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深淵の森
第1話
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古戦場の街を後にし、一行がたどり着いたのは、交易で賑わう中継の街だった。
街道の要に位置するこの街は、諸国の商人や旅人が行き交い、広場には色鮮やかな布や香辛料、珍しい工芸品が並ぶ。
人と物資の往来は途絶えることがなく、石畳を響かせる荷馬車の轍と呼び声が昼夜を問わず続いていた。
星渡りの一座は、この街で興行を打った。
仮面劇と舞、拍術に彩られた舞台は多くの観客を集め、幕が下りると大きな喝采と硬貨の雨が広場に降り注いだ。
成功と言ってよかった。
しかし、リリアの胸に広がっていたのは達成感ではなかった。
興行の後も、街は祭りのような喧噪に包まれていた。
酒場からは酔客の笑い声が溢れ、子どもたちが余韻の中で笛を吹き鳴らしながら広場を駆け回る。
提灯が石畳を淡く照らし、赤や橙の光が水面のように揺れていた。
一方で、一座の荷馬車の周りでは、すでに次の街へ向かうための準備が始まっていた。
舞台道具を解体する音、荷を担ぐ掛け声、仲間たちの冗談交じりの笑い。
その輪の中で、リリアだけが動きを止めがちだった。
──……なにも、できなかった。
舞台の間は拍を操り、仲間を支えることができる。
けれど古戦場でのあの日は頭から離れない。
素性を暴かれ、言葉で打ち負かされ、うつむくしかできなかった。
その沈黙は氷の塊となって、心の内側に張りついて離れなかった。
指先は力を失い、荷を抱く腕は震えている。
「おいおい、そんな顔で次の街に行くのか?」
軽い調子の声が耳に入った。
顔を上げると、荷馬車の端にカイが腰をかけていた。
月明かりに照らされたその横顔は、いつもと同じ皮肉げな笑みを浮かべている。
ところが、その表情には、妙に柔らかな色が混じっていた。
「伝統がどうとか、世襲がどうとか……気にすることない。墓守だろうがなんだろうが、今のお前は十分やれてるじゃないか」
軽く肩をすくめながら言うその声は、胸の奥を撫でるように甘い。
危ういと分かっていながら、リリアの心臓はかすかに跳ねた。
自分を肯定してくれる声。縋りたい、そう思わせる響き。
「……カイさん」
名を呼んだ声は、自然と震えていた。
だが、その瞬間。
「またその子に甘いこと吹き込んで」
背後から鋭い声が差し込んだ。セラだ。
両腕を組み、燃えるような嫉妬を隠さずにリリアを睨みつける。剥き出しの敵意だった。
「別に悪いことは言ってないさ。落ち込んでるのを慰めてやってるだけ」
カイは飄々と肩をすくめる。
けれど、セラは一歩も引かない。
「慰め? あなたにそんな殊勝な気持ちがある? ……本当に都合がいい」
吐き捨てるような言葉に、リリアの胸がずきりと痛んだ。
その視線は紛れもなく自分に向けられている。だが、その瞳の奥に映っているのは、やはりカイだった。
二人のあいだにあるものの濃さを、リリアはいやでも悟らされてしまう。
──私が、いるから。
心の中で呟いた途端、全身から熱が抜けていった。
自分がここにいなければ。
セラはこんなふうに苦しむこともない。カイも余計な言葉を口にしなくて済む。
結局、自分がいることで誰かを傷つけている。そう思うだけで、胸の奥に重く冷たい石が沈んでいく。
抱えていた荷の重みが急に耐えがたくなり、指先が震える。
石畳にこぼれ落ちそうになる包みを、必死に抱き直した。
それでも震えは止まらない。
うつむいた視界に、肩から落ちる髪の影が覆いかぶさる。
目の奥がじんと熱を帯びた。けれど涙は出ない。
