恋い焦がれて

さとう涼

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4.交錯する恋のベクトル

018

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 だけどその日の午前〇時近く、佐野先生はふらっとファミレスにやって来た。

「生ビール」

 それだけ言って、いつものカウンター席につく。

「生ビールだけでよろしいですか? お食事は?」
「夕飯は食べてきたから、それだけでいい」
「かしこまりました」

 なにか変だなと思いながらも、仕事中なので詮索せずに対応する。
 生ビールを持っていくと、佐野先生は「ありがとう」と言って、ひと口だけ飲んだ。

「今日もバイトは十二時までだろう?」
「はい」
「家まで送るよ。終わる時間に外で待ってる」
「でも……」
「ちょっと話したいと思って」
「わかりました。お店の前で待っていてください。十五分後に行きます」

 急に「話したい」と言われ、すごく驚いた。でもなんとか平静をよそおって返事をした。
 別になにかを期待しているわけじゃない。そういう雰囲気でもなかったから。それより、怖いと思った。なにかよくないことが佐野先生の身に起きているのだと感じた。



 バイトを終えると、店の外で待っていた佐野先生のもとに急ぐ。佐野先生は植え込みの前に立っていて、ボーッと夜空を眺めていた。

「星、見えます?」
「いいや、あんまり見えないな」

 佐野先生がちょっと疲れたように言う。
 本当は星なんて見ていない。わかっていたけれど、なんて話しかければいいのかほかに思いつかなかった。
 ふたりで歩き出す。でもわたしの住むマンションまではそんなに遠くないので、ちょっと遠まわりするために、駅のほうを目指した。

「夕飯はなにを食べたんですか? またコンビニとかのお弁当ですか?」
「自分でカレーを作って食べた。この間、ファミレスで食べたのがおいしかったから」

 こんなときに、わたしを喜ばせる言葉を言ってくれるんだ。でも素直に喜べない。

「自炊はあんまりしないって言ってませんでしたっけ?」
「急に食べたくなったんだ。材料もあったし、たまには作ってみようと思って。輝もあんまり料理をしなさそうだな」
「しますよ! こう見えてもけっこう得意なんです。お父さんが和食好きなんで、煮物や茶碗蒸し、天ぷらもよく作ります」
「そうか。そういえば輝は器用なほうだったもんな」

 佐野先生が申し訳なさそうに返した。

「器用ってほどでもないです」
「輝は自分では才能がないと思ってたみたいだけど、絵を描くのは上手だったよ」
「そうですか?」
「学校代表でコンクールに出品したら見事、金賞だったもんな」
「よく覚えてますね」

 そんな昔のこと、わたしですら忘れていたのに。
 そういえば、佐野先生にほめてもらいたくて、がんばって描いたんだった。期日に間に合わなくなりそうで、家に持ち帰って描いた。
 レンガ造りの倉庫の絵。レンガを一つひとつ塗り分けた。濃い赤茶色、薄い赤茶色、黄土色、グレーがかった茶色……。パレットの上で無数の色を作り出した。それは気が遠くなるような作業で、あのときはあまりにも大変で泣きそうだった。
 懐かしい。わたしったら、小学生の頃から佐野先生に夢中だったんだ。

「佐野先生の彼女は料理上手ですか?」

 聞いていいものか迷ったけれど、聞かずにいられなかった。どこかで張り合おうとしているのかもしれない。
 どうせ傷つくのに。料理上手だと言われても悔しいだろうし、料理下手と言われても、それを簡単に補えるくらいの長所が彼女にはあるのだと卑屈に考えてしまうはず。
 でも佐野先生から返ってきた答えは意外なものだった。

「彼女はあまり料理をしない人なんだよ。でも、いまどき女性だから料理をしなきゃならないってこともないだろうし、仕事柄、残業も多いから、そういうのはあんまり求めてもいないかな」

 たしかに料理は女性だけがするものではないけれど。わたしは佐野先生のために、夜はあったかいごはんを作ってあげたいな。今日もお疲れ様でしたと労って、心も身体も安らげるような時間を過ごしてほしい。

「佐野先生も忙しそうですけど、彼女もそうなんですね。ふたりとも忙しいと、会うのも大変そうですね」
「そうなんだよ。実はここ二ヶ月ほど会っていないんだ」
「そんなに?」
「でももうそんなことはどうでもいいんだ。会ったところで、いまさら普通に接する自信もないし」
「……え?」

 それじゃあ、やっぱり佐野先生の彼女は浮気をしていたということ?
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