殿下、毒殺はお断りいたします

石里 唯

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第2章

招かれざる貴人

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 朝の静けさがまだ残るマーレイ公爵家の庭に、小さな虹が浮かび上がる。
 リズを迎えに来たヒューが、例のように魔法で雨を降らせて水やりをしてくれたおかげだ。
 虹の儚い美しさに、ほんの一時、リズは目を奪われたけれど、すぐに穏やかな湖の瞳に視線を戻した。
 ヒューは口元を緩め、リズの視線を受け止めると、彼の瞳に似合う穏やかな声でリズの言葉を封じた。

「リズ。人の思考を読み取ることは、不便で辛いことがたくさんあるけれど、君に言いづらいことを言わせなくて済むのは、とてもいいことだね」

――!
 リズは息を呑んだ。
 ヒューが浮かべる、清らかな朝に相応しい美しい微笑みは、リズの胸に痛みを走らせた。
「私は――」

 凪いだ瞳に優しさを乗せて、ヒューはリズの唇を指で押さえた。
「君が僕のために傷つくのは嫌だ。君が幸せでないと僕は幸せになれない」

 薄っすらと立ち上る彼の淡い緑の魔力は、囁かれた言葉が偽りのない真実であることをリズに示していた。
 再び走ったリズの胸の痛みを読み取ったヒューは、一度目を伏せた後、悪戯めいた瞳をリズに向けた。

「でも、そうだね。僕が君を想い続けることを許してほしい」

 彼の優しさに応えようと、リズは懸命に笑顔を浮かび上がらせた。笑顔を浮かべるだけなら、もっと簡単に完璧に浮かべることはできる。けれども、彼に対して社交としての笑顔を向けたくはなかった。
 ヒューは微かに苦笑を浮かべ、リズの笑顔らしきものを受け止めると、身に纏う空気を一変させた。
 
「さて、今日のとても楽しそうな晩餐の前に、この間の失敗を踏まえて、リズの魔法石の発動を少し緩めよう。今日の相手にはいかなる弱みも見せることは避けるべきことだからね」
 
 国の守護の一翼を担う魔法使いとしての顔を見せたヒューに、リズは王太子の婚約者の立場に戻り頷いた。

 今日は先日のお妃教育から三日が経っている。レクタム国からのお忍びの一行が王城に到着する予定の日だ。
 忍んで訪れたのは、レクタム国の第2王子殿下と彼と同母の第1王女殿下であった。
王女殿下の来訪は全く知らされていないものだったらしい。
 その意図を巡り急遽様々な検討がされたが、それに付随して出迎えの体制の見直しもされ、王女殿下と同じ年頃の女性も出迎えに加わることとなり、リズに白羽の矢が立った。
 これに対して、アンソニーは不敬罪に当たってもおかしくはない程の、――恐らく通常なら不敬罪になったはずの――、激烈な拒否を示し、王城からの使者を卒倒寸前にまで追い詰めたが、リズは、兄が一呼吸入れたところを逃さず、参加の要請を粛々と受け入れた。
 使者が涙を浮かべてリズに感謝の意を示したのは言うまでもない。
――アンソニーの反応をリズが断固として見ないことにしたのも言うまでもない。
 
 リズは、この晩餐を、自分が殿下の隣に立つことができるのかどうかを試す最高の機会と捉えたのだ。
 晩餐は相手がお忍びであるため公式のものではなく、行われる場所も普段は王族が食事を行う10人程しか席に着けない部屋だという。
 警護や給仕の者を合わせても、20人弱の晩餐をこなせないようであれば、リズに王太子妃としての未来はないに等しい。

