必要ないと言われたので、私は旅にでます。

黒蜜きな粉

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古戦場

第9話

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 重い沈黙のなかで、エルドランはゆっくりとリリアへ視線を移した。

 深い闇を思わせるその眼差しは、底知れぬ力を湛えている。
 冷たさだけじゃない。見えない深淵がじわりと迫ってくるようで、リリアは胸の奥を掴まれるような感覚に息を呑んだ。

「……お前の言葉。妙に切実だな。まるで古の封印を継ぐ者のように」

 ぞくり、と背筋が震える。
 凍える風が吹いたわけでもないのに、冷たいものが皮膚を這い上がっていった。

「なにを……」

 言いかけた瞬間、その続きを鋭い声が切り裂いた。

「隠すな」

 低く、鋭い声音。
 言葉より先に圧がのしかかり、視線だけで押し潰されるように喉が固く締まる。胸の奥で心臓が暴れた。

「王都霊廟を守護する、墓守の一族。そうだろう?」

 その一言に、場の空気が凍りついた。
 誰もが言葉を失い、ただリリアに視線を注ぐ。
 リリアの唇が震えた。

「……どうして、それを」

 かすれた声をようやく絞り出す。
 だがエルドランは、冷ややかに口元を歪めるだけだった。

「見ればわかる。お前の魔力の質、その扱い方。墓守にしか残っていない癖だ」

 心臓を素手で掴まれたように胸が縮む。
 呼吸は浅く、指先は冷え、全身から力が抜けていく。

「なるほど、だからこそ伝統などと口にするわけだ」

 嘲りを含んだ声は、氷の刃となって胸へ突き刺さった。

「だが忘れるな。伝統とは、知識を一部の人間が独占し、他者を排除してきた歴史そのものだ」

「……そんな、つもりじゃ……」

 弱々しい言葉が零れる。
 墓守として一族の技術と伝統を誇りに生きてきた。知識の独占など考えたこともない。
 なのにエルドランの言葉を前にすると、自分の立場が危うく揺らいでいく。

「お前がどう思おうと関係ない」

 容赦のない断じ方だった。

「世襲という枠組みそのものが知を閉ざし、術を停滞させた。それこそが廃れの原因だ。……そして今、古戦場の管理に我々が苦悩しているのも、その負の遺産に他ならない」

 リリアは言葉を失う。
 反論したい。誇りを守りたい。
 けれど胸が締め付けられて声にならない。

 ──世襲制は悪。

 その断言に、祖母や父の姿が脳裏をよぎった。
 誇りをもって霊廟を守ってきた一族。
 だが王も国も「不要」と切り捨てた。

「……っ」

 胸の奥に冷たい痛みが広がる。

 ──間違っていたのだろうか。私も、一族の歩みも、なにもかも。

「カリムさん……」

 震える声で名を呼ぶ。
 呼べば、きっとなにか言ってくれると、そう思った。
 けれど返ってきたのは、静かな沈黙だけ。

 カリムはわずかに首を振り、目を伏せた。
 その仕草が、リリアには冷たく突き放す拒絶のように思えた。

 胸の奥で、小さな期待がしおれていく。
 すがったのに応えてもらえなかった。その距離の痛みだけが広がった。

 そこへ、ヴァルガンの声が重く落ちた。

「もういい」

 短く切り捨てるような口調。
 エルドランに目を向け、淡々と告げる。

「古戦場でなにが起きているのか。それを正しく認識していると知れただけで十分だ。……あとは、この街の人間たちが解決すべきことだろう」

「でも……!」

 必死に声をあげる。
 しかしヴァルガンは振り返らず、静かに言い放った。

「俺たちは所詮、通りがかりの旅芸人だ。関わりすぎれば、ただの厄介者になるだけだ」

 その言葉とともに彼は背を向けた。
 カリムもカイも無言で続く。
 リリアは遅れて彼らについていくことしかできなかった。

 役場を後にしても、胸のざわめきは消えない。
 自分や一族の存在は、やはり誤りだったのだろうか。
 知識を独占していたから。世襲だから。

「……あなたも、ずっとそう思っていたから。私を切り捨てたの?」

 零れた言葉は、もう二度と会えない懐かしい人へ向けたもの。
 吐き出した途端、胸の奥がひどく空虚になり、足が止まった。

「なにをそんなに思いつめてるんだ?」

 振り返ると、闇の中にカイがいた。
 いつもの皮肉げな笑み、のはずだった。
 だが今は違う。仄暗い夜に溶けるような、妙に柔らかく、底知れない笑み。

「……カイさん」

 名を呼ぶ声は震えていた。
 エルドランの言葉が胸を抉りつづけていたからだ。

 ──世襲制は悪。伝統は知識の独占。墓守は過去の遺物。

 耳から離れない断罪。存在そのものを否定されたまま。

 カイは迷いを見透かしたように、ゆっくりと近づいてきた。

「気にすることないさ。伝統だの世襲だの、そんなものに縛られる必要なんてない」

 囁きは甘い。だが同時に、毒を含んだ刃のようでもあった。

「墓守の一族だからどうした? 大事なのは今のお前がどう生きるかだろう。……違うか?」

 胸の奥で、小さな火が揺れた。
 慰めに似ている。でも、それは安堵ではなく危うさを伴って燃え広がる。

 カイはさらに一歩近づく。
 夜の冷気に混じる声は低く、耳に絡みついた。

「禁忌なんて破っちまえばいい。伝統に囚われるな。古臭い縛りを踏み越えて、新しい道を歩けばいいんだ」

 唇が歪む。
 その笑みは甘美で、同時に獰猛だった。

「……俺と二人で」

 囁きは、まるで闇に混じる誘惑の旋律。
 リリアは答えられず、ただ立ち尽くす。
 胸の奥でざわめくのは、恐怖か、それとも――。
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