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深淵の森
第2話
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翌朝。
星渡りの一座は商人の隊と合流し、街を後にした。
荷馬車が連なる列は思いのほか大きく、十数台にも及ぶ。
荷台には織物や香辛料、塩や鉄材、生活に欠かせない雑貨まで積まれ、牛馬の鼻息と車輪の軋みが絶えず響いていた。
列の両脇では、雇われた護衛兵が剣や槍を肩に担ぎ、時折険しい目で周囲を見回している。
リリアは一座の仲間と共に、その列の中ほどを歩いていた。
空は高く澄み渡り、初夏の陽光が降り注いでいる。けれど、空気の底にはどこか張り詰めた冷たさが混じっていた。人々の声も、賑やかさを装いながら、どこか落ち着かない。
──森へ向かっている。
その意識が胸に重くのしかかる。
行列の先頭から、笑い声が聞こえてきた。商人たちの一団だ。
「近ごろ、あそこで隊が襲われたって話だ」
「へっ、まさか。護衛を倍にしてたぞ? そんな大げさな……」
最初は冗談めかし、互いに肩を叩き合って笑っていた。
だがその直後、道端に砕け散った荷車の車輪や、黒くこびりついた血痕が姿を現した。
笑いは途切れ、乾いた沈黙が広がった。
「……全滅したらしい」
誰かがそう付け足すと、笑いは完全にしぼみ、声は押し殺すように低くなった。
列の後ろまでその空気は伝わり、ざわめきが重くまとわりついてくる。
リリアは足元に視線を落とした。
──本当に、ここで人が死んだ。
森の入口はまだ先だというのに、すでに死の影が街道を覆っている。
昼を過ぎると、列はやや速度を落とした。
森が近づくにつれ、周囲の景色は少しずつ変わっていく。
緩やかな丘を越えるたび、木立は濃くなり、風の匂いも土と湿り気を強めていた。
空は青いのに、影ばかりが不自然に長く伸び、どこか不吉な気配が漂い始める。
鳥の鳴き声は途絶え、代わりに枝の軋みや草むらを走る獣の音ばかりが耳に残った。
リリアは無意識に腰の革袋へ手を伸ばした。
そこにあるのは、代々受け継がれてきた鈴だ。
かつて王都霊廟を護ってきた一族が、魔を退けるために用いた道具。
けれど、今の自分にそれを使いこなす力があるのか。
問いかけるように袋の縫い目を指でなぞり、すぐに手を離す。
「どうした? 肩に力が入ってるぞ」
横を歩いていたカイが、わざとらしく笑いながら声をかけてきた。
「そんな顔してたら、逆に魔物を呼び寄せる」
「……呼び寄せるつもりはありません」
努めて冷たく返したが、その声はわずかに震えていた。
カイはにやりと笑ったが、それ以上茶化すことはしなかった。
そのやり取りを、セラがじっと見ている気配がする。
振り返れば、彼女の鋭い視線が刺さるだろう。
リリアはうつむき、歩みに集中するふりをした。
隊の中では、ときおり小声の噂が流れていく。
「森の入口に近づけば、冷たい風が吹く」
「夜には目に見えぬ影が並んで歩くらしい」
そうした言葉に、子どもを連れた女商人が青ざめた顔で荷車に寄り添う。
護衛兵の一人が「馬鹿げた話だ」と一蹴したが、その声音にすら強がりが混じっていた。
リリアは耳を塞ぎたい気持ちでいっぱいだった。
──迷信じゃない。
彼らの恐怖は、嘘ではない。
森を護ってきた管理人の一族が切り捨てられた今、この街道は確かに脅威にさらされている。
胸の奥に沈んでいた氷の塊が、さらに深く食い込んでいった。
夕暮れが迫るころ、列はついに森の入口に差しかかった。
木々は異様に高く伸び、枝葉が絡み合って空を覆っている。
外の光を拒むかのように森は暗く、入口に立っただけで冷気が頬を撫でた。
商人たちの足取りが一斉に鈍る。
誰もが無言で、ただ前を見据えた。
列の前方で、ヴァルガンが一座に目を向け、静かにうなずく。
「ここからが本番だ」
その低い声は、冗談を許さぬ緊張を帯びていた。
リリアは深く息を吸い、革袋の重みを確かめる。
足は震えている。だが、一歩を踏み出すしかなかった。
深淵の森が、影を広げて彼らを迎え入れていた。
星渡りの一座は商人の隊と合流し、街を後にした。
荷馬車が連なる列は思いのほか大きく、十数台にも及ぶ。
荷台には織物や香辛料、塩や鉄材、生活に欠かせない雑貨まで積まれ、牛馬の鼻息と車輪の軋みが絶えず響いていた。
列の両脇では、雇われた護衛兵が剣や槍を肩に担ぎ、時折険しい目で周囲を見回している。
リリアは一座の仲間と共に、その列の中ほどを歩いていた。
空は高く澄み渡り、初夏の陽光が降り注いでいる。けれど、空気の底にはどこか張り詰めた冷たさが混じっていた。人々の声も、賑やかさを装いながら、どこか落ち着かない。
──森へ向かっている。
その意識が胸に重くのしかかる。
行列の先頭から、笑い声が聞こえてきた。商人たちの一団だ。
「近ごろ、あそこで隊が襲われたって話だ」
「へっ、まさか。護衛を倍にしてたぞ? そんな大げさな……」
最初は冗談めかし、互いに肩を叩き合って笑っていた。
だがその直後、道端に砕け散った荷車の車輪や、黒くこびりついた血痕が姿を現した。
笑いは途切れ、乾いた沈黙が広がった。
「……全滅したらしい」
誰かがそう付け足すと、笑いは完全にしぼみ、声は押し殺すように低くなった。
列の後ろまでその空気は伝わり、ざわめきが重くまとわりついてくる。
リリアは足元に視線を落とした。
──本当に、ここで人が死んだ。
森の入口はまだ先だというのに、すでに死の影が街道を覆っている。
昼を過ぎると、列はやや速度を落とした。
森が近づくにつれ、周囲の景色は少しずつ変わっていく。
緩やかな丘を越えるたび、木立は濃くなり、風の匂いも土と湿り気を強めていた。
空は青いのに、影ばかりが不自然に長く伸び、どこか不吉な気配が漂い始める。
鳥の鳴き声は途絶え、代わりに枝の軋みや草むらを走る獣の音ばかりが耳に残った。
リリアは無意識に腰の革袋へ手を伸ばした。
そこにあるのは、代々受け継がれてきた鈴だ。
かつて王都霊廟を護ってきた一族が、魔を退けるために用いた道具。
けれど、今の自分にそれを使いこなす力があるのか。
問いかけるように袋の縫い目を指でなぞり、すぐに手を離す。
「どうした? 肩に力が入ってるぞ」
横を歩いていたカイが、わざとらしく笑いながら声をかけてきた。
「そんな顔してたら、逆に魔物を呼び寄せる」
「……呼び寄せるつもりはありません」
努めて冷たく返したが、その声はわずかに震えていた。
カイはにやりと笑ったが、それ以上茶化すことはしなかった。
そのやり取りを、セラがじっと見ている気配がする。
振り返れば、彼女の鋭い視線が刺さるだろう。
リリアはうつむき、歩みに集中するふりをした。
隊の中では、ときおり小声の噂が流れていく。
「森の入口に近づけば、冷たい風が吹く」
「夜には目に見えぬ影が並んで歩くらしい」
そうした言葉に、子どもを連れた女商人が青ざめた顔で荷車に寄り添う。
護衛兵の一人が「馬鹿げた話だ」と一蹴したが、その声音にすら強がりが混じっていた。
リリアは耳を塞ぎたい気持ちでいっぱいだった。
──迷信じゃない。
彼らの恐怖は、嘘ではない。
森を護ってきた管理人の一族が切り捨てられた今、この街道は確かに脅威にさらされている。
胸の奥に沈んでいた氷の塊が、さらに深く食い込んでいった。
夕暮れが迫るころ、列はついに森の入口に差しかかった。
木々は異様に高く伸び、枝葉が絡み合って空を覆っている。
外の光を拒むかのように森は暗く、入口に立っただけで冷気が頬を撫でた。
商人たちの足取りが一斉に鈍る。
誰もが無言で、ただ前を見据えた。
列の前方で、ヴァルガンが一座に目を向け、静かにうなずく。
「ここからが本番だ」
その低い声は、冗談を許さぬ緊張を帯びていた。
リリアは深く息を吸い、革袋の重みを確かめる。
足は震えている。だが、一歩を踏み出すしかなかった。
深淵の森が、影を広げて彼らを迎え入れていた。
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