を縮こませる。不安が全身から滲み出る彼女に、僕は出来るだけ優しく笑う。
「不安だよね、驚かせちゃってごめん。良かったら、僕が知ってる限りでこの世界について話すよ。良かったら、一緒にフルーツでも食べながらどうかな?この先に僕がいつも野宿してる場所があるんだ。屋根も何もないけど…」
ジャッジがいないタイミングで雨が降ることを想定していなかったせいで、あのキャンプ地に屋根を設けなかったことが悔やまれた。
僕はジャッジのような家を持っていない。招くメリットは置いてきたフルーツくらいなものだ。
ミズキは警戒するように僕を横目に見てから、少し沈黙を置いて頷いた。
「…お願いします」
「うん、じゃあこっちに行こう」
彼女にキャンプ地の方向を手で示すと、彼女はトボトボとした足取りで一緒についてきた。
その様子が、頼りない姿が、僕にはどうにも放っておけなかった。ミズキを助ければ、過去の自分も助かるような気がしたのだ。
ミズキとキャンプ地へと戻り、僕は先程手に入れたフルーツを彼女に分けた。木陰にある倒木に2人で距離を空けて並んで座る。彼女はザクロなのかブドウなのかよく分からない食べ物に凄く驚いた様子だったが、お腹が減っていたのか良く食べた。
僕はジャッジやイディオットから聞いたこの世界の話をした。ミズキはその間、ほとんど僕と目を合わせなかったが、ちゃんと聞いているようで、時折深く頷いてくれた。
「なんていうか…実感が湧かないですね。私、不思議の国のアリスは好きなんですけど、自分がその世界に来るなんて思わなかった」
彼女は食べ終わったフルーツの皮を両手に持ったまま、雨が降る森を見つめる。森を見ると言うより、どこを見ていればいいのか分からないと言った方が正しいのかもしれない。
「私にも配役ってありますか?」
「うーん…どうだろう。僕も尻尾が生えたのはつい最近だし、白兎に教えて貰えなかったら、今も分からなかっただろうし、しばらく過ごしたら分かるかも…?」
ミズキの質問に僕は頬をかく。彼女を見ていて感じるが、僕は本当にラッキーだったのだろう。あの場でジャッジが助けてくれなければ、彼の助言がなければ、僕はずっと自分の配役も能力も知らなかった。
何も知らないまま生き延びたとして、そのままイディオットに招かれて、アマネが襲来に来ていたら…想像しただけでゾッとする。
「せっかくなら、私も何か能力があったりしたらいいなあ…」
そんなことを考えていると、ミズキが小さく笑った。相変わらず遠くを見ているが、少し恥ずかしそうに、それでもどこか嬉しそうにも見える笑顔だ。
「帽子屋とかはずっと補充されていないんだって。もしかしたら、もしかするかも」
僕も彼女につられて思わず笑う。
アマネのような恐ろしい人間がいて、目の前で大勢が死んだとはまだ彼女には話していない。何か配役を貰えば、貰っただけの面倒事はあるだろうが、危機感のない彼女の呟きは純粋で可愛らしく思えた。
「アスカさんの能力ってどんなものなんですか?」
彼女はずっと遠くを見ていた視線を僕の手元に落とす。目を合わせるのが苦手なだけで、どうやら僕に興味はあるようだ。
僕は少し考える。せっかくなら、彼女には殺伐としたことだけじゃなくて、楽しいことを知ってもらいたい。
「僕は自分の持ち物を想像した武器に変えられる能力…らしいよ。僕も使いこなせてないんだけどね!」
僕はジャッジから貰ったあの黒い傘を手に立ち上がる。雨足が弱まってきている森に向けて傘を構え、彼女に見せたい光景を思い描く。
ミズキが僕を見上げる。彼女の視線が緊張を呼ぶ。それに蓋をして、僕は頭に思い描いた引き金を引いた。
パンッと花火の様な音と共に銃口から銃弾が3つ発射される。それらは互いに螺旋を描くように飛び、七色の光を交互に発した。キャンプ地を一周するように円の軌道を描き、パチパチと線香花火のような光を発するそれは上空へ舞い上がり、パチンと弾けて細かい星のように霧散する。銃弾が弾けた場所からは七色のシャポン玉が散らばり、フワフワと風に吹かれて僕らの元へと降りて来た。
