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第10章
151 ジュリオン・トラス3
しおりを挟む「では、妹のアリスをご紹介いたしますわね…大公」
「はい」
どちらかといえば“招かれざる客”であるジュリオン一行。
しかし、ルブラン王国国王からの書状を手に入国手続きをしているため、アルティア王国側はジュリオンを賓客として扱う。
「聖女様、妹君をお連れいたしました」
アシュリーに手を引かれ、広々として豪奢な貴賓室に登場したレティシアは、緊張の面持ちでジュリオンと再会をする。
“聖女の妹”として形式的な挨拶を交わし、お茶を飲みながらしばらく歓談したところで、ジュリオンが『レティシアと二人で話をしたい』と…サオリに申し出た。
♢
「…大公…ずっとそうしているつもりなの?」
「………えぇ」
「護衛がニ人、側についているわ」
アシュリーが鋭い目つきで睨んでいるのは、貴賓室から外へと繋がるように造られた、庭園を望むための開放的な屋根つきのテラス。
テラスには、木製の丸いテーブルと椅子のセットが等間隔にいくつか並んでいる。そのうちの一つにジュリオンとレティシアが座り、傍らにはカインとルークが控えていた。
「アリスは護衛たちと少し距離を取っているので、目が離せないのです。私のことはお気になさらず、どうぞ…女性同士で和やかな時間をお楽しみください」
「窓ガラスに張りついて何を言うの…これでは、私は大公の背中に話し掛けるしかなさそうね」
「聖女様のご自由でよろしいかと思います」
「…そんな拗ねた言い方はおよしなさい。
昼食の準備が整うまでの時間だけならと許したのよ、彼はアリスと話をするためにルブラン王国からやって来たのでしょう?」
「理解しております。私は、ここからアリスを見守るだけです」
「監視の間違いでは?」
「とんでもございません、あ…手を振ってくれました」
「…………」
サオリの呆れ切った真顔を真正面で見ていていいものかどうか…迷ったブリジットは、何となく目線を外す。
「…ブリジット嬢…大公が無愛想でごめんなさいね、ホホホ」
「い、いいえ…アリス様は、皆様から愛されてお幸せですね。…あの…聖女様、先程は本当にありがとうございました」
「あら“浄化”のことなら…あれは、アリスのためです。お礼など必要ありませんよ」
サオリがジュリオンを聖力で浄化すると、憑き物が落ちたかのように清々しい表情に変わっていた。
聖魔法を初めて目にして大慌てだったブリジットも、ジュリオンの心の憂いを祓い癒す行為であるとすぐに気付く。
聖女の尊い力を惜しげもなく使い、尚且つ…気を遣わせまいとするサオリの慈悲深い振る舞いに…ブリジットは涙を堪える。
「…聖女様…私は、穏やかな顔の彼を…久しぶりに見たのです。…素晴らしい魔法のお力に、感動いたしました」
「トラス卿はご家族を大変大切になさっていたというお話でしたね、お辛くて…酷く気に病まれたのでしょう…」
妹を溺愛していた兄から感じる…やり場のない強い想い。
転落事故によって現世のレティシアの魂と身体が滅びていたならば、ジュリオンは今ごろ狂気に染まっていたとサオリは思う。
闇落ちを防いだのは、大魔術師レイヴンの手柄だ。
「ブリジット嬢は、トラス卿がお好きですのね」
「…はい。トラス侯爵家とコールマン伯爵家は先代からのお付き合いがございまして、私たちは幼馴染みです。そのご縁で婚約をいたしました…」
「…幼馴染み…」
ブリジットは、17年間の記憶が抜けている今のレティシアと会うのが初めてだったのだろう、二人は初対面の挨拶を交わしていた。
『お初にお目にかかります』
そう言ったレティシアに対して、一瞬固まったブリジットの様子を目にしていたサオリは、幼いころから共に過ごし成長してきた時間を忘れ去られ…衝撃を受けたせいだったのかと慮る。
「アリス様は、大人っぽく魅力的な女性でいらっしゃいますね。私より年下には見えませんわ。
身体つきや表情、話し方…全てが以前とは変わられて…その…魂が異世界のお方であると聞いてはおりましたけれど、とても…驚きました」
「魂と身体の同化がかなり進んできている段階なのです、前とは別人に見えたかしら?
ブリジット嬢、アリスの魂はレティシア・トラスの魂と元は一つでした。心のあり方、本質は非常に近い存在。本来のレティシア・トラスとは…今のアリスのように堂々としていて、目映い輝きを持っていた人物のはずよ…」
「本来の…?」
「侯爵令嬢の彼女が“人形”と呼ばれるまでに、どれ程の困難があったのかは分かりません…けれど、そうね…胸に布を巻いてドレスを着る生活を長年していたくらいですもの、自らを偽って生きていく覚悟だったに違いないわ」
「…えっ…胸に…布…?」
ブリジットはギョッとして、思わず後ろの壁際に立っているメイドのカミラを振り返る。
旅の間、ブリジットの身の回りの世話をする側仕えとして同行していたカミラは、元レティシアのメイド。
カミラは、ブリジットの眼差しに堪え切れず…小さく頷く。
「…そんな…」
社交の場では、より優美に華やかにと…年令を問わず女性たちは妍を競う。容姿をよく見せるためのドレス、宝飾品、化粧、髪型…パーティー毎に工夫を凝らし、流行りから外れるなど許されない。
トラス侯爵家の令嬢レティシアは、肌の露出が少ないドレスを常に身に着けていた。それがレティシアの物静かな雰囲気と非常によく合っていて、そうであるのが彼女だと思わせるほど。高価で貴重な布地と細やかな細工を施した宝石は、毎回注目の的であった。
「“人形”…でも…彼女は、笑顔や会話がなくても十分…いつだって…煌めく存在でした。羨ましいくらいに…」
──────────
テラスに並ぶテーブルには、庭園のほうを向いた椅子が三つ。
ジュリオンとレティシアは隣に座り、お互いを何となく視野に入れながら…風景画の如く綺麗に整った花と緑を眺めている。
「…アリス様…申し訳ありません…」
「ジュリオン様…?」
「私は“妹のレティシア”を忘れることができませんでした。
もう一度だけ、貴女にお会いしたかった…願いを叶えていただき、ありがとうございます」
「…謝るのは…私のほうです…」
「…………」
「『忘れて欲しい』などと、身勝手極まりない発言をいたしました…心からお詫び申し上げます」
「貴女は、見知らぬ世界での堅苦しい生活から自由になりたいと望んでおられた…その能力と行動力を兼ね備えたお方です。それなのに、私が無理に囲って守ろうと意固地になっていたために『忘れろ』と仰ったのでしょう。分かっております」
「…独善的で、お恥ずかしい限りです…」
「そんなお顔をなさらないでください」
目を泳がせて俯くレティシアの顔を覗き込み、翡翠色の瞳を細めて微笑むジュリオンは相変わらずの甘い顔立ち。幾分…ほっそりしたようにレティシアは感じた。
「ジュリオン様…少しお痩せになりました?」
「心配してくださるのですか…?」
「…あ…」
(関わりを絶っておいて…気遣える立場ではない私が、余計なことを言ってしまった)
「気にかけていただけるとは…とてもうれしいです。アリス様は、大人びてさらにお美しくなられましたね」
「そ、そうでしょうか?…ありがとうございます。あの…ジュリオン様、今だけ…もう少し気軽にお話いただいても大丈夫ですわ」
「…ご配慮に感謝いたします…」
レティシアは、カインとルークに離れて護衛をするよう手で合図をしながら、ジュリオンに小声で話し掛ける。
「侯爵ご夫妻は、お変わりないですか?」
「父上は、相変わらず国王陛下に難題を持ちかけられているみたいだ。母上は、ブリジットにいろいろと家のことを教えている。二人とも息災だよ」
「お元気でよかったわ。ジュリオン様はブリジット嬢とのご結婚が決まったんですよね、おめでとうございます」
「…ありがとう。…アリス様は…大公殿下と…?」
「へっ?」
(あ、やっぱり…殿下の瞳の色のドレスを着てるから分かっちゃうの?…いや、黄色ってそうでもない…)
何と答えたものか?レティシアがチラリとジュリオンの顔色を窺うと、彼はぼんやりしていた。
(んん?)
視線の先には回廊が。
(あれ?…さっき歩いて来た道?こっちから見えるのね)
レティシアは、その回廊から貴賓室の窓へと…まるで線を繋ぐようにゆっくり辿る。すると、大きな窓の前に立つアシュリーの姿が目に入った。
「…殿下だ…」
つい手を振ってしまってから、レティシアはふと思い返す。わざわざ、通路の途中でアシュリーと抱き合った理由とは…まさか?
(お…おデコにチュー!ジュリオン様に…見られてた?!)
────────── next 151 ジュリオン・トラス4
お読み頂きまして、ありがとうございます。
私事なのですが、目に病気が見つかり…手術して入院することになってしまいました。術後しばらくは目が不自由になります。
ご迷惑をおかけいたしますが、手術前後は目に負担のない時間配分とペースで物語を書き進めて参ります。ご理解頂けますと幸いです。
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