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第14章
203 婚約披露パーティー2
しおりを挟む「ユティス公爵令嬢、お目にかかれて大変光栄に存じます。ベラ・ロウエンと申します」
父親の紹介を受けて豪華な内装の個室へ足を踏み入れたベラは、ゆったりと淑女の礼を執った。
「大公殿下とのご婚約、誠におめでとうございます。ラスティア国のみならず、アルティア王国の国民はこの佳き日を心から歓び、お二人を祝福していることでしょう」
丁寧に祝いの言葉を述べ、さらに深く頭を垂れると、立ち上がってこちらへ歩み寄る公爵令嬢のドレスの裾が視界に入る。
照明の下で金色に光輝いて見えた布地は、上質なシルク生地の全体に細かな宝石を金糸で縫い付けた…婚約者への並々ならぬ愛情が垣間見える極上の逸品だった。
─ 何て美しい人 ─
静かに姿勢を正したベラは、世の女性たちの我儘な理想を詰め込んだかのような整った顔立ちに思わず見惚れる。透き通った白い肌と優しい色合いの髪が、鮮やかな瑠璃色の瞳を際立たせていた。線の細い身体つきでありながら凛とした佇まいはたおやかで神々しく、ベラに向けられた柔らかな微笑みは慈愛に満ちている。
─ 女神様みたい ─
たとえ一時であっても、平民として下街で生活をする絵など…全くもって思い浮かばない。
「ロウエン子爵令嬢、今日は来てくださってありがとう。私もお会いできてうれしいわ。…さぁ、空いている席へ自由にお座りになって」
「はい、本日はよろしくお願いいたします。どうぞ、ベラとお呼びくださいませ」
「ベラ嬢…私のこともレティシアと呼んでくださいね。ここでは堅苦しい気遣いをやめて寛ぎましょう」
ベラを歓迎する明瞭な声は朗らかで貴族特有の気取った尖りがなく、会話をすれば楽器が奏でる音色の如く自然と耳に響く声質が非常に心地いい。身を固くして立っていたベラは、肩の力が抜けてホッと吐息を漏らした。
部屋の中央にある大きな楕円形のテーブルは、三人掛けソファーと等間隔に置かれた一人掛けの椅子四脚に囲まれている。ソファー席に座っていたレティシアの向かい側の椅子には、フェイロン子爵家のサンドラが腰掛けていた。
「私も“サンドラ”と呼んでいただきたいですわ」
レティシアが席へ戻るやいなや、サンドラが椅子からグッと身を乗り出す。声は小さく抑え気味でありながら、胸元に手を当てて自己主張をする。
「ふふ…えぇ、そういたしますね。ベラ嬢は、こちらにいらっしゃるサンドラ嬢とはお知り合いかしら?」
「はい。…サンドラ嬢、ごきげんよう」
「ごきげんよう、ベラ嬢とご一緒できるとは思いませんでした。よろしければ隣の席へお座りになりませんか?」
ベラとサンドラは、共に長女で現在20歳。
貴族子女が通う学園では、18歳で卒業するまで机を並べて学ぶ機会は一度もなかった。交流の範囲が同じ二人は昔から顔を合わせる頻度が高く、多少の同族嫌悪はあっても会えば挨拶をする間柄。決して仲が悪いわけではないのに、お互い何となく苦笑いを隠せない。
三人が揃って席に着いたところで、彩りよくテーブルに並べられたサンドイッチや果物、焼き菓子、チョコレートなどをメイドが手際よく小皿に取り分けてくれる。
「お酒はお出しできませんけれど、何かお飲物はいかが?」
「お気遣いありがとうございます。では、紅茶を…レティシア様と同じものをいただいてもよろしいですか?」
「…あら、もしかしてベラ嬢は紅茶がお好きですの?好みのお味があるのなら遠慮なく仰ってくださいね。普段はどのような紅茶を?」
「私は、濃いめの紅茶にお砂糖とミルクを入れて飲むことが多いでしょうか。妹には『甘党』だと、いつも揶揄われております」
「私も甘いミルクティーは大好きでしてよ。そうね、今日はミルクによく合うお勧めの茶葉があるの…ベラ嬢にはそちらをご用意させていただきたいわ」
「ありがとうございます、是非」
香りのいい紅茶と温かいミルクがテーブルへ運ばれた後も和やかに会話は続き、ベラはレティシアにどんどん魅了されていった。
一般的に爵位の序列がはっきりしている社交界では、下位貴族は高位貴族の高圧的な態度に度々晒される。ラスティア国は高位貴族との交流の場自体が少ないが、幼い頃より身分差に応じた礼儀作法を躾けられて来たベラは、社会的に立派な肩書きを持っていようと結局は家柄と血筋が物を言う世界だと十分に理解していた。
そんなベラにとって、レティシアと過ごす時間は『はじめまして』で味わえる雰囲気とは思えないくらいに穏やかで楽しく、破格としか言いようがない。