泣けるほど強くもなれず、ただ声にならない痛みだけが心に積もっていく。
沈黙の中で、自分が余計な存在なのだと、また突きつけられていた。
張りつめた空気を断ち切ったのは、ヴァルガンの低い声だった。
「おい。話がある」
振り向くと、ヴァルガンが一人の商人を伴って立っていた。
年配の男で、外見は質素だが、裾や袖には職人の手による細やかな仕立てが光っていた。
ただの行商人ではなく、相応の立場を持つ人物だと一目で分かった。
「次の街へ行くなら、俺たちと同行しないかと誘われた」
「同行……?」
リリアが思わず顔を上げると、商人は真剣な顔で深くうなずいた。
「この先の街道は、もう昔みたいに安全じゃないんだ。森を護ってきた管理人の一族が解雇されてから、結界も儀礼も途絶えてな。モンスター被害が増えている」
その説明に、リリアの胸がぎゅっと締め付けられた。
耳にするたびに心を抉られる言葉。
──まただ。どこでも、同じことが起きている。
「護衛の値段が跳ね上がってるんだ。金を出す余裕のある商人なんて限られてる。そこで最近は商人同士で隊を組んで移動するのが普通だ。人数が多けりゃモンスターも寄り付きにくいし、護衛の費用だって頭割りにできるからな」
男は苦笑を浮かべた。
生き残るための知恵に違いなかったが、その裏にはどこか諦めの色があった。
「そちらの一座は皆さん腕が立つと聞いている。だから護衛の必要はないだろうが……。同じ街道を行く者同士、協力してくれると助かる」
ヴァルガンは無言で商人を見据え、それから短くうなずいた。
「断る理由はない。……というわけで、しばらくは商隊と共に街道を進む」
その言葉に、仲間たちの間でざわめきが広がる。
次の旅がただの移動ではなく、危険を孕んだものになることを誰もが悟ったからだ。
リリアは唇を噛んだ。
また「管理人の一族」が切り捨てられている現実。
そのたびに、自分の存在もまた誤りなのだと突きつけられるようで、胸のざわめきは深い淵へと落ちていった。
街道の要に位置するこの街は、諸国の商人や旅人が行き交い、広場には色鮮やかな布や香辛料、珍しい工芸品が並ぶ。
人と物資の往来は途絶えることがなく、石畳を響かせる荷馬車の轍と呼び声が昼夜を問わず続いていた。
星渡りの一座は、この街で興行を打った。
仮面劇と舞、拍術に彩られた舞台は多くの観客を集め、幕が下りると大きな喝采と硬貨の雨が広場に降り注いだ。
成功と言ってよかった。
しかし、リリアの胸に広がっていたのは達成感ではなかった。
興行の後も、街は祭りのような喧噪に包まれていた。
酒場からは酔客の笑い声が溢れ、子どもたちが余韻の中で笛を吹き鳴らしながら広場を駆け回る。
提灯が石畳を淡く照らし、赤や橙の光が水面のように揺れていた。
一方で、一座の荷馬車の周りでは、すでに次の街へ向かうための準備が始まっていた。
舞台道具を解体する音、荷を担ぐ掛け声、仲間たちの冗談交じりの笑い。
その輪の中で、リリアだけが動きを止めがちだった。
──……なにも、できなかった。
舞台の間は拍を操り、仲間を支えることができる。
けれど古戦場でのあの日は頭から離れない。
素性を暴かれ、言葉で打ち負かされ、うつむくしかできなかった。
その沈黙は氷の塊となって、心の内側に張りついて離れなかった。
指先は力を失い、荷を抱く腕は震えている。
「おいおい、そんな顔で次の街に行くのか?」
軽い調子の声が耳に入った。
顔を上げると、荷馬車の端にカイが腰をかけていた。
月明かりに照らされたその横顔は、いつもと同じ皮肉げな笑みを浮かべている。
ところが、その表情には、妙に柔らかな色が混じっていた。
「伝統がどうとか、世襲がどうとか……気にすることない。墓守だろうがなんだろうが、今のお前は十分やれてるじゃないか」
