必要ないと言われたので、私は旅にでます。

黒蜜きな粉

文字の大きさ
20 / 79
深淵の森

第1話

しおりを挟む
 古戦場の街を後にし、一行がたどり着いたのは、交易で賑わう中継の街だった。

 街道の要に位置するこの街は、諸国の商人や旅人が行き交い、広場には色鮮やかな布や香辛料、珍しい工芸品が並ぶ。
 人と物資の往来は途絶えることがなく、石畳を響かせる荷馬車の轍と呼び声が昼夜を問わず続いていた。

 星渡りの一座は、この街で興行を打った。
 仮面劇と舞、拍術に彩られた舞台は多くの観客を集め、幕が下りると大きな喝采と硬貨の雨が広場に降り注いだ。
 成功と言ってよかった。
 しかし、リリアの胸に広がっていたのは達成感ではなかった。

 興行の後も、街は祭りのような喧噪に包まれていた。
 酒場からは酔客の笑い声が溢れ、子どもたちが余韻の中で笛を吹き鳴らしながら広場を駆け回る。
 提灯が石畳を淡く照らし、赤や橙の光が水面のように揺れていた。

 一方で、一座の荷馬車の周りでは、すでに次の街へ向かうための準備が始まっていた。
 舞台道具を解体する音、荷を担ぐ掛け声、仲間たちの冗談交じりの笑い。
 その輪の中で、リリアだけが動きを止めがちだった。

 ──……なにも、できなかった。

 舞台の間は拍を操り、仲間を支えることができる。
 けれど古戦場でのあの日は頭から離れない。
 素性を暴かれ、言葉で打ち負かされ、うつむくしかできなかった。
 その沈黙は氷の塊となって、心の内側に張りついて離れなかった。
 指先は力を失い、荷を抱く腕は震えている。

「おいおい、そんな顔で次の街に行くのか?」

 軽い調子の声が耳に入った。
 顔を上げると、荷馬車の端にカイが腰をかけていた。
 月明かりに照らされたその横顔は、いつもと同じ皮肉げな笑みを浮かべている。
 ところが、その表情には、妙に柔らかな色が混じっていた。

「伝統がどうとか、世襲がどうとか……気にすることない。墓守だろうがなんだろうが、今のお前は十分やれてるじゃないか」

 軽く肩をすくめながら言うその声は、胸の奥を撫でるように甘い。
 危ういと分かっていながら、リリアの心臓はかすかに跳ねた。
 自分を肯定してくれる声。縋りたい、そう思わせる響き。

「……カイさん」

 名を呼んだ声は、自然と震えていた。
 だが、その瞬間。

「またその子に甘いこと吹き込んで」

 背後から鋭い声が差し込んだ。セラだ。
 両腕を組み、燃えるような嫉妬を隠さずにリリアを睨みつける。剥き出しの敵意だった。

「別に悪いことは言ってないさ。落ち込んでるのを慰めてやってるだけ」

 カイは飄々と肩をすくめる。
 けれど、セラは一歩も引かない。

「慰め? あなたにそんな殊勝な気持ちがある? ……本当に都合がいい」

 吐き捨てるような言葉に、リリアの胸がずきりと痛んだ。
 その視線は紛れもなく自分に向けられている。だが、その瞳の奥に映っているのは、やはりカイだった。
 二人のあいだにあるものの濃さを、リリアはいやでも悟らされてしまう。

 ──私が、いるから。

 心の中で呟いた途端、全身から熱が抜けていった。
 自分がここにいなければ。
 セラはこんなふうに苦しむこともない。カイも余計な言葉を口にしなくて済む。
 結局、自分がいることで誰かを傷つけている。そう思うだけで、胸の奥に重く冷たい石が沈んでいく。

 抱えていた荷の重みが急に耐えがたくなり、指先が震える。
 石畳にこぼれ落ちそうになる包みを、必死に抱き直した。
 それでも震えは止まらない。

 うつむいた視界に、肩から落ちる髪の影が覆いかぶさる。
 目の奥がじんと熱を帯びた。けれど涙は出ない。
 泣けるほど強くもなれず、ただ声にならない痛みだけが心に積もっていく。

 沈黙の中で、自分が余計な存在なのだと、また突きつけられていた。


 張りつめた空気を断ち切ったのは、ヴァルガンの低い声だった。

「おい。話がある」

 振り向くと、ヴァルガンが一人の商人を伴って立っていた。
 年配の男で、外見は質素だが、裾や袖には職人の手による細やかな仕立てが光っていた。
 ただの行商人ではなく、相応の立場を持つ人物だと一目で分かった。