レティシアが明るい笑顔を見せる度、部屋付きのメイドたちまで頬を緩め目を細める。これは偏に彼女の人柄のよさが為せる業であり、周りから愛され慕われる存在であることは一目瞭然。
以前、父ドレイクスをザハル国の脅威から救ってくれた偉大な秘書官は、とても麗しい女性であった。
──────────
「大公殿下がお越しでいらっしゃいます」
ドレイクスの声を合図にゆっくりと内側へ開いて行く扉を、アシュリーは待ち切れない気持ちで見つめる。
婚約したと同時に“女嫌い”という誤解が解けたせいか、招待客の中でも特に有力貴族の夫人たちとの絡みがやたらと増え、思っていた以上に会場を抜け出し辛かった。猛烈な嫌悪感こそ抱かないものの…強い香水の匂いと、好奇心に駆られて私的な領域へ土足で踏み込んで来る女性の図々しさにはほとほと嫌気が差す。
数多の人間が集まる場には、あらゆる思念や邪気が多く渦巻いている。ここへ辿り着くまでに清らかな女神の姿を何度脳裏に思い描いたか知れない。
「アシュリー様」
開き切った扉の先で満面の笑みを浮かべて待っていたレティシアは、当然ながら妄想の何倍も清廉で愛らしい。やはり実物に敵うものはないと…細い腰を抱き寄せて甘く芳しい香りを吸い込んだアシュリーは、たったそれだけで全身に纏わりつく穢れが祓われた気がした。
「…すまない、随分と待たせたな…」
「いいえ、皆様へのご挨拶をアシュリー様一人にお任せしてしまって…私が力不足なばかりに…」
「秘書官からは君がよく頑張っていたと聞いている。気に病む必要などない」
社交が不慣れな自分のせいだとしょげるレティシアを、アシュリーは優しく慰める。気を遣ったことは確かだが、連れ歩くのを避けた理由の九割は、他の男たちに紹介したり触れさせたくないという身勝手な独占欲だ。
「少しは休めたか?」
「はい、ありがとうございます。私だけ寛がせていただいて申し訳ありません」
「私を癒すためにも、存分に休んでくれて構わない。あぁ…補佐官が後でもう一度踊ってはどうかと言っていた」
「ふふふっ…アンダーソン卿がそう仰るのでしたら、また頑張らなくてはいけませんね」
「ふむ、私もしばらく休ませて貰うとしよう」
♢
アシュリーを出迎えるレティシアの後方には、ベラとサンドラがお辞儀をした状態で動きを止めて耐えていた。
王族の前では言動を控えねばならず、声が掛かるまでこうして待つ他ない。
─ 大公殿下って ─
膨大な魔力量と威厳に満ち溢れた高潔な王族、時に冷徹とさえ言われていた難攻不落な若き君主。
─ 本当は…感情豊かなお方なの? ─
耳がシビれる程の甘い魅惑の声にベラの身体の芯は熱を帯びて震え出し、魔力の影響か色気なのか判断がつかないまま妙な汗まで滲み出る。きっと、サンドラも立っているのがやっとに違いない。
それ以上に驚くべきは、レティシアのマイペースなやり取りだった。誰にでも対応を変えない平常運転ぶりと、この状況で平然と受け答えができる驚異の鈍感さは『凄い』の一言に尽きる。
♢
「私の大切な婚約者の良き話相手となってくれたようで、礼を言う」
「勿体ないお言葉にございます」
「私共のほうこそ、レティシア様よりお心遣いをいただき感謝申し上げます」
レティシアの様子からベラとサンドラを一瞥しただけで良好な関係だと見抜いたアシュリーは、二人を再び椅子へ座らせて言葉を交わし…鋭い目つきでよく観察した。
「ん?この香り…ティーバッグの紅茶か?」
新しく淹れた紅茶の香りにアシュリーが反応すると、隣に座っていたレティシアの身体がピョコリ!と跳ね上がる。
「え?!…わ、私のものだけです。飲み慣れた紅茶であれば緊張が解れるかと思いまして…あっ…皆様の紅茶は、ちゃんと時間を掛けてロザリーとアナベルに淹れて貰いましたわ。ご安心下さいませ」
「何をそんなに焦っている。君の作った紅茶があるのなら、私もそれを飲みたかったと思っただけだ。話を聞くに、今日もりさーちとやらをしていたんだろう?」
(…あわわわわ…)
簡単なティーバッグ紅茶を飲んでいたレティシアは、ベラに『同じものを』と言われ…流石にこの場で手軽さを力説すべきではないと回避したばかり。とはいえ、なぜ慌てているのかはアシュリーに一切伝わらない。
仲睦まじい美男美女を前にただただ眼福だと、ベラとサンドラはこの短時間で何回目か分からないため息をついた。
────────── next 204 婚約者レティシア
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