シュガーポットに食べかけの子守唄

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9章

2 僕のアリスへ

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2.
僕が不思議な夢を見てから2年の歳月が流れた。僕は小さな会社のオフィスに座り、パソコンのキーを打っていた。
画面上には使い慣れたデータベースツールのプロパティ画面が広がっている。このデータベースは僕が作ったもので、この会社に入ってから半ば強制的に勉強させられたものだ。でも、やってみれば案外出来てしまうもので、基本的な使い方は2日も講習を受ければ習得できた。昔にフリーゲームを作りたくてシステム言語を学んだ経験が生きたらしい。
「鮫島くん、新しい事業に手を出したいんだけど、面白い企画ない?この間、立ち上げてた企画がポシャってさ」
パソコン画面に夢中になってた僕に、背後に座った社長が声を掛けてきた。彼女は小柄で小動物のような人。どこかシュラーフロージィにも似た雰囲気があるが、中身はもっと破天荒で男前な気質の持ち主だ。彼女はビジネスのセンスが高く、僕は彼女の元でデータベースを作る仕事をしながら経営について学んでいた。
僕はあの夢にいた間、ずっと都内の病院に入院していた。何となく想像はついていたが、ネックカットによる出血とオーバードラッグで意識不明。不思議と昏睡に至った直接の原因はそれらではなかったらしく、原因不明の病として精神病院への入院は免れたようだった。
退院明けにすぐ仕事に就こうと、僕はすぐに就職活動を始めた。社長はこの会社に僕が来た時は性同一性障害と聞いて訝しんでいたものの、今ではすっかり僕のことを気に入ってくれているらしかった。
「えっ?会社って、僕が回すんですか?」
何の冗談かと笑いながら聞き返すと、彼女はまるで童女のように楽しそうな笑みを浮かべた。
「そうそう!鮫島くん、器量いいし頑張り屋さんだし、人柄も二重丸!もう任せてもいいんじゃないかと思ってるの!良かったら企画持ってきて!みんなで案出し合ってよく練ろう?経理も教えてあげる!」
「本当ですか?僕でいいならやってみたいですけど…」
「お給金上げてあげるから、安心して!みんなが楽しく稼げるように頑張ろ!」
会社をぽんぽん気軽に作って、ぽんぽん人に任せるというのは小さい会社ならではだろう。会社の立ち上げ方なぞ何も知らないが、彼女がやりたいと言ってくれるのだからそれはチャンスだ。彼女の子との仕事は楽しいから、一緒に考えて、まだまだ僕も伸びていきたい。
昔は全然仕事が長続きしなかったのだが、自分の意見を言えるようになってからの仕事は有意義で、時間が飛ぶように過ぎる。考えることを放棄するより、考えている方が僕の性には合うらしい。1日8時間もやらなきゃいけない仕事が楽しくて、楽しくしていれば自然と周囲に人は集まる。
そこに僕は合わせすぎないだけ。僕らしくいるように心がけるだけで、僕は人の感情に振り回されることはなくなった。人と適度な距離を保つことが出来ると、あれだけ居場所がなかった自分の場所を周囲が確保してくれるのだから、不思議な話だ。
「それなら是非!明日から早速、取引先から何か美味しい話がないか聞いて考えてみますね。今日はメンテ終わったんで帰りますね」
丁度打ち込み終わったマクロを保存して、僕はアプリを終了させる。パソコンのシャットダウンを待ちながら荷物をまとめると、社長はデスクチェアに座ったまま僕を見上げる。
「もう帰っちゃうの?」
「今日は約束あるんで!お疲れさまです!」
なんとなく社長は僕を引き留めたそうにしているが、僕はその空気を知っててあえて無視をする。笑顔で手を振り、オフィスを出て、僕は廊下に設置された指紋認証機器でタイムカードを切った。笑顔と明るい挨拶さえ出来れば、案外会社なんて楽勝だ。
