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第11章
154 誘拐
しおりを挟むユティス公爵邸の執務室には、公爵夫妻とラファエル、ルーク、そして…宮殿で待機していたチャールズとマルコも駆けつけ、六人が顔を揃えていた。
「…申し訳ありません…全ては油断した私の責任です。門衛の話から、二人を攫ったのはザックで間違いないと思います」
アシュリーが初めて愛した女性と、ルークのたった一人の妹…レティシアとロザリーが誘拐されたという急報を受けた面々は、緊迫した状況に誰一人椅子に座ることなく黙って立ち尽くしている。
ユティス公爵は執務机に寄り掛かって腕を組み、温厚な彼には珍しく殺気立った表情を見せていた。
「ザックがこうも堂々と人攫いをするとはな…単なる誘拐ではないはずだ。どこかに黒幕が隠れているなら、迅速かつ慎重に行動しなければ。とにかく、私は王宮へ急ぐ。儀式中であっても、レイにこの事態を伝えんわけにはいかん」
王宮で『清めの儀式』を行っている最中のアシュリーと、そこで護衛に当たっているカイン、ゴードン、カリムには…レティシアの危機を知らせることができていない。
「ラスティア国の出入国は一時閉鎖をする。万が一に備えて、陛下にはアルティア王国の出国検問の取締り強化を依頼しておこう。
クロエ、念のため私兵を集めておいてくれるか。事と次第によっては必要になる。…私の不在中、ラファエルは私の代わりにクロエの補佐をするように」
「はい、義父上」
「あなた、後は任せて。一刻も早く王宮へ」
静かに頷いたユティス公爵は、俯いて両手の拳を震わせるルークの肩にそっと手をかけた。
「ルーク、そのまま邸を飛び出して行かずに…よく堪えて…ここへ戻って報告してくれた。我々は最善を尽くすと約束する」
「…閣下…どうか、ザックを追跡する許可を…っ…」
崩れ落ちるように床にひれ伏したルークの姿を、全員が胸を締めつけられる思いで眺める。
「いいだろう…お前なら同じ一族のロザリーの気配を辿れる。チャールズとマルコも、ルークの手助けを頼めるか?」
「はい」
「分かりました」
「…そうだ…」
ユティス公爵は机上の小物入れから透明の魔法石が埋まった太い指輪を取り出し、呪文を唱えた後で床に跪くルークの指に強引に嵌め込む。
指輪は、指のサイズに合わせてスルスルと形を変えていく。
「これには私の魔力を込めてある。王国内であれば、魔力探知によって持ち主が何処にいるのか地図上で分かる優れた魔導具だ。魔法石を押すと、対の指輪と一定時間通信もできる。片割れは私が持っておこう。
いいか…レティシアとロザリーの居場所を見つけたら連絡してくれ。レイの指示があるまで、勝手な行動はするんじゃないぞ」
──────────
「…ふぅ…」
聖水の泉を出たアシュリーは、ガラス張りの天井を清々しい気分で見上げる。
そこから射し込む柔らかな夕陽は、花や植物をモチーフにした壁面の繊細な浮き彫り細工とアシュリーの全身を…茜色に染めていた。
周りの景色に溶け込み、風情ある雰囲気を魅せるアシュリーの姿は、ゴードンが無意識に歩みを止めてしまう程の美しさだ。
「殿下、お疲れさまでした」
「…あぁ…悠々とした時を堪能できたよ…」
男性王族の義務ともいえる儀式を無事に終え、アシュリーは柔和な笑みを浮かべる。ゴードンが手にしていたガウンを素肌の上にサッと羽織ると、聖水の泉を後にした。
衣服を脱ぐのは勿論、装飾品など身につけていたもの全てを外すのが儀式の決まり。アシュリーは別室で髪を乾かしつつ、ゴードンの手を借りて身支度を整えていく。
「…っ…!」
「ゴードン…?」
鎖に通された金の指輪をアシュリーに手渡そうとしたゴードンが、ハッと息を呑む。
「殿下、指輪が…熱いのです…」
「…何だって?」
受け取った神聖なる遺物は熱を帯び…さらに、アシュリーの手の中でチリチリと小さく鳴り始めた。
「これは…共鳴?…っ…まさか、レティシアの身に何か…」
♢
「レティシアが攫われた?!!!」
ユティス公爵の話を聞いて大声を上げたアシュリーは、心臓を刃で貫かれたような衝撃に襲われる。
「庭師のザックに一瞬の隙を狙われて…ロザリーと一緒に行方が分からなくなった。今、ルークたちが後を追っている。レイ…すまない」
「大公…レティシアは加護持ちだもの、誰も手を出せないはずよ。だけど、馬車ごと遠くへ連れ去られる前に何としても見つけ出さなければいけないわ。落ち着いて、策を練りましょう」
酷く顔を歪め、胸元に下げた指輪を握り締めるアシュリーからは強い魔力が溢れ出し、厳かな聖女宮は異様な空気に包まれていた。
「…ザック…」
アシュリーが呟く低音の響きは、まるで呪われた詞…ユティス公爵は、総毛立つ感覚に思わず身震いする。
サオリは、懇意にしていた庭師ザックの裏切り行為にショックを隠せず、サハラの下へ急ぎ使いを送った後…何か思案しながら頭を抱えていた。アシュリーに言った『落ち着け』という言葉は、サオリ自身に向けたも同然だ。
ゴードンとカリムはアシュリーの指示を待つしかなく、護衛をしていたカインは、騎士団長アフィラムに報告をして救いを求めるため、足早に部屋を立ち去る。
──────────
「サオリ」
「あなたっ!…レティシアが…」
「…話は聞いた…」
知らせを受けてやって来たサハラは、駆け寄って縋りつくサオリを抱き締めると、アシュリーの様子をチラリと窺う。
「助けて欲しいの!レティシアは魔力がないけど、レイヴンが与えた魔術やあなたの加護の力があれば探せるわよね?」
「サオリ…悪いが、私にもアリスは見つけられないようだ」
「…嘘…」
「気配を感じ取れない。王国外へ出たのでなければ、特殊な結界で遮断されてしまっているのだろう」
「特殊…魔法結界ではないって言うの?」
アルティア王国では魔法や魔導具を使って張る結界が一般的で、結界内を外敵から守る大きな役割を果たしている。
「狭い領域で強力な結界を幾重にも重ねたか…或いは、解呪や呪祓を行う術師が稀に使う、外界と区切った境界へ追いやる結界か…何れにせよ…どこかへ閉じ込めた」
「守りを逆に利用して、レティシアたちを探せなくしているのね」
「繋がりが深いレイヴンならば、もしかすると妨害を蹴散らすかも分からん…少なくとも…私や、刻印の紋様を共有していない大公には難しい。エルフの長には使いをやった」
「…レイヴンを…待っていられないわ…」
確実だと思われた頼みの綱が切れてしまったために…サオリは力無く項垂れた。
「おそらく、迂闊に手出しできないと知った上で結界の中に囲っている。加護を与えられてはいても、アリスはか弱い。人間は気を病む生き物だ…身体に傷を負わずとも、恐怖の闇に引き摺り込まれれば正気を失うのは時間の問題…」
「一体…誰がこんなことを!」
「…急いで探し出してやらなければならぬ…」
♢
サハラが言ったように、王国内に留まっているのは間違いないと…ユティス公爵は、窓際に置かれている大きめのテーブル上に魔導具の地図を慌てて広げる。
「…っ…これは…」
地図に現れたルークの足取りを示す赤い印は、アルティア王国の中心部へと進んでいた。
「すでにラスティア国を出国していたとは…こちらへ近付いて来ている…?」
「魔力探知の地図ですか…ルークの鼻なら、結界など関係なくロザリーを見つけると思います」
「あぁ…そうだな。無茶をしなければいいんだが」
横から地図を覗き込んできたゴードンの言葉に、ユティス公爵はレティシアとロザリーが一緒にいることを強く願う。
「それは無理よ!」
甲高い声に、ユティス公爵とゴードンが振り向くと…金の指輪をサオリの目の前にズイッと差し出したアシュリーが窘められている。
「聖女様、よく見てください。この指輪の揺らぎは、レティシアを救えと…私を喚んでいるのではありませんか?…契約をすれば…」
「自分の魔力がどんなに強いか分かっているの?魔力と聖力は交わらない、契約できる可能性はないに等しいわ」
「ゼロではありませんよね」
「…大公…無茶を言わないで…」
「ならば、聖力に神力を合わせてやろう」
話を聞いていたサハラが、徐ろに指輪へと指先を伸ばす。
「…あなた…」
「やってみるしかあるまい。愛する女のためなら…男は諦めん」
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不定期公開にも関わらず読み続けて下さる皆様、誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。
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