シュガーポットに食べかけの子守唄

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2章

4 僕が守らなきゃ

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4.
「帽子屋さん、今日も絵具の調達かい?」
「はい。コバルトブルーとブルーグレイ…それから、ワインレッドと黒を下さい」
真っ白で大きな帽子を被ったミズキが画材屋の店主に絵具を注文する。僕はそれを眺めながら、彼女の買い物が終わるのを待っていた。
ミズキと一緒に過ごすようになって半月以上になる。僕らの生活は村に顔を出すようになってから更に大きく変わった。
まず、装い。ミズキは白くてツバの大きなガルボハットを被り、黒いセーターに白いカーディガン、エメラルドブルーのロングスカートを着るようになった。僕は裏地の赤いロングコートに黒いスキニージーンズ、赤い靴底のロングブーツだ。
僕の容姿はそれに加えて、尻尾以外には鋭い黒の爪、頭には赤黒い角が増えた。どんどんジャバウォックらしくなっていって、他人からも一目で配役を当てられる機会も増えたが、まだミズキの姿には大きな変化は見られない。それでも、不思議な能力を持つ彼女は、自身が被っている大きな帽子の影響か、いつからか周囲に帽子屋と呼ばれるようになっていた。
顔なじみになりつつある画材屋の店主はミズキに言われた絵具を茶色の紙袋に包み、それを彼女に手渡す。
「いつもありがとう」
「あ、いえ、こちらこそ…」
微笑む店主にミズキは目を合わさず、俯いたままおずおずとそれらを受け取ると、代金として森からとってきたフルーツを手渡す。
この世界には通貨の概念がない。村では基本的に物々交換だ。彼女の絵具がなくなると、僕らは森からとれる様々な食材を代金として調達した。
少し離れた場所から見守っていた僕に、ミズキは足早に戻ってくる。まるで忍びのように足音もなく、小走りで帰って来た彼女は僕と目が合うと、緊張がほどけたように笑った。
「目くらい合わせればいいのに」
「人と目を合わせるのって、なんか申し訳ないから…」
苦笑いする僕に彼女は照れたように笑った。何が申し訳ないのかよく分からないが「なんか申し訳ない」は彼女が述べる理由の大半を占めていた。理由を聞いても、彼女はあまり詳しく教えてくれなかったので、僕はもうそれについて言及することは諦めていた。
画材屋を出て僕らは村の通りに出る。スケッチブックと筆とペン、一通りの画材が手に入ってからは、あちこち歩いて地図を作りながら旅をしている。村にはあの日の翌日にすぐ顔を出したはずなのに、僕らは何故かまだあのキャンプ地で寝泊まりをしていた。
今日も村に顔を出しているのに、またわざわざ森に帰って寝るのだろうか。アマネの襲来を心配する気持ちはまだ残っているが、これだけ散策していて出会わないのだ。彼はもしかしたら、湖の向こうにいるのではないかと、僕は考えるようになっていた。
それならば、村でもっとじっくり聞き込みをして情報を集めたい。それを僕はまだミズキに言えずに、言えるタイミングを見計らう。何か当たり障りない話題から攻めたいものだ。
「アスカの角、凄く立派に生えたよね。最初は小鹿みたいな角だったのに」
そんなことを考えていると、ミズキが僕を見上げていた。
彼女は僕の尻尾も好きだが、角も好きらしい。まるで夏休みに育った朝顔を観察する子供のように、彼女は毎日僕の角の成長を見てはキラキラとした目で感想を述べる。こんな笑顔が作れるのだから、他の人にもその笑顔を向ければいいのにと思う。
「そう?あまり伸びた感じはないけど」
「毎日ぐんぐん伸びてるよ!凄いねえ、いいなあ。私も帽子屋じゃなくて、違う配役だったら何か生えたのかなあ」
僕のぼやきのような返答に、ミズキは少し羨ましそうに笑っていた。
このやりとりも毎日の日課となりつつあるが、飽きないのだろうか。おかげで僕は自分の角の成長具合が鏡がなくとも分かるのだが。
ミズキは動物好きのようだし、自分にも変わった感覚を味わってみたかったのかもしれない。なんて、僕は勝手に結論づけた。
「そう言えば、ミズキのコウモリくん、今日は静かだね」
「夜行性なんだと思うよ」
ミズキの肩から胸にかけて逆さまになってぶら下がっているコウモリを突きながら言うと、彼女はその様子を見ながら静かに笑う。コウモリは相変わらずブローチのようにぶらぶらと揺られていたが、僕に突かれると口を開けて大きな欠伸をした。
ミズキの能力は最初に思っていたよりも万能だった。生命に必要なものを絵の具で絵に起こすと、それらを具現化してくれる。僕らの洋服もミズキの力によって作られたものだった。
小さな生命はもちろん、それらが生きるために必要な食料や道具、服、何でも作れそうではあったが、僕と正反対で武器になるようなものの生成は出来ない。あくまで生活のサポートになるようなものを生み出せる。
そんな彼女のために僕らは画材を一揃い買った。あえて彼女の武器と表現するならば、彼女の武器は筆とパレットだ。おかげで僕らはいつでも大荷物で、僕はリュックサックに彼女の絵具や画材を詰めて運び、彼女は沢山のスケッチブックをショルダーバッグに詰めて歩く。随分と肩が凝るようになった。
重たい肩を回し、首を捻るとゴキゴキと骨が鳴った。それを見たミズキは心配そうに僕の肩を摩った。
「あああ…凄い音が鳴ってる…いつも重たい思いさせてごめんね」
相変わらず、人見知りを除けば僕にどこまでも甘いミズキは顔を青くしてわなわなと震える。オーバーなくらい心配してくれるのもいつものことだ。僕は笑う。
ミズキさえいれば、どこまでも歩いて行けそうだと思っていた万能感こそ当初よりは薄まってしまったが、彼女の労いの言葉は僕にとって1番の薬だ。
なんて事ないよ、と笑い飛ばそうとするが、ふと僕は思いつく。今こそ彼女の優しさに甘えて、宿に泊まることを提案すべきではないだろうか。
「重いのは大丈夫だけど、ちょっと疲れちゃったから、今日くらいは宿に泊まらない?大分暗くなったしさ」
夕暮れにさしかかる空をわざとらしく見上げて見せる。村の向こうにはまた森が続いている。ミズキと一緒に歩いて調べたのだが、その森を越えた先の大きな湖の向こうには町がありそうで、僕らはいつかそこに行くつもりだった。行くにあたって、行先の情報が僕はどうしても欲しい。
もし僕の予想が当たっているのならば、湖の向こう側にはアマネがいるのかもしれないのだ。石橋は叩いて渡りたい。ミズキに怪我など負わせたくないし、殺させたりなど絶対にさせたくない。自衛出来ることは全てするべきだろう。
「…」
僕の提案にミズキは明らかに表情を曇らせる。
「…私はあまり、アスカ以外の人がいるところに長時間いたくないな。怖いし…」
大体想像していた通りの反応で、僕は笑みを浮かべたまま鼻で溜息を吐いた。
あれから四十六時間ずっと彼女の傍にいて分かったことがある。彼女の人見知りは僕の想像を遥かに上回るほどに重度だった。
本当に彼女は僕以外の人間との会話がすごく苦手だった。出来るだけ、声を発さないで済むならそれでいたいタイプ。彼女は自分の意思を口に出すのが苦手で、最初の頃は村で買い物するのさえ僕が代弁していた。そう考えると、今日は自分で買い物が出来ただけ凄い成長だ。