ミズキの目がまん丸に見開かれ、彼女は頬を高揚させて見とれるように黙ってそれを見つめる。シャボン玉が消えるのを見届けてから、彼女は拍手をしてくれた。
「凄い…!今のがアスカさんの武器?綺麗ですね」
上下に身体を跳ねさせて喜ぶ彼女がようやく僕と目を合わせてくれた。弧を描くその水色の瞳はまるで幼い子供のように無邪気で、真っ直ぐな褒め言葉が嬉しくてむず痒い。
「いや、まあ…へへ…」
「凄いなあ…私もやりたい。他にもあるんですか?」
思わず照れてしまう僕に、彼女は遠慮がちに他のバリエーションを求めてきた。相変わらず座っている僕らの間には距離があって、警戒はされているようだが、警戒よりも興味に彼女が傾き始めているのが分かった。
本当は花火みたいに木よりも上空に打ち上げたら、もうちょっと芸が増えるのだが、あまりやりすぎるとアマネに見つかってしまいそうだから悩ましい。
「うーん、じゃあ今度のこれは?」
と、思いつつも、豚もおだてりゃ木に登ると言うわけで。僕はつい得意気になって傘を再び握ってしまう。
ジャッジいわくは、ジャバウォックの武器は想像力が最大の火力。集落を離れてもどんな武器が1番強いか、アマネに勝てるかをずっと考えてきた。
命懸けの戦術は考えていて疲れる。上手く行けば相手が死に、上手くいかなければ僕が死ぬ。どう転んでも悲しい結末しか生まれないそれを1人で永遠に考えていると、憂鬱になってしまう。
でも、ミズキが見たいのは綺麗なもの。上手くいけば、彼女が手を叩いて喜んでくれる。それだけで、凄く嬉しくて楽しかった。
思いつく限りの綺麗な銃弾を考えた。弾けると絵の具が散る銃弾、星空を作る銃弾、七色の軌道で模様を描く銃弾。どれもミズキは惜しみない拍手を送ってくれた。キラキラとした瞳でそれを見て、無邪気に喜んだ。
「あっ、あの…差し出がましいもしれないんですけど、ち弾が空気中を走ると、走った場所に花が咲くのとか…弾が弾けると花びらが散って…」
「ああ!それって凄く素敵だね!やってみよう!」
「いいんですか?やったあ、見たいです!」
肩身が狭そうに、申し訳なさそうに、それでも遠慮がちにミズキがリクエストを送ってくるようになった。それは僕にはない視点だ。喜んで引き受けると、彼女表情や身体から少しずつ緊張が消えていく。
「僕は虹が好きなんだけど、ワンパターンなんだよね。ミズキさんはどういうのが好き?参考にしたいんだけど…」
「あっ、私サボテンの花とか好きです。あんなにトゲトゲしてるのに、花は可愛くてギャップ萌えがあるというか…」
僕から彼女にアイデアを強請ってみると、リクエストのたびに怯えるような様子を見せていた彼女は安心したようによく喋ってくれた。
彼女は自分から話すのが苦手で、人に意見することに引け目を感じているように思えた。それならば、僕から話を振るだけだ。彼女が何かを話したいなら、僕から聞き出してあげればいいだけ。今まで顔色ばかり伺って生きてきたせいで、ミズキの反応はあまりに分かりやすくて、逆に円滑なコミュニケーションが図れた。
そうやって僕から積極的に話を振っていると、次第に彼女も一緒になって、どんな銃弾が綺麗か自ら進んで考えて発言してくれるようになった。彼女は僕に持っていない発想を沢山持っていて、どれも聞いていてワクワクした。
まるで、幼い日に戻ったみたいだった。一緒にクレヨンを持って、画用紙にそれぞれが好きに落書きをして、気付くとそれが一つの作品になっているような。
雨が止む頃になると、初めて会った時が嘘のように僕らは打ち解けていた。自分に欠けていた部分に、ぴったりのピースがはまりこんだよう。僕と彼女は全く違う物を持っているのに、不思議なくらいに一体感があった。
最初は倒木の端と端と表現してもいいくらい距離を空けて座っていたのに、気が付くと距離が縮まっていた。話に夢中で僕が詰めてしまったようだったが、ミズキはもうそんなことは気にしていないようだった。
