165 / 215
第12章
165 休養
しおりを挟む「…レティシアちゃん…」
「イグニス卿…?」
「…休んでいるところを申し訳ない。少し、事件の話を聞かせて貰ってもいいかな…?」
「えぇ、どうぞ」
誘拐事件から二日目の朝、聖女宮の治療室にひょっこり顔を出したのはカイン。
昨日の夕方、事件の捜査をする王国騎士団は、被害者の一人であるレティシアに事情聴取の申し入れをしていた。
「…本当に、無事でよかった…」
「今回、イグニス卿が騎士団に協力を要請してくださったと殿下からお聞きしました。ありがとうございます、お礼を申し上げるのが遅くなって…」
「いや、報告をしただけで大したことはしていない…団長の判断だ。まぁ、だけど…俺が率先して動かないとね…」
「…お疲れ様です…」
ルビーのように赤く鋭い印象的な瞳を持つカインの目の周りは青黒く翳り、隠せない疲労感が滲み出ている。
いつもの明るく弾けた口調はどこへ行ったのか?言葉には、力強さや覇気が感じられない。
「近衛騎士隊を率いる由緒正しき侯爵家が、まさか誘拐事件と繋がるとは。犯罪の証拠固めはスピード勝負…寝てる暇もない」
「顔色がよくありませんよ、大丈夫ですか…?」
抱えていた書類ケースの中にある分厚い紙やペンを…やや緩慢な動きでテーブルに並べていくカインの様子に、思わず声を掛けた。
「…レティシアちゃんが優しい…俺『書類仕事は向いてない』って皆に言われているんだけど、今日は頑張る」
「………苦手そう…」
「…嘘でもいいから…応援して…」
カインが勇ましく戦う姿は想像できても、デスクワークをする絵が思い浮かばなかったのだから…仕方がない。
しょぼくれたカインを見て、レティシアは軽く咳払いをする。
「誰かに変わっていただくとか…イグニス卿は、仮眠を取ったほうがいいのでは?」
「レティシアちゃんと面識のある正騎士や事務官がいないんだ。そんな男を二人もここへ近寄らせたら、レイが烈火の如く怒るに決まってる…俺と違って、皆ゴツくて厳ついし…」
事情聴取は騎士と事務官のペアで執り行うのが基本、事務官一人では役目を果たせない。騎士は、聴き取りはできても自ら調書を纏めるのが難しく、必然的に事務官と二人になる。
騎士よりも人数が少なく多忙な事務官を、カインは敢えて同行しなかったのだ。
(殿下が怒るだなんて言って…私を気遣ってくれたのね)
違法薬物を介してウィンザム侯爵家と癒着していた他貴族を洗い出すため、カインは事件の夜から今まで奔走し続けていた。
二日間ろくに睡眠も取れずにいたところ、やっと与えられた半日間の休息…その貴重な時間に聖女宮へと出向き、現在に至る。
「…エメリアさんに、飲物と軽食の用意をお願いしようかな…」
室内にいた側付きのカーラとパトリシアは、真面目な顔で微かに唸るレティシアの呟きを耳にして、顔を見合わせ微笑む。
安らぎのひと時には、エメリアの淹れる紅茶が味も香りも一番だと…レティシアが好んで飲むのを知っていた。
「アリス様、よろしければ…私がお伝えしてまいります」
「…カーラさん…えぇ、そうね。エメリアさんが忙しそうなら、簡単な食事を厨房に頼んでくださる」
「畏まりました」
♢
カインはベッド付近に防音魔法を施し、レティシアの話を聞いてはその内容を手早く用紙へと書き記した。魔導具も使い、正しく記録を残す手順は完璧。
どうやら、彼の問題点は“酷い悪筆”のみだと分かる。ただし、その一点が事務処理において致命的なのは言うまでもない。
いつの間にか、エメリアの運んで来た紅茶と一口サイズのサンドイッチは…綺麗になくなっていた。
「ルークたちの話とも相違点はないみたいだ、他に気になったことはある?」
体調に問題のなかったルークとロザリーは、昨日の内に騎士団の呼び出しに応じて聴取を受け、兄妹揃ってユティス公爵家へ戻っている。
「…そういえば、キュルスという男が倉庫に転がり込んで来た時、殿下を見て王子って言ったんです…」
「王子?」
「そう聞こえました。変ですよね?不思議に思って…その直後に、ルークが人狼の姿で現れたから…忘れてしまっていたわ」
「…王子か…レイが王子と呼ばれていたのは、アヴェル様が国王陛下だったころまでだけど…」
(キュルスは、殿下の王子様時代を知っている?そうでなければ…あの状況で王子だなんて言葉は出ないもの)
「レイは何も言っていなかった…俺もキュルスという名に覚えはない。しかし、あれは謎が多い男だ。ルークと同じ人狼の血を引く者だったと聞いて驚いた」
「…え?…赤い髪ではなかったはず…」
「魔法で姿を変えていたんだよ」
「…あぁ…魔法を使って…でも待って、ルークやロザリーは魔力がないのにどうして?…そもそも、同じ一族の男がロザリーを攫った理由は一体何なのかしら…?」
レティシアの頭は混乱し始める。
考えてみれば、赤髪の一族が狙われる…その根本的な部分をまだ知らなかった。
「キュルスがどういう男かは、我々騎士団も帝国魔塔の大魔術師殿より知らせを待っている状態で何とも言えない。赤髪の一族については、さて…俺が話していいものか…」
不意に、カインは遠い目をする。
そこから、アシュリーと兄妹の出会いをゆっくりと語り…赤髪の一族を違法薬物の素材として扱う、欲深い貴族たちと闇組織の忌わしい行いをレティシアにも理解できるように伝えた。
「イグニス卿が話してくださって…よかったです」
「…そうかな…」
「えぇ…二人に直接聞いていたら、辛い出来事を思い出させてしまったでしょう…」
「…大丈夫?」
紺碧の瞳を涙でいっぱいにしていたレティシアは、差し出されたハンカチを素直に受け取る。
──────────
「レティシア、おかえり」
「殿下?」
入浴を終えて治療室へ戻ったレティシアは、マグカップを手に持ってニコニコして待っているアシュリーの姿にキョトンとした。