とにかく、彼女はずっと何かに怯えていた。申し訳ない。怖い。この二つの単語がいつも外を歩く時に巨大な壁として立ちはだかる。何がそんなに彼女を追い詰めるのか、とても不思議だが、その恐怖心が彼女を動けなくさせているのは確かなようだった。
「うーん、でも森も危ないかもしれないよ?宿を取れば情報も集まるだろうし、僕も歩くの疲れたし、森まで今から帰らなくてもいいんじゃない?」
「でも、アマネが村に来たらここだって危ないかもよ」
「これだけ散策しても、アマネとはすれ違いすらしてないんだ。もしかしたら、遠くにいるんじゃないかな。ずっと野宿してきたんだし、一回くらい泊まってみない?」
僕の提案が飲み込めないのか、彼女は難しい顔で黙ってしまう。このやりとりは実は初めてではない。いつも僕が折れて、宿に泊まろうとしても野宿に決定していた。
「私また頑張って今日泊まれるお家を描くから、森に戻ろうよ。アスカが欲しい家具があるなら、言ってくれれば全部描く。そしたら、アスカも快適に眠れるでしょ…?」
怯えたように僕を見上げる彼女に、僕は口を曲げて黙ってしまう。
筆とスケッチブックを得た彼女の能力はあまりに万能すぎた。彼女が描きさえすれば、森の中だろうと数時間で一戸建てを建てることが出来てしまう。残念ながら家や一部の家具のような巨大なものの期限は1日のようで、一晩泊まると小物を残して全て消えてしまうのだが、彼女の頑張りさえあればいくらでも野宿は快適になり得た。
僕はおかげでいつも快適な寝床を得ることが出来た。暖かいベッドで眠り、風呂に入ろうと思えばお湯も出て、彼女が描いたご飯が食卓に出てくる。彼女はとても献身的で、僕が願えば何だってしてくれる。心から僕のことを慕っていることは、自分に自信がない僕でも分かるほどに明白だった。
しかも、彼女はこれでもかと僕を甘やかし、惰性を許してくれる。至れり尽くせりの2人だけの楽園とは、まさしく彼女が作った家を指すと僕は思っている。
ただ、弱点を挙げるならば、彼女の意見に沿う限りは他人とのコミュニケーションが絶たれること。甘え続けることで僕自身の成長を止めかねないということだ。
「…あのさ、もう一緒に旅を始めてもう半月になるんだよ。そろそろ村で情報を集めたりもしなきゃいけない。湖の向こうに僕と一緒に渡るんだろう?この世界にあまり詳しくない僕ら二人だけで湖が無事に渡れるとも限らない。今日は宿に泊まって、村の人から情報を聞こうよ」
彼女を見つめて、今度は諭すように言ってみる。それでも、彼女は俯いたまま視線を上げようとしない。怯えたように、困ったように、ただ彼女は視線を泳がせて黙っていた。
最近、僕は彼女と一緒にいて、自分がなりたい自分の理想図が頭の中で作られていくのを感じていた。僕がなりたいのは、イディオットのように自らの足で歩ける、確固たる意思を持つ誠実な大人だ。
ミズキや誰かを守れる勇気と強さが欲しくなった。イディオットほど厳格にはなれないだろうが、その分だけ優しくありたい。ミズキにもらった優しさを、ミズキに返したい。
そうなれるよう、成長しながら彼女とこの世界を歩いて行くならば、僕はまずジャッジに会いたいし、この世界の情報を集めたい。
大元の気持ちを辿れば、僕はミズキを支えたいだけなのだ。そのはずなのに、僕が外へ行こうとするほどミズキと意見がすれ違う機会が増えた。僕にはどこまでも甘くて優しいミズキなのに、何故かそれだけは良しとしてくれなかった。
でも、守りたいのだ。彼女に笑っていて欲しい。それに、僕は2人だけの楽園が欲しいのではない。その先にある、2人が生き生きと歩んでいける未来が欲しいのだ。だから、ここで意見を曲げる訳にはいかないと思った。
厳しさだって愛だろう。甘やかしてばかりいられない。その考えが本当に正しいのか、僕は自分の中できちんと吟味もせずにそう自分に言い聞かせた。
「ミズキだって、毎回家を描くのは大変じゃないか。寝不足で最近よく日中に居眠りをしてしまうし、やっぱり一回くらいはゆっくり宿に泊まって寝ようよ」
「寝不足じゃないよ…私は短い睡眠時間でも結構動けるし…」
「そんなことないよ。僕だって毎回ミズキに家を描いてもらってる間、ずっと見ているだけは心苦しい。情報収集するのがどうしても嫌なら、部屋で一人で寝ててもいいからさ。僕に情報集める機会をくれないかな?」
彼女の手を優しくとり、彼女にほほ笑みかけるが、ミズキはまるで石像になってしまったように動かなくなる。
いつも僕に不自由させないように、ミズキが頑張ってくれているのを僕はよく知っている。僕が宿に泊まろうと提案するたびに、僕にもっと良い家を提供しようと、どんどん家が豪華になった。豪華になるほど、彼女の負担は増えて、彼女はどんどん寝不足になっていく。
いや、多分寝不足だけじゃないのだ。能力を使う疲労からか、彼女は地図を描くために各地を歩き回っている途中で突然倒れる時があるのだ。それは気絶ではない。いつも倒れた彼女はぐっすりと眠っている。揺すっても起きないから、結局僕が彼女を背負って運ぶ。重たい画材に彼女の体重を足すと、それはかなりの重量だ。どう考えても旅の効率を落としていた。
ミズキと僕は間違いなくお互いを想いあっているのに、想いの方向が違うのだ。
「僕が現実に帰りたい話はしたよね。ミズキも一緒にできる範囲で頑張るって言ってくれた。できる範囲でいいんだ、少しだけ協力してくれないか?」
すっかり動きを止めてしまったミズキに僕は務めて優しく食い下がる。ミズキは不服そうに口を曲げたまま僕を見て、静かに頷く。
「…泊まるだけなら…ワガママ言ってごめんなさい…」
「謝らないで。僕の意見を聞いてくれてありがとう」
不安に揺れる水色の瞳に微笑みかけるが、ミズキはまた黙って俯いてしまった。
すっかり肩を落としてしまった彼女と手をつないだまま村を歩く。一度こうなってしまうと、彼女はしばらく言葉を話さない。
困ったな。僕は彼女の機嫌をとる方法を考える。これも何度目か分からない。もう大分慣れてしまった。
やっぱり機嫌をとらなきゃ上手くやれないのかな。悲しい気持ちもあるが、僕は随分と彼女に甘えてきてしまった過去がある。過去の分、恩返しだと思えばご機嫌とりくらいするのが当たり前なのかもしれない。
「ねえ、ミズキはどうして僕以外の人が苦手なの?」
あくまで明るく、隣で黙り込む彼女に尋ねる。彼女は僕をチラと見ると、すぐにまた視線を落とした。
「…分かんない。怖い。何話したらいいか分からないし、何か言われるかもしれない…」
「話してみなきゃ分からないよ。みんなそんなに怖くないよ」
「私なんかと話しててもみんな楽しくないし、きっと嫌な思いをさせる…」
呟くように話す彼女に僕は首を傾げる。何故そこまで自分に卑屈になるのだろう。
「そんなことないよ。ミズキが話すことは面白いし、絵も上手だし、凄い力を持ってるじゃないか」
「優しいね。そんなこと言ってくれるのはアスカだけだよ」
思ったままのことを伝えるが、ミズキは相変わらず俯いたままだ。
なんとなくミズキが考えていることは分かる。彼女も自分が本当に嫌いなのだ。ミズキがミズキ自身を好きになれないから、僕の誉め言葉も受け取って貰えない。僕は本当のことを言っているのに、ミズキにとってはお世辞や社交辞令のように聞こえるのだろう。僕がそうであったように、何を言われても彼女は本当のこととして受け取れないのだ。
ミズキとこの世界に来たばかりの時の僕とは、悪い意味でもそっくりだった。それこそ鏡でも見ているよう。だから、彼女の気持ちが手に取るように分かる。分かるからこそ、支えてあげたかった。
僕はずっと母に否定されて生きてきた。愛していると言いながら、僕を生んだことを後悔する母の愛が僕はずっと信じられなくて、誰からも必要とされていない気がした。
必要とされていない気がしたから、嫌いな男性が自分の腰に手を回しても払いのけられないし、誰にも意見が出来なかった。自分みたいな奴が何かを意見することで場の空気を悪くすれば、すぐに輪から出されてしまうと思っていた。
ミズキの純粋で含みのない、まっすぐな誉め言葉が僕はとても嬉しくて、幾度となく僕を励ましてくれた。イディオットの集落での出来事を嘘偽りなく話した時も彼女は僕を凄いと言ってくれたし、恰好いいとも言ってくれた。あんなに情けない僕ですら、彼女は肯定してくれたのだ。
それに、僕の汚い感情を含めて話せば、僕がいないと何も出来ないミズキは時に面倒に感じるのに、自分を必要としてくれているようで満更でもない自分がいた。僕の幼い虚栄心は、そんな歪な形ですら彼女に満たされているのを感じていたのだ。
「もっとミズキは自分が話したいことを素直に口に出していいんだよ。僕も思ってたことを話しちゃいけないと思っていたけど、白兎や三月兎みたいに話して伝わる人もいる。もっと自信を持って!」
明るく励ますと、ミズキは少し気を取り直したのか僕とようやく目を合わせたが、すぐに目を逸らして口元だけで小さく微笑んだ。
彼女が自分を愛せないなら、僕がしてもらったように僕が彼女に目一杯の愛情を注がなくては。彼女が彼女を認められるようになるまで、僕は彼女に好意を伝え、励ますべきだろう。
暗くなる村を歩いて、僕らは小さな宿屋に入った。木製の扉を開くと、扉についたベルがガランガランと賑やかな音を立てる。音に驚いたコウモリがビクリと飛び立ち、バサバサと羽音を立てながら僕とミズキの周囲を舞った。
「いらっしゃ…おお!あなた方は噂に聞いていたジャバウォックと帽子屋さんですね!」
カウンターにいた男性の店主が僕らの顔を見て目を開く。まるで有名人に出会ったように彼は口を開けて笑うと、両腕を広げて僕らを歓迎する。
「今晩、部屋をお借りできますか?」
「もちろん!お代はどうしましょうか。今、小麦が足りないので、小麦があると嬉しいのですが、他の食物でも構いませんよ!」
店主の言葉に僕は顎に手を当てる。小麦はさすがに持っていない。今、リュックに詰まっているのはフルーツ類や山菜、川で取って日干しにした魚のような何かくらいだ。
「…一晩泊めていただけるなら、小麦をお渡しできます」
僕が悩んでいると、ミズキがか細い声で答えた。思わず僕は彼女に振り返ると、彼女は僕を見て静かに頷いた。
「どれくらい必要ですか?」
「ありがたい!パンがオーブンいっぱいに焼けるくらいの量があればとても助かりますが、その半分でも十分…」
「大丈夫です。用意します」
店主の言葉が終わるより先にミズキは地面に視線を落としたまま答えた。ミズキにしては強い物言いは、なんだか意地を張っているようにも聞こえる。
恐らく、描いて渡す気なのだろう。しかし、今回は情報収集を主軸にしているとは言え、僕の中では彼女に十分な休養を与えるのも大きな目的だ。結局それで体力を使ってしまうなら、それは両手を上げて賛成と言うには難しかった。
「いいんだよ、無理しないで。フルーツとかなら沢山あるしさ」
こしょこしょとミズキに耳打ちするが、彼女は僕に振り返らずに頷く。
「大丈夫。家を描くより簡単だから」
ミズキの横顔を見ながら僕は黙る。この能力に関しては、僕は何も口出しできない。彼女が大丈夫と言うなら、無理にやめろとも言えないし、僕には小麦を出す力はない。
出来る範囲で協力してくれれば構わないと伝えたつもりだが、いきなり彼女に無理を強いてしまったようで、僕はハラハラしてしまう。本当に無理していないだろうか。
「それなら、一番良いお部屋を用意しますね!どうぞこちらへ!」
すっかり上機嫌になってしまった店主が僕らを宿の奥へと招く。僕は少し悩んでからそれに続く。ミズキはその後に続いた。
「しかし、ジャバウォックが自らこの村に来て、宿を取るなんて奇妙な話ですねえ」
通路を歩きながら、店主が感嘆する。
ジャバウォックが村に来ることがそんなに変だろうか。僕は首を傾げる。
「そんな奇妙なことですか?」
「奇妙も奇妙ですよ!だって、この村はジャバウォックの宿敵の村人が、あなたの首を持って凱旋する舞台なんですから」
あなたの首を持って凱旋…とんでもない言葉に僕は目を丸くする。
ジャバウォックの宿敵である村人と言えば、アマネだ。ジャッジがアマネはジャバウォックを何人も殺したが、彼は一回も凱旋していないと話していた。ここがその村だとは思わなかった。
「アマネはここに住んでるんですか…?」
恐る恐る尋ねると、店主は大きな声で笑いながら手を横に振った。
「まさかまさか!彼は今や眠り鼠の城の住民です。こんな陳家な村に帰ったりはしきませんし、我々も彼が帰ってきたらおちおち眠っていられませんよ!最も、あの村人の配役には父親役が不可欠なので、父親の配役が補充されると一度だけ帰ってきますがね」
彼の言葉に僕はジャバウォックの詩を思い返す。しかし、残念ながら僕はジャバウォックの詩を暗唱できるほど不思議の国のアリスに詳しくはない。ジャバウォックを狩る村人の父親なんて、そんなコアなポジションがあることすら今しがた知らなかった。
「村人の父親って配役になるほど重要なんですか?」
「重要ですよ!なんせ、息子に剣を持たせてジャバウォックの元へ送り出すのは父親ですからね。彼がいなければ、あの詩は始まりません」
そう話す店主の声色は、どことなくほの暗い。
初めてアマネに出会ったときに彼が暗唱していた詩を思い出す。たしかにヴォーパルの剣を手に取って、と謡ってはいたが、それならアマネの父親役の人は何をしているのだろう。
「父親の配役の人は今どこに…?」
「補充された日に死にますよ。アマネが殺しに来ますから」
店主は振り返らない。僕の脳味噌が硬直する。ミズキを見ると、彼女は心配そうな顔で僕を見つめていた。
「村人の配役はジャバウォックを殺すのを目的としますが、彼はねえ…ジャバウォックより父親役が嫌いなんじゃないですかね。単純に殺すのが簡単っていうのもあるかもしれませんが、父親役が補充されるたびに我々の村は戦慄しますよ。誰も家から一歩も出ず、戸締りをして、この世界に来たばかりで何も知らない父親役が死ぬのを待つんです。そうするしか、生き残る術はありませんから」
店主が立ち止まる。それに合わせて僕らも立ち止まる。目の前には扉があった。
「ここをお使い下さい。まあ、父親役はそうすぐに補充されないので安心してください。我々もアマネよりあなた方のほうが良識あることもよく知っています。たとえアマネが来ても、わざわざ近づいて密告したりはしませんから」
