花屋敷の主人は蛍に恋をする

蝶野ともえ

文字の大きさ
30 / 36

29話「レモネード」

しおりを挟む





   29話「レモネード」




 碧海との植物園に行く機会はすぐに訪れた。碧海が「早い行ってみたい!」と言ったので、樹は空いている日を伝えると碧海はその日にしよう、とすぐに決めたのだ。
 大学の門で待ち合わせをすると、碧海は目立つ格好をして待っていた。夏休み中で学生は少ないものの、ジロジロと碧海を見ている人がいた。
 それは真夏なのに白い手袋をして日傘を指し、サングラスまでしていたからだ。


 「碧海さん、お待たせしました」
 「ううん、私が早く着いちゃっただけだから。あ、そうだ!これ、今日のお礼!」
 「え………、別に案内するだけですし」
 「いいからいいから受け取って」


 碧海はそう言って、樹に透明な袋でラッピングされたものを渡してきた。樹はそれを受け取り、見ると黄色の花が閉じ込められた栞と、ハンカチのセットが入っていた。

 「私、駅前の雑貨屋で働いてるって言ったでしょ?そこで買ったんだ。栞かわいいでしょ?こうやって閉じ込められてる花だと触れるから私も同じの持ってるの。黄色の花!………私は大きな向日葵が好きなんだけど、でもさすがにそれは閉じ込められないからね」
 「…………ありがとうございます」
 「いいえー!こんなものでごめんね。でも、今日はとっても楽しみにしてたから。どうしてもお礼がしたくて」
 「………そう、ですか」


 こういう時に上手い言葉が出ないのが悔しかった。勉強や草花の事ばかりだったので、女の人と会話する事もほとんどなく、慣れていないのだ。
 そんな女慣れしていない男性と一緒に居ても楽しくないだろうな、と反省していたが、隣の碧海は見たこともない笑顔だったので、樹は少しホッとしてしまった。



 大学内の植物園に向かうと、一般開放日とあって、親子連れが多く見られた。いつもは静かな園内だが、今日は賑やかな雰囲気だった。
 碧海はすぐにでも駆け出していきたい様子だったけれど、肌に触れてしまってはいけないと細心の注意をしているのか、少し離れた場所から見ていた。


 「わー……綺麗だねー。なんか、生き生きと咲いてる気がする」
 「………碧海さん、サングラスとらないんですか?」
 「え、あー………取った方がよく見えるよね。でも、目の色が最近変わってきちゃって…………変じゃない?」


 碧海はサングラスをずらして、碧海を見上げる。すると、彼女の黒い瞳が緑になっていたのだ。花枯病患者の特徴の1つだ。


 「大丈夫ですよ。綺麗です」
 「………そっか。じゃあ、しっかり見ておかなきゃね」


 そう言って、碧海はサングラスをバックにしまった。
 そして、先ほどよりも嬉しそうにしながら、植物園をまわったのだ。


 樹が話すことはつい専門的なものになってしまいがちだが、それでも碧海はとても楽しそうに話を聞いてくれていた。
 仕事以外で他人と過ごすことがほとんどなかった樹にとって、その時間はとても穏やかで暖かい時間だった。
 誰かと一緒に居るのは面倒だけれど、でも笑える時間が増えるのだ。それを感じた瞬間でもあった。


 「あ、あの紫の花!樹くんと初めて会ったときに見た花だよね。………名前なんだっけ?」
 「桔梗ですよ。絶滅危惧種に登録されています。英名は膨らんだように見える姿が風船に似ていることからバルーンフラワーと呼ばれています」
 「へー風船花なんだ。なんか、そっちのほうが可愛いね」
 「そうですか?」
 「そうだよ!あ、隣にある似てる花は?」
 「あぁ……それは、ツリガネソウで別名が………」
 「わーーーーい!お花がいっぱいだー!」


 2人が話をして居ると、後ろを走る子ども達が近寄ってきた。大きな声だったので、樹は驚いてそちらの方を向いた。けれど、それは少し遅かった。


 ドンッ

 
 と、体と体がぶつかる音がした。
 けれど、自分に衝撃は来なかった。けれど、隣に居たはずの碧海が視界から消えていた。


 「………え…………」


 と、という彼女の低い音と共にドサッと倒れる音が重なった。
 走っていた子どもが前方を見ていなかったのな碧海にぶつかったのだ。突然の事に、碧海はこらえられずに倒れてしまったのだ。樹が手を伸ばしても、すでに遅く彼女は前方に倒れてしまった。
 草花が植えられている方へ、と。


 「碧海さん!?大丈夫ですか!?」
 「………あ………いや…………」
 「え…………」


 樹が彼女の方を見ると、彼女の肌に触れてしまった花や草、木がみるみる枯れ始めたのだ。手袋だけでは手が触れることしか防げない。腕は頬、首や足元などは肌が出ている。そして驚いた事に、触れた草花だけではなく、その花の隣にも伝染し、彼女の周りだけが茶色に変わっていくのだ。
 その中心にいる碧海は体を震えさせて、動揺してその花達を見つめている。


 「いや………見ないで………助けて……」
 「碧海さん!こっちに…………」


 樹が彼女に駆け寄り、体を支えようと近づいた。すると、先ほどの子どもが悲鳴をあげたのだ。


 「キャーッッ!何これ………、お花が枯れてる」
 「え、何……。こわ、何あの人……」
 「花が枯れちゃうとか魔女………?」
 「恐ろしい………もしかして、花枯病とか言う呪いの?」
 「えー、何それ?」
 

 子どもの家族や近くに居た人々が騒ぎによって集まってきてしまったのだ。
 そして、碧海を見ては不気味なものを見る目、そして言葉を向けてきたのだ。

 碧海は、恐怖と悲しみと絶望の顔で枯れていく花と、人々を見た後にノロノロと立ち上がった。


 「碧海さん……手から血が出てます。私の研究室に………」
 「いやっ!……さ、触らないで!」


 樹の手をパンッと叩くと、碧海は涙を浮かべた顔で樹を見た後、その場から走り去った。集まっていた人達は、碧海が近づくと、サッと道を避ける。
 樹は転んでしまった子どもに「ごめんなさい。大丈夫だった?」と声を掛けた後、すぐに碧海の元へと駆け出した。

 顔や服に泥がついたままの碧海を、周りの人は怪訝そうに見ていたが、何も言わずに遠巻きに見ているだけだった。
 樹が彼女に追い付いた時には、すでに植物園から外に出ていた。


 「碧海さんっ!」
 「……………樹くん……」


 植物園の裏手にいた碧海に気づき、樹はすぐに近寄った。裏手には、関係者だけが立ち入れる小さな研究施設があった。樹も訪れる場所だったので、鍵を持っていたため、そこに碧海を招き入れた。


 「消毒しますね」
 「…………」


 研修室は誰もいない。
 救急箱から絆創膏などを取り出して彼女の傷を手当てしていると、碧海は小さな声で話し始めた。


 「………ごめんなさい」
 「え…………」
 「植物園の花、枯らせてしまった………。本当にごめんね」
 「いいんですよ」
 「だって絶滅危惧類なんでしょ?大切な花じゃない!?」
 「種はあります。また植えればいいんです」


 涙をポロポロこぼしながら謝罪する碧海にそう返事をするが、彼女の涙と悲しみの表情は止まらない。


 「………やっぱり、私って不気味だよね。あんなの見せられたら、恐ろしい。………人間じゃないみたい」
 「………そんな事ないですよ」
 「そんな優しい嘘言わないでよ!あんなの恐ろしいだけよ。綺麗な花が一瞬で枯れるのんだよ!私が1番怖いの!花が枯れていく瞬間も、他の人の視線も…………」


 大声を出してそう言う碧海を落ち着かせるように、樹はゆっくりと言葉を伝えた。
 彼女と出会ってから考えていた事だ。


 「じゃあ、私があなたでも触れる花を作ります」
 「え………」
 「薬でも何でも作ります。それに、俺は花枯病の事も知ってる。怖くないですよ」


 碧海に出会ってから花枯病の事を調べることが多くなった。そして、その病気は世間では知られていないこと、知っていたとしても差別される事が多いこと。そして、孤独を感じている患者が多いと言う事を知った。
 明るい碧海だが、さっきのように偏見で見られてしまった事もあるのだろう。
 だったら、少しでもそんな人達を少なくしたいと思ったのだ。植物学を学んだ一人として何か出来るのではないか、と。


 樹は真剣な表情で碧海を見た。
 碧海は、ポロリと目から溢した。泣きなんでくれた、と思ったが彼女の表情は変わらなかった。


 「そんなの無理よ」
 「やってみたいとわからないじゃないですか!」
 「………私の命があと少しだってわかってて言ってるの?」
 「っっ…………」
 「…………やっぱり知ってたんだね」


 花枯病の患者は短命だ。先天性のものだと、30歳まで生きられないのだ。
 危険な状態になると、手足は細くなり肌も白くなる。そして、太陽の光、紫外線を浴びると肌に激痛が走るようになるのだ。そして、瞳が緑に染まってしまうと、余命は残りわずかなのだ。
 そのどれもに碧海は当てはまっている。
 樹は出会ってからすぐに気づいていた。


 「花が好きだったけど、触れないなら意味ないって全然名前とか覚えようとしなかったんだ。だけど、やっぱり名前を知れると楽しいね。教えてくれて、ありがとう」
 「…………何でそんな風に言うんですか?私はまだあなたと………」
 「………あなたみたいな花好きな人と一緒に居ても、自分が哀れになるだけ。それに、名前に植物の名前だらけの樹くんはずるいよ……羨ましすぎる。そんなあなたに触れたら、私が枯らしてしまうわ………」
 「………碧海さん………」


 いつの間にか、彼女は笑顔になり樹が泣きそうになっている。
 そんな樹を見て、碧海はゆっくりと背を向けた。


 「ありがとう、樹くん。とっても楽しい時間だった。………枯れない向日葵………触れてみたかったな………」


 そう言うと、碧海は小さく手を振って、研究室から出ていってしまった。


 樹は俯き、手を強く握りしめたまま動けなかった。
 彼女を傷つけるとわかっていて、追いかけて手を握り、引き留めるほどの強さはないのだと思い知ったのだった。



 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

十八歳で必ず死ぬ令嬢ですが、今日もまた目を覚ましました【完結】

藤原遊
恋愛
十八歳で、私はいつも死ぬ。 そしてなぜか、また目を覚ましてしまう。 記憶を抱えたまま、幼い頃に――。 どれほど愛されても、どれほど誰かを愛しても、 結末は変わらない。 何度生きても、十八歳のその日が、私の最後になる。 それでも私は今日も微笑む。 過去を知るのは、私だけ。 もう一度、大切な人たちと過ごすために。 もう一度、恋をするために。 「どうせ死ぬのなら、あなたにまた、恋をしたいの」 十一度目の人生。 これは、記憶を繰り返す令嬢が紡ぐ、優しくて、少しだけ残酷な物語。

二度目の初恋は、穏やかな伯爵と

柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。 冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。

離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています

腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。 「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」 そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった! 今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。 冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。 彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――

【完結】もう一度やり直したいんです〜すれ違い契約夫婦は異国で再スタートする〜

四片霞彩
恋愛
「貴女の残りの命を私に下さい。貴女の命を有益に使います」 度重なる上司からのパワーハラスメントに耐え切れなくなった日向小春(ひなたこはる)が橋の上から身投げしようとした時、止めてくれたのは弁護士の若佐楓(わかさかえで)だった。 事情を知った楓に会社を訴えるように勧められるが、裁判費用が無い事を理由に小春は裁判を断り、再び身を投げようとする。 しかし追いかけてきた楓に再度止められると、裁判を無償で引き受ける条件として、契約結婚を提案されたのだった。 楓は所属している事務所の所長から、孫娘との結婚を勧められて困っており、 それを断る為にも、一時的に結婚してくれる相手が必要であった。 その代わり、もし小春が相手役を引き受けてくれるなら、裁判に必要な費用を貰わずに、無償で引き受けるとも。 ただ死ぬくらいなら、最後くらい、誰かの役に立ってから死のうと考えた小春は、楓と契約結婚をする事になったのだった。 その後、楓の結婚は回避するが、小春が会社を訴えた裁判は敗訴し、退職を余儀なくされた。 敗訴した事をきっかけに、裁判を引き受けてくれた楓との仲がすれ違うようになり、やがて国際弁護士になる為、楓は一人でニューヨークに旅立ったのだった。 それから、3年が経ったある日。 日本にいた小春の元に、突然楓から離婚届が送られてくる。 「私は若佐先生の事を何も知らない」 このまま離婚していいのか悩んだ小春は、荷物をまとめると、ニューヨーク行きの飛行機に乗る。 目的を果たした後も、契約結婚を解消しなかった楓の真意を知る為にもーー。 ❄︎ ※他サイトにも掲載しています。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

吉野葉月
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。 立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。 優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?

理想の男性(ヒト)は、お祖父さま

たつみ
恋愛
月代結奈は、ある日突然、見知らぬ場所に立っていた。 そこで行われていたのは「正妃選びの儀」正妃に側室? 王太子はまったく好みじゃない。 彼女は「これは夢だ」と思い、とっとと「正妃」を辞退してその場から去る。 彼女が思いこんだ「夢設定」の流れの中、帰った屋敷は超アウェイ。 そんな中、現れたまさしく「理想の男性」なんと、それは彼女のお祖父さまだった! 彼女を正妃にするのを諦めない王太子と側近魔術師サイラスの企み。 そんな2人から彼女守ろうとする理想の男性、お祖父さま。 恋愛よりも家族愛を優先する彼女の日常に否応なく訪れる試練。 この世界で彼女がくだす決断と、肝心な恋愛の結末は?  ◇◇◇◇◇設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 R-Kingdom_1 他サイトでも掲載しています。

処理中です...