花屋敷の主人は蛍に恋をする

蝶野ともえ

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2話「ティージング・ジョージア」

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   2話「ティージング・ジョージア」



 草花の彫刻があしらわれた扉を抜け、の屋敷の中に一歩足を踏み入れてしまうと、そこは楽園のようだった。
 透明なドームから入る太陽の日差しは柔らかい。だが、雨上がりのムシムシした空気感はなく、どこかひんやりとしていた。そして庭を覗くと、色とりどりの花達が静に咲いていた。桜の木もあれば、青いネモフィラ、紫陽花に、夏の向日葵。その横には真っ赤な牡丹が何個も花を咲かせていた。コスモスの傍で真っ白なクリスマスローズが揺れていたりと、普通の庭では絶対に見れない花が一同に咲いているのだ。花に詳しくもない菊那でもわかる。これは、「ありえない」のだ、と。


 「こちらへどうぞ」
 「あ……はい」


 そんな驚きと戸惑いの中にある菊那を、男は気づくようすもなく落ち着いた様子で呼んだ。菊那がそちらに目をやると、そのは庭の真ん中には木製のガゼボがあった。白く塗られた柵や柱、そしてドーム状になった天井。枠組みだけで出来ており、柵の間からは草花や木が見えるようになっていた。ガゼボに屋根がないのは、庭園自体が屋根で覆われているため、雨風の心配はないので必要なかったのだろう。その下には、大きなソファが2つ向かい合って置いてある。こちらも革製の真っ白なソファだった。そこには見るからに触り心地がよさそうなクッションも置いてあり、ここで花達を見ながら横になったら、幸せだろうな、と菊那は思ってしまった。

 けれど、実際は寝るわけにもいかず、菊那はソファに浅く腰を下ろした。汚れた自分が座ってしまっては、真っ白なソファが汚れてしまうと思ったのだ。


 「少しお待ちください。タオルを持ってきます」
 「あ、ありがとうございます」


 そう言うと、男は庭を抜けて屋敷の中に入ってしまった。庭の天井は屋敷まで続いている。何とも不思議な作りだった。この庭は完璧に室内になっているのだ。
 
 フッとガゼボの入り口に見覚えのある花が咲いていた。先ほど菊那とぶつかった少年が持っていた花だ。確か、チョコレートコスモスと言っていたはずだ。

 男はチョコレートコスモスを探していると言っていた。あの少年はこの庭から花を盗んだという事だろうか。と、なるとその少年はあの噂を知らなかったのだろうか。青燕ノ谷では有名な話だ。それとも怖さよりも、興味の方が勝ってしまったのか。あの頃の男の子は好きそうな話題だなとも思える。

 そんな事を考えていると、トレーの上にタオルと2つのティーカップを載せて、男が戻ってきた。


 「こちらをどうぞ。ホットタオルです」
 「ありがとうございます………え……」
 「ですが、自分でやるより私がやった方が早いですね。失礼します」


 そういうと菊那が断るより先に、その男は菊那の肌に温かいタオルを当てた。そして、優しく割れ物を扱うように泥を拭ってくれたのだ。


 「じ、自分でやれますっ!」
 「顔は綺麗になりました。後は髪ですね。後ろの方に泥がついていますので、後ろを向いてください」
 「………自分で出来ます」
 「後ろは難しいでしょう。私に任せてください」


 優しい口調と態度だが、全く譲らない様子を見て、菊那は以外と頑固なのかもしれないと思い、それ以降は何も言えなくなった。

 初対面の人の庭にお邪魔して、泥まで取って貰い、しかもそれが美男子だというから、今日は何という日だろうと菊那は内心でドキドキと胸を高鳴らせていた。


 風もない静かな空間。
 タオルで髪を撫でる微かな音と自分の激しい鼓動だけが響いている。相手にもこの音が聞こえているのではないかと思ってしまうほどだった。
 その時、彼の細く冷たい指が菊那の耳に触れた。それだけで菊那は驚き体をビクッとさせてしまう。

 すると、男は「すみません。驚かせてしまいましたね」と顔を覗き込んで来た。その表情は申し訳なさそうにしているが、どこか楽しそうに見えた。菊那は、「わざとなの?」と思ってしまいつつも、初対面の男にそんな事を問いかける事など出来るはずもなかった。


 「普段は門を開ける事はほとんどないのですが、来客があってその人が閉め忘れたのでしょう。玄関まで送らなかった私のミスですね」
 「では、その門から少年が入ったのですね」
 「はい。おそらくそうでしょう。あの花は必ず返して貰わなければいけません」
 「………あの花は特別なんですか?」


 菊那は不思議に思い、彼にそう問い掛けた。
 こんなに立派なお屋敷と庭を持っているのだ。1つぐらい花を取られたからと言って、騒ぎ立てるような事ではないだろう、と思ってしまったのだ。だとすると、そのチョコレートコスモスの1輪の花は特別だというのだろうか。
 菊那が口を開こうとすると、それより先に男の声が耳に入ってきた。


 「庭にある全ての花が大切なんですよ。どれ1つとして誰にも渡す事は出来ないんです」
 「どれ1つとして………」
 「えぇ、そうです」


 その意味深な言葉を聞いて、菊那が思い付いたのは、この花屋敷の噂だ。馬鹿げた話かと思っていたが、本当に男は魔法が使えたり、時を止める事が出来るのだろうか。だからこそ、そんな特別な力を使った花達をどうしても取り戻さなければいけないのではないか。
 普通なら信じないような話を、菊那はその時だけは信じてしまった。
 それは目の前の庭と、今の状況が非現実的だったからかもしれない。

 すると、「はい。大分綺麗になりました」と、満足そうにそう言った男は、泥のついたタオルを持って、菊那の向かい側に立った。ジャケットのボタンを外し、ジャケットを裾を手で払いながいながら上品にソファに座る姿は、お洒落な映画のワンシーンのようだった。


 「ハーブティーです。どうぞ、召し上がってください」
 「あ、ありがとうございます」


 バラの絵が描かれている華やかなティーカップを取り、一口飲むと口の中に甘くそしてさっぱりとしたカモミールの香りがした。
 ホッっと一息つくと、樹は同じようにカモミールティーを飲み、そしてまた中央のテーブルにそれを置いた。


 「私は史陀樹(しだいつき)です。あなたのお名前は?」
 「春夏秋冬から秋を取った、春夏冬であきなし、春夏冬菊那(あきなしきくな)といいます」


 お互いに変わった名字だな、そう思っていると、目の前の男、樹が驚いた表情を見せた。


 「………あなたも花があるのですね」
 

 それは、どこか寂しげで遠い目をした、そんな口調と表情だった。
 菊那の名前を告げただけで、何故そんな表情をするのかはわからなかったけれど、そんな憂いを帯びた表情でさえも絵になるな、何て不謹慎な事を思ってしまう。


 「えっと……名前の事ですよね。名字に秋がないから、せめて秋の花を、と両親がつけてくれたのです」
 「菊の花、とても素敵でお似合いですね」
 「昔はお菊ちゃんとか、お菊おばあちゃんとバカにされましたけど」
 「私は羨ましいですよ」


 そう言って、微笑んだ。
 花の名前が羨ましいなんて、本当に花が好きなのだな、と菊那はそれ以上は何も考えなかった。


 「さて。菊那さんにはお手伝いしていただきたいことがあります」
 「お、お手伝いですか?」
 「花を盗んだ少年を見つけていただきたいのです」


 穏やかな口調だが、有無を言わせぬ雰囲気の樹の言葉に、菊那は唖然と言葉が出なかった。



 
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