「あ、あの、鮫島さん…」
不意に声を掛けられて振り返る。そこにはいつも職場で一緒に仕事をしていた女性が立っていた。彼女はもじもじと俯き、チラと目線だけで僕を見た。
彼女は僕より前からこの会社にいる。たまに飲みに行くくらいはしたことはあるが、いつもあの明るすぎる社長がいたので、業務以外で詳しく話したことはない。
「どうしましたか?何かデータベースに問題ありましたか?」
「いえ!そういうのではなく…」
首を傾げる僕に、彼女は眉を寄せて上目遣いでこちらを見た。
「鮫島さん、お付き合いされている方って…いらっしゃいますか?」
あー、なるほどね。僕は半笑いを浮かべる。
僕はずっと自分がブサイクだと言い聞かされてきたこともあってか、自分の容姿は人に見せられたものではないと思っていたのだが、自分がやりたい格好をするようになってから不思議とこんな話までくるようになっていた。女性からのナンパに遭遇した時は面を食らって逃げてしまった。
母親は父親を顔面で選んだ。男寄りになった僕の顔は父親に結構似ているので、案外卑下するほどブスではないのかもしれないと最近になって気がついた。
「付き合ってる人いますよ!」
湿っぽくならないよう、敢えて質問の本質に気付かないふりをして答える。まだ会えてはないが、僕にはミズキがいるし、嘘ではないだろう。
僕が笑うと、目の前の同僚は苦笑いした。
「そ、そうですよね…鮫島さん、格好いいですし…」
「三森さんも素敵ですよ!今日もネイル凄くオシャレですね!サロン行かれてるんですか?」
わざと話の論点をすり替える。スムーズな退出のタイミングとスムーズな人間関係を作るには、たまにはすり替えマジックも必要だ。
同僚は急な話題転換に自分の爪を見つめる。紫色の大理石のようなそれはツルツルしていて綺麗だ。彼女は少し嬉しそうに笑った。
「あっ…はい。お気に入りのネイリストさんがいて…」
「へー!いいですね!男もやって貰えます?」
「そうですね、出来ると思います!鮫島さんも似合いそう…!」
彼女の爪を覗き込み、感嘆の声を上げながらわざと腕時計を確認する。新しい話題に気を取られ、同僚は嬉しそうに笑っている。好意は嬉しいが、今日は本当に早く帰らなくてはならないのだ。
「あっ、もうこんな時間だ!すみません、この後ちょっと予定があるのでお暇しますね!今度、是非ネイリストさん紹介して下さい!」
論点をずらしたまま、僕は同僚に手を振って急いで会社を後にした。僕の背後で彼女は肩を落としながらも、苦笑いしていた。
夜とは言え、季節は夏。外に出るとじっとりとした空気が肌に張り付いて蒸し暑い。Yシャツの首元を緩めて、僕はそこに指を入れて仰ぐ。歩道沿いにあるコンビニの脇を通りかかると、暗くなった窓ガラスに自分の姿が姿見のように映った。
診断書を貰って、名前の漢字を変え、僕は男性ホルモンを入れるようになった。残念ながら、注射はアレルギーが出るので、身体に塗るクリームを使っている。それでも、僕の顔つきや声、身体は男性へと近づいてくれたように思う。未だに男性か女性か迷われることも多いが、そのくらいでいい。不思議の国にいた頃の自分の姿に限りなく近い。
僕は電車に乗り、自宅と逆方向の駅へと向かう。電車に揺られて辿り着いた先は、閑静な街並みが広がる高級住宅地区だ。普段はそこから更に歩いていくのだが、結構遠いし、あまり遅くなりたくないので僕はタクシーをスマートホンで呼ぶ。
5分も待たずに迎車のタクシーが姿を見せ、僕はそれに乗る。車の中は冷房が効いていて涼しかった。
10分も乗車していると、タクシーは見慣れた建物の前で止まった。
「お疲れ様です。ご乗車ありがとうございました。1050円になります」
「領収書お願いします」
僕はタクシーの運転手にお金を支払いながら、外へ片足だけ出して待機する。目の前にあるのは、児童養護施設だ。
