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第11章
155 誘拐2
しおりを挟む「えっ?…ちょっ、ちょっと待って!!」
「…あっ!…ザックさん!!」
荷台の奥にいるレティシアとロザリーが叫んだ時には、ザックの手によって軋んだ音を立てながら扉が閉まったところだった。
二人で何度も扉を叩いて大声を出したが、一ミリの揺れもなく音は掻き消される。
(…閉じ込められた…どういうこと…?!)
レティシアが外の世界と切り離され、孤立した感覚を味わうのは…これで二度目。
明り取りの小窓も風を通す格子窓もないため、周りは真っ暗闇。
砂塵の煙さと花の濃い香りがやけに気に障る箱の中で、不安を煽るように二人の息遣いだけが響いて聞こえた。
「何か…魔法がかかってる」
「…レティシア様…」
か細い声でレティシアの名を呼ぶロザリーと身を寄せ合い座り込んだ瞬間、荷馬車が動き出す。
パニックに陥って騒ぐ暇すらない。このまま攫われてしまうのだと…頭が勝手に理解をし始め、焦りと絶望感でレティシアの全身がじっとりと汗ばむ。
(…ザックさんが…なぜ私を…?)
今さら、狙われた理由を考えて意味などあるだろうか?
如何なる場合であっても、護衛のルークを絶対に側から離してはいけなかった。ザックに隙を与え、側に居合わせたロザリーまで巻き込んだ深刻な事態に…レティシアは激しく後悔をする。
「……ロザリー…ごめんなさい…私のせいよ。荷馬車が邸を出てしまったら…」
(…私たちは…見つけて貰えるの?…)
レティシアもロザリーも魔力がなく、脱出する術を持たない。
外から聞こえるはずの雑音すら遮断され…どこへ向かうのか分からない荷馬車は移動し続けていて、助けを呼べる状況は皆無。
ルークが庭園に戻れば、ザックの誘拐行為に気付くはず。今は、彼だけが唯一希望の光に思えた。
(ううん…違う。攫いさえすれば、私たちをこうして隠し通せると思ってる。だから、あの場にルークを敢えて残してでも…)
ザックは“絶好の機会”を逃さず、強行突破に出たのだ。最後に目にした、不気味に笑う顔が脳裏にチラつく。
「…ロザリー?」
徐々に目が暗闇に慣れてくると、隣でゴソゴソと髪をいじっている様子が見え、レティシアは首を傾げる。
ロザリーは、髪から一本のヘアピンを取り外した。
ピンの先がかなり鋭利に見えるのは気のせいか…彼女はそのヘアピンを手の中にグッと握り込み、ニコリと微笑んだ。
「これで、私を探しに…来れる…はずです」
「…え?…それはルークが…?」
どういう意味かと、レティシアが問い掛けようとした途端…ロザリーの身体から力が抜け落ち、ズルズルと倒れ込む。
「どうしたの!」
「…あ…あれっ…」
「大丈夫?!…しっかり…」
急いで上半身を抱き起こせば、ロザリーはハッとしてエプロンで鼻先を覆い隠し、震える手でハンカチをレティシアへと差し出す。
「…レティシア様…ゴホッ…っ…花です…花の匂いを…嗅い…ゴホッ…なりません」
「花…花の苗?匂い…って」
レティシアがハンカチを受け取った後も、激しく咳き込んで荒い呼吸を繰り返すロザリーの肩は大きく上下している。
(まさか…あの花、毒花か何か?!…どうすれば…)
彼女が苦しんでいるのは、愚鈍な行動からザックの策略にはまったレティシアの責任…それなのに、小さな背中をただ擦るしかできない自分が無力で申し訳なくて、紫青色の瞳に涙がジワリと滲む。
「…ロザリー…ごめんね…」
同じ空間で同じ空気を吸っていても、レティシアには何の異常も起きていない。レイヴンの魔術と加護の強さ、彼の破格の能力を…こんな形で改めて思い知らされるとは。
─ 大事なのは…君らしく、自由に生きていくことだ ─
レティシアは、加護を授ける際にレイヴンが発した言葉を不意に思い出す。魂を喪った現世のレティシアの分まで、守りが万全なこの身体で『楽しんで生きろ』と…そう言われたのではなかったか?
(私、こんな暗いところでウジウジして…何をしているの?)
「今のまま気持ちで負けて諦めたら、ここまで私を支えてくれた方たち…殿下、ルークにも…合わせる顔がないじゃない…っ…」
無駄な足掻きを嘲笑うかの如く無情に閉じた扉の前で唇を引き結び、ロザリーを一度ギュッと強く抱いたレティシアは、右手の中指で銀色に光り輝いている指輪を見つめた。
(聖なる力を持つこの指輪が、契約した私の心と繋がっているのなら…)
「…どうか、私に力を貸して…ロザリーを助けたいの!」
──────────
レティシアとロザリーの行方を探すルークたちは、アルティア王国の中心街から少し脇にそれた大通りへと入る分岐点で佇んでいた。
「…こっちだ…」
「お前の鼻を疑っちゃあいないが、この先へ向かったってのか?…確か、貴族の邸宅ばっかりがあるところだぞ…」
鋭い目つきで遠くを睨むルークの横で、チャールズは先を見越したように言う。
「ロザリーが目印に残した血の匂いを追ってる、間違いない」
「…なるほど…なら、レティシアたちを荷馬車に乗せたまま別の貴族の邸へ庭の手入れに行ったのか?よっぽど見つからない自信があると見える…実に苦々しいな」
「最早、ただの庭師とは思えないが…チャールズ、ザックを唆した黒幕が王国の貴族ってパターンもあり得るだろう?」
「そうだな。ルーク、マルコの言う通りなら…厄介だぞ」
「…関係ない…急ごう、はっ!」
馬の脇腹を鐙で蹴るルークに続いて、チャールズとマルコも馬を走らせる。
♢
「…ここが…一番濃い…」
ルークがロザリーの気配を追ってやって来た先は、アルティア王国の有力貴族が住む豪邸。
ザックは一流の庭師。庭木の剪定や草花の植替えなど、高位貴族から依頼を受けて訪れた可能性は依然として残る。
「これが別邸ならまだ踏み込む余地もあるんだがな…よりによって、侯爵家の本邸とは。マルコ、どんな感じだ?」
馬から降りたチャールズは、一際大きな邸宅の裏門近くで様子を窺いながら、魔法や魔法陣の解析が得意なマルコに尋ねた。
「当然、魔法結界が張り巡らされていて厳重だな。しかも、これはなかなか攻撃的なタイプ…下手に魔法で部分解除しようもんなら、魔力を感知してドカン!」
「…かといって、真正面から正式に訪問したところで…入れては貰えないんだろ」
チャールズは、ルークの言い分に渋い顔を向ける。
「俺たちが行けばそうだが、閣下や殿下なら話は別だ。ルーク、急いで閣下に知らせて…オイオイオイッ…何してる?!」
コートや上着を脱ぎ、大事な通信用の指輪まで外してポイポイと放り投げてくるルークを見たチャールズは、それを受け止めながら大いに焦った。
「中へ入る」
「…馬鹿野郎…閣下の指示を無視とか…マルコ、止めろ!」
「ルーク、ここがザックの最終的な目的地かは不明だ。黒幕が他にいれば取り逃すことになる。それに、無関係な侯爵の邸で騒動を起こしたとなれば…我々は非難を避けられない」
羽交い締めにして説得してくるマルコを、ルークは容易く跳ね除ける。
「偵察に行くだけだ。魔力なしの俺なら一瞬で入れる」
「結界を侮るな。魔力への派手な反応こそなくても、邸内へ侵入したら直にバレる。ザックが警戒して、却って面倒になるぞ」
「ルーク、見つかるはずがないと高を括っているザックを、お前はここまで追跡した。今はそれで十分だ、少し待て」
【…ルーク…聞こ……応答しろ…】
ザザッと…ノイズが混ざった音の中から、ユティス公爵のくぐもった声が聞こえ、チャールズは反射的に魔導具の指輪を握っていた手を開く。
『チャールズです。閣下、聞こえますか?』
【よく聞こえる。…ぅん?チャールズ?】
『あ、ルークもいます…ご安心を』
【そうか。お前たち、現在地は“ウィンザム侯爵”の邸で合っているか?】
『はい、その通りです』
【ゴードンとカリムがそちらへ向かった、合流してくれ】
『了解しました』
【それから…一つ報告がある。ザックがラスティア国を出ていたと分かった後、彼の店と倉庫をうちの私兵が調べた】
ユティス公爵は、ザックが誰かと共謀してレティシアの誘拐を企てたと仮定しており…その思惑を探るべく、素早い動きで調査を始めていた。
【クロエから入った情報を伝える。店内には争ったような跡があり、弟子たちは不在。隈なく捜索させたところ、土に埋まった…ザック本人と思われる遺体が見つかった】
『遺体?!…それは…っ…本当ですか!』
予想だにしなかった驚愕の展開に、三人は顔を見合わせ…揃って呆然とする。
「…は……あれが…偽物だったと?……じゃあ…」
庭師ザックの命を奪い…その姿を模した凶暴な男は、レティシアを攫う目的を達成した。
つまり、今…侯爵邸で庭仕事をしているわけなどない。
「待て…ルーク!!」
「おいっ!」
チャールズとマルコが引き留めるのを振り切り、ルークは侯爵邸の高い塀を飛び越えて行った。
────────── next 156 誘拐3
2週間空きましたが、読んで下さいましてありがとうございます。
(無事に目の手術を終えました。ゆっくり回復を待つのみです)
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