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4話「熱い指先」
しおりを挟む4話「熱い指先」
生徒、冷泉色への家庭教師は、彼に「やります。」と伝えた次の日からスタートした。
仕事を終えた翠は、いつもよりおしゃれをしていた。通勤するときもシャツにスカートが多かったが、今日は紺のワンピースを着ていた。化粧直しもしっかり行い、アップしていた髪もおろしてリボンがついたピンで止めてハーフアップにした。
いつもと違う様子を見て、何も知らないスタッフは「翠ちゃん、デート?」と聞いてきていたが、翠は「絶対に違います!」と、誤解されないように強く否定し続けていた。
翠がそんなおしゃれをしていたのには、理由があった。これから、色に会うからではない。
それは色と翠が交わした、家庭教師の決まりのためだった。
まずは、お金だが1日約1時間で2万、一ヶ月で40万はどうだ?、と色に言われた時はさすがの翠も唖然として言葉が出なかった。が、教員免許を持っているわけでも、塾の講師をやったことがあるわけでもない、家庭教師の新人にその金額は高額すぎるので、翠は丁重にお断りし、「5万で!それでも多いぐらいです!」と交渉したが、それは頑固な色が許してくれるはずもなく。
結局、毎日の夕食つきで月10万という契約になった。(それでも、色は納得していなかった様子だったが。)
期間は8月の終わりの約3ヶ月となった。
そして、1番の問題もあった。
それがおしゃれをしなければならない理由だった。
教本のためのギリシャ語の本が多数と、筆記用具にノート、辞書を入れて重くなった鞄を抱えながら歩いて、着いたところは翠が今までで足を踏み入れた事がないような場所だった。
少し古びた木造の門があり、そこを入ると立派な日本庭園が迎えてくれる。決して広いわけではないが、隅から隅まで整えられていた。敷地を囲むように竹やぶが綺麗に並んでいたり、小さな池には紅白が鮮やかな鯉がゆうゆうと泳いでいる。
場違いな雰囲気に圧倒されながら、恐る恐る足を進めていくと、立派なお屋敷の前に立つ。昔ながらの木造の2階建ての建物だったが、すべてが洗練されており、入り口の綺麗な彫刻で描かれた花たちをみるだけで、「ここに入ってもいいんだろうか?」と、不安になってしまう。
すると、急にドアが開き、着物を着た女の人が「いらっしゃいませ。」と賑やかに出迎えてくれた。
ここは、色が運営する店のひとつだった。
家庭教師をする場所を色の家にすると言われたが、翠はそれを断固拒否したのだ。次に「だったらおまえの部屋にしろ。」と言われたが、それではなんの何の意味もないのだ。
どこかのおカフェとかでもいいです!とも言ったが、個室じゃなきゃイヤだと言われ。カラオケや飲み屋さんとかいろいろ提案したが拒否され、「だったら、うちの店にする。」と色が言って、ようやくお互いに納得し問題が解決したのだ。
そのため、翠はおしゃれをして来ていた。料亭に行ったこともないため、どのような服装で行けば良いのかわからなかったからだ。
「すみません。待ち合わせをしていまして。」
「かしこまりました。お相手のお名前は。」
「冷泉色様です。」
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ。」
玄関に案内し、店へと案内された。
ここは色が運営している料亭のひとつであり超高級店だった。本当ならば、翠は一生入ることがなかった場所だろうと思っていた。
一番奥の部屋に案内され、ドアを開けてもらうとそこは旅館の一室のような豪華な内装だった。
窓からは中庭が見え、上品にライトアップされ竹や草花が綺麗輝いていた。部屋はもちろん畳で大きなテーブルがあり、座椅子にはフワフワの座布団が置いてあった。
しかし、座布団の位置が問題だった。
すでに色は来ており、「やっと来たな。」と、少し退屈そうな顔で出迎えた。スタッフに「一時間後ぐらいに準備してくれ。」と伝えると、そのまま着物の女の人はゆっくりとお辞儀をして退室してしまった。
「そこに突っ立ってないで早く座れ。」
「はい………。」
座椅子は部屋に2つ準備されていた。もちろん、1つは彼が座っている。普通ならば、もう1つは向かい合う場所に置いてあるはずだが、何故か色の隣に置いてあるのだ。
これは、どういう意味だろうか?
座椅子に座るなと言うくだらない意地悪をする人ではないはずだが………。
迷いながらも、向かい側に座ろうとすると。
「おまえな、なんでそっちに座るんだ。座椅子はここだ。こっちに座れ。」
座布団をポンポンッと叩いて、色は座れと促している。有無を言わせぬ鋭い視線で。
「向かい合ってでもいいと思うのですが。」
「家庭教師と言ったら、並んで座るものだろ?」
「…………どんなイメージなんですか。」
ため息をつきながら、諦めて色の隣に座る。
バックの中から、本や辞書、筆記用具などを出してテーブルに並べ立て。
「じゃあ、さっそく始め………。」
そこまで言ったところで、近距離に座る色の手がこちらに伸び、髪に付けていたリボンに触れた。
「冷泉様…?」
「私服は初めて見た。仕事のタイトスカートもいいが、フレアのワンピースもなかなか似合ってる。おまえは、こっちの方が雰囲気に合っている。」
髪を撫でていたが、少しずつその手を降りてきて頬を撫でるように優しく指で触れられる。それが少しだけくすぐったくて、体を縮ませると色は意地悪くニヤリと笑った。
「髪も下ろしいてる方が俺好みだ。」
「えっと、、、そのありがとうございます。」
指で顔を撫でられると、さすがに照れてしまい、視線を外に反らした。すると、輪郭をなぞっていた指が唇に触れられると、翠は驚き色の顔をちらりと見た。すると、そこには先ほどまでの彼の表情ではなく、真剣に見つめる姿があった。
それは、先日のVIPルームでも見たあの表情だ。少し切なげで、見ているとこちらも胸が締め付けられる。どうしていいかわからずに、翠が触れた指にそっと手を添えた。
「色さん?どうしましたか………?」
声を掛けると、色はハッとした表情をして手を話したら。触れた瞬間に、意識をを戻したような反応。翠は、触れた手を一瞬にして下げられてしまい、驚き体を硬直させてしまう。
「悪い。………綺麗だったから触れたくなった。ぼーっとして、悪かったな。授業、始めてくれ。」
素っ気なくそう言うと、すぐに視線をテーブルの本に移した。
翠はほっとしながらも、彼が触れたところが熱を持っているように熱くなっているのを感じていた。
翠は、小さく深呼吸をして頭を冷静にさせた。
そして、本を1つ選び色に渡す。
「いろいろ見てみたんですけど、これが一番わかりやすかったので、この本を使いますね。まず…。」
ページを捲って、初心者向けのページを指さす。
幼い頃使っていた本だったので、翠はとても懐かしい気持ちになった。ワクワクして開いた本の1ページ目。なんとも言えない喜びの瞬間を。
「現代ギリシア語には母音が7つあります。日本語と似てるんですけど、英語の方の発音が近いと言われてます。ですが、ギリシァ語はカタカナ発音でけっこう通じるので、まずは覚えましょう!」
「わかった。とりあえずは、挨拶とか日常会話がメインだな。」
「はい!………冷泉様、ノートとかお持ちですか?」
「持ってるわけないだろ。会話だけでいいんだ、おぼえる。」
「読み方とか、メモした方がいいですし、単語は書いた方が覚えますよ?」
そういうと、何か言いたげにムッとした表情になったが、テーブルにあった翠のノートを手にして「じゃあ、お前のを貸せ。」と言って、無造作にページを捲った。「ダメです!」と言う前に、ページは捲られてしまい、翠のノートの中身が露になった。
「ギリシャの文化と食事、、、。なんだ、おまえ、もうギリシャに行くつもりになってんのか?」
色は、他人のノートを見ながら、ニヤニヤと笑ってもいる。
翠はそれを焦って取り上げて、胸に抱き締めて止めた。
「ち、違います!色さんに勉強を教えるので、中途半端な事を伝えたくなかったんです。だから、自分なりに改めてギリシャの事を勉強していたんです。確かに、勉強してて、ここに行ってみたいなーとな、食べてみたいなーってメモはしましたが……。でも、これは勉強ノートなんです。」
恥ずかしい部分とからかわれて悔しい気持ちとが合わさって、顔はくしゃくしゃになる。泣きたくなるわけではないけれど、自分なりに頑張ったことを笑われるのは辛くなるのだ。
むすっとしてしまうのは、子どもみたいだと自分でもわかっている。けれど、それ我慢できるほど大人にはなっていなかったようだ。
「………。悪かったな。」
そういうと、色は頭をまた優しく撫でてくれる。少し困った表情に見えるのは気のせいなのだろうか?
いつも俺様で憮然とした態度や、仕事用の爽やかな微笑み。そればかり見てきたが、ここ何回かで彼の違った姿を見ている。
彼も、普通の人なのかもしれない、と少しみじかに感じたのは、色には内緒だ。
「………すみません。私も子どもっぽくて。」
「まぁ、それは否定しない。」
「冷泉様!!これ、私の予備のノートです。それとペンも。」
「………ウサギ。」
「可愛いですよね。」
翠が渡した、黄緑に小花が描かれているノートと、ウサギのマスコットが付いてペンを、ため息をつきながらも受け取り、彼は教えたことをメモし始めた。字を書くのがとても早いが、綺麗なのには驚いたが、そこには何も言わずに勉強を再開させたのだった。
「んー!おいしいです!この天ぷら。あ、炊き込みご飯もっ!」
一時間が過ぎた頃にドアをノックする音が聞こえた。それが家庭教師の終了時間の合図だった。
次々と料亭の食事がテーブルに並べられていき、翠は目をキラキラさせて見ていると、「腹減ってたのか?」と、色は面白いものを見るように笑っていた。
「すごくおいしいです。冷泉様、ありがとうございます。」
「これはおまえのお金で食べてるだぞ。」
「いえ!冷泉様がいなかったら、こんなところで食べられませんし。お吸い物もおいしいー!」
「おまえは、本当にうまそうに食べるな。」
そう言いながら、隣で色も箸をすすめる。和室で着物を着て、上品に料理を食べる姿は、とても絵になっており、翠は隠れ見ながら「綺麗だな。」と、感じてしまう。
「明日もここで食べるのか?違うところでもいいぞ?」
「いえ!こちらにします、贅沢に!」
「そうか。じゃあ、しゃぶしゃぶとかすき焼きにするか。」
「はいっ!」
勢いよく返事をすると、笑いながらまた頭を撫でてくれる。その感触と温かさを翠は、心地よく感じてしまっていた。
少し前まで、怖いとか何を考えているかわからないとか考えていたのが嘘のように、翠は色との時間を楽しいと感じるようになっていた。
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