自動ドアを抜け、その先にある受付に顔を出すと、職員の人が僕の顔を見て笑顔を浮かべる。彼女はすぐに受付から出てくると、僕を見て会釈をする。
「鮫島さん!周くんが首を長くして待ってましたよ!」
「怒ってませんか?」
「全然!あの子、言葉は乱暴ですけど、鮫島さんのこと大好きですから!」
そう言うと、彼女は奥の部屋へと僕を連れて歩いていく。夕飯を終えた後なのか、幼い子供たちはすでにレクリエーションルームで各々のおもちゃで遊んでいる姿が見える。小学生くらいの子の中には勉強をしている子もいる。
「周くーん!鮫島さん来たわよー!」
レクリエーションルームの中で熱心に一人オセロをやっていた子供が顔を上げる。顎まで伸びたウェーブがかった黒髪の子供は僕の顔を見ると目を見開いたが、面倒臭いことをアピールするようにわざとらしく溜息を吐いて、僕の方へとやって来た。
「おせえぞお」
「ごめんごめん、これでも定時に上がったんだ」
昔から変わらない文句に僕は苦笑いする。その様子を微笑ましく見守っていた職員の人は僕を見て、外を手で指した。
「今日は一緒に外食でしたよね?周くん、ちゃんとつまみ食いしないで待ってたのよね」
「うるせえなあ」
アマネは不満そうに口を曲げると、鼻を鳴らして歩き出す。もしかしたら、内情をバラされてちょっと恥ずかしかったのかもしれない。
職員の人に別れを告げ、僕はアマネと手を繋いで近くのファミレスを目指して歩く。9歳だったアマネは11歳になる。今日は彼の誕生日だ。
本当はもうちょっと良いレストランでも良かったのだが、アマネは気分のムラが激しくて、食べたいものと食べたくないものの波が大きい。メニューが豊富なファミレスなら何でもそろうので、下手なレストランに行くより、ここが一番良いと本人が言っていた。本人きっての希望なので、もうそれは僕がどうこう言うものでもない。
案内された窓際の席に座ると、彼はわが物面でメニューを引っ張り出し、勝手に開いて食べ物を吟味する。今日の気分はミートソーススパゲティらしい。僕はオムライスを頼んだ。
「デザートにケーキも頼んでいいよ。お誕生日なんだから」
「気が向いたら食う」
僕の勧めに彼はぶっきらぼうに答える。見た目が大人だったアマネがこうして子供の姿で話しているのは、2年経ってもまだ慣れない。
僕は病院から退院して、すぐにアマネを迎えに行った。アマネも夢にいる間はずっと入院していたらしく、出てきたのは夢で会ったアマネにそっくりな父親だった。父親はすぐに僕を追い返したが、幸いだったのは僕より遅れてアマネが退院してくれたことだろう。まだ、アマネは父親から新たな虐待を受けずに済んでいた。
毎日、彼の父親に見つからないように、彼の家の近くにある公園でアマネが帰って来るのを待った。僕も無職だったので、日がな一日張り込みをした。我ながらどうかと思う戦略ではあったが、小さな子供の命がかかっているともなれば話は別だ。
公園で母親らしき女性がアマネの手を引いて帰って来るのを見てから、僕はすぐにアマネを迎えに行った。彼が話していた通り、彼の両親は留守になりがちで、二人きりになるのは容易だった。
「お前さあ、まだミズキに会えてねえの?」
小さくなった姿のまま、アマネが昔と変わらない口調で言う。彼はしっかりと夢での出来事を覚えていて、僕のことも一目で分かったそうだ。
「アマネのとこにはすぐ来たくせに、アイツ泣いてんじゃねえの?」
「そう言われましても、記憶がないからねえ…」
ごもっともな意見ではあるが、ルイスの宣言通りに僕のミズキに関する大事な記憶はすっぽりと抜け落ちていた。
ミズキ、という名前は覚えている。どんな顔で、どんな仕草と話し方で、どんな生き方をしたか、彼女の持つ個性も価値観も全部覚えているのに、大事な部分だけが思い出せない。苗字、住所、電話番号、彼氏の苗字。何もかも覚えていない。ミズキからも連絡がないあたり、彼女も恐らくルイスに記憶を持っていかれてしまったのだろう。