「次の街へ行くなら、俺たちと同行しないかと誘われた」

「同行……?」

 リリアが思わず顔を上げると、商人は真剣な顔で深くうなずいた。

「この先の街道は、もう昔みたいに安全じゃないんだ。森を護ってきた管理人の一族が解雇されてから、結界も儀礼も途絶えてな。モンスター被害が増えている」

 その説明に、リリアの胸がぎゅっと締め付けられた。
 耳にするたびに心を抉られる言葉。

 ──まただ。どこでも、同じことが起きている。

「護衛の値段が跳ね上がってるんだ。金を出す余裕のある商人なんて限られてる。そこで最近は商人同士で隊を組んで移動するのが普通だ。人数が多けりゃモンスターも寄り付きにくいし、護衛の費用だって頭割りにできるからな」

 男は苦笑を浮かべた。
 生き残るための知恵に違いなかったが、その裏にはどこか諦めの色があった。

「そちらの一座は皆さん腕が立つと聞いている。だから護衛の必要はないだろうが……。同じ街道を行く者同士、協力してくれると助かる」

 ヴァルガンは無言で商人を見据え、それから短くうなずいた。

「断る理由はない。……というわけで、しばらくは商隊と共に街道を進む」

 その言葉に、仲間たちの間でざわめきが広がる。
 次の旅がただの移動ではなく、危険を孕んだものになることを誰もが悟ったからだ。

 リリアは唇を噛んだ。
 また「管理人の一族」が切り捨てられている現実。
 そのたびに、自分の存在もまた誤りなのだと突きつけられるようで、胸のざわめきは深い淵へと落ちていった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。

克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。

悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。

潮海璃月
ファンタジー
幼くして辺境伯の地位を継いだレナータは、女性であるがゆえに舐められがちであった。そんな折、社交場で伯爵令嬢にいわれのない罪を着せられてしまう。そんな彼女に隣国皇子カールハインツが手を差し伸べた──かと思いきや、ほとんど初対面で婚姻を申し込み、暇さえあれば口説き、しかもやたらレナータのことを知っている。怪しいほど親切なカールハインツと共に、レナータは事態の収拾方法を模索し、やがて伯爵一家への復讐を決意する。

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

出来損ないと呼ばれた伯爵令嬢は出来損ないを望む

家具屋ふふみに
ファンタジー
 この世界には魔法が存在する。  そして生まれ持つ適性がある属性しか使えない。  その属性は主に6つ。  火・水・風・土・雷・そして……無。    クーリアは伯爵令嬢として生まれた。  貴族は生まれながらに魔力、そして属性の適性が多いとされている。  そんな中で、クーリアは無属性の適性しかなかった。    無属性しか扱えない者は『白』と呼ばれる。  その呼び名は貴族にとって屈辱でしかない。      だからクーリアは出来損ないと呼ばれた。    そして彼女はその通りの出来損ない……ではなかった。    これは彼女の本気を引き出したい彼女の周りの人達と、絶対に本気を出したくない彼女との攻防を描いた、そんな物語。  そしてクーリアは、自身に隠された秘密を知る……そんなお話。 設定揺らぎまくりで安定しないかもしれませんが、そういうものだと納得してくださいm(_ _)m ※←このマークがある話は大体一人称。

婚約者を姉に奪われ、婚約破棄されたエリーゼは、王子殿下に国外追放されて捨てられた先は、なんと魔獣がいる森。そこから大逆転するしかない?怒りの

山田 バルス
ファンタジー
王宮の広間は、冷え切った空気に満ちていた。  玉座の前にひとり、少女が|跪い《ひざまず》ていた。  エリーゼ=アルセリア。  目の前に立つのは、王国第一王子、シャルル=レインハルト。 「─エリーゼ=アルセリア。貴様との婚約は、ここに破棄する」 「……なぜ、ですか……?」  声が震える。  彼女の問いに、王子は冷然と答えた。 「貴様が、カリーナ嬢をいじめたからだ」 「そ、そんな……! 私が、姉様を、いじめた……?」 「カリーナ嬢からすべて聞いている。お前は陰湿な手段で彼女を苦しめ、王家の威信をも|貶めた《おとし》さらに、王家に対する謀反を企てているとか」  広間にざわめきが広がる。  ──すべて、仕組まれていたのだ。 「私は、姉様にも王家にも……そんなこと……していません……!」  必死に訴えるエリーゼの声は、虚しく広間に消えた。 「黙れ!」  シャルルの一喝が、広間に響き渡る。 「貴様のような下劣な女を、王家に迎え入れるわけにはいかぬ」  広間は、再び深い静寂に沈んだ。 「よって、貴様との婚約は破棄。さらに──」  王子は、無慈悲に言葉を重ねた。 「国外追放を命じる」  その宣告に、エリーゼの膝が崩れた。 「そ、そんな……!」  桃色の髪が広間に広がる。  必死にすがろうとするも、誰も助けようとはしなかった。 「王の不在時に|謀反《むほん》を企てる不届き者など不要。王国のためにもな」  シャルルの隣で、カリーナがくすりと笑った。  まるで、エリーゼの絶望を甘美な蜜のように味わうかのように。  なぜ。  なぜ、こんなことに──。  エリーゼは、震える指で自らの胸を掴む。  彼女はただ、幼い頃から姉に憧れ、姉に尽くし、姉を支えようとしていただけだったのに。  それが裏切りで返され、今、すべてを失おうとしている。 兵士たちが進み出る。  無骨な手で、エリーゼの両手を後ろ手に縛り上げた。 「離して、ください……っ」  必死に抵抗するも、力は弱い。。  誰も助けない。エリーゼは、見た。  カリーナが、微笑みながらシャルルに腕を絡め、勝者の顔でこちらを見下ろしているのを。  ──すべては、最初から、こうなるよう仕組まれていたのだ。  重い扉が開かれる。