レティシアに付き添っていたジェイリーは、サッと一礼して静かに部屋を出て行く。
「体調はどうだろうか?」
「…今は、お腹が少し痛いだけ…」
「そうか…では、ここへ座って…これを飲んでみて」
「…ホットミルク?」
レティシアはソファーに腰掛けると、魔法で適温になっているカップを受け取り…先ずは一口、そっと口に含んだ。
「…ん?ハチミツ?…甘くて美味しい!」
「よかった。今は身体を温めるほうがいいと聞いて、エメリアに教えて貰って作ってみた。それに、ハニーミルクを飲むとよく眠れるらしい」
「…作った…殿下が?」
「すまない…大層に言い過ぎた、混ぜただけだ…」
(…私のために…)
思いやり溢れる優しい気遣いがうれしかった。照れくさそうに頬を染めるアシュリーが、とても愛おしく感じられる。
ホットミルクを飲み干して一息つくと、心も身体もポカポカと温まったレティシアの口元が自然と緩む。
「…ふふっ…幸せ…」
♢
「明後日には聖女宮を出ると、聞いているか?」
「あ…サオリさんから聞きました。でも、まだ仕事に行っては駄目だって」
「一週間は無理せず休め。今は指輪もないだろう?聖女様は気にされているんだと思う」
「…指輪、そうだった…でも、加護があれば安心でしょう?」
「分かっている。姉として…気持ちの問題だよ」
(…そうよね…たくさん心配をかけてしまったわ…)
ハチミツ入りホットミルクの効果なのか、少し眠気を感じたレティシアは、甘えるようにアシュリーの胸へ頬を擦り寄せた。
「レティシア、これからは…私と一緒に住まないか?」
「…殿下と?…私も大公邸に?」
「そう、叔父上のところへは戻らずに…」
「……誘拐事件があったせい?」
「それもある…寿命が縮まるどころか、心臓が止まるくらい苦しい思いをして、君がどれ程大切な存在か改めて身に沁みた。だけど、私の側にいて欲しいという強い願いはずっと変わらないよ」
アシュリーは落ち着きのない手つきで、レティシアの肩から背中へと繰り返し手を滑らせる。
「実は、新しく住み込みの女性使用人を多く雇った。レティシアに不便な思いはさせない。公爵家の許可を得て、ロザリーや他の使用人たちも何人か移って来る予定だ」
(…それって、前から準備していたみたいに聞こえる…)
「レティシア…頼む、私の言う通りにしてくれないか?」
懇願するアシュリーの…黄金色の瞳が情熱的に揺らめくのを見ながら、レティシアはコクリと頷いた。
「“同棲”ですね」
「……ど…??」
────────── next 166 休養2
読んで下さる皆様、いつも本当にありがとうございます。
22
あなたにおすすめの小説
【完結】あなたが私を『番』にでっち上げた理由
冬馬亮
恋愛
ランバルディア王国では、王族から約100年ごとに『裁定者』なる者が誕生する。
国王の補佐を務め、時には王族さえも裁く至高の権威を持ち、裏の最高権力者とも称される裁定者。その今代は、先国王の末弟ユスターシュ。
そんな雲の上の存在であるユスターシュから、何故か彼の番だと名指しされたヘレナだったが。
え? どうして?
獣人でもないのに番とか聞いたことないんですけど。
ヒーローが、想像力豊かなヒロインを自分の番にでっち上げて溺愛するお話です。
※ 同時に掲載した小説がシリアスだった反動で、こちらは非常にはっちゃけたお話になってます。
時々シリアスが入る予定ですが、基本コメディです。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく
犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。
「絶対駄目ーー」
と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。
何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。
募集 婿入り希望者
対象外は、嫡男、後継者、王族
目指せハッピーエンド(?)!!
全23話で完結です。
この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。
異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜
京
恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。
右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。
そんな乙女ゲームのようなお話。
一夜限りの関係だったはずなのに、責任を取れと迫られてます。
甘寧
恋愛
魔女であるシャルロッテは、偉才と呼ばれる魔導師ルイースとひょんなことから身体の関係を持ってしまう。
だがそれはお互いに同意の上で一夜限りという約束だった。
それなのに、ルイースはシャルロッテの元を訪れ「責任を取ってもらう」と言い出した。
後腐れのない関係を好むシャルロッテは、何とかして逃げようと考える。しかし、逃げれば逃げるだけ愛が重くなっていくルイース…
身体から始まる恋愛模様◎
※タイトル一部変更しました。
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~
浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。
本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。
※2024.8.5 番外編を2話追加しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる