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第11章「決断の夜」
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悠斗が大阪に行ってから、一週間が経った。
毎日、メッセージのやり取りはしていた。
『おはよう。今日も仕事頑張ってね』
『お疲れ様。そっちはどう?』
短いメッセージ。でも、それが二人を繋いでいた。
週末には、ビデオ通話をした。
画面越しの悠斗。
会いたい。触れたい。
でも、できない。
画面を通してしか、会えない。
「元気?」
「元気だよ。亜季は?」
「私も元気」
嘘だった。
本当は、寂しくて、寂しくて、たまらなかった。
でも、それを言ったら、悠斗を困らせてしまう。
だから、笑顔を作った。
「大阪、どう?」
「忙しいけど、面白いよ。プロジェクトも順調だし」
悠斗は楽しそうに話した。
新しい環境。新しい仕事。
悠斗は、充実しているようだった。
それは嬉しいことのはずなのに、亜季の心には影が差した。
悠斗は、私がいなくても大丈夫なんだ。
そう思ってしまった。
「亜季?聞いてる?」
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「疲れてる?無理してない?」
「大丈夫。ちょっと眠いだけ」
「じゃあ、もう寝た方がいいよ。また明日連絡するね」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
画面が消えた。
悠斗の顔が、消えた。
亜季は、スマートフォンを抱きしめた。
涙が溢れてきた。
会いたい。
ただ、会いたい。
二週間が経った。
亜季は、課長としての準備に追われていた。
四月からの昇進に向けて、引き継ぎや研修が始まっていた。
新しいプロジェクトも任された。
忙しい日々が、また始まった。
悠斗との連絡は、だんだんと減っていった。
最初は毎日メッセージを送っていたけれど、だんだんと二日に一回になり、三日に一回になった。
お互いに、忙しかった。
週末のビデオ通話も、時間が合わなくなってきた。
「ごめん、今週末も仕事が入っちゃった」
「僕も。クライアントとの打ち合わせで」
「じゃあ、また来週?」
「うん、また来週」
でも、来週も同じだった。
お互いに、時間が取れない。
会えない。話せない。
距離は、だんだんと遠くなっていった。
三週間目。
亜季は、カフェに一人で行った。
悠斗がいない、いつもの席。
コーヒーを飲みながら、窓の外を見る。
悠斗は、今頃何をしているんだろう。
仕事をしているのか。夕食を食べているのか。
それとも、誰かと一緒にいるのか。
そんなことを考えてしまう自分が、嫌だった。
疑ってるわけじゃない。
でも、不安なんだ。
会えない間に、悠斗の心が離れていくんじゃないかって。
「高梨さん?」
声をかけられて、振り返った。
涼だった。
「涼くん」
「こんなところで。一人ですか?」
「うん」
「隣、いいですか?」
「どうぞ」
涼が隣に座った。
「最近、よくここに来るんですか?」
「たまに。仕事帰りに」
「そうなんですね」
涼はコーヒーを注文した。
「高梨さん、お疲れのようですね」
「そう?」
「はい。なんか、元気がないというか」
涼は心配そうに亜季を見た。
「彼氏さんとは、うまくいってますか?」
その質問に、亜季は少し驚いた。
「…どうして?」
「なんとなく。最近、高梨さんの表情が寂しそうで」
涼は優しく言った。
「僕、まだ高梨さんのこと、気にかけてるんです。恋愛感情じゃなくて、先輩として尊敬してるから」
「ありがとう」
亜季は正直に話した。
「彼、今大阪にいるの。半年間のプロジェクトで」
「遠距離恋愛ですか」
「うん。会えなくて、寂しくて」
「辛いですね」
「うん、辛い」
亜季は涙をこらえた。
