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第11章
156 誘拐3
しおりを挟むウィンザム侯爵家は、アルティア王国内で“名家”といわれる高位貴族の家門の一つ。
精鋭部隊である正騎士=王国騎士団直属の下部組織の中では最も層が厚い、上級から下級騎士で構成される近衛騎士隊の取り纏め業務の中枢として重要な役割を担っており、時には民間の重犯罪にまで騎士を派遣するなど…幅広く対応し得る権限を有する。
二年前、そのウィンザム侯爵家を悲運が襲う。
侯爵家当主カストル・ウィンザムの妻と娘の乗った馬車が襲撃に遭い、二人は無惨にも殺害された。
犯罪者の逆恨みだと周りが騒ぎ出した直後、カストルは自死。その後、急遽家督を継いだ若い嫡男も病死と…容赦なく不幸が相次ぐ。
カストルの実子として残っていたのは、まだ未成年の次男ケルビンのみ。ショックのあまり一時失語症を患った少年に、侯爵位を背負わせるのは…たとえ後見人を付けたとしても荷が重いのは明らか。
かといって、当主の座を空席状態にはできず、最終的にカストルの弟グラハムが引継ぎ現在に至る。
グラハムは庶子。
カストルとは腹違いの“異母兄弟”だった。
二人の父親エリオット・ウィンザムは、正妻との間にカストルしか男児を授からなかったため、愛人の子であるグラハムを侯爵家へ迎え入れ、貴族教育を受けさせたという。
身分の低かったグラハムの母は侯爵家と縁続きにはなれず、血統、地位や階級を重んじる社会において、婚外子の扱いはそれ相応。
華やかな社交界では常に息を潜めるように過ごしてきたグラハムだが、カストルの死をきっかけに野心家の一面が徐々に現れ始める。
グラハムには娘が二人、プリメラとデイジーしかいない。そのため、時期が来れば正当な後継者ケルビンに全てを譲り渡すと約束した上で…あくまで中継ぎ役として、侯爵家の実権を手中に収めた。
当時、ウィンザム家の死の連鎖が親族らを震え上がらせていた状況も追い風となり、出自に対する反発を抑え、関わりを恐れる者たちを黙らせるのは至極簡単な話だったといえる。
──────────
「…ったく…相変わらず…邸には足一歩踏み入れさせねぇな…」
掃除が行き届いておらず、綺麗とは言い難い下級使用人の宿舎。
開けっ放しの窓の外から響いてくる馬の嘶きと、獣臭さを含んだ夕暮れ時の湿気った空気が流れ込む室内で、無精髭の男が忌々しげにぼやく。
「お偉い侯爵様は、下民がお嫌い…か」
ウィンザム侯爵家敷地内の裏門側に、立派な厩舎が存在している。
厩舎では、品種改良された軍馬、乗用馬、馬車馬といった数種類の馬が管理されていた。
厩舎横に飼葉や敷き藁を備蓄する大きな倉があり、その隣に、日常使いの車体とワゴン、荷車の保管倉庫が二棟続いて…馬丁、調理補助に皿洗い、庭の整備係など…侯爵家が雇う男性使用人用の住まいである簡素な建物が立ち並ぶ。
この時間、忙しい下働きの者たちは夕食も口にせず未だ就業中、宿舎内はもぬけの殻で閑散としている。
男は“応接室”というにはあまりにもお粗末な小部屋の真ん中で、向かい合わせに置いた椅子に靴を履いたままの足を上げ…両腕を頭の後ろに組んだ体勢でため息をついた。
─ コン、コン ─
「あぁ、旦那!…侯爵様と金の話はつきましたか?」
「ジャン……他の者たちはどこへ行った…?」
ノックと同時に部屋へ入ってきた身なりのいい紳士は、一目で見渡せる室内をやや大袈裟に見回すと、慌てて立ち上がって待ち倦ねた顔をする…行儀の悪い男からの質問に何も答えず、幾分煩わしそうに尋ねる。
「丁度、人質の見張りを交代する時間で出て行ったばっかり…ン?ぃや、爺さんをヤッちまったから…人質でもないか。旦那、あの花屋の弟子の奴らはどうします?」
「ジャン、花屋ではなく…庭師だ」
「………あー、庭師…」
ラスティア国で庭師ザックの店に住み込みで働いていた弟子は全員が拉致され、ウィンザム侯爵家の邸へ連れ去られた後、現在使われていない保管倉庫内で監禁状態となっていた。
「見張りのために出払って、誰もまだ戻らないと?」
「キュルスの旦那『女が二人入った荷馬車も一緒に見張れ』って言ってたもンで…俺らは日ごろ女に飢えてるから、保管倉庫の箱の中を見物ついでに皆でワーッと行っちまいやして…ハハッ」
「…戯者に見えるわけがない…」
涼し気な顔をして、小声で毒突いた言葉を零す壮齢の紳士は、守りの堅いユティス公爵家の邸へ侵入するために外部から出入りするザックを利用し、レティシアとロザリーを攫った張本人。
ジャンたち馴染みの破落戸十人を金で雇って諸々手伝いをさせ、見張りを怠らぬよう言いつけてあった。
「…何か?」
「何でもない…。荷馬車の中は結界を張ってある。あの場にあっても、中の空間は存在を感じられないものだ。覗き窓から見たところで、空っぽだと認識するだけだろう」
「…………は?」
ジャンは、過去の経験から…キュルスの得体の知れなさは重々承知しているつもり。それでも、魔法や魔術に精通し摩訶不思議なことを言うその男の顔を、思わずまじまじと見つめてしまう。
丁寧に撫でつけた青味がかったグレーの髪に、白目がちな琥珀色の瞳、感情の読み取れない表情は…今まで通り変わりない。
整った顔立ちの部類でありながら、冷淡な雰囲気を身に纏うこの紳士が、想像以上に恐ろしく悪どくて腹黒いとジャンは知っている。
「別に理解しなくて構わない。それより…お前が勝手な真似をしたせいで、私は年寄りの皮を被る羽目になった…」
「やっ、本当に驚きました!旦那はどっからどう見ても爺さんと同じ姿に変わってて、魔術ってのは凄い…」
「随分と調子がいいな」
キュルスの無機質な目に捉えられたジャンは、肩をビクリと揺らす。
囃し立てるつもりはなく、驚いたという言葉も本音から出たもの。死者の姿形や記憶の一部を取り込んで成りすます魔術を操るキュルスに、ジャンは畏怖の念を抱く。
「協力さえすれば金がたっぷり貰えるってのに、頑として言うことを聞かない爺さんで…そんなのは、痛い目を見ないと分からないヤツでしょう…?」
「だからといって、殺してどうする。その爺さんは、王宮や公爵家の庭も任されている生粋の庭師だ。大金を積んだところで靡くとは限らない。拒絶するならばそのまま拘束しておけと…私はお前にそう言ったと思うが?」
「…仕方なかった…事故?…ついカッとなって刃物で脅したら、何かの弾みで爺さんが飛び込ンで来て…腹に刺さっちまった」
「庭師が自ら死を選んだかのように話すんだな…済んだこととはいえ、高名な者を殺めるとは面倒極まりない。まぁいい、幸運にも狙った獲物は手に入れられた。以後十分に気をつけろ、今回のみ見逃す。侯爵殿は大層お喜びで、報酬は弾んでくださるそうだ」
「ありがてぇ!旦那、次はちゃんとしますンで…また、依頼お待ちしてます」
「お前たちには、後で追加の契約魔法を施すことにする」
「いつも通り黙ってますって、俺を信用してください。あ、花…庭師の弟子の後始末でもやっときましょうか?」
「生かしておけばいい、何かの術の贄にでも使い道はある」
「へぇ、生贄が要るンですか。そういえば…旦那、目当ての赤髪の女は確か…一人?偶々側にいた別の女も連れて来たって話なら、俺らに与えてくださいよ。暫く、女を抱いてねぇ…」
冷酷な男の片眉がピクリと上がった瞬間、ジャンは口を噤む。
大金が懐に飛び込んでくるついでに性欲の処理も…と、働きに見合わない褒美にまで手を伸ばし、余計なことを口走ったと後悔した。
「エルフの加護を持つ美しい女か…非常に興味深い」
「…は……はぁ…」
思い掛けず目にした、キュルスの恍惚とした顔つきに…ジャンは逆に背筋がゾッとする。
「一緒に攫うしかなかったのは事実だ。高貴で稀有なあの女に襲いかかれば、こちらが命を落とす」
「ヒィッ!…な…何ですか、そのおっかねぇ女は…」
「赤髪の女は最初から子を産ませる計画…孕んでも問題はないが、乱暴に扱って壊されては困る。あれは薬に必要不可欠で貴重な素材…何かあれば、侯爵殿からの報酬はゼロだ。ジャン、女は諦めたほうが利口だろう」
「仰る通りに諦めます!諦めます!」
当然ながら命も金も惜しいと…ジャンが震えたその時、一瞬険しい顔をしたキュルスが突然部屋を飛び出して行った。
「えっ…ちょっと、キュルスの旦那?!」
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