婚約破棄された公爵令嬢は冤罪で地下牢へ、前世の記憶を思い出したので、スキル引きこもりを使って王子たちに復讐します!

山田 バルス
ファンタジー
王宮大広間は春の祝宴で黄金色に輝き、各地の貴族たちの笑い声と音楽で満ちていた。しかしその中心で、空気を切り裂くように響いたのは、第1王子アルベルトの声だった。 「ローゼ・フォン・エルンスト! おまえとの婚約は、今日をもって破棄する!」 周囲の視線が一斉にローゼに注がれ、彼女は凍りついた。「……は?」唇からもれる言葉は震え、理解できないまま広間のざわめきが広がっていく。幼い頃から王子の隣で育ち、未来の王妃として教育を受けてきたローゼ――その誇り高き公爵令嬢が、今まさに公開の場で突き放されたのだ。 アルベルトは勝ち誇る笑みを浮かべ、隣に立つ淡いピンク髪の少女ミーアを差し置き、「おれはこの天使を選ぶ」と宣言した。ミーアは目を潤ませ、か細い声で応じる。取り巻きの貴族たちも次々にローゼの罪を指摘し、アーサーやマッスルといった証人が証言を加えることで、非難の声は広間を震わせた。 ローゼは必死に抗う。「わたしは何もしていない……」だが、王子の視線と群衆の圧力の前に言葉は届かない。アルベルトは公然と彼女を罪人扱いし、地下牢への収監を命じる。近衛兵に両腕を拘束され、引きずられるローゼ。広間には王子を讃える喝采と、哀れむ視線だけが残った。 その孤立無援の絶望の中で、ローゼの胸にかすかな光がともる。それは前世の記憶――ブラック企業で心身をすり減らし、引きこもりとなった過去の記憶だった。地下牢という絶望的な空間が、彼女の心に小さな希望を芽生えさせる。 そして――スキル《引きこもり》が発動する兆しを見せた。絶望の牢獄は、ローゼにとって新たな力を得る場となる。《マイルーム》が呼び出され、誰にも侵入されない自分だけの聖域が生まれる。泣き崩れる心に、未来への決意が灯る。ここから、ローゼの再起と逆転の物語が始まるのだった。

【完結】断罪された悪役令嬢は、本気で生きることにした

きゅちゃん
ファンタジー
帝国随一の名門、ロゼンクロイツ家の令嬢ベルティア・フォン・ロゼンクロイツは、突如として公の場で婚約者であるクレイン王太子から一方的に婚約破棄を宣告される。その理由は、彼女が平民出身の少女エリーゼをいじめていたという濡れ衣。真実はエリーゼこそが王太子の心を奪うために画策した罠だったにも関わらず、ベルティアは悪役令嬢として断罪され、社交界からの追放と学院退学の処分を受ける。 全てを失ったベルティアだが、彼女は諦めない。これまで家の期待に応えるため「完璧な令嬢」として生きてきた彼女だが、今度は自分自身のために生きると決意する。軍事貴族の嫡男ヴァルター・フォン・クリムゾンをはじめとする協力者たちと共に、彼女は自らの名誉回復と真実の解明に挑む。 その過程で、ベルティアは王太子の裏の顔や、エリーゼの正体、そして帝国に忍び寄る陰謀に気づいていく。かつては社交界のスキルだけを磨いてきた彼女だが、今度は魔法や剣術など実戦的な力も身につけながら、自らの道を切り開いていく。 失われた名誉、隠された真実、そして予期せぬ恋。断罪された「悪役令嬢」が、自分の物語を自らの手で紡いでいく、爽快復讐ファンタジー。

白い結婚を言い渡されたお飾り妻ですが、ダンジョン攻略に励んでいます

時岡継美
ファンタジー
 初夜に旦那様から「白い結婚」を言い渡され、お飾り妻としての生活が始まったヴィクトリアのライフワークはなんとダンジョンの攻略だった。  侯爵夫人として最低限の仕事をする傍ら、旦那様にも使用人たちにも内緒でダンジョンのラスボス戦に向けて準備を進めている。  しかし実は旦那様にも何やら秘密があるようで……?  他サイトでは「お飾り妻の趣味はダンジョン攻略です」のタイトルで公開している作品を加筆修正しております。  誤字脱字報告ありがとうございます!

処理中です...