「でも、頑張らなきゃ。あと四ヶ月ちょっとで、戻ってくるから」
「高梨さん、無理してませんか?」
涼の言葉が、胸に刺さった。
「無理してないよ」
「でも、泣きそうな顔してます」
その言葉に、亜季の涙が溢れた。
「ごめん」
「謝らないでください」
涼がハンカチを差し出した。
「泣いてもいいんですよ」
「でも…」
「いいんです。我慢しなくて」
その優しさに、亜季は堪えきれなくなった。
涙が、止まらなかった。
涼は何も言わず、ただ隣にいてくれた。
カフェを出て、駅まで歩いた。
涼が一緒についてきてくれた。
「大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう。少し楽になった」
「よかった」
「涼くん、ごめんね。泣いてるところ見せちゃって」
「いいんですよ。僕でよければ、いつでも話聞きます」
涼は笑顔で言った。
「ありがとう」
駅で別れて、亜季は電車に乗った。
窓に映る自分の顔を見る。
泣き腫らした目。
こんな顔、悠斗には見せられない。
家に帰って、ベッドに倒れ込んだ。
スマートフォンを見ると、悠斗からメッセージが届いていた。
『今日は遅くまで打ち合わせで疲れた。明日も早いから、もう寝るね。おやすみ』
それだけ。
返信する気力もなかった。
亜季は、スマートフォンを置いて、目を閉じた。
このままでいいのか。
遠距離恋愛を、続けていけるのか。
答えは、出なかった。
一ヶ月が経った。
悠斗との連絡は、さらに減っていた。
週に一回、メッセージを送り合う程度。
ビデオ通話は、もう三週間もしていなかった。
お互いに、忙しすぎた。
亜季は、新しいプロジェクトに追われていた。
課長昇進の準備もあった。
毎日、深夜まで働いた。
悠斗のことを考える時間もなかった。
いや、考えないようにしていた。
考えると、寂しくなるから。
辛くなるから。
ある日の夜、美咲から電話がかかってきた。
「もしもし?亜季?」
「美咲」
「久しぶり。元気?」
「まあまあ」
「声、元気ないね。悠斗さんとは?」
「…あまり連絡取れてない」
亜季は正直に言った。
「お互い忙しくて」
「それは…辛いね」
「うん」
「会えてないの?」
「もう一ヶ月以上会ってない。ビデオ通話もしてない」
「それは、ヤバいよ」
美咲の声が心配そうになった。
「遠距離恋愛で大事なのは、コミュニケーションだよ。連絡取らないと、気持ちが離れちゃう」
「わかってる。でも、時間がないの」
「時間は作るものだよ」
美咲の言葉は厳しかった。
「亜季、本当にまだ悠斗さんのこと好き?」
「え?」
「だって、好きな人と一ヶ月も連絡取れないなんて、おかしいよ。どんなに忙しくても、好きな人とは連絡取りたいでしょ」
その言葉に、亜季は何も答えられなかった。
好きだ。
まだ、好きだ。
でも、最近、悠斗のことを考えていなかった。
忙しさを理由に、考えないようにしていた。
それは、もう好きじゃないということなんだろうか。
「亜季、ちゃんと自分の気持ちと向き合った方がいいよ」
「…うん」
「このままじゃ、悠斗さんも辛いと思う」
「わかってる」
電話を切って、亜季は天井を見つめた。
自分の気持ちと、向き合う。
それが、怖かった。
次の日、亜季は思い切って悠斗に電話をかけた。
何コールか鳴った後、悠斗が出た。
「もしもし?亜季?」
「うん。今、大丈夫?」
「大丈夫。どうしたの?」
悠斗の声は、優しかった。
でも、どこか疲れているようにも聞こえた。
「話したくて」
「僕も。久しぶりだね、電話」
「うん」
沈黙が流れた。
何を話せばいいのか、わからなくなっていた。
「元気?」
「元気だよ。忙しいけど」
「そっか」
また、沈黙。
「悠斗」
「うん?」
「私たち、このままでいいのかな」
亜季は思い切って聞いた。
「どういう意味?」
「最近、全然連絡取れてないし、会えてないし。これって、付き合ってるって言えるのかな」