わざとらしいくらい明るく店主は言うと、鍵を僕とミズキに一個ずつ手渡す。
「ごゆっくり!」
笑顔の彼に会釈をする。去っていく店主の背中を見送り、僕とミズキは部屋へと入った。
さすが一番良い部屋と言っていただけあって広々としている。二つのシングルベッドに書き物机、ソファにダイニングテーブルが置かれている。
部屋を見回している僕にミズキが服の裾を引っ張った。振り返ると、頭にコウモリを乗せた彼女が僕を不安そうな顔で見つめていた。
「ねえ、やっぱり帰ろうよ。アマネがよく来る場所なんでしょ?良くないよ」
「うーん…」
こればかりは僕もミズキの意見には頷ける。ミズキは僕の前に回り込むと、僕の手をとって僕の顔を覗き込む。普段は僕がミズキにやっているそれだ。
「アスカは現実に帰るって言ってたよね。死んじゃったら帰れないよ!私、頑張って小麦を今から描いて出すから、今からでも森に帰ろう?」
「でも…ここに来なかったら、さっきの情報も聞けなかった。今日は確実にアマネがいない。それなら今日だけ頑張って情報集めて、もうここに来ないようにしよう。それでどうだろう?」
ここにアマネがいたということは、彼のルーツも聞けるかもしれない。そう思うと、せっかく宿を取ったのに出て行くのも勿体ない。もう小麦はどのみち支払わなければいけないだろう。それならミズキをタダ働きさせてしまうだけだ。
いつかは知らなくてはいけない情報だってあるかもしれない。怖がって避けてばかりいたら、得られないものもある。
僕の言葉にミズキはまた肩を落とす。彼女の帽子の上に乗ったコウモリはじっと僕を見つめていた。
「…本当に今日だけ?」
「本当に!僕だって死にたくないよ!」
僕が笑って答えると、彼女は少し安心したように微笑んだ。
「…わかった!アスカがそう言うことなら、私も頑張る!」
ミズキは持ってきたショルダーを書き物机の上に置く。ショルダーから沢山のスケッチブックを取り出すと、それらをバラバラと広げた。
「いつも重たい荷物、背負わせてごめんなさい。パレットと筆、出してもらってもいいかな?」
「もう描き始めるの?少し休んだら?」
今までずっと歩いていて疲れているだろうに。それでも、小麦はいつか彼女に描いてもらわなくてはいけないので強くは止められない。こういう時、僕は本当に無力だ。
ベッドの上に僕がリュックをおろすと、彼女はリュックを漁った。
「大丈夫!ちょっと多めに小麦描いて、それを代金に情報を貰おうよ。宿にいる人たちに配ってもいいし。賄賂は多いほうが有益な情報を得られるでしょ?」
パレットと筆を手に、彼女がニヤリと僕に笑う。
ミズキは引っ込み思案だが、やると決めるとフットワークが軽くて男気がある。僕はそんな彼女が好きだった。
「いつも本当にありがとう。ミズキがいてくれたから、ここまで来れたよ」
「こちらこそ!」
お礼を述べると、彼女は書き物机に向かいながら口元に笑みを浮かべた。
「あのね、アスカの武器でいろいろ考えてたんだけど、今使っているのは傘と剣でしょ?傘は銃や盾に使えるけど、三月兎さんの短剣ってまだまだ使い道が定まってないから、まずは形状を定めた方がいいと思うんだ。私、アスカには死神とかが持ってる大鎌とか似合いそうって思うけど…あーでも、一周回って大剣とかも恰好いいなあ。背丈くらいあるやつ!悩ましいなあ」
サラサラとスケッチブックに絵を描き起こしながら、不意にミズキが饒舌に喋りだす。彼女はいつも何かをひらめくとよく喋る。絵を描いているときは特にだ。
でも、同じ絵を描いた経験がある身からするとちょっと分かる。絵を描いている時に使う脳味噌は、喋る脳味噌と別にあると思う。絵を描いてると案外口が暇なのだ。それはもしかしたら、僕らだけかもしれないが。
「鎌って柄かなあ?でも、大剣はちょっとロマンある。自分が二次元キャラクターだったら持ってただろうなあ」
彼女の提案に笑いながら僕は答える。
そう、大剣は僕も前に視野に入れたことがある。試してみたのだが、これが夢の中だというのに重いのだ。とてもじゃないが、ブンブンと振り回せた代物ではない。
「じゃあ大剣にしようよ!背丈くらいあるやつ!」
「でも重たいんだよ。すっごく重い。素振りしたら5回で限界。背丈なんてとんでもないよ」
「じゃあ軽くしちゃう?」
ミズキが当たり前のように言い放つ。まるで合コンで女の子をカラオケに誘う、軽い男の子のようなノリでミズキが手を叩いて笑う。宿に来るまでの落ち込みようが嘘みたいだ。
「大剣が絶対重いわけじゃないでしょ?羽のように軽くて、触れただけで何でも切れちゃうような大剣もあるかも!アスカならきっと格好いいやつ作れるよ!」
彼女が並べる言葉の羅列に僕はただ目を瞬かせる。
考えたことがなかった。剣と言われれば、僕の中では重たくて扱いにくい戦士の武器だ。創作物として考えた時に、僕はリアリティのある重厚な武器を好むが、別に僕の武器は想像した物がそのまま武器になるのだから、自分が扱えないなら軽いものを作ればいい。
目から鱗とはこのことだ。
「考えたことなかった…ミズキはやっぱり凄いね!目の付け所が全然違うや」
「ええ…むしろ、そんな重みのあるリアルな物を想像して作れちゃうアスカの方が私は凄いと思うけどなあ」
感心する僕を一瞥し、ミズキは不思議そうに笑った。
「私が描く絵ってなんて言うか…線が少ないでしょ?線を増やすと変になっちゃう。コウモリくんもこれだもん。なんかずんぐりむっくりしてて、お餅みたい」
ミズキの帽子のツバから逆さまになっていたコウモリは、彼女の言葉を知ってか知らずか不服そうに鳴く。確かに彼女が最初に生み出したこのコウモリは丸くてモチモチしていて、それこそお餅みたいではあるが、僕には作れないキュートさがあると思う。
「僕は好きだよ?触ってて気持ちいいし」
「えー」
クスクスとミズキが笑う。それとほぼ同時にコウモリは彼女の帽子から飛び立つと、まるで何かを訴えるように僕の前でアイドリングする。
両手を皿にして寄せると、コウモリは手の平に降り立つ。相変わらずもちもちフワフワなリアリティのない触り心地が気持ちいい。
「私はアスカみたいにリアルなものがわかる人って凄く憧れる。リアルなのに、あんな花火みたいな弾丸作れちゃうんだもん」
パレットに広げられた黄色に筆を浸し、ミズキは画用紙に小麦の穂を描いていく。出来上がったそれは画用紙から飛び出すように立体化し、具現化する。
リアルかと言われたら、確かに写実的ではない。絵本から飛び出してきたような可愛いらしい小麦の束を手に、ミズキは首を斜めに傾げる。
「…手抜きすぎ?でも、量産したいしなあ」
「調理すれば一緒一緒!」
僕に同意するようにコウモリも手の上でキーキーと鳴く。描いて貰えるだけ、生み出してもらえるだけ奇跡だ。手が抜けるならいくらでも抜いて欲しい。
ミズキの絵はデフォルメのものが多かったので、今まで生み出してきたものもほとんど絵本のような絵柄で構成されている。でも、一度具現化してしまえばちゃんと立体になるし、食べ物に関しての味は現物通り、むしろミズキの気持ち次第では現物より美味しかったりもする。
服だけはミズキは試行錯誤していた。どうにもリアリティがなくて嫌だと言うので、服に関しては下描きを僕がしてミズキが清書するという合作だ。彼女はいたく気に入ってくれて、今では一張羅と化している。
機嫌よく小麦を描き下ろし、生み出していくミズキは生き生きしていて可愛い。いつもそんな風ににこにこしていればいいのにと、常々思う。
「ミズキは人より沢山働くよね。僕より想像力が豊かで、面白いことも沢山話せるし、能力だってずば抜けて万能だ。それなのに、どうしてそんなに自信がないの?」
僕が人のことを言えたものではないが、彼女はこれだけ魅力的なのにどうしてここまで僕以外の人に怯えているのか分からなかった。考えてもみればまだそれほど長い時間ではないとは言え、おはようからおやすみまでずっと一緒に寝食を共にしているのに、僕ときたら自分の話ばかりしていて、彼女のバックグラウンドを何も聞けずにいた。
ミズキをこの先も支えていくなら詳しい彼女の背景を知っておきたい。口下手な彼女はきっと、僕が聞き出さない限り、自ら話してくれる日はそうそう来ないだろう。
彼女は僕の質問に考えるように上を向き、筆の尻で自分の顎をつついた。
「…私、あんまり現実について詳しく覚えてないの。ただ、なんか嫌だったなあっていう感覚みたいなのだけが残ってて…」
ポツポツと彼女は筆を進めながら話してくれた。
ミズキは小さい頃から人見知りをする子で、幸か不幸かそれを許してくれるご両親だったという。誰かを介さずに会話をすることを知らずに入学した学校で、1人で友達を作るのは困難を極めるのは想像に易い。
高校に入って一緒に絵をかける友達が出来たと言う。彼はクラスの人気者で、いわゆるヒエラルキー上位の男の子だったと言う。顔も思い出せないらしく、名前も分からないらしいが、起きた事象だけをぼんやりと覚えているらしい。
「作品を作るのを手伝ってって言われて…でも、それが完成した時に彼は『自分1人で作った』って周囲に話したような気がしてて…凄く腹が立った気がする」
唯一出来た大事な友達。頑張って身を尽くしたのに、手柄は全てその友人の物になってしまったそうだ。
「インフルエンザで寝込んでるのに、早く絵を仕上げろって言うの。だから頑張って描いたんだけどなあ…」
ミズキはそこまで話して苦笑いする。それはどっからどう見ても、都合よく使われているようにしか見えない。それでも、自分を受け入れてくれてるんだと感じる相手に没入してしまう気持ちも分かる。それだけ、ミズキは寂しかったのだろう。
僕がずっと母に自分を受け入れて欲しくて、媚び続けた姿に被って見えた。
「ある時、限界がきて全部やめようと思ったの。でも、そこから何をしようとしたのかは、よく覚えてないんだ」
彼女は特に暗い口調ではなく、努めて明るく話してくれた。過去の話だし、と言いたげに笑う彼女の傷はそれでも大きいのではないかと思う。
話を聞いていて、なんとなくミズキがそんな状況になった理由も僕には分かるような気がしていた。僕が実際に彼女と接する側だからかもしれない。
ミズキは大事に思う人にひたすら尽くすのだ。1つお願いすれば即時に取り掛かり、3つお願いして時間がかかるなら5つを返す。今は大丈夫だよと伝えても、今までに提供したものより良いものを提供しようとする。
それは人によっては凄く都合の良い存在だろう。自分のために何でもしてくれて、蔑ろにしたって尽くしてくれる。面倒になってきたら捨てれば良いだけ。
「私も見返りが欲しい人間だから、やっぱり何か返ってこないと嫌になっちゃうのかな。アスカは一緒に遊んでくれて、私が駄々こねても一緒に考えてくれる。だから安心する」
屈託ない笑顔で彼女が笑う。
彼女が求める見返りは、恐らく愛情だ。誰かに必要とされて、そこに居場所があること。その大きな基盤が僕であることを、薄々僕自身も分かっていた。
僕が彼女に必要とされていることをどんな歪な形であろうと喜びに感じてしまうのと同じだろう。僕がべったりとミズキに甘えること、彼女が居ないと不安になってしまうような不安定な僕の状況が、彼女の承認欲求を満たしている。だから、彼女はどんなに僕が無能であろうと許してくれたのだ。
僕らの間には間違いなく友愛はある。それでも、あえてそれを除いて考えるならば、お互いに歪な利害関係が僕らを結んでいた。
そんな関係を僕は改善していきたい。だって、不健全だろう。こんなこと長続きするわけがない。
彼女の伏し目がちな瞳から視線を逸らす。彼女の表情を見ていると、時折無性に不安になった。恐怖かもしれない。その正体不明の恐怖を感じながら、僕は知らんぷりをする。
「ありがとう、これからも一緒に頑張ろうね」
僕は目を逸らしたまま笑った。
共依存なのかもしれない。共依存なんだろうと思う。これだけ彼女がいて行動範囲は狭まるのに、彼女が傍にいてくれないと僕は震えるほど怖い。僕は虚勢を張って、彼女の前では自分が少し立派になったように見せかけているだけだ。
僕はそれを脱したい。そんな自分ではいたくない。
互いに自分の足で歩いて、互いに自由を尊重し、互いの自立を心から喜べるようになりたい。ミズキを本当に愛すると言うのは、そういう関係を作ることではないだろうかと考えていた。
「よーし、出来た!」
大量の小麦束を前にミズキが声を上げる。絵本のような可愛いらしいそれは、彼女が持ち上げるとプルンプルンと揺れる。随分と弾力のある小麦だ。
「凄い、早かったね!ありがとう!」
「いーえ!あまり夜遅くなる前に配りに行っちゃおうよ!」
書き物机に散乱する小麦をかき集め、両腕に抱えると、ミズキも一緒に小麦を抱えて笑った。
コウモリは出かける気配を察してか、ミズキの帽子のツバに止まる。いつものように逆さまにぶら下がると、彼も準備万端と言いたげに鳴いた。
僕らは部屋を出て、念の為、部屋に渡された鍵で鍵を閉めた。まず最初に店主に約束通りの小麦を渡すと、彼は両手を合わせて深々と頭を下げた。
彼の話によると、最近小麦畑にイナゴが襲来したらしく、食い荒らされてしまって小麦に難儀しているとのことだった。とは言え、森に出ればいくらでも食料はあるので、飢饉のような危機感よりも一部の贅沢が封じられた程度のものらしい。
「これなら賄賂に良さそうだねえ」
先ほどミズキが言っていた言葉を借りて僕がニヤリと笑うと、ミズキも一緒になって悪戯っぽく笑う。
宿に併設された酒場へと入る。酒場には上品そうな人間から酔いつぶれている者まで様々な者がおり、それを見たミズキは少し不安そうに後ずさる。
「大丈夫、話は僕がするから隣で見てて。無理そうならいつでも言ってくれていいからね」
無理のない範囲の協力で構わない。構わないが、せっかくミズキが自ら進んで一緒に来てくれたのだから、共に情報を聞いておいて欲しかった。同じ情報だとしても、受け取り手によって印象は変わるし、着眼点も変わる。僕にはない視点を持つミズキなら、もしかしたら僕には分からない情報を得られる可能性もあるだろう。
手始めに入口のすぐ脇でワインをたしなむ女性の傍へと向かう。
「こんばんは、旅の者なのですが少しお話を伺っても良いですか?」
彼女は僕らに気付いて顔を上げると、興味深そうに微笑んだ。
「あら、ジャバウォックさんと帽子屋さんね。村での噂はかねがね」
そんなに噂になっているのかと、彼女の言葉に改めて感心してしまう。
「そんなに僕らって目立ちますかね?」
「目立つわよー、配役持ちが一緒に行動することってあまりないもの。アマネや眠り鼠も仲間だけど、ニコイチではないし、双子は…二人でワンセットみたいな配役だから」
よかったらどうぞと彼女は目の前の空いた席を指さす。木製のスツールがちょうど二つあったので、僕は奥にミズキを座らせ、その隣に座った。
先ほどまでの威勢はどこへやら、すっかり身を縮こまらせて黙り込むミズキの膝を軽く手で叩いて励ます。すると、彼女は何も言わずにそれを握った。手がひんやりとしていて、緊張しているのが分かった。
「この村ってアマネの出身地なんですか?」
僕が尋ねると、女性は困ったように笑いながら首を傾げた。
「うーん…まあ、そうねえ。村人の配役が最初に配置される場所っていう方が正しいかしら。アマネは父親役の家に、ある日突然現れたの。まあ、突然じゃない人なんかこの世界にいないけれど」
彼女はワインを一口、口に含むと口の中で転がすように味わう。
「アマネが来たばかりの時は平和だったのよ。彼は今から想像もつかないほどに常に何かに怯えていて、来たときから泣いてばかりいたわ。それはもう可哀想になるくらいね。挨拶よりもごめんなさいを言う子で、人に触れられるだけで嘔吐するほどだったから、よほど何か酷い目にあったんだろうと村のみんなは話していたわ」
僕はミズキと顔を見合わせる。女性の口から語られるアマネは僕が知っているアマネとは随分と違っていて、同時にミズキは僕から聞いたアマネとはかけ離れていると思ったのだろう。
「当時の父親役の人はアマネのことを甲斐甲斐しく面倒を見ていたわ。だから、次第にアマネは落ち着いてきたのだけど、ある日を境によく笑うようになったの」
「それは、嬉しいとかそういう…?」
「そういう感じじゃないわ。嘲笑の方が近いかしら…息を漏らすように笑うのよ。それから彼はよく物を壊すようになって、動物を殺すようになって…父親を殺してこの村を出て行ったの」
息を漏らすように笑う、その表現は前回のアマネの襲来をありありと思い出させる。アマネの嘲笑のような、溜息のような笑い方はとても独特だ。笑っているのに、何も楽しくなさそうなのだ。
女性は深くため息を吐く。それはこの宿屋の店主と同じ、やりきれないような諦めを含んでいた。
「アマネはこの村を出て行った後、湖の向こうの町で沢山の人を殺して回ったそうね。眠り鼠の城の兵士たちが事情聴取に来たことが何度もあったわ。アマネはとても強くて、眠り鼠は大勢の兵士の命と引換に彼を捕縛したそうよ」
「捕縛出来たんだ…」
「今ほど怪物じゃなかったんじゃない?」
思わず漏れた僕の本音に女性はクスクスと笑った。
「と、言うことは湖の向こうは眠り鼠の城がある町なんですか?」
脱線してしまった話題を戻そうと、改めて尋ねると女性は柔和な笑みで頷いた。
「ええ、そうよ。私は行ったことがないから詳しくは知らないけれど…あそこで飲んだくれてるお爺さんに尋ねてみればいいわ。彼は漁師でよく湖に行くし、湖の向こうのことも詳しいと思うわ。いつもお酒が入ってるから、話すの難しいけどね」
肩をすくめる女性の視線の先を追うと、そこにはカウンターに突っ伏して眠りこけている老人がいる。酒場を掃除する店員はいるものの、もはやあの老人の面倒を見る気はないらしく、誰も近寄ろうとしない時点でなんだか嫌な予感はする。
「ありがとうございます、聞いてみます」
僕が席を立ち上がり、女性に会釈をすると、ミズキも一緒に立ち上がって僕の隣に並んだ。
「あの…これ…」
ミズキがか細い声で手に持った小麦束を一つ、女性に差し出す。女性はミズキの言葉が聞こえていなかったのか、不思議そうに首を傾げる。
がんばれ!もっと声を出すんだ!心の中で僕はミズキにエールを送る。彼女が自分から進んで他人に話しかけるのは、僕が見ている中では初めての出来事だった。コウモリも僕と同じ気持ちなのか、帽子のツバにぶら下がったままキーと応援するように鳴く。
「あっ、えっ、その…沢山お話聞かせてもらったので…この村、今とても小麦に困ってるって聞いたのでお礼に…」
「あら…」
女性はプルンプルンと動く弾力ある小麦束を手に取り、柔らかく微笑んだ。
「可愛らしい小麦ね。噂の帽子屋さんの小麦が手に入るなんて光栄よ、ありがとう」
お礼を言われたミズキは照れたように目線を泳がせると、小さく頷きながら僕の背中に隠れる。こういうのを見ていると、なんだか微笑ましくて、僕はお父さんのような気持ちでミズキを見守ってしまう。
「ありがとうございました、また」
「ええ、良い旅を」
再度お礼を言うと、女性はワインを片手にひらひらと手を振った。
背中に隠れたままのミズキの手を引いて、女性に言われた老人の元へと向かう。
「やれば出来るじゃん」
「へへ…」
途中で僕がミズキに耳打ちすると、彼女はまた照れたようにもじもじと指先をこねながら笑った。
ミズキはこういうところが凄く素直でいい子なのだ。本当なら今すぐミズキを抱きしめて褒め散らかしたいところだが、人目があるので僕はそれをグッと堪えて次のターゲットに向かう。
ただ、次の老人はちょっと癖が強そうで、彼女に関わらせるのは正直なところ心配だ。
僕は眠れる老人の隣のカウンター席の腰を下ろす。ミズキには僕の隣に座るよう、隣の椅子を手で叩いて示す。彼女は何も言わずにそれに従った。
「すみません」
老人に声を掛けるが、老人は目を覚まさない。ごーごーといびきをかいていて、すでに酒の匂いが漂っていたので、すでに大量のアルコールを摂取しているのは言われるまでもなく分かった。
「すみません、ちょっとお伺いしたいのですが」
再度声を掛けるが、やはり眠り続けている。控え目に肩を揺すってみると、彼は突然起き上がるや否や僕の手を勢いよく手で払い落した。
「っああ!?なんだあ!?こっちは気持ちよく寝てんのによ!」
真っ赤な顔でいきなり怒鳴り散らす老人に、僕の隣のミズキがビクリと身を竦めて視線を逸らす。僕は彼女を背中で隠すようにしながら、苦笑いした。
ここまで最初から機嫌が悪いと、機嫌をとろうという気にもなれない。
「あっ、えっと起こしてすみません。ちょっとお伺いしたい話が…」
「はあ?なんでお前と話さなきゃなんねえんだよ!しかもその声、女かと思ったら男かよ…野郎に用はねえんだよ」
ぶつくさと文句を言いながら、再び眠ろうとする彼に僕は素早く隣のミズキから小麦を貰い、彼に差し出す。
「情報料に小麦を差し上げます。あの大きな湖の向こうの情報を聞きたいんです。あなたが詳しいとお伺いしました」
彼が眠る前に早口に伝えると、彼は再びカウンターで横にしようとしていた身体をゆっくりと起こし、濁った目で僕と小麦を見比べた。
「…何が聞きてえんだ」
ミズキが賄賂用に多く小麦を作っておいてくれて良かった。それを彼に差し出すと、いそいそと老人はそれを受け取って座り直した。
「湖の向こうってどうなっているんですか?」
「どうも何も、眠り鼠の城と城下町があるだけだよ。あそこは治安がいいようで悪い。なんたってアマネが住んでるからな。お前も用がないなら下手に近寄らないほうがいいぜ」
