3 / 51
3
しおりを挟む
「旦那さまはいったいどういうつもりなの⁉」
自室で叫ぶソフィアに、侍女のルイースがまあまあと言って宥めてくる。
彼女はソフィアと共に辺境伯家にやってきた。この家の中でソフィアが唯一心を許せる存在だ。
「……どういうつもりと私に言われましてもねえ。ご夫婦なのですから、ご自分でお尋ねになったらよろしいのではないですか?」
「自分で聞けるのならとっくにそうしているわよ!」
初夜からひと月の歳月が流れた。
あの日から一度たりともイーサンはソフィアの身体に触れてこない。
それどころか、寝室は別のうえ、同じ屋根の下に暮らしているというのにろくに顔を合わせない。
これでは夫婦とは呼べない、ただの同居人だ。いや、会話がないので同居人以下かもしれない。
「旦那さまはお忙しい方ですからね。もう少し時間が経てばお暇になるんじゃないですかあ?」
「適当なことを言わないでよルイース!」
忙しいのは間違いない。
わが国は辺境伯家の領地と接している隣国と国交を結んでいない。
国境ではつねに睨み合いが行われており、ときおり諍いも起きていると聞く。
辺境伯領は国防の要だ。領主であるイーサンが常に気が抜けないというのは理解できる。
「だってそもそもは、先代辺境伯さまが突然の事故で亡くなられたから、旦那さまの身になにかあっては困ると婚姻を急いだのでしょう? だったらさっさと子供を作らなければ意味ないじゃない!」
ソフィアは目の前のテーブルを勢いよく叩いた。
すると、ルイースが用意してくれていた紅茶が、カップから溢れてテーブルの上にこぼれてしまう。
「……………あ、ごめんなさい。せっかく淹れてくれたのに……」
「いいのですよ。ソフィア様が焦るお気持ちは十分に存じておりますので」
ルイースは布巾で手早くテーブルの上を拭いて、新しい紅茶を用意する。
彼女は新しい紅茶の入ったカップをソフィアの目の前に置きながら、ぷっくりと頬を膨らませた。
「わたくしだってソフィア様を惨めなお気持ちにさせている旦那さまに憤っております! 許されるのなら胸倉を掴んで、うちのお嬢さまのどこが気に入らないのかと怒鳴りつけてやりたいですわよ」
「ありがとうルイース。でも、そんなことを本気でやったら首が飛ぶわよ」
「わかっておりますよ。せいぜいこっそりと睨みつけるくらいにしておきますわ」
ルイースが腕を組んで険しい顔をするので、ソフィアは声を出して笑った。
「…………そういえば、お姉さまは見つかったのかしら」
ひとしきり笑い終えたソフィアが真面目な顔をして呟くと、ルイースは腕をおろして顔を伏せた。
「いいえ。まったく消息が掴めないと聞いております」
「そりゃそうよねえ。痕跡を残さず姿を消すなんてお手のものよね」
姉は一族を代表する魔術の使い手だ。王都にある魔術研究院の主任研究員をつとめるほどの魔術の腕前がある。
「……姉上さまは結婚したら研究が続けられなくなると、心配なさっていましたものね」
「今頃どっかの山奥で自分の研究を続けているのよ。でもなあ、まさかあの大人しいお姉さまが自分の結婚式から逃げ出すとは思いもしなかったわ」
ソフィアがテーブルに両肘を付いてため息をつくと、ルイースが棚から焼き菓子を出してくれた。
菓子を一つ手にとって口に放り込む。甘い味が口の中に広がるが、心の中は苦々しい思いでいっぱいだった。
「真面目で大人しい姉上さまだからこそ、思い詰めて大胆な行動に出てしまったのかもしれませんね」
「……ふふ、きっとそうね」
姉は、魔術の才能に溢れた美しく優しい人だった。
その姉が逃げると決めたのだから、きっと探し出すのは困難を極めるだろう。
「……家同士が決めた結婚とはいえ、きっと旦那さまは本気でお姉さまのことを愛しておられたのね」
イーサンと姉は王立学園の同級生だった。同じ教室で肩を並べて勉学に励んでいたと聞いている。あの姉がそばにいたのなら、惚れるのは納得してしまう。
「だからってさ、もう私と結婚した事実はなくならないってのにね。お姉さまのことは諦めて、さっさと私を抱いて下さらないかしら」
「またソフィア様はそうやって遠慮せずにはっきりと物事をおっしゃるからあ。そういうの、殿方はあまり好まれないと思いますよ」
「あら、そうかしら?」
「そうなのですよ。お姉さまだって物静かでひたすら研究に励んでいるような真面目な方だったでしょう? 旦那さまはきっとそういうお方が好みなのですよ」
「そうね、たしかにそうだわ。お姉さまはお淑やかで私とは正反対……」
ルイースの話を聞いていて、ソフィアはある決意をした。
「私はこれからお姉さまのような女性になるわ。それで絶対に私を抱かせてみせる!」
自室で叫ぶソフィアに、侍女のルイースがまあまあと言って宥めてくる。
彼女はソフィアと共に辺境伯家にやってきた。この家の中でソフィアが唯一心を許せる存在だ。
「……どういうつもりと私に言われましてもねえ。ご夫婦なのですから、ご自分でお尋ねになったらよろしいのではないですか?」
「自分で聞けるのならとっくにそうしているわよ!」
初夜からひと月の歳月が流れた。
あの日から一度たりともイーサンはソフィアの身体に触れてこない。
それどころか、寝室は別のうえ、同じ屋根の下に暮らしているというのにろくに顔を合わせない。
これでは夫婦とは呼べない、ただの同居人だ。いや、会話がないので同居人以下かもしれない。
