必要ないと言われたので、私は旅にでます。

黒蜜きな粉

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古戦場

第8話

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 夜が明けるよりも前に、三人は古戦場を後にした。

 夜の空気はまだ冷たく、吐息が白くほどけていく。
 昨夜の戦いの余韻が、湿った匂いと共にそこかしこに残っていた。振り返れば、遠い地平に古戦場の影が黒く沈んでいる。その闇はなにかを飲み込みながら蠢いているようにさえ見えた。

 報告を受けたヴァルガンは、眉間の皺をさらに深め、手元の帳簿を音もなく閉じた。

「……そうか。新しい術式が施されていたのか」

 低く漏れた声に、リリアは真剣な面持ちでうなずく。
 古い神殿の封印の紋様の上に、まったく見覚えのない術式が重ねられていたこと。二重の封印が互いに干渉し、制御を失った結果、アンデッドが溢れたこと。
 すべてを余さず伝えた。

「このまま放置すれば古戦場全体に被害が広がります。新しい封印について、調べる必要があります」

 声は疲労でかすれていたが、リリアの眼差しは揺れなかった。
 その視線を受け止めながら、ヴァルガンは長い沈黙を守る。
 やがて、ため息と共に重く口を開いた。

「……心当たりはある。だが、まだ語るべき時ではない」

 含みを滲ませた言葉に、リリアは息を呑む。
 問い詰めたい衝動が喉まで上がったが、ヴァルガンの表情に刻まれる陰りが、それを押し止めた。
 軽々しく触れてはならないものがある、そう直感した。

 かわりに、ヴァルガンは別の事実を明かした。

「古戦場の管理は本来、神殿の務めだった。だが半年前、王の政策で民間に委託された。理由は予算削減と世襲制の廃止だ」

「……民間に?」

 リリアは目を見開く。

 封印や浄化の術とは、知識や魔力だけで扱えるものではない。
 長く積み重ねられた伝承と儀礼、そして心の在り方が揃って初めて成り立つ。
 それを「」のひと言で切り捨てられたことに、胸の奥で冷たいざわめきが広がった。

 ヴァルガンは苦々しい顔で続けた。

「委託された術者には優秀な者もいる。だが伝統を軽んじ、効率ばかり追う者も多い。……新しい術式が広まり、古き封印とせり合うように使われた。その結果が、今だ」

 言葉のひとつひとつが重く胸に落ちる。
 リリアのざわめきは、不安だけでなく、怒りに似た熱を帯び始めていた。

 ──伝統を断たれた古戦場。
 ──そこに芽吹く、新たな力の種。

「……つまり、新しい封印を広めた誰かがいる、ということですか?」

 おそるおそる問うと、ヴァルガンは意味深げに目を細めた。

「その答えは、いずれ自らの目で確かめることになるだろう」

 それ以上は語られない。重苦しい沈黙が落ちる。
 その空気を破るように、カイが軽く声を投げた。

「でもさ、国の合理化も一概に悪いとは言えないだろ? 予算削減、効率化、世襲の廃止。理にはかなってる」

 軽い調子の笑みに、リリアは反射的に振り返る。

「……でも、それで伝統を壊していいはずがありません! 封印が人々を守るどころか、危険を呼んでるんです!」

 声が鋭く響いた。
 カイは肩をすくめ、挑発を和らげるように言葉を足す。

「まあまあ。俺はただ、王さまの考えも分からなくはないってだけさ」

 リリアの胸のざわめきは収まらない。
 だが、隣に立つカリムの静かな沈黙が、不思議と火花を広げなかった。
 冷たく見えて、どこか揺らぎない安定を与える空気。

「とにかく。封印が反発している事実は知らせるべきだ」

 ヴァルガンはそう言い、背を向けた。

「この街の役場に古い知人がいる。俺たちに封印をどうこうする力はないが、事実くらいは伝えてやる」

「私も行きます!」

 リリアは即座に声を上げ、返事を待つ前にヴァルガンの隣へ進み出る。

「……かまわんが、お前も来るのか?」

 そのとき、リリアの隣にはすでにカリムがいた。

「すっかりリリアに懐いたな」

 カイの軽口にも、カリムは反応を示さない。ただ静かに歩くだけ。

「じゃあ、俺も行こうかな。古戦場を間近で見た当人だし」

 カイはわざと意地悪く笑ってみせた。






 四人が石造りの役場に入ると、中はすでに騒然としていた。
 初老の男が机を叩きながら訴えている。焦りを帯びた声が響きわたる。

「だから言っているだろう! 二重に封印をかけたせいで反発が起きているんだ! あれじゃアンデッドが湧く!」

 リリアは息を呑んだ。

 ──昨夜、自分たちが突き止めたことと同じだ。

 すでに気づいている者がいるとは思わなかった。
 しかし職員たちは互いに顔を見合わせ、曖昧な返答しかできていない。

「……承知はしています。ですが古戦場は神殿の管轄ではありません。国の決定で委託されており、我々では……」

「どうしようもない、というのか!」

 老人の声が怒りに震える。
 リリアの胸にも焦りが広がった。人命がかかっているというのに、なぜ誰も動かないのか。

「……危険にさらされているのに、目を逸らすなんて……」

 思わず漏れた声に、職員は気まずそうに視線を伏せた。

 そのとき。重い靴音が空気を支配した。
 黒いローブに銀の刺繍をまとった魔術師が姿を現す。
 その存在感だけで場の空気が張り詰め、誰もが一歩退く。

「こ、これは……魔術ギルドのエルドラン様」

 職員が慌てて声を上げる。
 現れた男こそ、古戦場の管理を任された術者だった。

「伝統を壊すには時間がかかる。封印もいずれ馴染む。今は耐えるべき時だ」

 低く冷ややかな声。
 リリアは一歩前に出て、毅然と問い返した。

「人が危険に晒されているのに、放っておけと?」

 職員がリリアの服の裾をそっと掴み、怯えたように囁く。

「エルドラン様はこの街で最も権威ある魔術師様です。意向に逆らえば、街全体が立ち行かなくなります」

「ですが……」

 なおも言おうとしたリリアの肩に、カイが軽く手を置いた。皮肉を滲ませて言う。

「だから言ったろ? 合理化ってやつさ。無駄を切り捨てるのは悪いことじゃない。封印も最適化してるんだろ」

「カイさんっ……!」

 リリアは鋭く睨みつけた。

「人の命まで合理化するつもりですか!」

 言葉がぶつかり、場が再び緊張に包まれる。
 そのとき、カリムが静かに一歩前へ出た。

「……くだらん」

 低く冷たい声が、空気を切り裂いた。
 その一言で、言い争いは不思議と沈黙へと変わっていく。

 リリアはハッとしてカリムを仰いだ。
 揺るぎなく立つ背は、まるで壁のように頼もしかった。
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