殿下、毒殺はお断りいたします

石里 唯

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第2章

兄と妹

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 晩餐の散々な結果がもたらした重苦しい空気を振り払い、イーサン殿下たちが部屋から退出するのを見送ると、エドワードはリズに向き直った。大きな手がそっとリズの頬に添えられる。

「貴女を護り切れなかった。不快な言葉を貴女の耳に入れてしまった」

 哀しさを隠せないその声にリズの胸は痛み、リズは努めて明るく答えを返した。
「護っていただきました。恥ずかしくなるぐらいに」

 実際、兄とエドワードの魔力の暴発に気を取られて、リズに傷つく余裕はなかった。
 そして、余裕のない中で二人への心配以外で一番衝撃を感じたものは羞恥だった。それは、冷静な今でも残っている。むしろ、冷静になるとさらに強さを増し、リズの頬を再び染めた。
 エドワードは熱を帯びたリズの頬を宝物に触れるように優しく撫でた後、辛うじて口角を上げ、瞬時に姿を消した。

「転移なさったんだよ。多分、宰相に晩餐の内容を告げて、対策を練るおつもりだと思う」

 穏やかな、いつもと変わらないヒューの声に、リズの体から力が抜け、自分がどれだけ緊張していたのかを知った。
 兄に目を向けると、兄は瞳を閉じて立ち尽くしている。まだ衝撃から抜け出せていない兄の様子に、リズの顔が陰った。
 ヒューは固まったままの兄の肩を抱き、凪いだ湖の瞳でリズを見遣ると、柔らかな笑みを浮かべた。
 
「僕たちも移ろう」

 一瞬の浮遊感の後、目を開ければ、リズに用意された部屋の中だった。
 この部屋を出たことがずいぶん昔のように思え、リズは部屋を見渡した。
 晩餐前にあったドレス用のトルソーも片づけられ、侍女たちもいない。広さが増した分、寂しさが増えてしまった。
 リズが溜息を付くと、ヒューは「ジェス殿下は相当な魔法の使い手だからね」と囁き、さっと右手を掲げると、得意の結界を部屋に張ってくれた。
 探られることを警戒したのだろう。
 リズはようやくしっかりと兄に顔を向けることができた。
 いつもならすぐにリズの視線を受け止め、温かな笑みを返してくれる兄は、まだ瞳を閉じたままだった。
 銀の髪を結わえていた布は魔力の高ぶりで解けてしまい、艶やかな髪が兄の身体を覆っている。
 その様は兄のエルフのような美を際立たせると同時に、今にも消えてしまいそうな儚さをもたらしていた。
 リズの魔法石が光った。
 兄はハッと身動ぎ、瞳を開け、リズを見つめた。リズは思いを込めて澄んだエメラルドの瞳を見つめ返した。

「お兄様。私はイーサン殿下の言葉に傷ついてなどいません」

 このときほど、兄の能力に感謝したことはなかった。
 リズの思考を読めば、兄と殿下のことでは胸を痛めていても、イーサン殿下のことなど欠片も傷ついていないことが分かるはずだ。
 リズは兄に抱き込まれていた。触れた兄の身体が小さく震えているのを感じ、兄の背に腕を回して抱きしめる。兄は震えながらリズの肩に顔を埋めた。リズはそっと言葉を紡いだ。

「イーサン殿下に私への悪意はありませんでした」

 晩餐の間、リズの魔法石が発動することもなく、リズが体調を崩すこともなかった。
 それはイーサン殿下にリズを傷つける意図などなかったことを示している。
 彼は王族として、国のために良かれと思ったことを口にしていただけなのだ。
 そこにリズの心情が斟酌されていないことは、国の平和という大義の前に、イーサン殿下にとって当然のことだったのだろう。政略結婚など、王族でなくともよくあることなのだから。
 リズは疲れを覚えて目を閉じると、震えた声が降ってきた。

「このような…、このような横暴な扱いを受けることが起きるなんて、思いもしなかった」
 
 顔を上げようとしたリズは、再び強い力で抱きしめられ、兄の顔を見ることができなかった。兄から微かに魔力が立ち上り、リズの髪はふわりと浮き上がった。
 
「僕たちはこの国で一二の権勢を誇り、他国にすら力のある公爵家の者だ。右大臣家の目を気にするような弱小貴族ではない。それなのに…!」

――え?

 リズは耳を疑った。
――右大臣家の?
 この国には存在しない役職に、リズは目を瞬かせた。
 彼女を抱きしめる腕に力を籠め、リズの肌を刺すような鋭い魔力を立ち上らせ、兄は悲痛な声で叫んだ。

「僕の妹の相手に誰かが嫁ぐなど、僕の妹が押し退けられるなど、二度と許さない!許すものか!」

 リズは震えているのが兄なのか、自分なのか分からなくなった。
 遠い記憶がはっきりと引き出される。
 昔、自分にはいつも自分を優しく穏やかに見守ってくれた兄がいた。
 幼いころ、屋敷に遊びに来た高直が帰ってしまった後、寂しくて泣いてしまった自分と一緒に遊んで慰めてくれた兄、
 香を合わせるということを自分に教えてくれた兄、そして――、

「必ず幸せにしてみせる…!毒など、絶対に飲ませるものか――!」

 あの最期の日にも臥せっていた自分に付いていてくれた兄。
 リズは導き出された信じられない結論を口に出した。

「直信…兄上…?」

 懐かしい音を紡いだ瞬間、兄はゆっくりと顔を上げ、濡れたエメラルドの瞳をリズに向け、微笑みを浮かべた。

「僕のつれない妹は、全く気が付いてくれなかったね」

 僕は君が初めてその紫の瞳に僕を映してくれた時に、分かったのに、といくらか本気を込めて兄が不満を漏らすと、背後でクスリとヒューの柔らかな笑いが漏れる。
 得難い奇跡を光のように感じながら、リズにも笑みが零れた。

「全く気が付きませんでした。ごめんなさい、兄上」

 一言、謝罪を口にすると、リズの紫の瞳から涙が溢れた。
「兄上。ごめんなさい。兄上は…、兄上は止めたのに…、私が毒を飲んでしまって…」
 薬を、毒を受け取ってしまってごめんなさい――、
 目の前で死んでしまってごめんなさい――、
 哀しませたまま死んでしまってごめんなさい――、
 言えなかった言葉が、伝えられる日が来るとは思わなかった思いがリズの口から零れ続ける。
 兄は再びリズを抱きしめた。兄はむせび泣くリズの背をあやすように優しくたたき、小さく、けれどもはっきりとリズの耳に囁いた。
「お前が謝る理由など、何一つないよ」

 リズは兄の言葉に瞳を閉じた。泣きながら笑うということをリズは初めて体験した。
「兄上。昔も同じ言葉をくれましたね」

 昔、高直と右大臣家の姫との婚姻が決まり、兄を哀しませてしまい、直子である自分が謝ったとき、兄は泣きながらその言葉をくれたのだ。
 今も自分は兄を泣かせてしまっている。
 つくづく自分は兄不孝な妹だと、リズは眉を寄せた。

 リズの思いを読み取った兄は、見惚れてしまうほどの美しく艶のある笑顔を浮かべた。
「僕はリズが生まれてきてくれただけで、幸せをもらったけれど、リズがそう思うなら、これから兄孝行しておくれ。一生、僕の側に居てくれればいいんだよ」
「お兄様。別の孝行を探します」

 間髪入れずに返したリズの言葉に、兄は美しい銀の眉をピクリと動かし、大きく溜息を付いた。
「今も、昔も、譲らないところは手加減なしに厳しいね」
「譲れませんから」

 がっくりとうなだれる兄を見て、くすくすと笑いを漏らしたヒューは「昔はどうだったの?」と柔らかく問うと、兄は肩を竦めて昔語りを始め、柔らかな笑いの中、夜は更けていった。
 



 
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