「旦那さまはお忙しい方ですからね。もう少し時間が経てばお暇になるんじゃないですかあ?」
「適当なことを言わないでよルイース!」
忙しいのは間違いない。
わが国は辺境伯家の領地と接している隣国と国交を結んでいない。
国境ではつねに睨み合いが行われており、ときおり諍いも起きていると聞く。
辺境伯領は国防の要だ。領主であるイーサンが常に気が抜けないというのは理解できる。
「だってそもそもは、先代辺境伯さまが突然の事故で亡くなられたから、旦那さまの身になにかあっては困ると婚姻を急いだのでしょう? だったらさっさと子供を作らなければ意味ないじゃない!」
ソフィアは目の前のテーブルを勢いよく叩いた。
すると、ルイースが用意してくれていた紅茶が、カップから溢れてテーブルの上にこぼれてしまう。
「……………あ、ごめんなさい。せっかく淹れてくれたのに……」
「いいのですよ。ソフィア様が焦るお気持ちは十分に存じておりますので」
ルイースは布巾で手早くテーブルの上を拭いて、新しい紅茶を用意する。
彼女は新しい紅茶の入ったカップをソフィアの目の前に置きながら、ぷっくりと頬を膨らませた。
「わたくしだってソフィア様を惨めなお気持ちにさせている旦那さまに憤っております! 許されるのなら胸倉を掴んで、うちのお嬢さまのどこが気に入らないのかと怒鳴りつけてやりたいですわよ」
「ありがとうルイース。でも、そんなことを本気でやったら首が飛ぶわよ」
「わかっておりますよ。せいぜいこっそりと睨みつけるくらいにしておきますわ」
ルイースが腕を組んで険しい顔をするので、ソフィアは声を出して笑った。
「…………そういえば、お姉さまは見つかったのかしら」
ひとしきり笑い終えたソフィアが真面目な顔をして呟くと、ルイースは腕をおろして顔を伏せた。
「いいえ。まったく消息が掴めないと聞いております」
「そりゃそうよねえ。痕跡を残さず姿を消すなんてお手のものよね」
姉は一族を代表する魔術の使い手だ。王都にある魔術研究院の主任研究員をつとめるほどの魔術の腕前がある。
「……姉上さまは結婚したら研究が続けられなくなると、心配なさっていましたものね」
「今頃どっかの山奥で自分の研究を続けているのよ。でもなあ、まさかあの大人しいお姉さまが自分の結婚式から逃げ出すとは思いもしなかったわ」
ソフィアがテーブルに両肘を付いてため息をつくと、ルイースが棚から焼き菓子を出してくれた。
菓子を一つ手にとって口に放り込む。甘い味が口の中に広がるが、心の中は苦々しい思いでいっぱいだった。
「真面目で大人しい姉上さまだからこそ、思い詰めて大胆な行動に出てしまったのかもしれませんね」
「……ふふ、きっとそうね」
姉は、魔術の才能に溢れた美しく優しい人だった。
その姉が逃げると決めたのだから、きっと探し出すのは困難を極めるだろう。
「……家同士が決めた結婚とはいえ、きっと旦那さまは本気でお姉さまのことを愛しておられたのね」
イーサンと姉は王立学園の同級生だった。同じ教室で肩を並べて勉学に励んでいたと聞いている。あの姉がそばにいたのなら、惚れるのは納得してしまう。
「だからってさ、もう私と結婚した事実はなくならないってのにね。お姉さまのことは諦めて、さっさと私を抱いて下さらないかしら」
「またソフィア様はそうやって遠慮せずにはっきりと物事をおっしゃるからあ。そういうの、殿方はあまり好まれないと思いますよ」
「あら、そうかしら?」
「そうなのですよ。お姉さまだって物静かでひたすら研究に励んでいるような真面目な方だったでしょう? 旦那さまはきっとそういうお方が好みなのですよ」
「そうね、たしかにそうだわ。お姉さまはお淑やかで私とは正反対……」
ルイースの話を聞いていて、ソフィアはある決意をした。
「私はこれからお姉さまのような女性になるわ。それで絶対に私を抱かせてみせる!」
26
あなたにおすすめの小説
白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません
鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。
「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」
そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。
——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。
「最近、おまえが気になるんだ」
「もっと夫婦としての時間を持たないか?」
今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。
愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。
わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。
政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ
“白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!
何も決めなかった王国は、静かに席を失う』
ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として、
表には立たず、裏で国を支えてきた公爵令嬢ネフェリア。
だが――
彼女が追い出されたのは、嫉妬でも陰謀でもなかった。
ただ一つ、「決める役割」を、国が彼女一人に押しつけていたからだ。
婚約破棄の後、ネフェリアを失った王国は変わろうとする。
制度を整え、会議を重ね、慎重に、正しく――
けれどその“正しさ”は、何一つ決断を生まなかった。
一方、帝国は違った。
完璧ではなくとも、期限内に返事をする。
責任を分け、判断を止めない。
その差は、やがて「呼ばれない会議」「残らない席」「知らされない決定」となって現れる。
王国は滅びない。
だが、何も決めない国は、静かに舞台の外へ追いやられていく。
――そして迎える、最後の選択。
これは、
剣も魔法も振るわない“静かなざまぁ”。
何も決めなかった過去に、国そのものが向き合う物語。
『めでたしめでたし』の、その後で
ゆきな
恋愛
シャロン・ブーケ伯爵令嬢は社交界デビューの際、ブレント王子に見初められた。
手にキスをされ、一晩中彼とダンスを楽しんだシャロンは、すっかり有頂天だった。
まるで、おとぎ話のお姫様になったような気分だったのである。
しかし、踊り疲れた彼女がブレント王子に導かれるままにやって来たのは、彼の寝室だった。
ブレント王子はお気に入りの娘を見つけるとベッドに誘い込み、飽きたら多額の持参金をもたせて、適当な男の元へと嫁がせることを繰り返していたのだ。
そんなこととは知らなかったシャロンは恐怖のあまり固まってしまったものの、なんとか彼の手を振り切って逃げ帰ってくる。
しかし彼女を迎えた継母と異母妹の態度は冷たかった。
継母はブレント王子の悪癖を知りつつ、持参金目当てにシャロンを王子の元へと送り出していたのである。
それなのに何故逃げ帰ってきたのかと、継母はシャロンを責めた上、役立たずと罵って、その日から彼女を使用人同然にこき使うようになった。
シャロンはそんな苦境の中でも挫けることなく、耐えていた。
そんなある日、ようやくシャロンを愛してくれる青年、スタンリー・クーパー伯爵と出会う。
彼女はスタンリーを心の支えに、辛い毎日を懸命に生きたが、異母妹はシャロンの幸せを許さなかった。
彼女は、どうにかして2人の仲を引き裂こうと企んでいた。
2人の間の障害はそればかりではなかった。
なんとブレント王子は、いまだにシャロンを諦めていなかったのだ。
彼女の身も心も手に入れたい欲求にかられたブレント王子は、彼女を力づくで自分のものにしようと企んでいたのである。
出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です
流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。
父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。
無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。
純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。
「無理をするな」と言うだけで何もしなかったあなたへ。今の私は、大公家の公子に大切にされています
葵 すみれ
恋愛
「無理をするな」と言いながら、仕事も責任も全部私に押しつけてきた婚約者。
倒れた私にかけたのは、労りではなく「失望した」の一言でした。
実家からも見限られ、すべてを失った私を拾い上げてくれたのは、黙って手を差し伸べてくれた、黒髪の騎士──
実は、大公家の第三公子でした。
もう言葉だけの優しさはいりません。
私は今、本当に無理をしなくていい場所で、大切にされています。
※他サイトにも掲載しています
『婚約破棄された公爵令嬢は、王と交わらない道を選ぶ』
ふわふわ
恋愛
婚約者である王太子アルベルトから、一方的に婚約破棄を告げられた公爵令嬢エレノア。
だが彼女は、涙も復讐も選ばなかった。
「婚約は、役目でしたもの。終わったのなら、それで結構ですわ」
王宮を去ったエレノアは、領地に戻り、
干渉しない・依存しない・無理をしない
ただそれだけを軸に、静かに領地運営を始める。
一方、王となったアルベルトもまた、
彼女に頼らないことを選び、
「一人の判断に依存しない国」を作るための統治に身を投じていた。
復縁もしない。
恋にすがらない。
それでも、二人の選択は確かに国を安定へと導いていく。
これは、
交わらないことを選んだ二人が、
それぞれの場所で“続けられる世界”を完成させる物語。
派手なざまぁも、甘い溺愛もない。
けれど、静かに積み重なる判断と選択が、
やがて「誰にも壊せない秩序」へと変わっていく――。
婚約破棄から始まる、
大人のための静かなざまぁ恋愛ファンタジー
愛する義兄に憎まれています
ミカン♬
恋愛
自分と婚約予定の義兄が子爵令嬢の恋人を両親に紹介すると聞いたフィーナは、悲しくて辛くて、やがて心は闇に染まっていった。
義兄はフィーナと結婚して侯爵家を継ぐはずだった、なのにフィーナも両親も裏切って真実の愛を貫くと言う。
許せない!そんなフィーナがとった行動は愛する義兄に憎まれるものだった。
2023/12/27 ミモザと義兄の閑話を投稿しました。
ふわっと設定でサクっと終わります。
他サイトにも投稿。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる