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1話「ブラック・バカラ」
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「雨の予報だったのに、嘘つき………」
綺麗にカールされた長い茶色の髪を撫でながら、菊那(きくな)は雲の隙間から顔を出してきた太陽をジッと見つめた。いや、睨み付けたに近いかもしれない。彼女が目を細めたのは、眩しいからなのか、それともまだ雲に隠れていて欲しかった太陽を恨めしく思ったからなのか、菊那にもわからなかった。
菊那は雨が好きだった。
3月の終わりになり、少しずつ温かくなってきたからか、雪ではなく雨が降ることが多くなっていた。雨好きな菊那にとって、冬はとてもつまらなく、春に近づくにつれて気持ちがウキウキと弾むのだ。
雨で濡れるのは嫌いだけれど、雨水の音である雨音か大好きだった。特に好きなのは大きな木の下にいる時だった。
遮るものがない雨はサーッと降り続くのがどこか冷たく感じてしまうが、木の葉や花に落ちるとピチピチッと鳥の囀りのように聞こえるのが、とても美しいなと感じるのだ。
もちろん雑多の街での賑やかな音も好きだったけれど、木の下に勝るものはなかった。
休みの日が雨の日だと、菊那は喜んで散歩に行くのだ。透明なビニール傘をさして雨が跳ねるのを見つめながら歩くのを楽しむのだ。
今週末の天気予報で雨マークを見てから、雨の散歩を予定していたのだが、その日は天気予報は外れ、晴れてしまったのだ。
菊那はため息をつきながら畳まれた傘を持って歩き始めた。
雨が降らないのなら家に帰りたいと思ったが、今日は予定があるのだ。
菊那はトボトボと歩いていると、とある静かな住宅街に到着した。人気のない袋小路だ。
高い塀に囲まれたお屋敷が見えたので、菊那はつい上を見上げてしまう。塀から上は透明なガラスのようなものがドーム状に伸びており、庭を覆うように伸びている。そして、半円の形をしたドームの中には木々や花が見えている。
よく見ると塀よりも高い木からは綺麗な木蓮の花が見えた。白い木蓮はとても綺麗に咲いており、満開のようだった。木蓮は桜が終わった後や同じぐらいに咲いていたように思ったが、ここの木蓮は早咲きなのだろうか。それとも、あの噂は本当だという事なのか………。
そんな風に呆然とその花を見つめていた時だった。ドンッと腰の当たりに衝撃を受けた。気づいた時には、菊那は道路に倒れ転んでしまっていた。手や足にぐちゃりとした濡れた感触を感じる。その後に尻や手が痛さを感じた。
「いたたた………」
菊那が衝撃で閉じていた瞳を開けると、目の前には小さな体が同じように倒れていた。そして、近くには茶色の花も落ちている。
「君………大丈夫?」
菊那はその子どもとぶつかってしまったのだとわかり、ゆっくりと立ち上がりながらその子に声を掛けた。
すると、その子どもは顔を歪めながら、こちらを見た。あどけさが残るがとても真面目そうな少年だった。サラサラの髪は少し茶色が混ざった綺麗な色をしており、肌は子どもにしては白い。小学校低学年ぐらいだろうと、菊那は思った。
「怪我してないかな?ごめんね、周りを見てなくて………」
「大丈夫です………だから、放っておいてください」
そう言うと、その少年はよろよろと立ち上がった。心配されるのが恥ずかしいのだろうか。そんな風に思い、菊那は落ちていた一輪の花を拾い上げた。
すると、それを見た少年の表情が一転したのだ。
「それ、返してくださいっ!!」
キッと菊那を睨み付けると、その少年は菊那が手にしていた花を奪い取り、そのまま走り去っていった。
少し変わった茶色の花は、彼のものだったのだろう。あんな静かそうな男の子が大きな声を出すぐらいだ。きっと大切な物なのだろう。菊那はそう思いながら、少年が去った方を呆然と見つめていた。