「小さい頃に友達と一緒に絵を描いてたの思い出すなあ」
絵の具やら花やら砂やら、散らかりに散らかったキャンプ地を前に僕は笑う。
「アスカさん、絵を描くんですか?どうりで!綺麗なものいっぱい作る人だなあって思ってました!」
カラフルになった地面を見ながらミズキが言う。相変わらず僕の顔を見てはくれないが、その笑顔と高揚した頬からは純粋な好意が読み取れる。
「どんな絵描くんですか?」
「ん~、僕は想像力に乏しいから、大したもの描けないけど…」
僕はあまり自分の絵に自信はないが、デッサンも人並み程度に嗜んだし、絵柄も写実寄りなので模写くらいなら出来る。そばに落ちていた木の枝で、地面にそのへんの木の実を描き写す。
地面がキャンバスだとザリザリしていて描きずらい。それでも概ね正体がわかる程度に描いて見せると、ミズキは目を細めて手を叩いてくれた。
「すごい、上手ですね…!」
「ミズキさんは絵を描いたりはしないの?」
僕が尋ねると、何故かミズキは笑みを浮かべたまま目を泳がせる。彼女は笑顔を少し曇らせたまま黙り、そのまま小さく頷いてみせた。
「え!そうなの!?見たいなあ!」
身を乗り出してリクエストすると、彼女は驚いたようにこっちを見て、迷うように目を伏せる。
そんなに何か悪いことを言ってしまったのかと僕は一瞬だけ焦る。みんな絵を描く人は誰かに見せたくて当たり前だと思っていたから。
「あっ、ごめんね?無理にとは言わないけど…」
「私…本当に物凄く下手くそなんで…希望に添えないかもしれなくて…その…」
僕の言葉にミズキはもじもじと手をいじった。何か絵について嫌な思い出でもあるのだろうか。僕はそんな彼女に笑ってみせる。
中学、高校とかなら絵を描くもの同士、絵を見せあったり交換したりはよくある話だろう。自信がない子もそう言いつつ、見せてと言えば大概、僕の周囲は喜んで見せてくる。
絵はコミュニケーションツールだ。絵描きなら、仲を深めるには絶好の機会ではないだろうか。僕はもう一押しすることを決める。
「絵はみんなが描きたくて描いてるものだから、上手い下手なんて!僕はミズキさんが見ている世界が見たいな!笑ったりしないよ?」
あくまで、相手が断れるような空気を残そうと、冗談っぽく笑う。僕も自分の絵や銃弾を見せたんだし、ちょっとくらい許されたい。怒られたって、僕は一人旅をする身だ。悲しいけど、一期一会だと思えばそんなに辛くもない。
僕の顔と地面を交互に見ながら、ミズキは困ったように笑った。
「下書きできないので、デフォルメになっちゃいますけど…」
水色の絵の具が着いた指先で、彼女は地面に絵を描く。震えるその手からは緊張が伝わってくる。
そこまで怖いことだったのだろうか。そこまで気負って絵を描く人は初めて見た。無理をさせてしまったようで、今更のように申し訳ない気持ちになりながら、僕はハラハラと彼女が絵を描くのを見守った。
デフォルメというのは、リアルの正反対でなるべく対象を少ない線で特徴を描くことだ。簡単に思えるが、特徴を少ない線で描くのは案外難しい。僕はどちらかと言えば、リアルで写実的な絵ばかり練習してきたので、僕にとってデフォルメは苦手分野だ。
彼女が描いたのはまん丸としていて、小さな耳と、大きな羽のある生き物。
「コウモリ?」
「あっ…わかってくれて嬉しいです!私よくこれ描くと、クリオネみたいって言われちゃって…」
「さすがにクリオネには見えないよ!まーるくて可愛い!凄い!上手だね!」
ミズキの言葉に僕はお腹を抱えて笑う。
でも、絵を描く者あるあるだと思う。僕も一生懸命描いた渾身のエレキギターをクラスメイトに見せて「バイオリン?」と聞かれた時は衝撃が走ったものだ。
「僕は逆にこういうデフォルメ描けないから羨ましいよ!なんかキャラクターのグッズにありそう」
「そんなこと…私はリアルに描くのは苦手だし…」