悠斗は少し黙った。
「…僕も、同じこと考えてた」
「そうなんだ」
「うん。正直、辛いよ。会えないのも、話せないのも」
「私も、辛い」
「でも、どうすればいいのかわからない」
悠斗の声が、弱々しかった。
「あと四ヶ月、耐えればいいのか。それとも、もう諦めた方がいいのか」
「諦めるって…別れるってこと?」
「わからない。でも、このままじゃお互い辛いだけだよね」
その言葉が、胸に刺さった。
「悠斗は、私のこと、まだ好き?」
「好きだよ。でも…」
「でも?」
「会えないと、だんだんと実感がなくなってくるんだ。亜季が、遠い存在に感じる」
「私も、同じ」
亜季は正直に言った。
「最近、悠斗のこと、あまり考えてなかった。忙しさを理由に、考えないようにしてた」
「僕も」
二人は、お互いの気持ちを認めた。
「どうしたらいいんだろう」
「わからない」
また、沈黙。
「ねえ、亜季」
「うん?」
「一度、会おう。ちゃんと顔を見て、話したい」
「いつ?」
「今週末、東京に戻るよ。日曜日、時間作れる?」
「作る」
「じゃあ、日曜日に」
「うん」
「それまで、ちゃんと考えておこう。僕たちの関係を、どうするか」
「わかった」
電話を切って、亜季は深いため息をついた。
日曜日。
そこで、答えを出さなければならない。
続けるのか、別れるのか。
日曜日までの三日間、亜季はずっと考えていた。
悠斗のこと。自分のこと。二人の関係のこと。
好きだ。
まだ、好きだ。
でも、それだけで続けていけるんだろうか。
会えない。話せない。
そんな関係に、意味はあるんだろうか。
仕事も忙しい。これから、もっと忙しくなる。
悠斗も、大阪で充実している。
お互いに、自分の人生を生きている。
それは、悪いことじゃない。
でも、恋人としての関係を維持するのは、難しい。
亜季は、何度も涙を流した。
答えが、出せなかった。
日曜日の午後、二人は上野公園で会うことにした。
亜季が先に着いて、ベンチで待っていた。
十分ほどして、悠斗が来た。
「久しぶり」
「久しぶり」
二人は抱き合った。
悠斗の体温。悠斗の匂い。
懐かしい。
ああ、これだ。
この感覚を、忘れていた。
「会いたかった」
「僕も」
しばらく、そうやって抱き合っていた。
「歩こうか」
「うん」
二人は並んで歩き出した。
でも、以前のように手は繋がなかった。
なんとなく、距離があった。
「大阪、どう?」
「忙しいけど、充実してる。プロジェクトも順調だし」
「そっか。よかったね」
「亜季は?」
「私も忙しい。四月から課長だから、準備とか研修とか」
「大変そうだね」
「まあね」
会話が、ぎこちない。
以前は、こんなじゃなかった。
自然に話せた。沈黙も心地よかった。
でも、今は違う。
距離ができてしまった。
ベンチに座って、二人は池を見つめた。
「ねえ、悠斗」
「うん」
「正直に話そう」
「うん」
亜季は深呼吸をした。
「私、悠斗のことまだ好き。でも、この関係を続けていく自信がない」
「僕も、同じ」
悠斗は正直に言った。
「亜季のこと、好きだよ。でも、会えない、話せない。そんな関係に、疲れてきた」
「私も」
二人は、お互いを見た。
「どうする?」
「わからない」
悠斗は頭を抱えた。
「本当は、続けたい。あと三ヶ月ちょっと耐えれば、僕は東京に戻ってくる。また、元の生活に戻れる」
「でも、その三ヶ月が耐えられない」
「うん」
「それに、悠斗が東京に戻ってきても、私はもっと忙しくなる。課長として、もっと責任が増える。今以上に、時間が取れなくなる」
亜季は現実を見つめた。
「悠斗も、大阪のプロジェクトが終わっても、次の仕事があるでしょ?また忙しくなる」
「うん」
「お互い、自分のキャリアを優先したい時期なんだと思う」
「でも、それって…」
「別れるってこと」
亜季は、はっきりと言った。
悠斗は何も言わなかった。
ただ、うつむいていた。
「ごめん」
亜季が言った。
「謝らないで。僕も、同じこと考えてたから」
悠斗は顔を上げた。
目が、赤かった。
「亜季と出会えて、付き合えて、本当に幸せだった」
「私も」
「でも、これが僕たちにとっての最善なんだね」
「うん」
二人は、しばらく黙っていた。
「後悔、しない?」
悠斗が聞いた。
「後悔する。たくさん」
亜季は正直に言った。
「でも、これしかない」
「そうだね」
悠斗は立ち上がった。
「じゃあ、これで」
「うん」
亜季も立ち上がった。
最後に、もう一度抱き合った。
長い抱擁。
「幸せになってね」
「悠斗も」
唇が触れ合った。
最後のキス。
優しくて、切ない。
「さようなら」
「さようなら」
悠斗が歩き出した。
振り返らずに、歩いていく。
亜季は、その背中を見送った。
涙が、止まらなかった。
家に帰って、亜季はベッドで泣いた。
声を出して、泣いた。
悠斗と、別れた。
好きだった。
今も、好きだ。
でも、別れた。
それが、正しい選択だったのかはわからない。
でも、それしかなかった。
お互いの人生を、尊重するために。
お互いの幸せを、願うために。
翌日、亜季は美咲に電話をした。
「悠斗と、別れた」
「…そっか」
美咲は悲しそうに言った。
「辛かったね」
「うん、辛い」
「でも、亜季が決めたことなら、それが正しいと思う」
「本当に?」
「わからない。でも、亜季は亜季なりに、ちゃんと考えて決めたんでしょ?」
「うん」
「なら、それでいいんだよ」
美咲の言葉に、少し救われた。
「ありがとう」
「いつでも話聞くからね」
「うん」
電話を切って、亜季は窓の外を見た。
春が、近づいてきている。
新しい季節。
新しい人生。
悠斗のいない人生。
それは、寂しくて、辛い。
でも、前に進むしかない。
自分で選んだ道を、歩いていくしかない。
亜季は、深呼吸をした。
大丈夫。
きっと、大丈夫。
そう自分に言い聞かせた。
でも、心の奥では、まだ悠斗のことを想っていた。
毎日、メッセージのやり取りはしていた。
『おはよう。今日も仕事頑張ってね』
『お疲れ様。そっちはどう?』
短いメッセージ。でも、それが二人を繋いでいた。
週末には、ビデオ通話をした。
画面越しの悠斗。
会いたい。触れたい。
でも、できない。
画面を通してしか、会えない。
「元気?」
「元気だよ。亜季は?」
「私も元気」
嘘だった。
本当は、寂しくて、寂しくて、たまらなかった。
でも、それを言ったら、悠斗を困らせてしまう。
だから、笑顔を作った。
「大阪、どう?」
「忙しいけど、面白いよ。プロジェクトも順調だし」
悠斗は楽しそうに話した。
新しい環境。新しい仕事。
悠斗は、充実しているようだった。
それは嬉しいことのはずなのに、亜季の心には影が差した。
悠斗は、私がいなくても大丈夫なんだ。
そう思ってしまった。
「亜季?聞いてる?」
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「疲れてる?無理してない?」
「大丈夫。ちょっと眠いだけ」
「じゃあ、もう寝た方がいいよ。また明日連絡するね」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
画面が消えた。
悠斗の顔が、消えた。
亜季は、スマートフォンを抱きしめた。
涙が溢れてきた。
会いたい。
ただ、会いたい。
二週間が経った。
亜季は、課長としての準備に追われていた。
四月からの昇進に向けて、引き継ぎや研修が始まっていた。
新しいプロジェクトも任された。
忙しい日々が、また始まった。
悠斗との連絡は、だんだんと減っていった。
最初は毎日メッセージを送っていたけれど、だんだんと二日に一回になり、三日に一回になった。
お互いに、忙しかった。
週末のビデオ通話も、時間が合わなくなってきた。
「ごめん、今週末も仕事が入っちゃった」
「僕も。クライアントとの打ち合わせで」
「じゃあ、また来週?」
「うん、また来週」
でも、来週も同じだった。
お互いに、時間が取れない。
会えない。話せない。
距離は、だんだんと遠くなっていった。
三週間目。
亜季は、カフェに一人で行った。
悠斗がいない、いつもの席。
コーヒーを飲みながら、窓の外を見る。
悠斗は、今頃何をしているんだろう。
仕事をしているのか。夕食を食べているのか。
それとも、誰かと一緒にいるのか。
そんなことを考えてしまう自分が、嫌だった。
疑ってるわけじゃない。
でも、不安なんだ。
会えない間に、悠斗の心が離れていくんじゃないかって。
「高梨さん?」
声をかけられて、振り返った。
涼だった。
「涼くん」
「こんなところで。一人ですか?」
「うん」
「隣、いいですか?」
「どうぞ」
涼が隣に座った。
「最近、よくここに来るんですか?」
「たまに。仕事帰りに」
「そうなんですね」
涼はコーヒーを注文した。
「高梨さん、お疲れのようですね」
「そう?」
「はい。なんか、元気がないというか」
涼は心配そうに亜季を見た。
「彼氏さんとは、うまくいってますか?」
その質問に、亜季は少し驚いた。
「…どうして?」
「なんとなく。最近、高梨さんの表情が寂しそうで」
涼は優しく言った。
「僕、まだ高梨さんのこと、気にかけてるんです。恋愛感情じゃなくて、先輩として尊敬してるから」
「ありがとう」
亜季は正直に話した。
「彼、今大阪にいるの。半年間のプロジェクトで」
「遠距離恋愛ですか」
「うん。会えなくて、寂しくて」
「辛いですね」
「うん、辛い」
亜季は涙をこらえた。
「でも、頑張らなきゃ。あと四ヶ月ちょっとで、戻ってくるから」
「高梨さん、無理してませんか?」
涼の言葉が、胸に刺さった。
「無理してないよ」
「でも、泣きそうな顔してます」
その言葉に、亜季の涙が溢れた。
「ごめん」
「謝らないでください」
涼がハンカチを差し出した。
「泣いてもいいんですよ」
「でも…」
「いいんです。我慢しなくて」
その優しさに、亜季は堪えきれなくなった。
涙が、止まらなかった。
涼は何も言わず、ただ隣にいてくれた。
カフェを出て、駅まで歩いた。
涼が一緒についてきてくれた。
「大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう。少し楽になった」
「よかった」
「涼くん、ごめんね。泣いてるところ見せちゃって」
「いいんですよ。僕でよければ、いつでも話聞きます」
涼は笑顔で言った。
「ありがとう」
駅で別れて、亜季は電車に乗った。
窓に映る自分の顔を見る。
泣き腫らした目。
こんな顔、悠斗には見せられない。
家に帰って、ベッドに倒れ込んだ。
スマートフォンを見ると、悠斗からメッセージが届いていた。
『今日は遅くまで打ち合わせで疲れた。明日も早いから、もう寝るね。おやすみ』
それだけ。
返信する気力もなかった。
亜季は、スマートフォンを置いて、目を閉じた。
このままでいいのか。
遠距離恋愛を、続けていけるのか。
答えは、出なかった。
一ヶ月が経った。
悠斗との連絡は、さらに減っていた。
週に一回、メッセージを送り合う程度。
ビデオ通話は、もう三週間もしていなかった。
お互いに、忙しすぎた。
亜季は、新しいプロジェクトに追われていた。
課長昇進の準備もあった。
毎日、深夜まで働いた。
悠斗のことを考える時間もなかった。
いや、考えないようにしていた。
考えると、寂しくなるから。
辛くなるから。
ある日の夜、美咲から電話がかかってきた。
「もしもし?亜季?」
「美咲」
「久しぶり。元気?」
「まあまあ」
「声、元気ないね。悠斗さんとは?」
「…あまり連絡取れてない」
亜季は正直に言った。
「お互い忙しくて」
「それは…辛いね」
「うん」
「会えてないの?」
「もう一ヶ月以上会ってない。ビデオ通話もしてない」
「それは、ヤバいよ」
美咲の声が心配そうになった。
「遠距離恋愛で大事なのは、コミュニケーションだよ。連絡取らないと、気持ちが離れちゃう」
「わかってる。でも、時間がないの」
「時間は作るものだよ」
美咲の言葉は厳しかった。
「亜季、本当にまだ悠斗さんのこと好き?」
「え?」
「だって、好きな人と一ヶ月も連絡取れないなんて、おかしいよ。どんなに忙しくても、好きな人とは連絡取りたいでしょ」
その言葉に、亜季は何も答えられなかった。
好きだ。
まだ、好きだ。
でも、最近、悠斗のことを考えていなかった。
忙しさを理由に、考えないようにしていた。
それは、もう好きじゃないということなんだろうか。
「亜季、ちゃんと自分の気持ちと向き合った方がいいよ」
「…うん」
「このままじゃ、悠斗さんも辛いと思う」
「わかってる」
電話を切って、亜季は天井を見つめた。
自分の気持ちと、向き合う。
それが、怖かった。
次の日、亜季は思い切って悠斗に電話をかけた。
何コールか鳴った後、悠斗が出た。
「もしもし?亜季?」
「うん。今、大丈夫?」
「大丈夫。どうしたの?」
悠斗の声は、優しかった。
でも、どこか疲れているようにも聞こえた。
「話したくて」
「僕も。久しぶりだね、電話」
「うん」
沈黙が流れた。
何を話せばいいのか、わからなくなっていた。
「元気?」
「元気だよ。忙しいけど」
「そっか」
また、沈黙。
「悠斗」
「うん?」
「私たち、このままでいいのかな」
亜季は思い切って聞いた。
「どういう意味?」
「最近、全然連絡取れてないし、会えてないし。これって、付き合ってるって言えるのかな」
悠斗は少し黙った。
「…僕も、同じこと考えてた」
「そうなんだ」
「うん。正直、辛いよ。会えないのも、話せないのも」
「私も、辛い」
「でも、どうすればいいのかわからない」
悠斗の声が、弱々しかった。
「あと四ヶ月、耐えればいいのか。それとも、もう諦めた方がいいのか」
「諦めるって…別れるってこと?」
「わからない。でも、このままじゃお互い辛いだけだよね」
その言葉が、胸に刺さった。
「悠斗は、私のこと、まだ好き?」
「好きだよ。でも…」
「でも?」
「会えないと、だんだんと実感がなくなってくるんだ。亜季が、遠い存在に感じる」
「私も、同じ」
亜季は正直に言った。
「最近、悠斗のこと、あまり考えてなかった。忙しさを理由に、考えないようにしてた」
「僕も」
二人は、お互いの気持ちを認めた。
「どうしたらいいんだろう」
「わからない」
また、沈黙。
「ねえ、亜季」
「うん?」
「一度、会おう。ちゃんと顔を見て、話したい」
「いつ?」
「今週末、東京に戻るよ。日曜日、時間作れる?」
「作る」
「じゃあ、日曜日に」
「うん」
「それまで、ちゃんと考えておこう。僕たちの関係を、どうするか」
「わかった」
電話を切って、亜季は深いため息をついた。
日曜日。
そこで、答えを出さなければならない。
続けるのか、別れるのか。
日曜日までの三日間、亜季はずっと考えていた。
悠斗のこと。自分のこと。二人の関係のこと。
好きだ。
まだ、好きだ。
でも、それだけで続けていけるんだろうか。
会えない。話せない。
そんな関係に、意味はあるんだろうか。
仕事も忙しい。これから、もっと忙しくなる。
悠斗も、大阪で充実している。
お互いに、自分の人生を生きている。
それは、悪いことじゃない。
でも、恋人としての関係を維持するのは、難しい。
亜季は、何度も涙を流した。
答えが、出せなかった。
日曜日の午後、二人は上野公園で会うことにした。
亜季が先に着いて、ベンチで待っていた。
十分ほどして、悠斗が来た。
「久しぶり」
「久しぶり」
二人は抱き合った。
悠斗の体温。悠斗の匂い。
懐かしい。
ああ、これだ。
この感覚を、忘れていた。
「会いたかった」
「僕も」
