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ゼロになる
第208話
しおりを挟むディティが使う腐った晄露は地面からも僅かずつ出ているが、建物内にくまなく充満させるのは難しい。
それに気付いた光太朗は、アキネの部屋から悪臭の発生源を突き止めた。
鉢植えの中や、寝台の下。アキネの部屋のありとあらゆる所に、腐った晄露の結晶が埋め込んであったのだ。それが晄泉のような役割を果たし、アキネの居を満たしていた。
『……多分、王宮の中にもたくさんある。……班長はアゲハを連れて、それを確かめてきてほしい。気付いても取り除いたりはしないように。ディティに勘付かれてしまうかもしれない』
そう指示した光太朗は、驚くほど冷静だった。
しかし探索しに来たキースらはその多さに戸惑い、焦りを隠せない。
「廊下だけでなく、全ての居室に設置してあんだろうなぁ。こりゃあ、全部の撤去は無理だろ……」
「あのあばずれめ。かみからのおくりものを、みじゅからのよくぼうにつかいおって……!」
「……アゲハ……その成りであんま怒ってもなぁ……?」
「き、きしゃま……!! われをぶじょくするか……!」
真っ赤になったアゲハの頭を撫で回し、キースは心中で憂いを吐き出す。
今は元気に話しているが、アゲハも殆ど寝て過ごしている。
ディティに対抗するための戦力が、こちらは圧倒的に少ない。ここ数日で危機感が焦りに変わるほど、事態は深刻化している。
「……本当に、このままコウの予想通り行くのかぁ……?」
「……わからんが……われはコタロの言うとおりにうごく」
リノが来なくなり、カザンが体調を崩した辺りから、光太朗は焦りを見せなくなった。
諦めに似た様子を見せるものの、黙々と何かを考えている。キースからすれば、その姿は痛ましいものにしか見えない。
(つれぇなぁ、コウ……。何か別の活路が、見つかればいいが……)
「……キース、ねむい……」
「おお、帰るかぁ。もう寝とけ」
力を無くしたアゲハを横抱きにして、キースは肆羽宮へと足を向けた。
◇◇◇
ザキュリオ国の戴冠式は、かつてないほど質素に行われた。
王の間に集められたのは一部の王族のみ。国賓として招かれたリガレイア国のカディールが、唯一の部外者だった。
皇太子の証である冠は王冠とは違い、装飾の無い銀の冠だ。冠の他にも、剣と耳環が皇太子の証として授けられる。
寿命が長く後継者が多い国は、こうして皇太子に冠を授けることで、差別化を図るのだ。
(……いらん儀式だ。戴冠式など、王になった時だけで良いだろう)
耳環を付け、剣を鞘から抜き去りながら、リーリュイは心中で憂いを吐き出す。早く戴冠式を終え、カディールと話がしたい。
王座に向けて頭を垂れると、耳環の装飾である黄土色の珠が視界の端に映る。そのまま視線だけを上げると、王座に座る父親の姿が目に入った。
過度な装飾が施された衣装を着て、ランシスはリーリュイを見下ろす。その視線に父としての情がない事は、子供のころから理解していた。
そしてランシスの頭には、重そうな装飾の施された王冠が載せられている。『今の王は俺だ』と主張しているような姿に、呆れを通り越して恥すら感じた。
「……私、リーリュイ・ザキュリオは、皇太子として尽力し、この国のために身を捧げます」
剣を掲げて誓いを述べると、わっと歓声が起こる。祝福の声も、リーリュイの心には少しも届かない。
光太朗がこの場に居たら、きっと心持ちは大きく違っていただろう。
(光太朗……。昨晩は肆羽宮に帰れなかった……体調は大丈夫か?)
何をしていても、光太朗はリーリュイの心の中心にいる。彼の存在は、リーリュイにとって最早自分の一部だ。
光太朗がいないと自分が保てない。リーリュイはその事実を喜んで認めるほど、光太朗の存在を深く受け入れている。
歓声を浴びながら、リーリュイはカディールの方に視線を移した。驚いた事に目が合い、彼は親し気な笑みを浮かべる。
カディールは一見すると、女性と見紛うほどの美しい容姿だった。
朱色の長い髪は片方に寄せ、緩く束ねて編み込んでいる。カディールは微笑んだあと一歩前へ進み、王座に向けて腰を折った。
「リガレイア国王に代わり、お祝いの言葉を述べさせて頂きます。リーリュイ皇太子殿下に、神のご加護がありますように」
王座に一礼した後、カディールは振り向いた。リーリュイに向ける顔は、やはり初対面とは思えないほどに親し気だ。
リーリュイは姿勢を正し、カディールに敬礼する。王座の隣に座るディティの顔が不快に歪むのが見えたが、無視してリーリュイは口を開いた。
「お祝いの言葉、光栄に存じます。国境に我が国の反逆者がいるにも関わらず、ここまで足を運んでいただき、感謝いたします」
「とんでもない。……国境を護るユムト将軍とは、何度か会ったことがあるが……何とも残念でしたね。貴重な異世界人だったでしょうに」
穏やかな口調で放たれた言葉だったが、ディティは侮辱と取ったようだ。椅子から立ち上がり、鋭い目をカディールへ向ける。
「残念ですって? 捨て置けない言葉ですわ。ユムトは謀反を起こした人間です。我が国にとっては排除すべき存在でした」
「……しかし、異世界人の能力は正に神の御力です。国の平安に欠かせない貴重な存在でしょう。……能力の使い方を間違えなければ、ですが」
小首を傾げ、カディールは微笑む。見るもの全てを魅了するような笑みのまま、彼は続けて言葉を放った。
「そうそう、ザキュリオには新しい異世界人がいると聞きました。皇太子殿下の側近と伺いましたが……」
「あの者は不具合転移者よ。皇太子の側近に相応しくないわ」
カディールの言葉を遮るように、ディティが鋭く言葉を放った。王座に座るランシスは口を挟まないものの、興味深そうに片眉を吊り上げている。
カディールはランシスとディティを交互に見て、少しだけ口調を低くした。
「どうしてそう思われるのです?」
「あの男は、もう死ぬわ。……ずっと床に伏せていて、何の役にも立ちやしないのよ? 多分あの男には神の加護が無いのよ」
リーリュイが奥歯を噛み締めて、不穏な音を立てる。地面を睨むリーリュイを見て、カディールが痛みに耐えるような表情を見せた。
「お辛いでしょう、皇太子殿下。愛する者の苦しむ姿は、何よりも耐え難いものです」
「……彼は死なない。そう信じています」
「リーリュイ。いい加減諦めなさい、あなたは皇太子になったのよ」
ディティの言葉には反応せず、カディールはリーリュイの側へと歩み寄った。細身のカディールだが、意外なことに身長が高い。
リーリュイと同じほどの目線の彼が、少しだけ声を落とす。
「もしかして、低温と高温を繰り返してる? 君が抱きしめると、症状が落ち着くかい?」
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