「お待たせしました。ミートソーススパゲティとオムライスです」
僕とアマネの間に店員が注文した品を持ってくる。アマネはそれを見ると、控え目に目を輝かせながら無言でフォークとスプーンを手に取った。
「いただきますは?」
「うるせえなあ…いただきます」
笑いながら言う僕に、アマネはスパゲティを口いっぱいに頬ばりながら、もぐもぐと復唱する。文句は言うが、彼は頭が良くて学習速度が早かった。人より修羅場をくぐった回数もあるし、4年以上も夢の中で過ごしていたせいもあるかもしれない。ちょっとだけ老成した子供だった。
僕もオムライスに手を付ける。最近のファミレスのご飯は美味しいものだ。昔はこんなに卵がとろとろしていなかった気がする。
「あっ、アマネ!これあげるよ」
僕は一口ご飯を口に入れてから、思い出して鞄を漁る。口の周りをソースでベタベタにしたアマネは訝し気に僕を見つめているが、僕の手にある箱を見て珍しく驚いた顔をした。
「それ、テンテンドーのポイッチじゃん!」
「ずっと欲しがってたでしょ」
少し前に大流行していた携帯ゲーム機を渡す。当時は手に入らないくらい人気があったので、旬には乗り遅れたが、今でも充分に友達とは遊べるだろう。果たして彼にどれくらい友達がいるのかは分からないが。
彼はすぐに箱を開け始めるが、蓋の返しが引っ掛かっているのか、なかなか開かない。痺れを切らしてアマネは箱を容赦なくビリビリと破壊し、中身を取り出す。無惨に壊された箱とは対照的に、中から出てきたピカピカの黄色い本体に目を輝かせ、裏と表を交互に翻して見た。こうして見ると、やっぱり11歳なんだなあと微笑ましくなってしまう。
「ポロットモンスターもダウンロードしてあるよ」
「マジで!?やったぜ!」
彼は早速ゲーム機に電源を付ける。恐らく、彼が初めて手にする自分専用のゲーム機だ。不思議の国にいた父親役の知識を、ようやく本物のゲームに生かせるだろう。
「アマネは、僕の収入が安定したら養子に来るかい?」
「ヨウシ?」
「僕の子供になるってこと。他の人が良かったら、無理にとは言わないけど」
アマネと現実で一緒に過ごしながら、僕はずっと彼を引き取ることを考えて貯蓄をしていた。アマネはようやくゲーム機から顔を上げて僕の顔を見たが、彼はまた口を曲げてゲーム機に目を落とす。
「お前がアマネのパパになるの?」
「そうなるね」
「ヤダ」
速攻で断られた。ガクンと僕はテーブルについていた肘から崩れる。
思ってたより懐かれてなかったのかな。結構仲良くやってたつもりだし、大事にしてきたつもりだったのだが…甲斐性なしに見えるのかもしれない。まあ、今は雇われ社長に王手だが、2年前まで無職だ。不安なのも仕方ないか。
そう思っていたが、彼はゲーム機のボタンを熱心に操作しながら言葉を続けた。
「お前がアマネのパパになったら、ミズキはアマネのママになんなきゃいけないだろ。ミズキに会ってから決めろ」
「アマネ…」
11歳にしてそんなことまで考慮してくれていたのか。なんか違うような気もしつつ、彼がそれだけ僕のことを考えていてくれたのが素直に嬉しくて目頭が熱くなる。僕も年を取ったものだ。日に日に涙腺が緩くなる。
「ありがとう…ミズキに会ってから決めるね。だから、ゲームはご飯食べてからしよう」
「うるせえなあ」
ゲームに夢中になっている彼をたしなめると、彼は文句を言いながら電源を落とした。
それからアマネはミートソーススパゲティと苺ムースケーキを完食すると、また手を繋いで一緒に養護施設へと帰った。
帰る途中で彼は僕にずっとミズキと会う方法があるのかどうか尋ねて来た。もう2年も経つのに出会えていないことに、もしかすると僕以上に彼が焦っているのかもしれなかった。
「早く探せよ」
「探してるよ」
「さっさと見つけろよ」
「はいはい…」
