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第13章
184 一週間後
しおりを挟む「レティシア秘書官、いらっしゃいますか?」
個人秘書官室の扉をノックする音と文官セオドアの声に、レティシアは『どうぞ』と彼を部屋へ招き入れる。
「約束の時間よりも少し早く来てしまいました、申し訳ありません」
「構わないわ、座って。イネルバ王国の件よね?」
現在、近隣国の一つであるイネルバ王国との貿易取引契約の更新申請書類原案を作成しているセオドアは、担当秘書官への書類提出期日が迫っていたはずだ。
最近の彼は、レティシアと二人で顔を突き合わせて文章や文言の使い方に間違いがないか内容を確認してから書類を提出していた。
大公や補佐官の行う貿易条件の取り決めと交渉が最も重要であることは言うまでもないが、合意した後の契約書をミスなく仕上げる仕事もまた大事。
新規の取引に比べて更新の場合は取引条件もほぼ以前と同等なため、問題がなければ書類手続きと大公の承認で事足りる。故に、セオドアの作成する書類が時に決定を左右するといっても過言ではない。
「はい…昨日、うちの商店に偶々来ていた商人から思わぬ情報が入ったんです」
「本当?」
今回、ラスティア国が取引価格を上げたわけでもないのに、イネルバ王国側が輸入する魔法石の総量、国毎に設定する上限を減らして更新しようとしていることを不思議に思ったレティシアは、セオドアにその理由を尋ねていた。
「ラスティア国は、王国を護る神様のお陰で魔法石が枯渇しないでしょう?他国よりも安定した価格を提示しているのだから、不満があるとは思えないし…減らしたパーセンテージも微妙よ。だとしたら、魔法石の需要自体が減少する何かが起こったのかと気になるじゃない?」
「僕は、イネルバ王国内の事情だとしか聞きませんでしたから…正直、財政難かなって…そこを突っ込んだり深く考えても仕方がないと思っていたんです。逆に大幅に増やすとなれば、問題視したかもしれませんけれどね」
「それで、情報って?」
「…どうやら…イネルバ王国が、聖女を召喚したらしいのです…」
「え…?」
イネルバ王国は、国民の五~六人に一人が魔力を持っていると聞く。魔法使いや魔術師などは普通に存在しているのだろう。
「召喚って…そんなに簡単じゃないはずよね?」
「詳しくは分かりませんが、正しい召喚術ではないようで…王国の地に聖女が突如舞い降りたと…国民に触れ回っているとか。まだ、他国へ話を広めていい段階までには至っていない様子です」
「…聖女というのなら、神殿で証明されたんだわ。強い聖力があれば、広範囲に結界を張ったりもできる。大量の魔法石に頼る必要がなくなって、輸入量を減らした…?」
「僕もそう思います。魔力の強い高価な魔法石を最も多く削減しているのも、そのせいではないでしょうか」
理由が判明して問題は解決、納得はしたものの…少々気になる話題。そんなレティシアの心を見透かしたセオドアが、声を落として話を続ける。
「…で、ここで話は終わりじゃないんです…」
「続きがあるの?」
「えぇ。その聖女とやらが、王太子の妃になりたいと言い出して…元々王太子妃に決まっていた婚約者の令嬢を、側妃へ追いやってしまったんですよ」
「…変ね…似た話をどこかで聞いた気がする…」
「馴染みの商人が言うには、王宮の大広間いっぱいに広げたドレスや反物、宝石、欲しい物は全て手に入れる…強欲な若い女性だそうです。国が気前よく支払ってくれて儲けたのに『気分がよくない』と、珍しくボヤいていました」
「欲深い上に…国のお金で散財まで?」
呆れた聖女がいたものだ。それが働きに見合った報酬だとしても、自身と国の評判を落としては意味がない。
「だけど、召喚したイネルバ王国にはその女性を一生涯保護する責任があるのも確かだわ。…魔法石を輸入していたほうが、長い目で見れば安くついたでしょうに…」
予想通りの言葉を返して来るレティシアの…諦めと困惑が混ざった複雑な表情を見て、セオドアもため息をつく。
「…ですよね。僕の財政難説も、あながち間違いではないかもしれません。感謝祭の時にしか貢物をお受け取りにならない我が王国の聖女様とは、天と地の差がありますよ」
「お姉様は、素晴らしい本物の聖女様だもの…私たちは恵まれているわね」
「全くです。いろいろと話を聞いて、改めてそう思いました」
イネルバ王国の軽薄な聖女は、高潔な聖女サオリの足元にも及ばない。
セオドアは、イネルバ王国の望む更新条件で書類を作成した。
──────────
──────────
「…侍女長…これは…?」
「夜分に申し訳ありません。こちらは、本日のお昼にやっと届いたナイトドレスでございます」
「ナイトドレス?…ガウンもいくつか新調したのね」
「はい。儀式の準備は私共で万全に整えておりますが、初夜のドレスはやはり一度レティシア様に見ていただきたいと思いまして…」
「急な予定で、一週間忙しくさせてごめんなさい。侍女長がいてくれて心強いわ」
「とんでもございません。一生に一度の大切な日でございます…お好みのドレスをお選びくださいませ」
アシュリーと一緒にいつもより遅い夕食を終え、まだ執務の最中という彼と分かれて部屋へ戻ったところ、侍女長パメラとロザリーが嬉々とした表情でやって来た。
何事かと思えば、二人は徐ろにクローゼットを開いてレティシアに見せる。広くてガランとしていた場所には、新しいナイトドレスが十着以上並んでいた。
レティシアは、この中から刻印の儀=初夜の装いを選んで欲しいと言われているのだ。
「たくさんあって…二着選ぶのも迷うわね。どれが私に合うの?手伝って貰えないかしら?」
「畏まりました。さぁ…ロザリー、私たちのお勧めしたいドレスをお見せいたしましょう!」
「はい、侍女長様!」
瞳を輝かせるロザリーと笑顔で向き合うパメラ。二人は、昼間から準備をしていたのかもしれない。
アシュリーと結ばれる日を待ち遠しく思う反面、意識し過ぎないように平常心を保とうとしがちなレティシアよりも…気合いが入って見える。
「レティシア様、こちらの淡いピンク色のドレスはいかがでしょうか?」
「ロザリーはピンクが好きよね」
「とても可愛いお色だと思います。胸元の黒いレースがちょっと大人っぽくて、素敵なドレスです。見ていてください…こうして谷間のところの合わせ目を外すだけで…あっという間に脱げてしまいます。これなら、大公殿下もお喜びになるはずです!」
「…あ、あら…何て大胆な…」
「今までロザリーが用意したナイトドレスでは、旦那様は物足りないご様子だったとか…気にしていたようですわ」
「えっ…ロザリー、そんなことないのよ?」
もしかして、このドレス選考の場にロザリーがいるのは…リベンジの意味合いも含まれているのだろうか?レティシアは、パメラの微笑みから慈しみの心を感じ取った。
「先日、新作ドレスを持ち込んで来られたデザイナーの方に…旦那様は、レティシア様のナイトドレスをご注文なさったのです」
(あの高級ブティックに?!)
「限られた日数の中で、これだけの数のドレスを仕立て上げ、ガウンや下着まで揃えて本日お持ちになりまして…私は大変驚きました。旦那様にご報告申し上げますと、レティシア様のために作られた品物を全てお買い上げになったのでございます」
「だから、選ばなければならない程に多いのね」
(殿下が…怪し気な商法に引っかかっちゃってる)
「待って…殿下は、このドレスをご覧になったの?」
「いいえ、レティシア様への贈り物だからと…届いたらすぐにクローゼットへ入れるよう仰せつかっておりました。旦那様は、きっと楽しみになさっておいででしょうね」
最早、ドレスという名では呼べないような…薄くて透け感のある素材やレース生地を使ったセクシーランジェリー。これがまさか、デザイナーのカナリヤ作だったとは。
この手の激しい露出も、二人きりの夜ならばアシュリーが喜ぶ可能性は高い。パメラが何と報告したかは分からないが、チラッとでもドレスを見ていれば…彼が如何なる反応を示したのか知れたのにと、レティシアは少し残念だった。
(多分、頼んだドレスがスケスケになっているだなんて思っていないわよね)
アシュリーが認めたブティックだけあって、品質やデザインは上々。初めての夜を盛り上げるに相応しいアイテムだと認めるしかない。
「私は、こちらの裾周りにフリルがついた白いレースのドレスをお勧めいたします。花嫁のベールにも使われる高級な生地は、軽くて肌触りがいいのです。レティシア様は、清楚な白もよくお似合いになると思います」
「ん?丈が少し短いような…?」
「ほほほ…初夜のドレスの流行りは、膝丈だそうですわ。長いと…こう…邪魔だとか?」
「…な…なるほど…今風なのね…」
「ご安心くださいませ、上から羽織るガウンのご用意がございます」
いざその時になったとして、ガウンを脱いだレティシアの姿に…アシュリーはさぞかしびっくりするだろう。
「二人が選んでくれたドレスにするわ。…殿下が…腰を抜かさないか心配だけれど…」
────────── next 185 刻印の儀(前日)
いつもお読み下さる皆様、本当にありがとうございます。
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