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第13章
183 隠し事3
しおりを挟む「隠し事というのか…私たちの将来について、まだ話をしていなかった」
「…確かに…あっ…」
少し身体を捻ってアシュリーへ顔を向けた途端、素早く横抱きに抱え直される。
楽な体勢で話ができるようにと、細やかな気配りを忘れない思いやりのある恋人。彼が何を言ったとしても、レティシアは笑って応じることに決めた。
「刻印の儀は、十日後と…三ヶ月後の吉日を選んで執り行うつもりでいる」
「えぇ、紋様が消えてしまうからよね……殿下?」
「…はぁ…待ち切れない…」
アシュリーは、徐ろにレティシアの手を取って口付ける。頭の中でどんな妄想を思い描いているのか?魔力香が濃くなり始め、甘い吐息を漏らす彼の鼓動がドクドクと大きく波打つ。
「婚約者として正式発表するタイミングに合わせて、宮殿で婚約祝いのパーティーを行う」
「…お祝いのパーティー…」
「私が大公に就任した時以来の国が主催するパーティーになる。心配しなくても王宮の感謝祭よりはずっと規模が小さい、ただ…」
「ただ?」
「ダンスを披露することになった」
「何ですって?」
「カップルは踊ったほうがいいと…パトリックが譲らない。準備期間は三ヶ月ある、一緒に練習しよう」
「ま、待って…それが理想なのは分かるわ。だけど、たった三ヶ月では無理よ?一緒にと言っても、毎日忙しい殿下が練習に付き合えるとは到底思えないもの」
しれっと無茶を言うにも程がある。レティシアは笑って応じるどころか、真顔で拒んでしまった。
ダンスは淑女の基本スキル。アシュリーがサポートしてくれたとしても、踊れて当然だと思っている貴族たちの目の前で拙い舞いを披露するなど…想像しただけで胃がキリキリと痛み出す。
「書類業務は、ダンスを提案して来たパトリックに押し付けておく。文句は言わせない」
「思い切って、婚約を一年後にするのはどうかしら?」
「…思い切り過ぎだ、周りが混乱するぞ。私もダンスは初めて踊る。先ずは、講師を呼んで指導を受けてみないか?それから考えても遅くはない」
「へ?」
「ん?」
「…初めて…?」
「様々な教育を受ける中で習う機会もなくはなかったが、ダンスや閨教育は私にとって最も要らないものだと思っていた…」
(どっちも、今一番必要なやつじゃないのーー!)
「その時間は魔法と剣術の稽古に当てて、有意義に過ごさせて貰った」
「…私は、剣術の時間をダンスに使うことになるわね…」
ラファエルから剣術指導を受ける計画は、先送りにするしかなさそうだ。
♢
ラスティア国の大公が婚約者を迎えるのにパーティーを開かないわけにはいかず、ペアダンスも効果的な演出だとレティシアは納得している。自分がパトリックの立場ならば、同じように勧めただろう。
踊れるかどうかはさて置き、アシュリーの言う通り…挑んでみなければ今後の対策すら考えられない。ダンスについての議論は、一旦保留するしかなかった。
「結婚すれば、レティシアは大公妃となる」
「…私が、殿下のお妃様に…」
「貴族の中で最高位の身分を得る代わりに、社交界への参加は避けられない。秘書官とは違って、貴族との繋がりを完全に断つのは難しい。君が望んでいないことだと分かっている…それでも、私の妃になってくれるか…?」
「殿下の側にいられるのなら…大公妃になるわ」
「…………」
アシュリーの耳に届く声こそ小さかったが、深い瑠璃色の瞳で見上げて来るレティシアの表情には一片の迷いもない。目を細めた黄金色の眼差しは艶々と輝き、わずかに潤んで視界が揺らめいた。
(…え…?)
「私の隣に立つのは君しかいない…ありがとう」
「……殿下…な…泣いているの…?」
「安心して少し気が緩んでしまった…私の愛しい女神に、心を浄化されたみたいだ」
「…っ…こんな我儘な女神がいるわけないでしょう…」
腰を浮かせたレティシアがパッと両腕を首に回して勢いよく抱きついて来るのを、アシュリーは反射的に仰け反って受け留める。
「…ど…どうした…?」
「私が貴族と関わりたくないって言ったせいで…殿下を困らせて…不安にさせたのね…ごめんなさい」
「何を言っている…貴族嫌いでも構わないと、配慮をする約束まで交わして留め置いたのは私だ。それを反故にして、君を困らせているのは私のほうではないのか?」
「ううん…私、頑張るから…ダンスだって…殿下と一緒にいっぱい練習して、絶対踊れるようになる…大丈夫」
「…レティシア…」
こんなにも真っ直ぐに自分を愛してくれる人と結ばれる幸せを…一体どう表現すればいいのか?言葉が思いつかないまま、アシュリーはレティシアをきつく抱き締めた。
「…私は君を手放せない…許して欲しい…」
柔らかな髪と背中を何度も撫でて、ガッチリ絡まった腕を解くと…涙目のレティシアが唇を引き結んでいる。
アシュリーはこの顔に超絶弱い。堪え切れなくなって唇を優しく三回啄んだ。それ以上はどうにか制御するものの、魔力香も肉体も昂ぶった切ない状態で『十日も待てない』と顔を歪めて項垂れた。
──────────
「婚約者として何年も過ごすのが当たり前の世界だもの、婚約したからといって…すぐに大公妃になるという話ではないわよね?…結婚するには年齢も若い気がするわ」
『大公妃になる』同意と言質を無事確保できたアシュリーは、レティシアの的を射た言葉にゆったりと肯く。
「婚約期間を楽しむのはとても大事だ。レティシアの場合、妃教育を受けたり社交を学ぶ時間としても有効活用できる。結婚時期に希望があるのなら…聞いておきたい」
「希望?そうね…私はまだ未成年だから、やっぱり23歳辺りかしら?」
「ふむ…五年なら丁度いいかもしれないな。私としては、兄上の婚約か…できれば婚姻を待ちたいと思っていた」
「…アフィラム殿下の…」
現在、婚約者選び真っ最中のアフィラムならば、おそらく五年以内に結婚すると思われる。候補者である令嬢たちとの交流が芳しくない様子だったのが…レティシアは少々気に掛かった。
「兄弟で結婚の順番に決まりはない。23歳より早まったっていい…レティシアの希望通りにしよう」
「私に任せるの?十年後になったらどうするつもり?」
「ぅん?…それは、早く結婚したいと言わせるように努力するしかないかな?」
「ふふふっ、婚約期間を楽しめそうね」
「あまり焦らさないでくれ…君にも、この待ち切れない気持ちを味わって貰いたいものだ」
刻印の儀を終えれば、身体に刻まれた紋様が番へ対する狂おしい程の焦燥感を和らげるだろう。たとえ彼女を妃に迎えるのが十年先であろうと、待つ自信ならばある。
アシュリーは、レティシアを抱いてベッドへ横になった。将来の話をきちんと済ませた安堵感よりも興奮のほうが上回って…目が冴える。
腕の中では、レティシアがウトウトし始めていた。
♢
婚姻の許可を得るため、王宮で魔法石の輸出管理業務を行っている姉たちの下を訪ねた時のことを…アシュリーは思い出す。
『レイが結婚をしたいと言うなんて…あぁっ!夢じゃないかしら、シャーロット、私の頬を抓ってちょうだい!!』
『エル姉様、落ち着いて。お腹の中には大事な赤ちゃんがいるのよ?』
『あの可愛い妖精さんが…私たちの妹になるかもしれないわ!信じられるっ?!』
『妖精さんではありません、聖女様の妹君です。姉様ったら、何度言えば分かりますの?』
『……姉上は二人目をご懐妊されたのですね?…おめでとうございます…』
レティシアとの結婚(予定)に驚いて大騒ぎした後、エスメラルダとシャーロットは承認を快諾してくれた。
用事を済ませて帰ろうとしたアシュリーを、二人が引き留める。
『レイに…話があるの』
『…はい、姉上…』
人払いをした室内、姉弟三人で何の話かと…アシュリーはシャーロットを見つめた。
『ラスティア国の大公は必ず王家の血筋でなければいけないから…結婚を諦めていたレイが、陛下や私たちの子供の誰かに後を継がせたいと言った話も理解したし、受け入れたわ。でも…ね、姉様…』
『えぇ。今は状況が変わったでしょう?あなたにも、きっと以前とは別の未来が見えているはずよ。実は、レイが結婚するのなら…この話は白紙に戻したほうがいいと私たちは考えているの』
『陛下に進言するつもりでいるわ。これからも何かあれば、私たちはいつだって助けになる。それを忘れないで』
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奇跡の出会いを願う一方で、永遠にそんな日は来ないと…長年根を張った絶望的な気持ちから、懸念材料を払拭すべく就任前に決めておいた約束。ところが、それを覆す喜ばしい事態が起きている。
明日、国王陛下には“刻印の儀”を執り行う日が決定した報告をしなければならない。その場で、後継者の件も再考を求められるに違いなかった。
♢
安らかな寝息を立てて…妖精のようにスヤスヤと眠るレティシアの額に、そっと口付ける。
「隠し事か…後は、何だ?婚約する前に叔父上の養女になることかな?君は、成人して社交界へデビューする時には公爵令嬢になっているはずだよ…それから…」
元婚約者たちの末路も…いつか話さねばならないのかと、アシュリーは静かに目を閉じた。
────────── next 184 一週間後
いつも読んで下さる皆様へ、残暑お見舞い申し上げます。暑い夏、水分と塩分を摂取して乗り切って参りましょう。
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