しばらく、そうやって抱き合っていた。
「歩こうか」
「うん」
二人は並んで歩き出した。
でも、以前のように手は繋がなかった。
なんとなく、距離があった。
「大阪、どう?」
「忙しいけど、充実してる。プロジェクトも順調だし」
「そっか。よかったね」
「亜季は?」
「私も忙しい。四月から課長だから、準備とか研修とか」
「大変そうだね」
「まあね」
会話が、ぎこちない。
以前は、こんなじゃなかった。
自然に話せた。沈黙も心地よかった。
でも、今は違う。
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ベンチに座って、二人は池を見つめた。
「ねえ、悠斗」
「うん」
「正直に話そう」
「うん」
亜季は深呼吸をした。
「私、悠斗のことまだ好き。でも、この関係を続けていく自信がない」
「僕も、同じ」
悠斗は正直に言った。
「亜季のこと、好きだよ。でも、会えない、話せない。そんな関係に、疲れてきた」
「私も」
二人は、お互いを見た。
「どうする?」
「わからない」
悠斗は頭を抱えた。
「本当は、続けたい。あと三ヶ月ちょっと耐えれば、僕は東京に戻ってくる。また、元の生活に戻れる」
「でも、その三ヶ月が耐えられない」
「うん」
「それに、悠斗が東京に戻ってきても、私はもっと忙しくなる。課長として、もっと責任が増える。今以上に、時間が取れなくなる」
亜季は現実を見つめた。
「悠斗も、大阪のプロジェクトが終わっても、次の仕事があるでしょ?また忙しくなる」
「うん」
「お互い、自分のキャリアを優先したい時期なんだと思う」
「でも、それって…」
「別れるってこと」
亜季は、はっきりと言った。
悠斗は何も言わなかった。
ただ、うつむいていた。
「ごめん」
亜季が言った。
「謝らないで。僕も、同じこと考えてたから」
悠斗は顔を上げた。
目が、赤かった。
「亜季と出会えて、付き合えて、本当に幸せだった」
「私も」
「でも、これが僕たちにとっての最善なんだね」
「うん」
二人は、しばらく黙っていた。
「後悔、しない?」
悠斗が聞いた。
「後悔する。たくさん」
亜季は正直に言った。
「でも、これしかない」
「そうだね」
悠斗は立ち上がった。
「じゃあ、これで」
「うん」
亜季も立ち上がった。
最後に、もう一度抱き合った。
長い抱擁。
「幸せになってね」
「悠斗も」
唇が触れ合った。
最後のキス。
優しくて、切ない。
「さようなら」
「さようなら」
悠斗が歩き出した。
振り返らずに、歩いていく。
亜季は、その背中を見送った。
涙が、止まらなかった。
家に帰って、亜季はベッドで泣いた。
声を出して、泣いた。
悠斗と、別れた。
好きだった。
今も、好きだ。
でも、別れた。
それが、正しい選択だったのかはわからない。
でも、それしかなかった。
お互いの人生を、尊重するために。
お互いの幸せを、願うために。
翌日、亜季は美咲に電話をした。
「悠斗と、別れた」
「…そっか」
美咲は悲しそうに言った。
「辛かったね」
「うん、辛い」
「でも、亜季が決めたことなら、それが正しいと思う」
「本当に?」
「わからない。でも、亜季は亜季なりに、ちゃんと考えて決めたんでしょ?」
「うん」
「なら、それでいいんだよ」
美咲の言葉に、少し救われた。
「ありがとう」
「いつでも話聞くからね」
「うん」
電話を切って、亜季は窓の外を見た。
春が、近づいてきている。
新しい季節。
新しい人生。
悠斗のいない人生。
それは、寂しくて、辛い。
でも、前に進むしかない。
自分で選んだ道を、歩いていくしかない。
亜季は、深呼吸をした。
大丈夫。
きっと、大丈夫。
そう自分に言い聞かせた。
でも、心の奥では、まだ悠斗のことを想っていた。
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