僕の質問に答えながら、老人は小麦の量を確かめるように手で握ったり、房をまくったりする。
「アマネが来る前までは良い町だったよ。俺も引っ越しを考えていたくらいだ。でも、アマネがこの村に来て、あの町に行ってからは地獄みてえな場所になった。大勢がアイツに殺されて、一時期は血の海だった。俺はそれから、あの町に行かなくなったよ」
ぽつぽつと男は語ると、小さく悪態をついた。
「俺のとこの双子はあの町に行って帰ってこねえしさ…」
双子、という単語に僕は首を傾げる。
僕が森で出会った双子の名前…たしかメベーラとドゥエルだったか。うろ覚えではあるが、イディオットは二人にはディートルダムとディートルディーの配役があると言っていたはずだ。
ディートルダムとディートルディーも不思議の国のアリスの中で出てくる配役として比較的有名な存在だ。アリスにカキとセイウチの詩を披露する、仲の悪い双子の兄弟だ。僕の認識が間違っていなければ、あの双子はその配役に位置するのだろう。
「…その双子ってメベーラとドゥエルですか?」
「なんだ、お前知ってんのか」
男は僕の言葉に眉をしかめると、ふんと鼻を鳴らした。
「そうだよ、アイツらは俺が養ってたんだ。アイツらは城下町が好きで、漁に行くついでによく連れてってやったんだ。そんな折にアマネがこの村にやってきて、父親役を殺して城下町へ。アマネが城下町で大暴れしてるなんて知らず、俺はあの双子を連れて城下町へ行ってしまった。双子とはぐれたのは、あの騒動の時だよ」
先ほどの女性もアマネは城下町で大勢を殺したと話していたが、どうやらこの老人はその光景を目で見てきたうちの一人らしい。そこまで話すと、老人は不意に思い出したように笑った。
「しっかしまあ、アマネの処刑は凄かったぞ。一周回ってイリュージョンだった」
「アマネの処刑?アマネが誰かを処刑したんですか?」
ジャッジからアマネは今現在、眠り鼠の元で死刑執行人として雇われている話は聞いていたが、ちゃんと仕事をしているとは正直思っていなかった。
身を乗り出して尋ねる僕に、男は馬鹿にするように鼻で笑った。
「違う違う、アマネが処刑されたんだよ。ギロチンに電気椅子、絞首刑と…銃殺刑だったか。アイツ一人を4回くらい眠り鼠は処刑したんじゃなかったか」
老人の言葉の意味は分からず、僕はミズキを見る。彼女もよく分からないようで首を傾げていた。
「…どれも確実に死ぬと思いますけど…」
「死なねえからアマネは化け物なんだよ。ギロチンで首を吹っ飛ばしたって、身体だけで歩きやがる。電気椅子にかけたって、肉が焦げるだけで生きてる。電気椅子から無理やり脱出したアイツは自分の頭を首に乗せてさ…すると頭と首がくっつくんだ。信じられねえだろ」
男の言うことは信じられず、僕は思わず黙ってしまう。彼は僕の反応を面白がるように話を続けた。
「首がくっついたアイツをまた兵士が捕縛して、今度は絞首台に。縄にくくってぶら下げてみるが、首の骨が外れた分、首がちょっと伸びるだけでアイツはやっぱり死なない。それならハチの巣にしたらどうだって銃で滅多撃ちにしたが、アマネはその最中で自分の首の位置を直して笑ってたよ。結局、処刑を試みた眠り鼠が折れたのさ」
老人から語られる話はまるで絵空事のようだ。いや、そもそもこの世界は夢なのだから、それくらいあってもおかしくないのかもしれない。
「それからアマネは結局どうなったんですか?」
「さあな?俺もそこまで知らんよ。双子もどこに行ったのか分からん。湖を渡れば顔くらい見せられるはずなのに、村に寄り付きもしないでよお。あの恩知らずどもめ」
ぶつくさと文句を言いながら、男は小麦を手に立ち上がる。
「船で渡るとすれば、どれくらいかかりますか?」
「半日もありゃあ渡れるよ。俺はもう二度と行かねえけどな」
立ち上がった老人の視線が不意に僕の背後へ流れる。嫌な予感がして僕はそれとなく背中でミズキを隠そうとするが、彼は目を丸くして笑った。
「おっと、こんなとこにべっぴんさんがいるじゃねえか!俺と一杯どうだ?奢ってやるよ」
突然、自分に向いた言葉にミズキは困ったように視線を泳がせる。僕に助けを求めるように彼女は黙ってこちらを見た。
こういう時こそ僕の出番だろう。任せてくれと、ミズキに頷いてから僕は立ち上がり、老人の前に身体を差し込む。
「すみません、僕らはこれからもう部屋で休むので…」
「おめえに聞いてんじゃねえよ!なあ、お嬢ちゃん一緒に楽しくやろうや。そうだ、コイツの連れなら湖を渡りたいんだろう?付き合ってくれたら、俺が船を出してやってもいい」
止めに入る僕にだけ声を荒げ、彼は僕を押しのける。老人はミズキの方へと更に距離を詰め、酒臭い息で笑った。
何となく最初から嫌な予感はしていたが、やっぱりこの老人は女好きだ。僕も現実ではこうして女であるからと執拗に絡まれたことがある。本当に性別という枠はやっかいだ。ただでさえ人見知りを克服中の彼女にこれ以上あまり嫌な思い出を植えつけないでいてもらいたい。
「いいよミズキ、部屋に帰ろう」
僕は再度背中にミズキを隠し、彼女の手を引いて椅子から立ち上がるよう促す。ミズキは怯えたように僕と老人を交互に見つめるが、僕が再度手を引くと慌てて立ち上がった。
「んだよ!俺は老い先みじけえんだぞ!ちょっとくらいサービスしてくれたっていいじゃねえか!」
喚き散らす老人を僕は無視して酒場を出ようと歩き出す。すると、老人が何を思ったのか僕の肩を乱暴に掴んで引き戻した。
「若くて配役持ちだからって調子乗ってんじゃねえぞ!」
老人はカウンターにあったワイン瓶を手に取ると、僕の頭に振り下ろす。
ガチャンと割れる瓶の音に酒場の人たちが振り返り、ざわつく。割れた瓶からボタボタと赤紫色の液体が頭から流れて落ちた。音に驚いたコウモリがパニックを起こしたように飛び立ち、僕と手を繋いでいたミズキが青ざめた顔で老人を見ていた。
「や、やめてくださ…」
「じゃあ俺と遊んでくれよ!お前が拒絶するからこうなるんだろ!」
ミズキのか細い声に被せるように老人が怒鳴り散らす。彼の濁った目は完全に酒乱のそれだ。言っていることもめちゃくちゃだし、やっていることもとんでもないが、もしかすると彼はすでに正気ではないのかもしれない。
「彼女ではなく、僕がお断りしてるんです」
出来るだけ平静を保ちながら、再度老人に声を掛ける。思っていたよりも低い声が出たことに僕は自分でも驚いた。
今、ミズキを守れるのは僕だけだ。僕が彼女の盾になる時だ。
意外なことに、瓶で叩かれた頭は全く痛くなかった。多少の切り傷はあったようだが、皮膚に入った亀裂がすぐに治癒していくのが自分でも分かる。
ジャバウォックの力は驚異的な治癒能力、アマネ以外からの攻撃をほとんど受け付けない。そうジャッジは確かに言っていたが、この世界に来たばかりの時に比べてその力は飛躍的に上昇しているように思える。
老人は真っ赤な顔で僕を見つめると、激昂するように目をつり上げる。
「一晩お前の女を貸すくらいなんだってんだ!あれだけお前の欲しがっている情報を話したんだ!感謝の念はねえのか!」
老人は割れた瓶を僕に向けて振り上げる。呆然と見ていた酒場の人たちは悲鳴を上げ、店員が我に返ったように店主を呼ぶ声がした。
割れた瓶が肩に刺さり、血が噴き出す。軽い痛みに思わず顔をゆがめるが、これくらいアマネの蹴りに比べたらかすり傷だ。
「彼女は僕の大事な友人です。人間は貸し借りするものじゃありませんし、僕はあなたみたいな非常識な人と彼女を同じ場に置きたくありません。情報料として約束の小麦は渡しました。もう諦めてください」
僕に瓶を突き立てる老人の腕を掴み、押し返す。
きっと首から下げている短剣を使えば、もっと簡単に撃退することが出来るだろう。だけど、そんなことをしてしまっては彼と同じ土俵に立つことになる。理不尽に理不尽で返してしまっては、自分の品格を下げるだけだ。
「お引き取りください」
諦めない老人の手を掴んだまま、僕は彼を睨みつける。誰も傷つけずに、ミズキを守るには彼を説得するしかない。
あわあわと僕と老人を交互に見ていたミズキは僕の背中から少しだけ顔を出した。僕の背に置かれたミズキの手が震えているのが分かった。



「…きません」
老人とにらみ合う僕の背後でミズキは小さな声を出す。
「すみません…私、あなたとお酒なんて飲みたくないです…」
「なんだと!」
老人が喚く。ミズキは怯えたようにギュッと目を閉じたが、それでも首を横に大きく振った。
「一緒に行きたくないです!」
泣きそうなミズキの声に老人が殴りかかろうとする。それを僕は掴んだままの彼の腕を引いて止める。
「お引き取りください」
掴んだ彼の腕を少し力を入れて握る。先ほどまでどこかに逃げていたコウモリも僕に加勢するようにミズキの前に出ると、その場でバサバサとアイドリングする。
老人は僕の顔を見て何か言いたげに口を開くが、言葉が出ないのか押し黙る。その表情には焦りのようなものが見て取れた。
「ちょっとアンタ!うちの客に何してくれてるんだ!」
酒場の入口からバタバタと店主と店員が駆けつける。彼を見た老人は僕の腕を振り払うと、フンと鼻を鳴らした。
「今回は勘弁しといてやる」
「アンタは出禁だ!もう二度とくるな!」
店員が老人を追い出そうと背中を押すと、彼は渋々と酒場から出て行く。店主は怒った様子でその様子を腕を組んで見送り、彼が出て行くのを見届けてから僕らに向き直って深々と頭を下げた。
「…大変申し訳ありません。本当にあの男はマナーが悪くて…。最初から出入り禁止にしておけば…お洋服、弁償します」
「いえいえ、僕らも聞きたいことは聞けましたのでお気になさらず」
店主に僕は笑って両手を振った。
そうだ、そもそも情報を聞き出そうと僕が老人を起こさなければこんなことにならなかった。僕がやったことが多方面に飛び火してしまったと思えば、申し訳ないのは僕の方だ。
コートはダメになってしまったが、最初にジャッジから貰ったトレンチコートはある。服も弁償してもらう必要はないだろう。
コウモリもようやく安心したのか、再びミズキの帽子へ戻ると、逆さまにぶら下がってふてぶてしく鳴いた。
「帽子屋さんも大丈夫ですか?本当に申し訳ありません」
「いえ…彼がいてくれたので…」
店主に尋ねられ、ミズキがおずおずと返答する。彼女は僕を見て、少しだけ笑った。僕もそれに合わせて口元で笑みを作った。
「…ところで、あの老人が双子を養っていたと聞いたのですが、それは本当ですか?」
僕はふと、店主に尋ねる。彼は双子を自分が養っていて、彼らのために町へ連れて行ったと話していた。あの様子ではあまり良い親になるように見えないが、双子を失ったショックで酒に走ったという可能性も否定できない。
僕の質問に店主はまた顔を険しくさせて腕を組んだ。
「育てていたと言うにはあまりにお粗末でしたけどね。たまたま双子がこの村に来て、一番最初に身を寄せたのがあの男であっただけで、最終的にはこの村全員で面倒を見ていましたよ。双子はいつもこの村の色んな家を転々としていて、あの男の機嫌が良い時だけ家に帰るといった感じでした」
大体想像していた通りだ。やはり大して面倒は見ていなかったのだろう。僕は溜息を吐く。
子供はペットではない。構いたい時にだけ構って、機嫌が悪い時は放置とは聞いて呆れる。
「あの双子は明るくていい子たちでしたよ。頭の良い子たちでね、男が酒を入れている時はのらりくらりと他の者の家へと逃げ込むんです。それでいて、男の機嫌がいい時は都合よく船を出してもらう。手の平で転がされているのは、恐らくあの男の方でしょう」
「その子たちは暴力とかは受けなかったんですか…?」
僕の背から顔を出したミズキが恐る恐る尋ねる。
その疑問は僕も思っていた。酒が入るとあれだけ手が出る男だ、心配になるのは当たり前だろう。
「最初の頃はたまに怪我をしていましたけど、彼らはちゃんと周囲に助けを求められる子だったので、最終的には怪我をしているところはほとんど見なくなってましたね。男は双子がアマネの騒動で行方知れずになったと言っていますが、彼らはもっと住みよい場所を見つけたんじゃないですかね。強い子たちですから」
店主はそこまで話すと、険しかった顔を少しだけ綻ばせる。その表情は村を出て行った双子を懐かしむ、優しい表情だった。
「アマネが傍にいるのが心配ですが、幸せになっていて欲しいものです」
店主の言葉が終わるころになって、店員がモップを手に戻ってくる。その様子を見た店主が思い出したように手を叩いた。
「そうだ、こんな思い出話をしている場合じゃなかったですね!良かったらお風呂使ってください!すぐに用意しますので!」
「あっ、ありがとうございます」
彼に言われて僕も頭からワインを被っていたことを思い出す。足元にはワイン溜まりと散らばったガラス片があり、床は見るも無残だ。痛くなかったので、すっかり忘れていた。
「お風呂はちょうどお客さんのお部屋の真向いにあります。すぐにタオルをお部屋に届けますね!」
店主はそう言うと、急いで酒場から出て行く。その背中を見送ってから、僕はミズキに振り返った。
「コート、めちゃくちゃにしちゃってごめんね。怖かったでしょ?」
「うううん、大丈夫。こちらこそ、助けてもらってばっかりでごめんなさい…。私がまた足引っ張っちゃった…」
「ちゃんと最後は言い返せたじゃないか。それで十分だよ」
あれだけ怯えていたのに、最後はミズキが自らの口でちゃんと嫌なことを嫌と伝えた。それは凄いことだ。彼女は現実でもクラスメイトに良いように扱われていたのだから、利用されないよう頑張ってくれたことが、僕は何より嬉しかった。
「アスカがいてくれて本当に良かった」
僕がミズキの頭を撫でると、彼女の水色の瞳を細めて笑った。そんな彼女の一言で、僕はちょっと良い気になってしまう。ミズキも僕に甘々だが、大概僕もミズキに関してはチョロいと思う。
僕は彼女と手を繋いで部屋へと歩き出す。なんだか濃縮されたように濃い一日だった。それでも、得た情報は多い。
「またアスカに似合いそうなコート作ろうね!」
廊下を歩きながら急に明るくなる彼女の言葉に僕は笑う。きっとまた気合を入れてグレードアップしたコートを用意してくれてしまいそうだ。僕をどこまでも甘やかしてくれるのは嬉しいが、ほどほどに休んで欲しいなと思った。
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