29 / 215
第2章
29 告白と失恋
しおりを挟むレティシアの穏やかで優しい声と、髪に触れる刺激がアシュリーの心に深く響く。
数回撫でた後、レティシアは手を止める。
「あっ、すみません…男の人は嫌ですよね」
「…いや…慰めてくれてありがとう…」
ほんのり頬を赤く染めたアシュリーは、レティシアの手を取って甘く微笑んだ。
「伯爵様、手を離してください」
「…………」
「伯爵様?」
「こうして触れてもいい女性に初めて出会って…それがレティシアであった奇跡に、今の私は大きな喜びを感じている」
「…急に…どうされました?」
「私は、恋に落ちてしまったようだ」
淡い緑色に輝くアシュリーの真っ直ぐな瞳に見つめられ、突然の告白を受けたレティシアは狼狽える。
(こっ…恋?まさか…私に?!)
「…あ…あの…」
「心配しないでくれ、一方的な想いだと分かっている」
「…………」
困惑して言葉を発せられないレティシアの様子に、アシュリーは手を離す。
「…困らせるつもりはなかった…レティシアに今の私の気持ちを知っていて欲しくて、すまない…」
しばらく沈黙が続いた後、先に口を開いたのはレティシアだった。
「伯爵様、私の話を聞いていただきたいのです。少し長くなりますが、お時間よろしいでしょうか?」
♢
アシュリーは、商店で働くレティシアを見て、語学力を活かせる仕事を与えようとしてくれている。
受け入れれば、仕事も住む場所も全て解決できると分かっていても“唯一の存在”と誤解させたことが重い足枷となり、首を縦には振れなかった。
そこへさらに淡い恋心まで告げられて、流石に余裕がなくなる。
(黙ったままでは、どんどん拗れていくわ)
レティシアは、トラス侯爵家で起きた悲劇と、前世である自分が目覚めた経緯をアシュリーに説明した。
──────────
「…つまり、今の君は本当のレティシアではないと?」
「えぇ、この身体で過ごした17年間の記憶が欠落しています。私には前世の記憶しかありません…要するに、中身は別人なのです」
「トラス侯爵令嬢は…現世から消えたのか…?」
「魂が永遠の眠りについてしまったそうです」
アシュリーは、想像もしていなかった事実に言葉を失って黙り込む。頭部の傷跡は、侯爵令嬢がこの世を去ったという話を裏付けるには十分。
単純な記憶喪失などではなかった。別人格に変わったレティシアを、王族や侯爵家はあっさりと手放してしまったに違いない。
アシュリーの抱いていた疑問が、次々と解けていく。
「トラス侯爵令嬢は素晴らしい女性で、ご家族や多くの方々に愛されていたと思います。でも…私は違う。貴族を見たことも、ドレスを着て生活をしたこともない超がつく凡人です」
「…だから、自分の意思で貴族籍を抜けた…」
「はい。異世界の記憶を持つ私は、この世界の礼儀や常識にそぐわない。上流貴族の方からすれば扱いにくい異質な人間でしかありません。伯爵様も、そう思われたはずです」
「…違和感はあったが、そもそも…生きてきた世界が私たちとは異なっていたんだな…」
『周りにレティシアのような者はいない』と言ったことを思い出し、アシュリーは思わず口元を手で覆う。
「商店に珍しい品物が入荷すれば、一時お客様の目を引きます。それと同じで、周りと違う私の存在が伯爵様は少し気になるのではありませんか?」
「…………」
「そういった好奇心を、恋心と勘違いされているのですよ」
「…勘違い…」
「えぇ」
レティシアの話に対して咄嗟に返す言葉が思い浮かばないアシュリーは、一瞬苦悶の表情を浮かべる。
「実は、今の私の身体はまだ不完全な状態なんです」
「……不完全?」
「魂と身体の結びつきが完全ではありません」
「魂が抜ける特殊な病の話は聞いたことがある…それと似た状態か?…待て…まさか…」
レティシアが何を言いたいのか、アシュリーはすぐに気付いた。
「…私が触れても、何も起こらないのは…」
「はい、そのせいだと考えています。時間と共に魂と身体の同化は進んでいくそうなので、女性の私はいつか伯爵様に近寄れなくなるのではないでしょうか?」
「…………」
唯一の存在と恋心、両方を否定されたアシュリーは絶句する。
「伯爵様がお探しの運命の人は、私ではないのです。…申し訳ありません…でも、今ここでお伝えするべきだと思いまして」
何の関わりも持たずに商店の倉庫で別れていれば、こんなにも彼を傷つける状況にはならなかった。レティシアはアシュリーに向けて、深々と頭を下げる。
(…あの時、手袋を無理やり外してしまった私のせいだ…)
「…頭を上げてくれ…」
「…………」
「話は…私なりに理解したつもりでいる。従者たちには、君が困らないように説明をすると約束しよう。…複雑な身の上を明かすのは勇気がいっただろう…話してくれてありがとう」
「…伯爵様…」
「全てを聞いた今でも、私がレティシアに秘書の仕事をして貰いたいと思う気持ちに…変わりはない」
「え?…い…いいんですか?」
「…商店の仕事は後半月と言わず、明日で辞めて欲しいくらいだ…」
「それは…オーナーが許可しそうにありませんけれど…私も、できることなら伯爵様のお仕事をお受けしたいと思っています」
「ほ、本当か…?!」
「…はい、私でよければ…ですけれど…」
「……そうか…よし…分かった。今夜はもう遅い、雇用の件は明日以降にゆっくり話し合うとしよう」
「ありがとうございます」
アシュリーは、レティシアを部屋までちゃんと送り届けてくれた。
65
あなたにおすすめの小説
【完結】あなたが私を『番』にでっち上げた理由
冬馬亮
恋愛
ランバルディア王国では、王族から約100年ごとに『裁定者』なる者が誕生する。
国王の補佐を務め、時には王族さえも裁く至高の権威を持ち、裏の最高権力者とも称される裁定者。その今代は、先国王の末弟ユスターシュ。
そんな雲の上の存在であるユスターシュから、何故か彼の番だと名指しされたヘレナだったが。
え? どうして?
獣人でもないのに番とか聞いたことないんですけど。
ヒーローが、想像力豊かなヒロインを自分の番にでっち上げて溺愛するお話です。
※ 同時に掲載した小説がシリアスだった反動で、こちらは非常にはっちゃけたお話になってます。
時々シリアスが入る予定ですが、基本コメディです。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく
犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。
「絶対駄目ーー」
と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。
何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。
募集 婿入り希望者
対象外は、嫡男、後継者、王族
目指せハッピーエンド(?)!!
全23話で完結です。
この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。
異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜
京
恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。
右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。
そんな乙女ゲームのようなお話。
一夜限りの関係だったはずなのに、責任を取れと迫られてます。
甘寧
恋愛
魔女であるシャルロッテは、偉才と呼ばれる魔導師ルイースとひょんなことから身体の関係を持ってしまう。
だがそれはお互いに同意の上で一夜限りという約束だった。
それなのに、ルイースはシャルロッテの元を訪れ「責任を取ってもらう」と言い出した。
後腐れのない関係を好むシャルロッテは、何とかして逃げようと考える。しかし、逃げれば逃げるだけ愛が重くなっていくルイース…
身体から始まる恋愛模様◎
※タイトル一部変更しました。
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~
浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。
本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。
※2024.8.5 番外編を2話追加しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる