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第10章
152 ジュリオン・トラス4
しおりを挟む「…貴女の望む幸せがここにあるのなら、我が家門や…ルブラン王国から出た選択は正しかったんだ…」
回廊を眺めたまま、ジュリオンは自分に言い聞かせるように呟く。
「私は、完璧な貴族令嬢には程遠い宇宙人なもので“レティシア嬢”にはなれず…申し訳なく思っています。何れ、私の存在がトラス侯爵家のお荷物になるのは目に見えていました」
「…そんなこと…あるわけがない。本音を言えば、除籍させずに手助けしてやりたかった」
ジュリオンは、膝に置いた両手をギュッと握り締める。
「しかし、私では力不足であっただろうと痛感している」
「…ジュリオン様…」
「大公殿下は、秘書官として満ち足りた生活を送る貴女をしっかり守っておられる…偉大なお方だ。とても大事にされているんだね」
(…モメた末に女装男子だと勘違いされて、訳ありな殿下の“女避け”にお誘いを受けたのが始まりなんです…)
「…とは…口が裂けても言えない…」
「ん?」
「いえ…殿下は、威厳があって優しく強い…ラスティア国の君主です。でも、人知れぬ苦労を数多く乗り越えてきたお方でもあります。私は、この先も尊敬する殿下にお仕えしていくつもりです」
「…守られるばかりではない…ってことかな…」
「えぇ…私は殿下の秘書官ですから、自分にできる仕事は何でもします。ジュリオン様も、トラス侯爵家や領民、王国をより豊かにするためなら努力を惜しみませんよね?」
「うん…それが、後継ぎであり…貴族である私の務めだ」
「そんなジュリオン様の勇姿を見て、ブリジット嬢は『支えていきたい』と思っていらっしゃるはずですよ」
歓談中、ジュリオンを案じるブリジットの眼差しが強く印象に残っていた。
「さっき、私が大事にされていると仰ったでしょう…?
ジュリオン様も、侯爵ご夫妻やブリジット嬢にとって、愛すべきかけがえのない存在です。お仕事が忙しくて、疲れていたり悩んでしまった時こそ…一人で抱え込まずに周りを見てくださいね。ご家族やご友人が、手を差し伸べようと側で見守っていると思うので…」
「…………」
気遣われて居心地悪く感じたのか…ジュリオンの表情がわずかに歪むのを見たレティシアは、それとなく話題を変える。
「…私なら大丈夫、心配ご無用ですよ。有り難いことに、この王国では異世界人は特別なので、貴族社会に関与せず自由に過ごせています。偶々知り合った殿下が、まさか召喚された聖女様のいる王国の王族だなんて…偶然にしては、でき過ぎた物語みたいですけれどね。
今は、この世界で目覚めた運命をちゃんと背負って、出会った方々とのご縁を大切に結んでいければいいなと思います。お陰様で、私は…レティシアは幸せです」
離れていたほんの数ヶ月の間に、レティシアはアルティア王国で盤石の地位を確立し、立派な大公秘書官となっていた。
サオリやアシュリーからは、レティシアへの並々ならぬ愛情を感じ取ることができる。
ジュリオンは頷くしかなかった。
「…そうか…レティシア…よかった…」
──────────
─ 浄化の聖光 ─
聖女サオリが癒しの魔法を行使した瞬間、あまりの眩しさに立っていながら意識が遠のいて…ジュリオンの全身から力が抜けていく。
胸に巣食っていた深い悲しみや憎悪が引き剥がされては光の中へと零れ落ち、様々な記憶が頭の中を駆け抜けて消えていった。
可愛くて仕方がなかった幼い妹。
いつからか、自分の想いは異性への愛なのだと気付いた。届いてはならない、通じてはいけない気持ちだと…自制し続けた日々。
社交界で“人形”と呼ばれる妹が、自分にだけ見せる微笑みと会話の数々。何気ない日常が永遠に続けばいい、嫁ぐまでの時間が止まればいいのにと、何度も願っていたのを思い出す。
そんな願いをしたせいか…妹は…ある日突然に自ら時間を止めた。
血塗れで地面に倒れていた姿が忘れられない。妹を救えなかった自分が愚かで情けなく、現実を受け入れられずに毎日酷く苦しんだ。
昏睡状態から目覚め、別人となった妹は…やはり愛おしくて…その存在を手放すわけにはいかないと執着した。
忌々しい王子のフィリックスとアンナを怨んでは眠れない夜を過ごし、憎しみは…処罰が下された後も変わらず、どんどん積み重ねられていく。
宿場町の酒場で酔い潰れるフィリックスは、店内にいたガラの悪い連中に目をつけられているのだと容易に分かった。
わざわざ情報を流さなくても、金回りのいい酒飲みが闇夜に紛れて襲われるのは時間の問題。
そこへ“元王子”という美味い餌を撒き、フィリックスが何もかもを搾り取られてしまえばいい…あの男がどうなっても構わないと、未必的で真っ黒に染まった悪意を抱く。
大きな罪を…犯したのかもしれない。赦されるだろうか…。
そう思って目を開けば、脳裏に霧が晴れるかの如く光明が差し込み…ブリジットが駆け寄って来るのが見えた。
♢
「聖女様、妹君をお連れいたしました」
ドレス姿のレティシアが貴賓室に入ってきた途端、その華やかさに場の空気が和らぐ。
レティシアの容貌や身体つきが少女から大人の女性へと急激に変化していることに驚いて、ジュリオンはハッと息を呑んだ。
隣にいたブリジットもまた…胸に手を当て、夢見心地でポーッと見惚れていた。
白い肌には艶があり、神秘的な青い瞳はキラキラと光って…緊張感からか、長い睫毛をやや忙しなくはためかせている。
「レティシア・アリスでございます」
よく響く澄んだ声は、トラス侯爵家にいた時よりも朗らかに聞こえた。
礼をするとフワリと広がる…首元が広く開いた淡い黄色のドレスは、レティシアの肌色や柔らかな髪色と馴染んでよく似合うが、ルブラン王国では見たことのない装い。
─ あぁ…違う…妹はいないんだ ─
そんな感情の波紋がゆっくりと広がり、身に沁み入るように不思議と素直にそう感じた。
プツリと切れた兄妹を繋ぐ糸は、二度と手繰り寄せたりできないと…とっくに分かっていたはずなのに。
もう認めなくてはならない…目の前にいるのが妹ではなく、美しい一人の女性だということを。
──────────
「…最後に…友人として、私の話を聞いてくれるだろうか?」
「はい、私でよろしければ」
「…貴女に聞いて欲しい…」
ジュリオンは、護衛のカインとルークに軽く頭を下げると…庭園へ視線を移す。
「私は、妹のレティシアを…愛していたんだ」
全く予想していなかった話に、レティシアはドキリとした。
ジュリオンを見れば、彼の横顔は穏やかで凪いだ瞳をしている。
「…それは…その…」
「異性として好きだった。そして、彼女も私を愛していたと…この世を去った後に、遺された手紙で知ってしまった」
「…手紙…」
(あ…引き出しにあった本に挟まっていた…あの手紙?)
「…何と言えばいいのかしら…」
「聞いてくれるだけで構わないよ…当然、誰にも話したことがなくてね。今ここで口に出さないと、墓場まで持っていきそうな気がするから」
「…はい。え…と、両想いですよね」
「想いが通じ合ったとしても、兄と妹では許されない」
「…不毛な恋…」
「トラスの名を捨てて逃げれば、共に生きる道もある。…が、彼女はそれを選ばなかった。いや、選べなかったと言うべきかな」
兄妹が愛し合って逃避行をすれば、残された両親は二人しかいない子供を一度に失い悲しみに暮れ…醜聞が立つと、貴族たちは手のひらを返したように容赦なく蔑んだ目を向けてくる。
「…初めから、選択肢になかったのではないでしょうか…」
全ては侯爵家のため…実らない想いを胸に秘めたまま生きてきた現世のレティシアは、そんな考えを起こさない。
身も心も雁字搦めになり、将来を悲観して壊れる寸前…愛する人の幸せだけを願い、この世から消える準備をしていたように思えた。
「彼女はフィリックスの愚行を証拠に残し、家門に傷がつくのを防ごうとしました。きっと、自分が居なくなった後も…ジュリオン様が継ぐ“トラス侯爵家”の名誉を守りたかったんだと思います…」
レティシアが淡々と話すのを聞きながら、ジュリオンは静かに涙を流した。
「…貴女にそう言われると…堪らないな…。私は…侯爵家の後継者として、恥ずかしくない人間にならなくてはいけないね」
「期待していますわ」
「…ありがとうございます。アリス様、どうか貴女らしく生きてください。自由に恋もして、大公殿下と…末永くお幸せに」
「……へっ?!」
────────── next 153 清めの儀式
お読み下さっている皆様、誠にありがとうございます。
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