軽く肩をすくめながら言うその声は、胸の奥を撫でるように甘い。
危ういと分かっていながら、リリアの心臓はかすかに跳ねた。
自分を肯定してくれる声。縋りたい、そう思わせる響き。
「……カイさん」
名を呼んだ声は、自然と震えていた。
だが、その瞬間。
「またその子に甘いこと吹き込んで」
背後から鋭い声が差し込んだ。セラだ。
両腕を組み、燃えるような嫉妬を隠さずにリリアを睨みつける。剥き出しの敵意だった。
「別に悪いことは言ってないさ。落ち込んでるのを慰めてやってるだけ」
カイは飄々と肩をすくめる。
けれど、セラは一歩も引かない。
「慰め? あなたにそんな殊勝な気持ちがある? ……本当に都合がいい」
吐き捨てるような言葉に、リリアの胸がずきりと痛んだ。
その視線は紛れもなく自分に向けられている。だが、その瞳の奥に映っているのは、やはりカイだった。
二人のあいだにあるものの濃さを、リリアはいやでも悟らされてしまう。
──私が、いるから。
心の中で呟いた途端、全身から熱が抜けていった。
自分がここにいなければ。
セラはこんなふうに苦しむこともない。カイも余計な言葉を口にしなくて済む。
結局、自分がいることで誰かを傷つけている。そう思うだけで、胸の奥に重く冷たい石が沈んでいく。
抱えていた荷の重みが急に耐えがたくなり、指先が震える。
石畳にこぼれ落ちそうになる包みを、必死に抱き直した。
それでも震えは止まらない。
うつむいた視界に、肩から落ちる髪の影が覆いかぶさる。
目の奥がじんと熱を帯びた。けれど涙は出ない。
泣けるほど強くもなれず、ただ声にならない痛みだけが心に積もっていく。
沈黙の中で、自分が余計な存在なのだと、また突きつけられていた。
張りつめた空気を断ち切ったのは、ヴァルガンの低い声だった。
「おい。話がある」
振り向くと、ヴァルガンが一人の商人を伴って立っていた。
年配の男で、外見は質素だが、裾や袖には職人の手による細やかな仕立てが光っていた。
ただの行商人ではなく、相応の立場を持つ人物だと一目で分かった。
「次の街へ行くなら、俺たちと同行しないかと誘われた」
「同行……?」
リリアが思わず顔を上げると、商人は真剣な顔で深くうなずいた。
「この先の街道は、もう昔みたいに安全じゃないんだ。森を護ってきた管理人の一族が解雇されてから、結界も儀礼も途絶えてな。モンスター被害が増えている」
その説明に、リリアの胸がぎゅっと締め付けられた。
耳にするたびに心を抉られる言葉。
──まただ。どこでも、同じことが起きている。
「護衛の値段が跳ね上がってるんだ。金を出す余裕のある商人なんて限られてる。そこで最近は商人同士で隊を組んで移動するのが普通だ。人数が多けりゃモンスターも寄り付きにくいし、護衛の費用だって頭割りにできるからな」
男は苦笑を浮かべた。
生き残るための知恵に違いなかったが、その裏にはどこか諦めの色があった。
「そちらの一座は皆さん腕が立つと聞いている。だから護衛の必要はないだろうが……。同じ街道を行く者同士、協力してくれると助かる」
ヴァルガンは無言で商人を見据え、それから短くうなずいた。
「断る理由はない。……というわけで、しばらくは商隊と共に街道を進む」
その言葉に、仲間たちの間でざわめきが広がる。
次の旅がただの移動ではなく、危険を孕んだものになることを誰もが悟ったからだ。
リリアは唇を噛んだ。
また「管理人の一族」が切り捨てられている現実。
そのたびに、自分の存在もまた誤りなのだと突きつけられるようで、胸のざわめきは深い淵へと落ちていった。
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