 魔法石まで頂いているのだから、私も一歩踏み出さなければ。

 ヒューが卓越した技術で施した弱い封印を纏う魔法石を眺め、リズは自分の覚悟にもう一度向き合っていた。



 リズが晩餐を承諾して以降、不機嫌の最高の見本となった兄を伴って、王城に到着したリズたちを、今日、確実にこの王城で一二を争う忙しい身である侍従長と宰相のロナルドが出迎えた。
 ロナルドが平素と変わらぬ好々爺の仮面を被っていたことに対し、リズは何の驚きもなかったが、侍従長の溢れ出る喜色には、素直に驚きを覚えた。
 忙しいことがお好きなのかしら。
 疑問を覚えつつ、同時に微かに侍従長の喜色に既視感も覚えていたが、それを追究する前に今日の晩餐に向けての打ち合わせが始まってしまった。

「今日の晩餐は非公式なものとしています。発言を記録に取ることも、外交上の責任も一切生じないという条件で、晩餐という名の会見を受け入れることにしたのです」

 ロナルドは、穏やかな口調に、ぞくりとする恐さを練りこんで言い放ち、訪問に対する彼の評価を遺憾なく伝えていた。

 続けて、侍従長はどこまでも朗らかにリズに語り掛ける。
「何をしても言質を取らせません。これほど楽な公務デビューはありません。どうぞ気を楽にして臨んでください」

 侍従長の包み込むような気配りに癒され、自然と笑顔を浮かべて応えたリズは、ロナルドの淡々とした説明に現実に引き戻された。

「彼らの意図は不明です。今回、我々が許すのは、第2王子殿下とのつながりを拒否しなかったという事実のみです。同盟の諸国に対してもこの点を伝え、了承を得ています。
 第2王子殿下たちの意図として一番大きな可能性は亡命と思われますが、彼らを受け入れれば、レクタム国から攻め入られる口実を与えかねないため、この点はこの場では拒否することになります。まだ戦の準備に時間をかけたい段階ですから」
 
 その後も、ロナルドと侍従長から説明は続いた。リズたちの公務は、一行の出迎えと晩餐、翌日の見送りまでであり、一番主要なものは晩餐だ。
 晩餐には国王陛下、王妃殿下が参加しないだけでなく、公的な意味合いと政治色を排除するため、宰相のロナルドを始め重臣たちも参加しないことが決まっている。
 万一、先方が取り決めに反し政治的判断が求められそうな発言をしてきた場合は、エドワード殿下に判断を委ねることになっている。
 
 一連の説明の中、ロナルドは好々爺の笑みをリズに向けた。
「エリザベス嬢におかれましては、レクタム王室管理の毒草について話題になさらないことをお願いしたく存じます」
 
殊更丁寧な口調での要望という名の禁止をされ、リズは完璧な笑顔を貼り付けて頷いた。
 微かなヒューの忍び笑いを耳にしながら、先日のお妃教育で自分の社交話術の信頼は地に落ちたことを、リズは痛感した。
 
 その後も続いた取り決めの説明が終わると、仕上げとして、第2王子殿下と第1王女殿下に関する入手できた情報を叩きこまれた。この点に関しては、マーレイ公爵家のもつ情報も、アンソニーから追加される。
 リズの参加に不満はあっても、リズの助けとなることには全力を尽くすアンソニーである。リズのために晩餐に付き添うだけでなく、兄が集めた情報はロナルドを唸らすほどのものがあった。
 外見的特徴、食べ物、本、色といった嗜好の全般、過去から現在の交友関係、――その中には初恋と思われる相手まで含まれていた――、最近、私費、公費で購入したものまで、幅広く提示された情報を前に、リズは自分の毒草の趣味はやはり筒抜けだったことを確信しながら、一つの期待が沸き上がるのを自覚した。
 
――お兄様に頼めば、宰相閣下の秘めた趣味も分かるのではないかしら。
 
 思わず兄への依頼を心に控える自分に、ロナルドへのわだかまりはもう固まってしまったことを感じ、リズは内心苦笑しながら、まずは目先の難題をこなすため目の前の情報に向き合った。



 長い打ち合わせもようやく終わり、リズは王城に用意された自分の部屋で支度を整え、姿見に向き合っていた。
 姿見に映る自分は、既に完璧な笑顔を貼り付けている。
 自分が緊張していることを自覚して、リズは内心で溜息を零した。
 
 リズの内面はともかく、外見は王妃付きの侍女たちの技量と、兄と侍従長が意気投合して用意していたドレスが功を奏し、リズの愛らしさと美しさを存分に引き出している。
 ドレスの生地は、殿下の瞳を思わせる鮮やかな青を基調とし、クロシア国の国花が文様として全面に織り込まれた、手の込んだものだった。
 華やかな生地に対してデザインは、リズのほっそりとした体形を強調し、清楚さをもたらすすっきりしたもので、――胸のラインも一般的な深さだった――、その対比から全体の印象を強めている。

 ドレスを眺めたリズから、クスリと笑みが零れた。
 喜色満面の侍従長と彼に負けないぐらいにエメラルドの瞳を輝かせた兄を思い出したのだ。
 打ち合わせが終わると、間を置かず、このドレスを自慢するため喜色を深め満面となった侍従長と、彼につられるように不機嫌を投げ捨て上機嫌に転じた兄は、リズを部屋まで案内したのだ。和気藹々と自分たちの選んだドレスの出来栄えを褒め合っている兄と侍従長を見つめ、リズは、兄の不機嫌が消え去ったことを良しとすることにした。
――兄がリズを着飾るためだけに、婚礼のドレスも選んでいるのではないかという不安は、一先ず忘れることにした。

 姿見に再び目を移し、初めての公務に向けてリズが心を引き締めたとき、軽やかなノックと共に殿下がリズを迎えに訪れた。

――!
 リズは目を見開いた。
 殿下の装いは白を基調としたもので、生地にはリズと合わせて国花が織り込まれ、婚約者と衣装を合わせたことが示されている。
 公式の晩餐よりは飾りの少ない殿下の服は、彼の艶やかな金の髪と冷徹な美貌を引き立たせていた。
 見慣れたはずの美貌が、彼への想いを自覚した今のリズの瞳にはとても眩しいものに見え、リズの鼓動は乱れてしまう。
 その美貌を一番に印象付けるサファイアの瞳は、問題が山積する相手との晩餐を前にしたためか、緊張をはらんでリズを捕らえた。
 けれども、リズと視線を合わせると、ふわりと殿下は顔を緩ませ、美貌の色を変え、リズの鼓動は一段と跳ねた。

「そのドレスを選んだのが私でないことが悔しい。いつも貴女は美しいけれど、今日の貴女はずっと見つめていたいほどの美しさだ」

 殿下にしては控えめともいえる賛辞に、それでもリズの頬は熱を帯びたが、底冷えのする声がリズの熱を冷ました。

「僕の天使をずっと見つめていいのは、僕だけだ」
 
 続けて部屋に入ってきた兄は、リズと同じ生地で、しかし一段薄い青色を基調とした服を纏い、共布で銀の髪を一括りにして、それだけで装いにアクセントを加えている。青に銀色が映え、アンソニーの中性的な美を強めていた。
 後ろに控えるヒューは、魔法使いを示す紫のローブに長身を包み、その出で立ちは彼から滲み出る魔力と相まって厳かさを醸し出している。
 彼らの装いに目を奪われたリズは、殿下が優雅に差し出した手にようやく気が付き、そっと手を添え、身を任せた。
 耳元に囁きが落とされた。

「必ず貴女を護って見せる。笑顔でいておくれ」

 その言葉はリズの胸に温かさをもたらし、リズはサファイアの瞳に柔らかな笑みを返していた。

 いつか私も貴方を護れる日が来ますように。

 リズの密かな祈りは、しっかりアンソニーに読み取られたらしい。急に反対側の手を兄に取られてエスコートされ、背後からのヒューの笑い声を聞きながら、何とも歩きにくい体勢で賓客の出迎えに向かうことになった。



 様々な用意をして臨んだ晩餐は、相手の立場を忘れ、時折朗らかな笑いが起こるほどの、政治からかけ離れた和やかな会話で進んでいった。リズの魔法石が光ることも全くない。そもそも殿下と兄に挟まれた席に座るリズは、会話の中心になることはなかった。
 厳密にいえば、リズは言葉を発する機会がなかった。リズが答えるべきところまで、リズが口を開くよりも早く両隣の二人が答えてしまうからだ。
 座るだけの役回りしかないリズであったが、それでも心から晩餐を楽しむことはできなかった。大きな疑問がリズの心にのしかかっていたためだ。

――このまま晩餐は終わるのかしら。お忍びでいらした目的は達成できたのかしら。
 
 リズは思わず向かい側に座る、今日の主賓に目を向けた。
 
 イーサン第2王子殿下とジェス第1王女殿下は、事前の情報通り黒髪に黒い瞳の持ち主で、その色はリズに懐かしさを覚えさせた。
 特にジェス殿下の黒髪は、アンソニーに勝るとも劣らない艶やかさで、リズは出迎えの際、感嘆の溜息を零したほどだ。
 
 光沢のある薄い青色の騎士服に身を包んだイーサン殿下は、常に笑顔を絶やさず、気さくな印象を相手に与える人物であった。この晩餐の空気を朗らかなものにしているのは、彼の衒いない態度によるところが大きかった。
 事前に目にした情報通り、彼が率いる部隊からの信頼が厚いのも頷けるものがあった。
 相手の懐に飛び込む努力をすることに躊躇いのない方?―、それがリズ自身の殿下に対する印象だった。
 現に、彼はエドワードに自分のことを「イーサン」と呼ばせることを笑顔で押し切っている。
――もっとも、エドワードは氷の笑みを浮かべ、イーサン殿下の申し出に対するに彼の思いを明確に伝えていた。
 
 エドワードの緩やかな拒絶にも挫けることもなく、晩餐の空気を和ませ続けるこの人物をもってしても、国の方針をまとめることができないことに、リズはレクタム国の拡大志向の根深さを思い知らされた。
 
 イーサン殿下の隣に座るジェス王女殿下は、涼やかな目が特徴的な容貌で、真紅のドレスをさらりと着こなしている。事前の情報ではイーサン殿下とは対照的に物静かな女性と評されていたが、リズが受けた印象は少し異なっていた。
 確かに会話に入ることは少ないけれど、言うべきところはしっかりと言葉を挟み、自分の意見に対して慎重ではありながら、譲れないところは定めている、そのような奥深い思慮を感じた。

 このまま友好を確認できた形で終わればいいのだけれど。

 そのようなリズの願いに反して、もしくは予感通りに、そのまま晩餐が終わることはなかった。
 晩餐の最後として飲み物が供されると、イーサン殿下の顔から朗らかさが消えた。
 笑顔が取り払われたイーサン殿下の素顔は、固い意志をうかがわせる強い眼差しの持ち主だった。

「エドワード。貴方はレクタム国に対する包囲網を築いているそうですね」
 
 彼の声までもが硬いものへと変わったが、対するエドワードに変化は見られない。
 しかし、取り決めに反し政治へ話題を転じた相手に対し、意趣返しは忘れなかった。
 社交用の笑顔を浮かべ、心地よい声で紡いだ言葉は、穏やかとは言い難いものがあった。

「貴国の情勢に不安を覚えましたから」

 部屋は瞬時に緊張で支配された。部屋にいる全員が身じろぎ一つもせず、物音一つも立てず、イーサン殿下の反応を待つ。
 イーサン殿下は手元のカップに視線を落とし、瞳を隠した。そして、硬い声ではっきりと明言する。

「私は拡大志向には反対です。褒賞に土地を使うことにも」

 イーサン殿下はカップから視線を離し、鋭い眼差しをエドワードに向けた。
「しかし、包囲網を築かれたことで、国内の反発が高まっているのです」

 部屋の緊張は痛いほどに高まったが、リズの意識は別のところに向いていた。
 魔法石からヒューの魔力が掻き消えたのだ。朝方張ってもらった結界は跡形もない。
―― 一体、どうしてなの?
 取り決めに反し、この場は政治の場と化している。一切の弱みを見せられない局面である。
 今朝のヒューの意図とは真逆の突然の事態に、理由を必死に考えるリズは、イーサン殿下の言葉を聞き流していた。

「私は平和を重んじる。貴方に提案があるのだ」

 瞬間、リズは理由を知ることができた。いや、理由を体感した。
 隣の兄からヒューの魔力を感じたのだ。ヒューは兄の周りに薄い結界を張り巡らしていた。
――これは防御の結界というよりも、お兄様の魔力を抑え込もうとしている…?

 ヒューが魔法石の魔力まで必要とするほど、兄の魔力が乱れていることに、リズは動揺し、努めてゆっくりと呼吸をして落ち着きを取り戻そうとした。魔法石を発動させたくはなかったのだ。
 魔法石と兄の魔力に気を取られていたことは、リズにとって幸運だった。
 緊張を切り裂くように発せられたイーサン殿下の発言を、一歩引いた気持ちで受け止めることができたのだから。
 
「私の妹、ジェスを貴方に嫁がせる」

静寂が満ちた部屋にゆっくりと響いたその言葉は、他に気を取られたリズに衝撃を与えることはなく、魔法石も光ることなく、リズは兄の魔力の乱れの原因を知り納得するばかりだった。
 兄は魔力でイーサン殿下の思考を読み取り、憤怒したのだろう。ヒューが結界を張るほどに。
 リズの黙考は、エドワードの、凍てつくような、斬り捨てるような声で遮られた。

「断る」
 
 リズは隣のエドワードから魔力が立ち上ったのを感じた。
 咄嗟にヒューに目を向けると、彼の表情に特に動きは見られない。社交の礼儀に反することであるが、結界を必要とするほどの乱れはないのだろうとリズは安堵する。
 
「私にはこの世の何よりも大切な婚約者がいる。我が国は一夫一婦制だ。仮に、例え一夫多妻制であっても、私の伴侶は彼女以外必要ない」

 エドワードの相手を凍り付かせる眼差しを受けても、イーサン殿下にひるんだ気配は見られなかった。落ち着いた様子でゆっくりと目を伏せた。

 その途端、ヒューの結界がはっきりと境界が分かるほど強まる。外交の面目を配慮し目立たない結界を張ることよりも、兄の魔力を抑え込むことを最優先にしたのだ。
 リズも礼儀を捨て、兄に顔を向けた、その時だった。
 
「そちらの婚約者は私に嫁いでくればいい。平和の礎として」

 ヒューの結界は彼の淡い魔力の色を帯び、肌を刺すような険しさとなった。

「お兄―」

 兄を気遣うリズの声は途切れてしまった。
 リズの肌は粟立った。
 部屋全体が濃い青の魔力で覆われていた。強い魔力を受けて、テーブルの食器はカタカタと振動している。

 視界の端にいるヒューは歯を食いしばり、兄への結界に集中し、ジェス殿下はレクタム国側に結界を張る。ジェス殿下はイーサン殿下の護衛も務めていたのだとリズは悟った。
 そこまでの警戒を促した濃い青の魔力は、兄の魔力ではなかった。
 リズがゆっくりとエドワードを振り返ると、殿下は青の魔力を霧のように纏いながら、ゆっくりと立ち上がった。
 サファイアの瞳はそれ自体が凶器のような鋭さで、向かいに座る獲物を捕らえた。

「彼女を道具にする?私からリズを奪う?」

 イーサン殿下はエドワードに気圧され、目を瞠り、竦み上がっている。
 それでも青の魔力は緩むことなく、ジェス殿下の結界が揺らぎ始めた。
 このままでは結界を破り、イーサン殿下を傷つけかねなかった。

「殿下…」

 魔力の強さに圧されながら、リズは辛うじて声を絞り出し、エドワードの手を握った。反射的にサファイアの瞳がリズに向けられ――、
 ふっと青の魔力は消え失せた。
 食器の振動は止まり、部屋に静けさが戻る。
 ヒューとジェス殿下は期せずして同時に結界を解き、小さく溜息を付いていた。
 エドワードはサファイアの瞳にリズの胸を痛ませるほどの切なさを浮かび上がらせた後、リズの手を握り返し、時間をかけてイーサン殿下に視線を戻した。

