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3話「先生と生徒」
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色から取り引きの話をされた日。
店長の岡崎さんには、迷惑を掛けてしまった事もあり、事情を話した。
岡崎さんも驚いていたようだったけれど、「冷泉さんは悪い人ではないよ。」と優しい声で話をしてくれた。悪い話ではないし、助けてあげるつもりで手伝ってあげてもいいのではないか?でも、プライベートな事だから断るときは、一緒にお断りしてあげるよ。と言ってくれた。
上司のアドバイスと優しさに感謝しながらも「自分で頑張ります!」と伝え、1週間悩む事にした。
ギリシャに本店がある「one sin」を仕事場に選んだのは偶然でもあったが、見つけたときは「いつかギリシャ本店に行ってみたい。」と、研修などで行けるかな、と考えた事もあった。
だが、なかなか研修でギリシャを行くことはないと知り、翠はがっかりしたのを覚えている。
貯金をしっかりしているので、いつでも行くことは出来るのだが、長期間の休みがとれなかったり、一人で海外に行く勇気がなかったのが本音だ。
そこまで、本気ではないと思われてしまうのかもしれないが、大好きだったおばあちゃんが暮らした街を見てみたい。魔法のような綺麗な言葉があふれる国へ行ってみたい、という願いはずっとある。
そのチャンスが目の前にあるのに、それさえも手を伸ばすのに躊躇してしまっている自分がいる。
まだ、会ったばかりの人だから?俺様な性格で少し怖いから?それとも、自分のギリシャ語が通じるかが怖いから?
自分の気持ちと向き合うってみると、どれも本音だと気づいた。
「はぁー、、、弱いな~、私って。意気地無しだ。」
そう独り言を言ってベットに横になった。
もう5月のゴールデンウィークが終わり、過ごしやすい気候が続いていた。
職場から歩いて帰ってきた翠は、暑さを感じて窓を開けていた。時より部屋に入ってくる夜風がとても気持ちよく、翠は少しの間ベットで体と心を休めた。
うとうとしそうになる体に鞭をうって、目を開ける。すると、キラリと光るものが視界に入ってきた。右手の薬指にしている指輪だった。シルバーのリングで中央には大きなエメラルド1つあり、部屋の照明を受けてキラキラと輝いていた。
「お婆ちゃん、どうすればいいと思う?」
翠は右手を軽く上げて、寝たまま指輪に話し掛ける。誰かに見られたらとても恥ずかしい行為なのかもしれないが、翠は不安になったり心配事がある度に、こうやってエメラルドの指輪に語りかけていたのだ。
「良すぎる条件だと思わない?でも、冷泉様は怖いけれど。」
翠はあんな強気な俺様を目の前にしたことはなかった。アニメや小説、ドラマの世界だけだと思っていたが、やはりモデルになるような人が現実にはいるのだと、改めて思った。
「でもね。お婆ちゃんが教えてくれたギリシャ語、綺麗だって褒めてくれた。、、、嬉しいんだ。私はお婆ちゃんみたいに話せてるかな?」
もちろん、指輪からは返事はない。
けれど、指輪の緑や黄色などに変わりキラキラと光る宝石を見ているだけで何故か安心するのだ。
輝く様子は、お婆ちゃんのキラキラとした笑顔にどこか似ている気がしたのだ。
「悩んでるつもりだけど、きっと心の中では決まってるんだよね。私やってみる!仕事のつもりなら、挑戦するべきだよね。」
そう決心を告げると、指輪が一番に光った気がして、翠は一段とやる気が出てきたのだ。
「そうと決めたら、私もギリシャ語の勉強しなきゃ!下手な物は教えられないもの。」
翠はベットから飛び起きて、本棚にあるギリシャ語の本を持ち出して、机に向かった。祖母が亡くなった頃に何回も読んで勉強した本達だ。
懐かしさを感じながら、翠は色に教えて恥ずかしくない言葉と文化を伝えようと、その日から勉強の日々が始まった。
冷泉色との約束の日。
その日は、朝からやる気になっており、他のスタッフに「どうしたの?」の驚かれるほどだった。
色が来るのは夜だと思われるので、それまではまだ時間があるとわかっていたが、どうしても緊張してしまう。
岡崎さんが翠の様子を見て、にこやかに微笑んだ。店長には、翠の決断を伝えていた。「やってみることにしました。でも、仕事には迷惑のかからないようにしますので。」そう伝えると、「それは良かったです。ぜひ、頑張ってくださいね。」と、言ってくれたのだ。
岡崎さんは、応援してくれる。信頼している上司に言われると、さらに頑張ろうと思えてくるのだ。
それから、朝礼で色の担当が翠に変わったと岡崎さんから全スタッフに通達をされた。事情を聞いていないスタッフは多少は驚いたが、稀にある事なのでそこまで気にはしていないようだった。それに前に担当していた先輩スタッフには、翠から話をしてあった。色とは昔の知り合いだった、という事にしておいたのだ。
そして、オープンの時間。
朝一番のお客様は、冷泉色だった。
今日は深い緑色の着物を着ていた。朝早く寒かったのか、紺の羽織りを上から纏っていた。長めの髪をしっかりと整えられており、朝から凛々しいお姿だった。
「冷泉様!おはようございます。」
「あぁ。どうだ?」
「私にやらせてください。よろしくお願いいたします。」
VIPルームに入る時間も惜しくなってしまい、店内で決断した事を伝えてしまった。幸い、他のお客さんはいなかったが、スタッフは何事かと驚いてる。そして、色も呆気にとられた表情だった。
だが、その後にいつものニヤリした企んだ笑みを浮かべた。
「俺は取り置きの件を言っていたんだけどな。」
「え、、、あ!そうですね。そちらが先ですよね。」
「冗談だ。」
「、、、へ?」
「部屋に案内しないのか?」
「、、、はい!ご案内します。」
出鼻をくじかれ、またもや恥ずかしい姿を見せてしまったが、何故か色はとても楽しそうな顔をしていた。
翠は、とりあえずはそれを見てホッとしたのだった。
部屋には入った後は、取り置きしたタオルを色にお渡しして、買い物は終了した。大きい荷物になってしまうため、会社まで届ける事を勧めたが、色は「今から行くからいい。」と言いそのまま受け取ったのだ。
「さて。家庭教師の件は、受けてくれるんだな。」
一週間前と同じように、仕事の話が終わるとすぐに俺様社長に戻っていた。これは、一種のオンオフの切り替えなのだろうか?と翠は思った。
2回目ともなると、少しは慣れるようで「怖い!」とは、あまり感じなくなった。(そのような怖い態度を見せていないからかもしれないが、、、。)
「か、家庭教師!?」
「勉強を教わるんだからそうだろ?」
「なるほど、、、なんか、懐かしい響きですね。」
家庭教師という言葉に多少の驚きと懐かしさを感じながらも、自分よりも(たぶん)年上でエリートの男性の教師になる事に、今さら焦りを感じてしまう。
だが、もう決めたことだ。
「で、やるんだな?」
「はい。ぜひ、仕事としてやらせてください!」
「仕事としてね。なるほど。決めた要因は?」
「め、面接ですか?」
「興味あるだけだ。」
自分の興味のために聞くのか!と、突っ込みを入れたくなりながらも、これからの雇い主でもあるのだ。文句を言って険悪な雰囲気になったまま、家庭教師をするのも嫌なので、ここは素直に従う事にした。
「ギリシャに行きたいって事もあります。けど、1番は私も大好きなギリシャの勉強をするチャンスだと思ったんです。祖母が育った場所をしっかり勉強して、それから国へ行ってみたいって。だから、やることに決めました。」
「、、、それは、俺も責任重大か。」
「え、、、?」
独り言のように、色は何かを呟いたが翠にはその声は届かなかった。だか、翠への言葉だったわけではないようで、色は話を続けた。
「じゃあ、おまえの仕事のある日の夜にやることにするがいいか?週5だ。なるべく早く覚えたいからな。」
「わかりました。」
「じゃあ、仕事終わりに向かいに来る。場所は俺んちでいいな。」
「、、、よ、よくないですよ!」
思わず大きな声で反論してしまう。
それもそうだ。知り合って間もなく、恋人同士でもない男女が、片方の家に行くのは、あまりにも突拍子もない考えだろう。
「冷泉さんは、ご結婚されてます?」
「してない。」
「御実家暮らしですか?」
「、、、そんなはずないだろ。実家は京都だ。」
「一人暮らしですよね?」
「お前なんなんだ?なんだ、文句でもあるのか?」
連続して質問したせいか、色の顔に少しずつ怒りが見えてきた。自分の考えを突っぱねられて、不機嫌になっているようだった。
「あの、冷泉様。やはりおうちに行くのは不味いと思います。結婚前なので、お互いに、、。冷泉様も変な噂がたつかもしれませんし。」
「、、、なるほど。俺に襲われるのが心配なのか。」
「っっ!そんなことでは、、、。」
「そんな事を考えるなんて、お前、仕事するんだろ。」
「考えてませんよ!」
「襲って欲しいなら言えば考えなくもない。」
そういうと、色はゆっくりと翠に近づき、何故か翠と同じソファに座ったのだ。しかも、かなりの近距離だ。
「あの、冷泉様、、、?」
「おまえが俺にギリシャ語を教えてもらう変わりに、俺がおまえにいろんな事を教えてやろうか?」
色は、ゆっくりと顔を近づけ、耳元で色気のある低い声でそう囁いた。
驚きとくすぐったさと、胸の高鳴りで、翠は体を震わせてしまう。その様子をみて、クククッと笑う声さえも艶がありドキドキしてしまう。
「どうする?」
その声に流されそうになってしまう、自分がいるのに翠は驚いたが。好きでもない相手に、ドキドキし、それを受け入れようとしているのだ。大人の魅力なのだろうか?
だが、翠はすぐに冷静さを取り戻して、色を避けるようにソファから立ち上がった。
「結構です!!」
そう強く拒否の言葉を色に突きつける。恥ずかしさと、怒りのせいなのか、顔が赤くなっているのが分かる。
おや?とした、顔をして色は翠を見上げていたが、すぐにまたあのニヒルな笑みを浮かべた。
「まぁ、これでキスでも受け入れてたら、家庭教師は断ってたけどな。」
「なっ!!た、試したんですねー!」
「お前が本気で安心したよ。」
冗談なのか本気なのかわからないように、楽しそうに笑う色を見つめて、翠は「油断ならない人だ!」と、改めて危機感を持ったのだった。
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