婚約者が聖女を選ぶことくらい分かっていたので、先に婚約破棄します。

黒蜜きな粉

文字の大きさ
1 / 6

第1話  選ばれなかった私

しおりを挟む
 王都の大聖堂に、澄んだ鐘の音が響き渡った。
 一度きりではなく、何度も、何度も。
 重なり合う音は空気を震わせ、王都全体へと広がっていく。

 雲ひとつない青空が広がっていた。
 今日はこれ以上なく晴れやかな日だった。

 魔王討伐の凱旋式典が行われている。
 長く続いた戦乱に終止符が打たれ、国を救った英雄たちが民の前に立つ歴史に残る一日だ。

 そんな特別な日に、私はその場にいた。
 正確に言えば、壇上の端に立たされていた、という方が正しいかもしれない。

 確かに、私はそこに佇んでいる。
 視界には民衆の姿があり、耳には歓声が届いている。

 だというのに、どうしてだろう。
 まるで、私だけがこの空間から切り取られてひとりきりでいるような気がする。

 この国の王太子。
 形式上は今も私の婚約者であるはずの人は、私の隣にはいない。
 彼は式典の最初から最後まで、聖女の隣に立っていた。

 王太子の視線は、聖女だけを追っている。
 聖女が緊張したように小さく息を吸えば、すぐに気づいて優しく耳元で何かを囁く。
 一歩前に出れば、自然と半歩寄り添い、背を庇うように立つ。
 民衆に向けて彼女が微笑めば、まるで示し合わせたかのように、彼も同じ表情を浮かべていた。

 ──……ああ。まるで、最初からそうであったかのようだわ。

 私は数歩離れた位置で、完璧な微笑みを貼り付けたまま立っている。
 背筋を伸ばし、顎を引き、視線は正面に向けたまま。
 王家の婚約者として、侯爵家の令嬢として。
 非の打ち所のない立ち姿で、私はそこに存り続ける。

 ──けれど、今のこの私がどれほど中身のない者なのか。私だけは知っている。

 誰にも気づかれることなく、そっと息を吐く。
 耳に届くのは歓声と祝福の言葉と、それに混じる小さな囁き声。

「……あの方が、王太子殿下の婚約者?」
「ええ、そうらしいわ」
「でも、聖女様の方が王太子殿下にはお似合いよね」
「本当にお気の毒だこと」
「聖女様がいらっしゃるのなら、もう……ねえ?」

 同情ほど、厄介なものはない。
 明確な悪意を持って放たれた言葉よりも深く胸を抉られる。
 心の奥底がじわじわと痛み出す。

 私はそっと呼吸を整え、微笑みをほんの少しだけ深くした。
 求められた以上のものを身につけてきたという自負がある。
 だからこそ、それが届かなかった事実だけが胸に残る。

 ──本当に、哀れなほどに空っぽの人間だわ。

 侯爵家に生まれ、王家に嫁ぐために育てられてきた私は、こうした視線や言葉に慣れている。
 取り乱すことは許されない。
 感情を表に出すことなど、あってはならないことだ。
 それが、私に与えられた役割だった。

 ──だから、相手に何かを期待してはいない。そんなことは、とうに諦めた。

 それが、今の正直な気持ちだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。

義務ですもの。

あんど もあ
ファンタジー
貴族令嬢の義務として親の決めた相手に嫁いだが、夫には愛する人がいた。夫にないがしろにされても、妻として母として嫁としての義務を果たして誠実に生きたヒロインの掴んだ、ちょっと歪んだ幸せとは。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

ちゃんと忠告をしましたよ?

柚木ゆず
ファンタジー
 ある日の、放課後のことでした。王立リザエンドワール学院に籍を置く私フィーナは、生徒会長を務められているジュリアルス侯爵令嬢アゼット様に呼び出されました。 「生徒会の仲間である貴方様に、婚約祝いをお渡したくてこうしておりますの」  アゼット様はそのように仰られていますが、そちらは嘘ですよね? 私は最愛の方に護っていただいているので、貴方様に悪意があると気付けるのですよ。  アゼット様。まだ間に合います。  今なら、引き返せますよ? ※現在体調の影響により、感想欄を一時的に閉じさせていただいております。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

処理中です...