施設の前で別れる時に、しつこいくらいに念を押す彼に僕は苦笑いする。
別に僕も完全に無計画で2年間を過ごしていたわけではない。準備はそれなりに出来ていた。
アマネと別れて電車の乗ると、僕はすぐにスマートホンに文章を打ち込む。誰かに送るメッセージではない。いや、遠まわしに言えばメッセージなのだが、それはかなりのボリュームがある。
360ページ以上に及ぶ小説だ。こんなに長くなるつもりはなかったのだが、細かく書けば書くほど、文章は長くなっていく。だけど、何も省くこともない。ミズキに伝えたいことが沢山ありすぎた。
僕は不思議の国で見て来た出来事を全てそのまま、物語という形にして起こすことにしたのだ。僕らが見て来た長い長い物語を、僕の目を通してでしか表現できない言葉で小説にする。これをネットに上げて、どこかでミズキが見つけてくれたなら、彼女は僕だと分かってくれるんじゃないかと思ったのだ。
電車の中も、乗り継いだバスの中も文章をしたため続け、家に帰ったらパソコンに向かってずっと文章を打ち込み続ける。
僕だって早くミズキに会いたい。会いたいから現実に帰ってきたのだ。これは僕からミズキに送る、長い長いラブレターだ。
あっ、でもミズキとは正式に付き合ってないんだったな…僕が入れ込む人って何故だか交際が後手後手になりがちだ。ミズキはまだあの彼氏と付き合っているのかな。上手く別れが成立してて欲しいところだ。
ていうか、あの記憶を見る限り、当時の彼女は恐らく高校3年に上がる直前だ。ということは、17歳…?今は19歳か?まだ未成年じゃないか!僕はもう29歳だ。
年の差が恐ろしい…。書きながら僕は急に帯びる現実味に頭を抱えた。なんか付き合ってる気でいた上に、なんだか勝手に結婚まで考えてたけど10歳も離れてるぞ。相手から見たら僕はおじさんなのではないか?フラれたら笑える。
まあいい、明日は休日だ。時間の制約がない僕を止める者はいない。僕は気持ちのままに文章を打ち込み続けた。もう章は9章まできているのだ。完成は目の前まできている。電子タバコに電源を入れ、吸いながら僕は黙々と文章を書き進めた。
フラれようがフラれまいが、何にしたって会わなきゃ始まらない。ミズキもきっと僕を探していてくれている。それは間違いない。僕にとっての真実はそれだけだ。それで充分だ。
親に縛られていた時は、タバコすら女の子らしくないからやめなさいと言われ続けてきたが、今ではすっかりチェーンスモーカーだ。やってみると、これが何故だか楽しくてやめられない。煙を吸って吐いてるだけなのに不思議だ。僕なりの、遅れた反抗期なのかもしれない。
退院して、職に就くまでは大変だったが、マイペースに生きることを覚えたら親のあしらい方も何となく上手くなっていた。のらりくらりと不思議の国で鍛えた話術で僕は母親の猛攻をかいくぐり、父親の叱責を聞き流し、僕は念願の一人暮らしを手に入れた。
今では彼らも僕の行動に口を出すことを諦め、年に数回はご機嫌伺いに来いと怒りのメッセージが届く程度で上手くやっている。まあ、親も人間だ。急に子供が一人立ちして寂しいのだろう。同情するが、僕はもう感情移入することはしない。
僕の人生は誰のものでもない。みんなが教えてくれたその標を、僕はもう見失う気はない。性別も、価値観も、感情も、全部僕のものだ。他人の勝手な尺度で計られて口出しされるなんて、もうごめんだ。
「…できた!」
明け方まで眠らずに小説を書き続け、最後の文字を打ち込んで僕は一人で声を上げる。両腕を上に伸ばすと、背中と肩から骨折したんじゃないかと思うくらい激しく骨が鳴った。
早速それを僕は小説を投稿できるサイトへと掲載する準備に入る。手当たり次第に、自分が知っているサイトには全部載せるつもりだ。誤字脱字を確認し、一通り読み返す。
読み返してみると、僕はミズキにこれでもかと言うほど甘えてて笑った。今ではもう少し年上らしく、スマートになれてたらいい。10歳下の敬之のスマートさには勝てるようになったと思いたい。
