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4.交錯する恋のベクトル
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土曜日。佐野先生との美術館デートから約二週間経過していた。
八月に入ると、ますます暑さが厳しくなり、天気予報では今夜も熱帯夜だとか。
そんな夜のファミレスで、わたしは息が止まるほどのサプライズを味わった。ナリたちのテーブルでオーダーをとろうとしていたら、サイジさんがメジャーデビューの報告をしてくれた。
「ええー!? それって、つまりプロになるってことですよね!?」
「そうなんだ。半年前に話をもらっていたんだけど、ようやくデビューの日が決まったんだ」
サイジさんがニコニコと答える。
知らなかった。そんなにすごいバンドだったんだ。
カザネさんは今日もいない。カザネさんも喜んでいるんだろうな。彼氏がメジャーデビューだなんて格好よすぎ!
「おめでとうございます! CD買います! 友達にも宣伝します!」
「ありがとう。俺たちもバイトやサラリーマンでかけ持ちしてきたけど、そろそろバンド一本に絞るよ」
「それじゃあ、サイジさんもバイトを辞めるんですか?」
「ああ。俺とナリはバイトの身の上だから平気だけど、ほかのメンバーはそうじゃないから、いろいろ覚悟はいるみたいだけどな」
みんな二十代半ば。まだまだ若いけれど、夢のために会社を辞めるなんて一大決心だと思う。
「でも、これでナリはカザネちゃんに正式に告白できるよな」
「シグレ、余計なこと言うなよ!」
リーダーのシグレさんが隣に座っているナリの肩を組んで冷やかした。
告白? ん? どういうことなんだろう?
「デビューの日が決まったら、カザネちゃんに告るつもりだったんだろう?」
なおもシグレさんはナリに突っ込む。
「……そうだけど」
「電話でデビューのことを報告したんなら、そのときに『俺とつき合え』って言っちまえばよかったのに」
「電話でなんて言えるかよ。今度会ったときに言うよ」
ナリたちの話を聞きながら、不思議でならなかった。
だって誰がどう見たってナリとカザネさんは……。
「やっぱり、つき合っているって思うよね。でも違うんだよ」
わたしがぽかんとしているので、トオルさんが親切に教えてくれた。
「わたし、てっきりおふたりは恋人同士かと……。お似合いだなといつも思ってました」
「ほら、ナリ。輝ちゃんも勘違いしてるぞ」
今度はミツヒデさんが笑いながらナリに突っ込む。トオルさんもニタニタ顔をしていて、とうとうナリがふてくされた。
「仕方ないだろう。いい年してフリーターだと無責任につき合ってとか言えないんだよ」
なるほど、そういうことか!
「格好いいです! カザネさんがそのセリフを聞いたら感動すると思います」
「うまくいくかわかんないけど」
「うまくいきますよ! カザネさんを見ていればわかります」
カザネさんのナリへの愛を感じる。彼女はいつもナリに寄り添って、ナリの言葉をひとつも聞きもらさないように静かに耳を傾けているんだ。ナリが羽目をはずしてはしゃごうものならやさしく怒って、元気がないときは明るく笑いかける。
ナリが音楽一本でがんばってきたのだって、カザネさんがいたら……。そう思える。
うらやましい。言葉なしで気持ちを通じ合わせるにはどうすればいいのだろう。わたしも無条件で好きな人に寄り添えられたらどんなにいいか。
「今月であのライブハウスとは当分お別れだな」
サイジさんに言われて、それがどういうことかを理解した。もうこのファミレスにメンバーが定期的に集まることもなくなるんだ。
週末、彼らが来るたびに華やかになった店内。そんな日々も残りわずか。
さみしい。だけど、おめでたいこと。わたしは最後の日も笑顔でお見送りしようと思う。
その日、みんなはビールで乾杯していた。いつもはアルコール類は飲まないけれど今日は特別。ファミレスで乾杯なんてずいぶん地味だと思うけれど、それも彼ららしい。
「最終日はここで打ちあげしてやるよ」
ナリがご機嫌に言った。わたしはその言葉がうれしくて、目もとが潤んでしまったのを笑ってごまかした。
ナリたちは和気あいあいな感じで楽しそうだった。メンバーはとても仲がいい。わたしは仕事の合間にその様子を微笑ましい気持ちで見守っていた。
店内のお客がだんだんと減り、少し余裕が出てきた頃。由紀乃とふたりでテーブルを片づけていると、由紀乃が小声で尋ねてきた。
「佐野先生、今日は来ないのかな?」
バイト中は考えないようにしていたのに、その言葉で一気に不安が押し寄せる。昨日も先週も、佐野先生は来なかった。美術館に行った日以来、会うことはなかった。もちろん、連絡もない。
「仕事が忙しいのかもね」
と言いつつ、彼女となにかあったのかもしれないと感じていた。連絡してみようかなと何度も思ったけれど、お節介に思われるのが怖くてできなかった。嫌われたくなかった。
こんなときなのになんで自分のことばかり考えてしまうんだろうと、自分に腹が立つ。
「一応、確認させて。佐野先生のこと、好きなんだよね?」
「まあね」
「告白しないの?」
「彼女持ちだもん。告白はできないよ」
「本気で好きなら奪えばいいじゃん」
「それは無理。佐野先生は彼女のことを大切に想っているんだもん」
わたしが彼女を否定したとき、佐野先生は真っ先に彼女をかばっていた。疑心暗鬼の状態なのに、彼女を守っている。悔しいけれど、佐野先生の想う人は彼女だけなんだ。
「輝がそう言うんなら仕方ないけど、片想いもそれなりに覚悟が必要だよ。近くにいる分、たくさん傷つくんだから」
「うん、わかってる」
由紀乃の言葉がチクチクと胸を刺す。
由紀乃の言う通りだった。ひとついいことがあると、もっとほしいと欲ばりになって、手に入らない現実に幻滅する。結果的に自分の首を絞めることになると、この二週間で悟った。
だから、この感情を上手に制御しないといけない。好きな気持ちを封じ込めることはどうしたってできないのだから、困らせないようにせめて佐野先生の前では泣かないようにしようと思う。
八月に入ると、ますます暑さが厳しくなり、天気予報では今夜も熱帯夜だとか。
そんな夜のファミレスで、わたしは息が止まるほどのサプライズを味わった。ナリたちのテーブルでオーダーをとろうとしていたら、サイジさんがメジャーデビューの報告をしてくれた。
「ええー!? それって、つまりプロになるってことですよね!?」
「そうなんだ。半年前に話をもらっていたんだけど、ようやくデビューの日が決まったんだ」
サイジさんがニコニコと答える。
知らなかった。そんなにすごいバンドだったんだ。
カザネさんは今日もいない。カザネさんも喜んでいるんだろうな。彼氏がメジャーデビューだなんて格好よすぎ!
「おめでとうございます! CD買います! 友達にも宣伝します!」
「ありがとう。俺たちもバイトやサラリーマンでかけ持ちしてきたけど、そろそろバンド一本に絞るよ」
「それじゃあ、サイジさんもバイトを辞めるんですか?」
「ああ。俺とナリはバイトの身の上だから平気だけど、ほかのメンバーはそうじゃないから、いろいろ覚悟はいるみたいだけどな」
みんな二十代半ば。まだまだ若いけれど、夢のために会社を辞めるなんて一大決心だと思う。
「でも、これでナリはカザネちゃんに正式に告白できるよな」
「シグレ、余計なこと言うなよ!」
リーダーのシグレさんが隣に座っているナリの肩を組んで冷やかした。
告白? ん? どういうことなんだろう?
「デビューの日が決まったら、カザネちゃんに告るつもりだったんだろう?」
なおもシグレさんはナリに突っ込む。
「……そうだけど」
「電話でデビューのことを報告したんなら、そのときに『俺とつき合え』って言っちまえばよかったのに」
「電話でなんて言えるかよ。今度会ったときに言うよ」
ナリたちの話を聞きながら、不思議でならなかった。
だって誰がどう見たってナリとカザネさんは……。
「やっぱり、つき合っているって思うよね。でも違うんだよ」
わたしがぽかんとしているので、トオルさんが親切に教えてくれた。
「わたし、てっきりおふたりは恋人同士かと……。お似合いだなといつも思ってました」
「ほら、ナリ。輝ちゃんも勘違いしてるぞ」
今度はミツヒデさんが笑いながらナリに突っ込む。トオルさんもニタニタ顔をしていて、とうとうナリがふてくされた。
「仕方ないだろう。いい年してフリーターだと無責任につき合ってとか言えないんだよ」
なるほど、そういうことか!
「格好いいです! カザネさんがそのセリフを聞いたら感動すると思います」
「うまくいくかわかんないけど」
「うまくいきますよ! カザネさんを見ていればわかります」
カザネさんのナリへの愛を感じる。彼女はいつもナリに寄り添って、ナリの言葉をひとつも聞きもらさないように静かに耳を傾けているんだ。ナリが羽目をはずしてはしゃごうものならやさしく怒って、元気がないときは明るく笑いかける。
ナリが音楽一本でがんばってきたのだって、カザネさんがいたら……。そう思える。
うらやましい。言葉なしで気持ちを通じ合わせるにはどうすればいいのだろう。わたしも無条件で好きな人に寄り添えられたらどんなにいいか。
「今月であのライブハウスとは当分お別れだな」
サイジさんに言われて、それがどういうことかを理解した。もうこのファミレスにメンバーが定期的に集まることもなくなるんだ。
週末、彼らが来るたびに華やかになった店内。そんな日々も残りわずか。
さみしい。だけど、おめでたいこと。わたしは最後の日も笑顔でお見送りしようと思う。
その日、みんなはビールで乾杯していた。いつもはアルコール類は飲まないけれど今日は特別。ファミレスで乾杯なんてずいぶん地味だと思うけれど、それも彼ららしい。
「最終日はここで打ちあげしてやるよ」
ナリがご機嫌に言った。わたしはその言葉がうれしくて、目もとが潤んでしまったのを笑ってごまかした。
ナリたちは和気あいあいな感じで楽しそうだった。メンバーはとても仲がいい。わたしは仕事の合間にその様子を微笑ましい気持ちで見守っていた。
店内のお客がだんだんと減り、少し余裕が出てきた頃。由紀乃とふたりでテーブルを片づけていると、由紀乃が小声で尋ねてきた。
「佐野先生、今日は来ないのかな?」
バイト中は考えないようにしていたのに、その言葉で一気に不安が押し寄せる。昨日も先週も、佐野先生は来なかった。美術館に行った日以来、会うことはなかった。もちろん、連絡もない。
「仕事が忙しいのかもね」
と言いつつ、彼女となにかあったのかもしれないと感じていた。連絡してみようかなと何度も思ったけれど、お節介に思われるのが怖くてできなかった。嫌われたくなかった。
こんなときなのになんで自分のことばかり考えてしまうんだろうと、自分に腹が立つ。
「一応、確認させて。佐野先生のこと、好きなんだよね?」
「まあね」
「告白しないの?」
「彼女持ちだもん。告白はできないよ」
「本気で好きなら奪えばいいじゃん」
「それは無理。佐野先生は彼女のことを大切に想っているんだもん」
わたしが彼女を否定したとき、佐野先生は真っ先に彼女をかばっていた。疑心暗鬼の状態なのに、彼女を守っている。悔しいけれど、佐野先生の想う人は彼女だけなんだ。
「輝がそう言うんなら仕方ないけど、片想いもそれなりに覚悟が必要だよ。近くにいる分、たくさん傷つくんだから」
「うん、わかってる」
由紀乃の言葉がチクチクと胸を刺す。
由紀乃の言う通りだった。ひとついいことがあると、もっとほしいと欲ばりになって、手に入らない現実に幻滅する。結果的に自分の首を絞めることになると、この二週間で悟った。
だから、この感情を上手に制御しないといけない。好きな気持ちを封じ込めることはどうしたってできないのだから、困らせないようにせめて佐野先生の前では泣かないようにしようと思う。
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