夜更けにほどける想い

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第13章「夜更けにほどける想い」

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季節は、また巡っていく。
春から夏へ。
夏から秋へ。
そして、また冬が来た。
陸の転勤から、一年が経った。
残りは、あと半年。
遠距離は、まだ続いている。
でも、もう怖くなかった。
月に二度は会えている。
電話も、メッセージも、毎日交わしている。
言葉を大切にすること。
気持ちを伝え合うこと。
それを続けてきたから。
仕事は相変わらず忙しかった。
でも、以前のように自分を追い込むことはなくなった。
できる範囲で。
一生懸命に。
母の言葉を、いつも思い出す。
「六割でいい」
完璧じゃなくていい。
それでいいんだ。

十二月の半ば、金曜日の夜。
仕事を終えて、会社を出た。
今日は、陸が東京に帰ってくる日だった。
駅で待ち合わせをしている。
八時。
少し早めに着いて、改札の前で待つ。
クリスマスのイルミネーションが、街を彩っている。
去年の今頃も、こうしていた。
陸と過ごした、クリスマス。
あれから、一年。
八時ちょうど、陸が改札から出てきた。
「お待たせ」
「ううん」
抱き合う。
温かい。
「寒かったでしょ」
「ちょっとね」
「ごめん、遅くなって」
「大丈夫」
手を繋いで、駅を出る。
「今日、どこ行く?」
陸が聞いた。
「どこでもいいよ」
「じゃあ、俺の部屋でゆっくりしようか」
「うん」
陸のマンションへ向かう。
部屋に入ると、温かい空気が迎えてくれた。
「暖房、つけといたんだ」
「ありがとう」
コートを脱いで、ソファに座る。
陸がキッチンでお茶を淹れてくれる。
「はい」
「ありがとう」
一口飲む。温かい。
陸も隣に座った。
「今週、どうだった?」
「忙しかった。年末進行で」
「お疲れ様」
「久我くんは?」
「俺も忙しかった。でも、なんとか」
陸は私の手を握った。
「会いたかった」
「私も」
「一週間、長かったね」
「うん」
キスをした。
優しく。
「ねえ」
陸が言った。
「なに?」
「来年の話、したい」
心臓が跳ねた。
「来年?」
「うん。転勤、六月で終わるでしょ」
「うん」
「その後のこと」
陸の目が、真剣だった。
「東京に戻ってくる」
「うん」
「それで」
陸は少し迷ってから、言った。
「一緒に、住まない?」
時間が止まった。
「一緒に?」
「うん。もし、嫌じゃなければ」
「嫌じゃない」
即答していた。
「本当?」
「本当」
陸は嬉しそうに笑った。
「よかった」
「でも、いいの?」
「いいも何も、ずっと考えてたんだ」
陸は私の手を両手で包んだ。
「遠距離、もう一年続けてきた。次は、ちゃんと一緒にいたい」
「私も」
「毎日、一緒に朝を迎えて、夜を過ごしたい」
その言葉に、涙が出そうになった。
「ありがとう」
「こちらこそ」
「でも、娘のことも考えなきゃ」
「もちろん。娘さんとも、ちゃんと話そう」
「うん」
「それから」
陸は少し照れたように笑った。
「いつか、結婚もしたい」
心臓が、大きく跳ねた。
「結婚?」
「うん。でも、急がないよ。篠原さんのペースで」
「ありがとう」
「ただ、俺の気持ちは、それくらい本気だって、知っておいてほしくて」
涙が、溢れた。
「ありがとう。嬉しい」
陸は私を抱きしめた。
「愛してる」
「私も愛してる」
「これから、ずっと一緒にいよう」
「うん」

その夜、ベッドに横たわって、二人で天井を見上げた。
「ねえ」
私が言った。
「なに?」
「去年の今頃、考えてた?」
「何を?」
「こんなふうに、一緒にいるって」
陸は少し考えてから、答えた。
「考えてた。願ってた」
「私も」
「でも、不安もあったよ」
「どんな?」
「うまくいくかなって」
陸は私の方を向いた。
「遠距離、乗り越えられるかなって」
「でも、乗り越えられたね」
「うん」
陸は笑った。
「篠原さんがいてくれたから」
「私も、久我くんがいてくれたから」
二人で笑った。
「ねえ」
陸が言った。
「なに?」
「幸せ?」
「幸せ」
「俺も」
陸は私を抱き寄せた。
「ずっと、こうしていたい」
「うん」
時間が、ゆっくりと流れた。
陽の心臓の音が聞こえる。
規則正しく。
穏やかに。
「ねえ」
私が言った。
「なに?」
「ありがとう」
「何が?」
「全部」
陸は笑った。
「こちらこそ」
キスをした。
そして、また体を重ねた。
一年前より、もっと自然に。
もっと深く。
お互いを知り尽くしたように。
でも、まだ知らないことも、たくさんある。
それが、これからの楽しみ。
「愛してる」
「私も」
「ずっと」
「ずっと」

翌朝、目が覚めると、陸はまだ寝ていた。
窓の外を見ると、雪が降っていた。
静かに。
白く。
去年も、雪の日があった。
公園で、初めてのキス。
あの日から、一年。
そっと、ベッドから出る。
キッチンへ行って、コーヒーを淹れる。
その香りで、陸が目を覚ました。
「おはよう」
「おはよう。雪、降ってるよ」
「本当だ」
陸は起き上がって、窓の外を見た。
「綺麗だね」
「うん」
二人でテーブルに座って、コーヒーを飲む。
「今日、予定ある?」
陸が聞いた。
「特にないよ」
「じゃあ、ゆっくりしようか」
「うん」
トーストを焼いて、目玉焼きを作った。
簡単な朝食。
でも、二人で食べると、特別な朝食になる。
「美味しいね」
「うん」
食べ終わって、また二人でソファに座った。
陸は私を抱き寄せた。
「ねえ」
「なに?」
「娘さんに、いつ話す?」
「年明けかな。冬休み中に会う約束してるから」
「緊張するね」
「うん」
「でも、大丈夫」
陸は笑った。
「娘さん、いい子だから。きっとわかってくれるよ」
「そうだといいけど」
「大丈夫」
陸は私の髪を撫でた。
「俺も、ちゃんと話すから」
「ありがとう」
窓の外では、まだ雪が降り続けている。
静かな土曜日の朝。
こんな時間が、一番幸せだと思った。

午後、雪が止んだ。
二人で外に出た。
近くの公園へ散歩。
雪が積もった道を、足跡をつけながら歩く。
「去年も、雪降ったね」
陸が言った。
「うん。あの公園で」
「キスしたね」
「恥ずかしい」
「可愛かった」
陸は笑った。
「あの時、すごく緊張してたんだ」
「私も」
「でも、幸せだった」
「私も」
公園のベンチに座る。
誰もいない。
静かな公園。
「ねえ」
陸が言った。
「なに?」
「この一年、いろいろあったね」
「うん」
「大変なこともあった」
「うん」
「でも、乗り越えられた」
陸は私の手を握った。
「篠原さんと一緒だったから」
「私も、久我くんと一緒だったから」
二人で、雪景色を見つめる。
真っ白な世界。
静かで。
美しい。
「ねえ」
私が言った。
「なに?」
「高校のとき、こんな未来、想像してた?」
「してなかった」
陸は笑った。
「まさか、二十六年後に篠原さんと付き合ってるなんて」
「私も」
「でも、嬉しい」
「私も」
「人生、わからないね」
「うん」
陸は私を抱き寄せた。
「でも、今が一番幸せ」
「私も」
キスをした。
雪の公園で。
去年と同じように。
でも、今年の方が、もっと自然に。
もっと深く。

夜、陸の部屋に戻った。
夕食を作って、食べて、片付けをした。
ソファに座って、テレビをつける。
クリスマス特番。
でも、内容はあまり見ていない。
ただ、陸と一緒にいる。
それだけで、十分だった。
「ねえ」
陸が言った。
「なに?」
「来年のこと、もっと具体的に考えようか」
「うん」
「どんな部屋がいい?」
「二人で住めれば、どこでもいいよ」
「俺も」
陸は笑った。
「でも、少し広い方がいいかな。娘さんが泊まりに来ることもあるだろうし」
「そうだね」
「二LDKくらい?」
「いいね」
「場所はどの辺がいい?」
「お互いの職場に通いやすいところがいいかな」
「じゃあ、都心寄りかな」
「うん」
具体的な話をする。
それが、楽しかった。
未来を、一緒に描いている。
「ねえ」
私が言った。
「なに?」
「一緒に住んだら、料理当番とか決める?」
「どうしよう」
陸は考えた。
「できる方がやる、でいいんじゃない?」
「それがいいね」
「洗濯も、掃除も、そうしよう」
「うん」
「お互い、助け合って」
「そうだね」
陸は私の手を握った。
「完璧じゃなくていいから」
「うん」
「できる範囲で、一生懸命」
「六割の力で」
二人で笑った。
時計を見ると、もう十一時を過ぎていた。
「もう寝る?」
陸が聞いた。
「うん」
ベッドに入った。
陸が電気を消す。
暗闇の中で、二人で横たわる。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
陸は私を抱きしめた。
「愛してる」
「私も愛してる」
「明日も、一緒にいようね」
「うん」
「その次の日も」
「うん」
「ずっと」
「ずっと」
陸の心臓の音を聞きながら、眠りに落ちていった。

年が明けた。
新しい年。
陸の転勤が終わるまで、あと半年。
一月の週末、娘と会った。
駅前のカフェで、三人で。
私と、陸と、娘。
「久しぶり」
娘が言った。
「元気だった?」
「うん」
席に座って、飲み物を注文する。
「あのね」
私が口を開いた。
「なに?」
「話したいことがあって」
娘は真剣な顔になった。
「何?」
「陸くんと、一緒に住もうと思ってる」
娘は少し驚いたような顔をした。
でも、すぐに笑顔になった。
「やっと」
「え?」
「ずっと待ってたんだよ。お母さんが決めるの」
「そうなの?」
「うん。お母さん、幸せそうだもん」
娘は陸の方を見た。
「陸さん、お母さんのこと、よろしくお願いします」
陸は少し照れたように笑った。
「こちらこそ。よろしくお願いします」
「お母さん、頑固だから大変だと思うけど」
「おい」
三人で笑った。
「でも、いいの?」
私が聞いた。
「何が?」
「お母さんが、誰かと一緒に住むこと」
娘は首を振った。
「全然。むしろ、嬉しい」
「本当?」
「本当。お母さん、一人で頑張りすぎだもん」
娘は私の手を握った。
「誰か、そばにいてくれる人がいた方がいい」
その言葉に、涙が出そうになった。
「ありがとう」
「それに」
娘は笑った。
「陸さん、いい人そうだし」
「ありがとうございます」
陸が言った。
「あ、でも」
娘が真剣な顔になった。
「なに?」
「泊まりに行ってもいい?」
「もちろん」
陸が答えた。
「いつでも来てください」
「やった」
娘は嬉しそうに笑った。
飲み物が運ばれてきた。
三人で、乾杯する。
「お母さんの幸せに」
「ありがとう」
新しい家族の形。
それは、まだ始まったばかり。
でも、きっとうまくいく。
そう信じて。

二月、三月と、時間は流れていった。
陸との部屋探しも始めた。
休日、二人で不動産屋を回る。
いくつか見て、気に入った物件が見つかった。
都心に近い、二LDKのマンション。
日当たりもよく、駅からも近い。
「ここ、いいね」
「うん」
契約を決めた。
入居は、七月から。
陸が東京に戻ってくる、一ヶ月後。

四月。
また、桜の季節がやってきた。
陸が週末、東京に帰ってきた。
約束通り、上野公園へ行った。
去年と同じ場所。
桜は、また満開だった。
「一年、早かったね」
陸が言った。
「うん」
「でも、充実してた」
「うん」
手を繋いで、桜並木を歩く。
去年と同じ、ベンチに座った。
「ねえ」
陸が言った。
「なに?」
「去年、ここで約束したね」
「うん。十年後、また来ようって」
「うん」
陸は笑った。
「十年後が、楽しみだね」
「どうなってるかな」
「一緒にいるよ」
「そうだといいね」
「絶対」
陸は私の手を握った。
「篠原さん、俺、思うんだ」
「何を?」
「人生って、完璧じゃなくていいんだなって」
「うん」
「うまくいかないこともある。大変なこともある。でも、それでいいんだって」
陸の目が、優しい。
「大事なのは、誰と一緒にいるか」
「そうだね」
「俺は、篠原さんと一緒にいたい」
「私も」
「これからも、ずっと」
「ずっと」
キスをした。
桜の下で。
去年と同じように。
でも、今年の方が、もっと確かな気持ちで。

五月。
陸の大阪での仕事も、終わりに近づいていた。
最後の一ヶ月。
私は、仕事の合間を縫って、引っ越しの準備を始めた。
今のマンションから、新しいマンションへ。
荷物を整理する。
捨てるもの、残すもの。
新しい生活に必要なもの。
一つ一つ、選んでいく。
母に電話をした。
「もしもし」
「お母さん、来月引っ越しするの」
「そうなの。ついにね」
「うん」
「楽しみね」
「うん。でも、ちょっと緊張してる」
「大丈夫よ」
母の声が、優しい。
「あなたなら、うまくやれるわ」
「ありがとう」
「それに、彼がいるじゃない」
「そうだね」
「二人で、助け合っていけばいい」
「うん」
「幸せにね」
「ありがとう、お母さん」
電話を切って、また荷物の整理を続けた。

六月。
陸が、東京に戻ってきた。
二年間の大阪生活が、終わった。
新幹線で帰ってくる陸を、東京駅で迎えた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
抱き合う。
長い、長い抱擁。
「やっと、帰ってこれた」
「うん」
「もう、離れない」
「うん」
手を繋いで、駅を出る。
「新しい部屋、見に行こうか」
「うん」
タクシーで、新しいマンションへ向かった。
鍵を開けて、中に入る。
まだ何もない部屋。
でも、これから二人で作っていく空間。
「広いね」
「うん」
「ここで、一緒に暮らすんだね」
「うん」
陸は私を抱きしめた。
「幸せ」
「私も」
窓の外を見る。
街が見える。
空が見える。
新しい景色。
新しい生活。
それが、もうすぐ始まる。

七月。
引っ越しが終わった。
荷物を運び込んで、家具を配置して。
少しずつ、部屋が整っていく。
二人の部屋。
「疲れたね」
陸が言った。
「うん」
ソファに座る。
まだ段ボールが残っているけれど、もう夜遅い。
「今日は、もう寝ようか」
「うん」
ベッドに入った。
新しいベッド。
二人で選んだ、大きなベッド。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
陸は私を抱きしめた。
「明日から、ここで毎日一緒だね」
「うん」
「嬉しい」
「私も」
「愛してる」
「私も愛してる」
暗闇の中で、目を閉じる。
陸の心臓の音が聞こえる。
規則正しく。
穏やかに。
これから、毎日この音を聞ける。
それが、幸せだった。

それから、日々は流れていった。
朝、一緒に起きて、朝食を作る。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
夜、仕事から帰ると、陸がいる。
「お帰り」
「ただいま」
一緒に夕食を作って、食べて、片付けをする。
ソファに座って、テレビを見たり、本を読んだり。
何気ない日常。
でも、それが何より幸せだった。
時々、喧嘩もした。
些細なこと。
洗濯物のたたみ方。
ゴミ出しの当番。
でも、すぐに仲直りした。
「ごめん」
「こちらこそ」
完璧じゃない。
でも、それでいい。
二人で、助け合っていけば。
娘も、時々泊まりに来た。
三人で食事をして、話をして。
新しい家族の形。
それも、悪くなかった。
母も、遊びに来てくれた。
「いい部屋ね」
「ありがとう」
「二人とも、幸せそうね」
「うん」
母は笑った。
「よかったわ」
真紀も、祝福してくれた。
「やっと一緒に住めたね」
「うん」
「幸せにね」
「ありがとう」

秋。
ある夜、仕事から帰ると、陸が料理を作っていた。
「お帰り」
「ただいま。何作ってるの?」
「パスタ」
「美味しそう」
テーブルに座る。
パスタが運ばれてきた。
「いただきます」
フォークを持って、食べ始める。
「美味しい」
「よかった」
二人で、食事をする。
窓の外は、もう暗い。
でも、部屋の中は、温かい光に包まれている。
「ねえ」
陸が言った。
「なに?」
「幸せ?」
「幸せ」
「俺も」
陸は笑った。
「こんな日常が、一番いいね」
「うん」
食事を終えて、お茶を飲む。
「ねえ」
私が言った。
「なに?」
「去年書いた手紙、覚えてる?」
「十年後の自分への?」
「うん」
「覚えてる」
「あと九年だね」
「うん」
陸は笑った。
「九年後も、一緒にいようね」
「うん。絶対」
「約束」
「約束」
片付けを手伝って、ソファに座った。
陸は私を抱き寄せた。
「ねえ」
「なに?」
「今、何時?」
時計を見る。
「十一時」
「夜更けだね」
「うん」
陸は私の髪を撫でた。
「夜更けにほどける想い」
「え?」
「今、そんな気分」
陸は笑った。
「長い一日が終わって、夜更けに、ようやく自分に戻れる」
「わかる」
「それで、篠原さんと一緒にいる」
「うん」
「全てが、ほどけていく気がする」
その言葉に、胸が温かくなった。
「そうだね」
「仕事の疲れも」
「うん」
「心配事も」
「うん」
「全部、ほどけていく」
陸は私を抱きしめた。
「篠原さんと一緒にいると」
「私も」
「久我くんと一緒にいると、全部ほどける」
「よかった」
キスをした。
優しく。
「ねえ」
陸が言った。
「なに?」
「もう寝ようか」
「うん」
ベッドに入った。
陸が電気を消す。
暗闇の中で、二人で横たわる。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
陸は私を抱きしめた。
「愛してる」
「私も愛してる」
「明日も、一緒だね」
「うん」
「その次の日も」
「うん」
「ずっと」
「ずっと」
陸の心臓の音を聞きながら、眠りに落ちていった。

これが、私たちの物語。
完璧じゃない。
うまくいかないこともある。
でも、それでいい。
二人で、助け合っていけば。
言葉を交わして。
気持ちを伝え合って。
十八歳の私へ。
見てる?
私、幸せだよ。
好きな人と、一緒にいるよ。
夢は完全には叶わなかったけれど。
でも、後悔していないよ。
自分の気持ちに、素直になったよ。
そして、十年後の私へ。
今、幸せだよ。
この気持ちを、忘れないで。
久我陸と一緒に、これからも歩いていくから。
夜更けにほどける想い。
それは、安心と、信頼と、愛。
全てが、優しくほどけていく。
二人で、一緒に。

窓の外では、街の明かりが静かに瞬いている。
部屋の中は、暗い。
でも、温かい。
陸の腕の中で、私は眠る。
明日も、一緒に目覚める。
その次の日も。
ずっと。
これから、どんな未来が待っているかわからない。
でも、大丈夫。
二人で、一緒なら。
夜更けにほどける想い。
それは、私たちの幸せの形。
完璧じゃない。
でも、それが、一番いい。






【エピローグ】
十年後の春。
上野公園の桜は、また満開だった。
「着いたね」
「うん」
私と陸は、手を繋いで桜並木を歩いた。
あの日と同じ、ベンチに座る。
「十年、早かったね」
陸が言った。
「うん」
私たちは、結婚していた。
五年前、小さな式を挙げた。
家族と、親しい友人だけを招いて。
娘が、バージンロードを一緒に歩いてくれた。
今は、二人で穏やかに暮らしている。
仕事も続けている。
母も元気だ。
娘は、もう社会人になった。
完璧じゃない。
でも、幸せだ。
「ねえ」
陸が言った。
「なに?」
「手紙、持ってきた?」
「うん」
バッグから、二通の封筒を取り出す。
十年前に書いた、未来への手紙。
「開けようか」
「うん」
封を開けて、便箋を広げる。
十年前の私の字。
ゆっくりと読む。

十年後の私へ
今、四月。桜の季節です。
(中略)
十年後の私は、どうしていますか?
彼と、まだ一緒にいますか?
(中略)
今の私は、後悔していません。
自分の気持ちに、素直になりました。
恐れずに、一歩踏み出しました。
だから、十年後の私も、きっと大丈夫。
四十四歳の私より

読み終わったとき、涙が溢れた。
「ありがとう」
誰に言っているのか、わからない。
十年前の自分に。
それとも、隣にいる陸に。
陸も、自分の手紙を読み終わっていた。
目が、潤んでいる。
「篠原さん」
「なに?」
「俺たち、約束守れたね」
「うん」
「十年後も、一緒にいる」
「うん」
陸は私の手を握った。
「これからも、ずっと」
「ずっと」
桜の花びらが、風に舞っている。
ひらひらと、空に舞い上がって。
そして、また地面に落ちていく。
「綺麗だね」
「うん」
「写真、撮ろう」
「うん」
陸がスマホを掲げる。
「はい、チーズ」
シャッターを切る。
桜の下で笑っている、私たち。
五十四歳と五十五歳。
でも、心は、あの頃と変わらない。
「ねえ」
私が言った。
「なに?」
「また十年後も、ここに来ようね」
陸は笑った。
「もちろん」
「約束?」
「約束」
手を繋いで、立ち上がる。
桜並木を歩く。
二人で。
これからも。
ずっと。

夜更けにほどける想い。
それは、安心と、信頼と、愛。
完璧じゃない人生。
でも、それが、一番いい。
二人で、一緒なら。
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