僕はサイトに載せるあらすじを考える。なんて書けばいいんだろう。小説というよりも、これはミズキと、未来の僕に対する手紙でしかない。こんな文章を果たして誰が読んでくれるのか、目に留めてくれるのかも分からない。それならば、彼女に届くように願いを込めるしかない。
「この世界のどこかにいる、僕のアリスへ」
その一文だけをあらすじに打ち込んで、僕は小説を投稿する。タイトルはシュガーポットに食べかけの子守唄。長いあらすじみたいなタイトルは個人的に自分が得意ではなかったら抽象的にしようと思ったはずが、あらすじ自体と対張する長さのタイトルになってしまった。
ミズキがこの小説に気付いてくれることを祈って、僕は明るい空が見えるカーテンを閉め切って布団に潜り込んだ。仕事と小説とで長い時間パソコン前に座り続けていた僕の身体は疲れていたらしく、あっと言う間に意識を失った。
気絶したように眠り、起きるともう昼をとっくに過ぎていた。枕元に置かれた僕のスマートホンがチカチカと光っている
ミズキかもしれないと僕は飛び起きる。すぐさま通知を確認すると、メッセージアプリの着信だった。
高校時代のイラスト部員で作ったグループに複数件のメッセージ。なんだよ、全然違うじゃないか。僕はがっくりと布団に再び倒れこむ。
まあ、無名の小説だ。そうそう投稿に気付くはずもないだろう。
高校時代に良い思い出などないが、ずっと動いていなかったグループにメッセージが来るのも興味深い。僕はそれを開いて内容を確認する。
「みんな元気?私、結婚したんだ!良かったら、久しぶりにみんなで集まらない?」
言い出しっぺは人魚の絵を描いていた眼鏡の子だ。結婚したんだな。彼女に続くイラスト部員たちは祝福の言葉を掛けている。
「集まるの楽しそう。明日香は来る?」
その中に見覚えのある名前があった。
美奈子だ。
何故、今更僕を名指しするのだろう。僕は言い知れぬ不快感を抱いた。
「明日香ってこのグループにまだいるの?飛鳥って名前ならあるけど」
眼鏡の子の返信を読み、僕は苦笑する。僕は男性名として、漢字だけ改名していた。今の名前は鮫島飛鳥だ。名前は会社で使うので、そちらの名前で登録を変えたものの、事情は文芸部の子にしか話していなかった。
「飛鳥は明日香だよ!本人に聞いてみれば分かるよ、返信待ってよう!」
僕と同じく、イラスト部と文芸部を兼任していた彼女が僕の代わりに返信してくれていた。僕が美奈子に苦い思いをしているのを知っている彼女は、当たり障りなく僕に選択肢を委ねてくれていた。本当に有難い。
「先輩は来る?」
「先輩はグループから抜けちゃってるみたい」
他の子たちが続く。そのメッセージに僕はグループメンバーを確認すると、確かにそこには先輩の名前はなかった。
美奈子は僕を捨ててから、これ見よがしに僕の前で先輩とつるむようになっていた。僕がいたはずの場所に、先輩が選ばれたのだと酷く落胆していただけに、先輩の名前がないことに僕は驚く。
「先輩どうしたの?美奈子、知ってる?」
同じことを思ったのか、メンバーの1人が尋ねている。それに対して答えているのは、美奈子ではなく他の子だ。
「美奈子、先輩と連絡とれなくなったんだって。なんか凄い言いがかり付けられたんだよね?怒られたって聞いた」
「そうなんだ?先輩、あんなに明るかったのにどうしたんだろ?」
「なんか体調悪かったんじゃない?」
続いていく会話に、美奈子は答えない。昔から変わらない。美奈子は何も言わないのに、伝言ゲームのように勝手に周囲が話を進めるのだ。
今思えば、美奈子は本当に神様みたいな人だ。いや、教祖のようと言うべきか。
美奈子が何も言わなくても、彼女の言動を勝手に周りが継ぎ接いで、彼女に都合の良い真実を作り出す。
僕は何となく、先輩がどうなったのか分かる。入る宗教を間違えたのだ。