一人取り残された菊那は改めて自分の身なりを確認した。刺繍の入った花柄の長いスカートは、泥がついてしまい、腕や脚も土がついていた。払ったとしても全て取れるはずはないな、と諦めてその場から立ち去ろうとした。
「あなたが花泥棒ですか?」
「………え………」
誰もいないと思っていた袋小路の行き止まり。声が聞こえてきたのは、花屋敷の方からだった。
くるりと振り向くと、そこには目を疑うような美形の男性が立っていた。自分より年上だろう男は、長身細身でスラッとしたおしゃれなスーツを着込んでいた。まるで英国紳士のようなスリーピーススーツを着こなす男性の肌は先ほどの少年よりも白く陶器のように艶やかで、それと正反対の髪は真っ黒で、光によっては紺色にも見える不思議な色だった。白の中にある大きな瞳は黒色のビー玉のように光り輝いており、睫毛は人形のように長い。そして、唇は薄くも形がよいものだった。中性的な顔立ちで神秘的な男性は、面白いものを見つけたかのように軽い笑みを浮かべて菊那を見ていた。
「…………」
「どうしましたか?まさか、本当に泥棒なのでしょうか?」
「えっ!?泥棒……?そんな、まさか!?」
あまりの美形に見惚れてしまった菊那に、男は聞きやすい透き通った声で話しかけてくる。この男は声さえも美しいなんて、神様は贔屓しすぎではないか、そんな風にさえ思ってしまう。
けれど、先ほどからそんな美男子から物騒な言葉が紡がれている。しかも、その「泥棒」という言葉はどうも菊那に向けられているようなのだ。菊那は慌ててそれを否定した。
すると、「わかっています」と苦笑しながらその男は胸のポケットチーフを取りだし、菊那の頬にそれを当てた。ふんわりと柔らかく、どこか花の香りがした。
「泥がついています………ここで何がありましたか?」
「あ、ありがとうございます。ここで男の子とぶつかってしまって……」
「なるほど。その男の子は何か持っていませんでしたか?」
その男に問われて、菊那はハッとした。少年が大切そうに持っていたもの。それは一輪の花だった事を。
「持っていました。とても大切そうに………。茶色の一輪の花を」
「探しているのはそれです。チョコレートコスモス」
「チョコレートコスモス?」
「はい。キク科の花で、茶色に似た赤色や赤紫色などの花を咲かせます。種類もチョコレートのような名前がついており、キャラメル・チョコレートやショコラ、ストロベリーチョコレートという名前の品種があります」
その男はまるで図鑑が頭の中に入っているかのように、すらすらと花の事を話してくれる。それも、とても楽しそうに。
そんな彼をポカンと見つめていると、男性は苦笑いをした後に「立ち話しは失礼でしたね」と言った。
「その可愛らしい泥棒の話を聞きたいので、屋敷へどうぞ。綺麗な髪や肌にも泥がついてしまっていますから」
「………え、もしかして……この花屋敷にですか?」
「えぇ。ここは私の家になります」
「…………あなたが花屋敷の主人………」
菊那が最近耳にした話。それは、袋小路にある花屋敷の噂だった。滅多に開かないドアの先には枯れない四季折々の花達が咲いている。それは、その主人が魔法の魔法で咲いているからなのか、時空を操れる主人がその場所だけ時を止めているからなのか。そんな摩訶不思議な噂だ。
その主人がこの美形の男だというのだ。
噂を聞いたときはきっと年老いた白髪混じりの魔術師のような人を想像してしまった。が、現実とは妄想の上をいくものなのだろうか。
「どうぞ、こちらへ」
「………はい」
この屋敷に入ったことのある人はほとんどいないと言われているが、噂の花屋敷にまさか自分が入ることになるとは思ってもいなかった。
菊那は多少の不安を感じつつもあふれでる好奇心には勝てなかった。
うっすらとラインが入ったスーツの背を眺めながら、菊那はその屋敷の門をくぐったのだった。
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