「イーサン」

 その呼びかけは、ほんの一時前と同じく、穏やかに心地よい声でなされたが、イーサン殿下の身体はピクリと動いた。

「君は情報網を早急に鍛えなおすべきだ」

 その提案は唐突に思えたのだろう。イーサン殿下は目を瞬かせた。
 エドワードはイーサン殿下の困惑に口の端を上げた。ゆっくりと噛んで含めるように話し続ける。

「私が同盟を持ちかけたのは、偏に彼女のためだ。彼女の平穏のためだけの平和だ。
 私には彼女しか意味がない。リズがこの世に居なければ、私は同盟など考えもしなかったろう。」

 王族としては許されない、あり得ない言葉に、イーサン殿下は驚愕を露にした。

「このことは、私が口にする前に、ラタ帝国のフランクもウィンデリアの王太子も把握していた。二人とも、私を笑いながら、リズの存在に感謝を捧げていたよ」
 
 イーサン殿下の顔からさっと表情が抜け落ちた。彼はエドワードに言われるまで把握できていなかった。情報収集と分析能力が劣っていることを突き付けられたのだ。
 
 しかし、リズはイーサン殿下の能力に気を向ける余裕はなかった。
 このような時に、リズは全身から火が出る思いだった。
――私、絶対にラタ帝国にもウィンデリアにも行けないわ。
 けれども、リズが羞恥に震えたのは一瞬だった。
 エドワードが再び魔力を立ち上らせたのだ。

「彼女は私の命だ。彼女を傷つける者も、私から彼女を奪おうとする存在も、許すことはない。滅ぼすのみだ」

 イーサン殿下は自分の提案が真逆の結果をもたらしたことに、顔を歪めた。
 エドワードは魔力を収め、社交上の爽やかな笑みを浮かべた。
 
「ここまで出向いた君に土産を贈らせてもらおう」
 
 イーサン殿下の顔が一段と歪んだ。エドワードは彼の反応に構わず笑顔のまま言葉を紡ぐ。

「フィアス国の宰相の子息であり、外相を務める男性は、フィアスの内乱の折、ウィンデリアに保護され15年間をウィンデリアで過ごした。今、彼はその時の伝手を頼って、フィアスとの同盟に反対するウィンデリアの貴族を一人一人懐柔している。
 彼は実に優秀な人物だそうだが、反フィアス派の貴族が懐柔された理由はそれだけではないだろう。5年前、王太子に暗殺団が向けられたことは貴族たちの決断を容易にしている」

 イーサン殿下の血の気が完全に引いた。
 フィアスはまだ同盟に参加していない国である。
 レクタム国としては、もし包囲網の国と戦になった場合、フィアスを取り込み、ウィンデリアを攻撃させようという目論見があったはずだ。
 ウィンデリアと過去に戦があったフィアスとの間に同盟が成立すれば、包囲網は隙のない完全なものとなってしまうのだ。
 
 万一、血気に逸るレクタム国の拡大派がラタ帝国に攻め入ることがあれば、4か国を敵に回すことになる。それはレクタム国の滅亡を意味していた。
 
 部屋に、イーサン殿下がつばを飲み込む音が響いた。
 エドワードはそんな彼に氷の王子に相応しい笑みを浮かべて、とどめを刺した。

「イーサン。君は、このようなおためごかしの、一時的な誤魔化しに過ぎない手段に期待をかけている場合なのだろうか。同盟が必要と思われた経緯を甘く見ているのではないだろうか」

 同盟は完成が目前であると、各国のレクタム国への警戒は王族の婚姻などで解かれる段階は過ぎていると、イーサン殿下は俯き、こぶしを握り締めて、突き付けられた現実を受け止めていた。

 こうして、晩餐は友好確認とは程遠い形で幕を閉じた。
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