この宗教にいる限り、教祖からの要求を飲まないわけにはいかない。だから、もう先輩は上納金を支払うことをやめたのだろう。
「とりあえず、みんなの都合がいい良い日付けを教えて!」
眼鏡の子のメッセージを皮切りに、メンバーたちの日程が投稿されている。美奈子だけが日程を提出していない。既読スルーだ。
決定された日付は土曜日。僕もその日は空いている。
僕はそのグループにメッセージを打ち込んだ。
「ごめん、その日は予定があるんだ!みんなに会えなくて残念、また機会があったらよろしくね!」
さっさと打ち込んで僕は布団にくるまった。
二度寝しようと目を閉じて数分、すぐに返信が来た。うっとおしいが、一応確認する。
「私も予定ある、また今度」
ずっと既読スルーを決め込んでいた美奈子からだった。なんだか嫌な気持ちになる。
すると、そこから間を置かずに美奈子から個人メッセージを着信。僕はそれを既読にするか、ややしばらく悩む。とりあえず通知からメッセージの内容を確認することにした。
「名前どうして変えたの?話が聞きたいから、また2人で会えない?」
美奈子からメッセージが来るなんて、そうあることではない。周囲からの伝達だけで成り立つ存在が、そんなことをするなんて余程だ。
僕は渋々とメッセージを既読にし、返信を打ち込んだ。
「性別変えただけだよ。最近は忙しいから、難しいかも」
すぐに既読がつく。
「そうなんだ。大人になると時間作るの難しいよね。性別の話、気になるから電話したいな」
珍しく押しが強い。僕は失笑する。
高校時代の僕の居場所は、確かに彼女の隣だけだった。美奈子は僕の教祖様。彼女が笑えば、世界が笑った。彼女さえ笑っていれば、僕が泣いてようが、世界が輝いていたのは確かだ。
「ごめん、当分は時間ないから出来ないや!今までありがとう!元気でね!」
僕はそれだけメッセージを打ち込み、美奈子のアイコンをタップする。画面に表示された、ブロックの文字を選択した。
僕は美奈子を介して、美奈子を守れる自分に酔っていただけ。あの小さな学校という世界で、僕らが本当に幸せだったことなど、きっとなかったのだ。
僕はもう美奈子がいなくても、自分を大事にできるから。僕の居場所は、彼女の隣じゃないって知っている。自分だけが泣いている世界なんていらない。帰りたくなんかない。
スマホを放り投げ、僕は再び布団にくるまる。何だか清々しい気持ちだった。
文芸部の子には、後で改めてお礼しよう。僕の意志を尊重してくれる彼女こそが、本当の意味での友達だ。僕の言葉で選択する自由をくれた。同窓会なんかではなく、文芸部の子とまた2人で遊びに行こう。
久しぶりの二度寝は気持ちがいいもので、気がついたら日が傾いていた。またスマートホンがチカチカと光っている。
まだグループメンバーが騒いでいるのかと、眠い目で画面を付けてみると、普段ダイレクトメールしかこない僕のメールボックスに新着が一件。小説サイトを介した誰かからのコメントが届いていた。僕はそれを開封する。
レビューの投稿者アイコンはどこかで見たことのあるコウモリの絵。まどろみの中、メッセージを読んで僕は笑った。
「この物語のアスカさんご本人でお間違いないでしょうか?」
ほらね、こんなにすぐに見つけてくれた。こんなネットの海で、数多ある小説の中から見つけるなんて、きっとすごく大変だっただろうに。
あなたもずっと探してくれてたんだね。この世界で、僕とまた歩いて行けるようにと。2年も離れていたけれど、寂しくなんてなかったよ。必ず会えると信じていたから。
僕はそのコメントに返信を打つ。僕の長い長いラブレターはまだこれからも続きそうだ。終わることのないこの現実世界で死ぬまでずっと贈るよ。
穏やかに眠ることすら出来なかった僕のアリスへ。
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