ミズキは苦笑いするが、それでも僕の反応に安心したのか、続けて地面に描いたコウモリに絵の具を塗っていく。水色、青色、紺色で陰影を描きこんでいき、彼女は最後にそのコウモリにカラフルな光を点描で描いた。
「ちょっと前に、家にコウモリが入って来ちゃったことがあるんですけど、彼氏が捕まえてくれたので、近くで見たら凄く可愛くて。キーキー鳴くんですよ」
初対面が嘘のように饒舌な彼女の言葉に耳を傾ける。それだけ家の中にコウモリが迷い込んできた話が彼女にとって刺激的であったのだろう。語られるそれは凄く楽しそうで、僕もなんだかワクワクした。
しかし、恋人まで現実で待ってるなんて彼女からしたら焦るだろうに。彼女も早く現実に帰れたらいいのだが。
「だからコウモリなんだ。その小さい点は?キラキラしてるのは星?」
彼女の話に耳を傾けながら尋ねると、彼女は絵を描く手を止めずに笑った。
「そうなんです…!星空みたいなコウモリがいたら、きっと可愛いだろうなって!」
ミズキが笑った。コウモリの絵が完成する。ずんぐりむっくりと丸い身体をした、可愛らしいコウモリだ。
その瞬間、地面に描かれたコウモリが動き出す。むくむくと平面から立体へと、地面から生まれるようにそれは身体を起こすと、羽を羽ばたかせてキーキーと小さく鳴いた。
僕は驚いてミズキを見る。ミズキも僕を見ていた。
「絵が…生きてる…」
自分で描いたものなのに、ミズキは少し怯えたように言う。僕がコウモリに手を伸ばすと、コウモリはパタパタと羽ばたいて僕の腕にとまった。
丸い身体は思っていたよりフサフサしていて、体重は軽かった。被毛が月明かりにキラキラと細かい反射を起こし、それは本当に夜空のようだった。
「凄い、これもしかしてミズキの能力なんじゃない?」
腕にとまったコウモリを見せると、ミズキはまだ警戒するようにこちらを見た。そんなミズキにも容赦なくコウモリは彼女に向かって飛び立つ。
ビクリと身をすくめた彼女の肩にコウモリがとまる。まるで自分の巣のように、コウモリは肩から逆さまになって彼女の胸元にぶら下がる。なんだかブローチのようだった。
ミズキは恐る恐る指先でコウモリをつつく。コウモリはつつかれるまま、ブラブラと小さく彼女の胸元で揺れた。
「…かわいい」
怯えた表情だった彼女の口元がゆっくり弧を描く。コウモリはキーとふてぶてしく鳴いた。
「この能力って…もしかして私にも配役があるってことですか?それとも、この世界にいる人たちみんなが持ってるんですか?」
「えっ…どうだろう…。僕の周りでは能力を使っていた人はみんな配役があったけど…」
ミズキの質問に僕は唸る。
ジャバウォックの武器を変える力と回復力、村人の対ジャバウォック用特攻火力、三月兎の硬化、チェシャ猫の予知…ジャッジや本人たちから聞いた情報では僕はそれくらいしか知らない。配役がなかったトゥルーやメアが何か能力を持っているようにも見えなかった。
「…配役は分からなくても、それがミズキさんの特技って認識でいいんじゃないかな?」
「そっか…」
僕の言葉に耳を傾けながら、彼女は嬉しそうに口元に笑みを描いた。その表情は、どこか目標を達成したような満足感があるような気がしたが、どうしてそのような表情になるのかは分からない。
この世界に来たばかりのミズキには、配役はアニメの異能力者みたいで憧れるものなのだろうか。配役があるからっていいことばかりではないのだが、もしそう思っているなら、そのままにしてあげるべきかと僕は追求をやめた。
「もっと上手に絵が描けたら、色々作れるのかな」
「かもね!いっぱい使い道はありそう!」
呟く彼女の顔を覗き込むと目が合った。彼女はすぐに目を逸らしたが、嬉しそうに笑ってくれた。
雨が止んでから月が出て、星が出て、気が付けば空から月は消えかけていて、空が白んできている。こんなに人と話をしていて楽しかったことはない。夜通しミズキと話し込んでしまったのだろう。
「ミズキさん、朝が来るよ。そろそろ村へ行った方がいい」
僕は立ち上がり、自分のお尻についた土を叩き落とす。ミズキはキョトンと僕を見上げて首を傾げた。
「村があるんですか?アスカさんの家はそこじゃないんですか?」
「僕は森で暮らしてたけど、そろそろ別の場所に行こうと思って。夢から目覚める方法を探して旅をしてるんだ」
「えっ、あ…そうなんですね…。また会えますか?」
コウモリを胸元にぶら下げたままミズキがしょんぼりと肩を落とす。胸元で揺れるコウモリはそれに何か抗議したように鳴いた。
僕は苦笑いする。
「うーん、どうだろう…僕、ちょっと危ない人にストーカーされてて。一緒にいると危ないから、ミズキさんを巻き込みたくないんだ」
ミズキと一緒に行動したいのは僕も同じだ。だけど、アマネが来たら僕より先にミズキを殺すだろう。
彼は僕が弱いまま幸せになることを許してはくれない。僕が誰かと行動を共にできるのは、僕が誰かを守れるだけの強さを身に付けてからだ。
「えっ…でも…」
ミズキは僕の様子を見て、眉を寄せて視線を落とす。もじもじと手をいじり、彼女は口を開けたり閉めたりするが、渋々と頷いた。
「わ、わかりました…」
「うん、じゃあ村まで送るね!」
僕は彼女に微笑んでから歩き出す。ミズキはそれに一歩遅れて重たい足取りでついてくる。別れを惜しまれているのがアリアリと伝わってきて、僕は少しだけ嬉しかった。
何もなかったら、きっと僕は彼女とずっと行動を共にしていたんだろう。だけど、そうもいかない。
村の入り口があるあたりで足を止め、僕は彼女にそれを手で指し示した。
「あそこが村だよ。ミズキさんはまだここに来たばかりだし、保護してもらうといいよ」
「分かりました…」
ミズキはますます声を落ち込ませて、とぼとぼと僕の前へと出て行く。3歩くらい離れたところで彼女は振り返ると、不安そうに僕を見つめた。
「じゃあね、またいつか!」
僕は努めて明るく言うと、彼女は小さく手を振った。
あまり見ていると名残惜しくなる。僕は彼女に背を向けて歩き出す。
キャンプ地へと向かい、僕は村から離れていく。僕だって本当は村へ行かなくてはならないのに、まだ遠巻きにしか見られない僕は臆病者だ。
キャンプ地へと向かい始めて数分。小さな足音らしき、草木が揺れる音がした。僕は振り返る。
アマネだろうか。警戒して傘を構えたが、それらしき姿はない。注意深く見ていると、草むらにしゃがんでいる見覚えのあるケープと目深にフードを被った人影がある。
あれ?ミズキじゃないだろうか。違う人なのか?ミズキだとしたら何故…彼女も何かこっち方面に用事があるのかもしれない。気まずくて隠れたんだろうか。もう少し様子を見て、考えよう。
僕が気付かないふりをして歩き出すと、影は立ち上がってついてくる。割とよく足音が聞こえる。僕が歩幅を広げて足早に歩けば、小走りについてくる。尾行にしてはお粗末な気もする。
キャンプ地に忘れ物でもしたのだろうか。なら、キャンプ地まで行けば、また帰って行くかもしれない。
キャンプ地にたどり着き、僕はわざとミズキに背を向けて焚き火跡の前に座る。ミズキは何を取りに来たのか、目の端で姿を追うが、彼女は何をするでもなく少し離れた場所に座った。
彼女は動かない。ただ、座っているだけだ。
どうしたんだろう。まだ動けないような状態なのだろうか。なら、寝たフリでもしてみようか。
僕は地面に横になり、目を閉じる。すると、ようやくミズキが動き出す音がした。やはり、忘れ物を取りに来たのかもしれない。
そう思って待っていたが、ミズキはジリジリと僕に近寄るだけで、また座り込んでしまう。
そう、ただ座っているだけ。彼女は何もしない。
…なんだこの状態は。
「ミズキさん?」
首だけで振り返ると、ミズキはその場でビクリと身体を跳ねさせる。彼女は引きつった笑顔を浮かべると、胸の前で手をいじりながら目を泳がせた。
「えっ、あっ、ご、ごめんなさい…起こしちゃいましたか?」
「ええ…?」
起こしちゃったとかじゃなくて、なぜここに戻ってきているのかについて尋ねたいのだが、思わず困惑で苦笑いしてしまう。
彼女は笑ってごまかそうとしているのか、後ろ頭を掻きながら目を伏せて笑った。
「そのう…なんていうか…すみません…」
僕の視線で勝手にいたたまれなくなったのか、彼女は次第に申し訳なさそうに笑うのをやめて小さな声で謝罪する。別に責めているつもりではないのだが、どうしてここまで戻ってきたのか分からない。僕は身体を起こして地面に座り直した。
「忘れ物?」
「そういうわけではなく…村が怖くて…」
微笑みながら出来るだけ優しい声で尋ねると、彼女はしゅんとまた身を縮ませてしまう。
村が怖い、なんてどういう心境なのだろう。こんなキャンプ地で命と隣り合わせする方がよほど怖い気もするが…アマネについての危機感が薄いのなら仕方のない話だ。
「僕と一緒にいても危ないよ?さっきも話したけど、ストーカーがいて、そのストーカーは本当に命を狙ってくるんだよ。僕と一緒にいるのと、村にいるのとじゃ、村の方が絶対安全だと思うけど…」
「い、いや、私も何か…ほら、この子もいますし!戦えます!」
両手に乗せたコウモリを僕に差し出し、彼女は急に声を大きくして自信あり気にに提案する。手の平のコウモリもキーキーと鳴いた。
一緒にいてくれるというのは僕の精神衛生はありがたい申し出だが、やはりすんなりとは受け入れずらい提案だ。そんな弱そうなコウモリでどうこう出来る相手ではない。不安しかない。なぜそんなに自信に溢れているのだろう。
「いや、気持ちは嬉しいけど、多分ミズキさんが考えているほど温い相手じゃないよ」
「そしたら、アスカさんはずっと1人になる…なんかそれって凄い寂しいというか…確かに、私はそのストーカーを知らないので、危機感は足りないのかもしれないんですけど…」
僕の言葉にミズキは自信なさそうに語尾を小さくしたが、それでも諦めきれないのか再び僕の目を見る。
「私は多分、アスカさんに会わなかったら自分の能力とか分からなかったと思いますし、私って暗いからきっと村にも馴染めないし…。それに、純粋にもっとアスカさんと仲良くなりたいなって…」
彼女の手の平に乗っていたコウモリが飛び立つ。パタパタとそれは僕の肩にとまると、彼女の時と同じように逆さまになってぶら下がった。
「僕もミズキさんとはもっと一緒にいたいし、仲良くなりたいけど…」
ミズキの申し出を受けたい気持ちと、本当にそれで大丈夫なのかという気持ちで板挟みになる。戦力と呼ぶには、ミズキも僕もあまりに非力だ。
だけど、こんなに話が合って、一緒にいたくて、仲良くなりたいと思う人は初めてだ。だからこそ、離れがたいのは僕も一緒だし、同時に失いたくないのもそうだった。
踏ん切りのつかない僕をミズキはまた急に肩を落とした。
「も、もしかして…ご迷惑ですか…?」
顔を青くして震え始めるミズキに僕は慌てて首を振る。ガタガタと震える彼女は生まれたての小鹿よりもか弱くて、見ているこっちが可哀想になってきた。ていうか、野に放つのが心配になる小鹿だ。これは一緒にいた方がいいのかもしれない。
「全然迷惑とかじゃ!じゃ、じゃあ一緒にいよっか…?まだ僕も弱いから、あまり守ってあげたりは出来ないかもしれないけど…」
「本当ですか!嬉しいです!」
ミズキは食い気味にパッと顔を明るくして、花が咲くような笑顔を見せる。こんな顔をして笑う彼女を僕は初めて見た。そんなに嬉しそうにされてしまうと、なんだかちょっと照れてしまう。
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もしかしたら、彼女と出会ったのも何かの縁かもしれない。チェシャ猫が予言するくらいなのだ、彼女の手を借りてもいいような気がした。
「じゃあ、よろしくお願いします…!」
彼女が手を差し出すと、僕は笑いながらその手を捕まえる。ギュッと掴んで、それを両手で包んで上下に小さく振った。
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