【完結】王都に咲く黒薔薇、断罪は静かに舞う

なみゆき

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薔薇は冠より重く

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 第一王子、セドリック・アルセイン。 

彼は、生まれた瞬間から「理想の皇太子」として育てられてきた。 
冷静沈着であること。 礼節を重んじること。 民を思う心を忘れぬこと。 
それらは、彼に課された“理想”であり、同時に“義務”でもあった。


彼は、その期待に応え続けた。 感情を抑え、言葉を選び、誰に対しても平等に接した。
 王族として、完璧な振る舞いを身につけた青年―― それが、周囲の描くセドリックの姿だった。


だが、彼の心には、誰にも明かせぬ“感情”があった。


それは、深く、胸の奥に沈んでいた。 
誰にも見せてはならない。 
誰にも知られてはならない。 


それは、彼が“理想”であるために、切り捨てなければならないものだった。


けれど、その感情は、心の奥深く彼の中に息づいていた。 


王子である前に、一人の青年として―― 誰かを想い、誰かに惹かれる心を、彼は持っていた。



そして、その心が揺れたのは、ある姉妹との出会いがきっかけだった。
 



 * **

それは、初めてレイノルズ伯爵家を訪れた日のことだった。 
王宮御用達の薬草学の家系に興味を持ち、視察を兼ねての訪問。 
形式的な挨拶と、礼儀に満ちた応対。 
それは、王族としての日常の延長にすぎなかった。



応接間に通された彼の前に現れたのは、二人の姉妹。 
姉のリリアナは、完璧な笑顔と流れるような所作で彼を迎えた。 
その姿は、まさに“理想の令嬢”だった。



だが、彼の目を奪ったのは、隣に控えていた少女――エリスだった。
控えめな佇まい。 だが、薬学の話になると、彼女の瞳は、まるで星のように輝いた。
彼が何気なく投げかけた質問にも、彼女は真摯に、そして的確に答えた。


「薬は、命を救うものです。でも、使い方を誤れば、命を奪う刃にもなります」



その言葉に、セドリックは息を呑んだ。 

(エリスは、幼いながらも知性と信念を持って民を救おうとしている)



それからというもの、彼は何かと理由をつけてレイノルズ家を訪れた。
 表向きはリリアナとの婚約を進めるため。 
だが、心はいつも、エリスに会えることを楽しみにしていた。


彼女から薬の説明を受けるたび、彼は思った。 

(この国を導くには、彼女のような者が必要だ。彼女が私の隣に……)



だが、王族の婚姻は、個人の感情だけでは決められない。 
リリアナは社交界での立場も強く、王政にとっても都合の良い“将来の皇太子妃”だった。 
そして何より、リリアナは民の前では“聖女”であり、セドリックの前では清貧を装っていた。



やがて、エリスが婚約したと聞き、セドリックはその想いを断ち切るように、彼女と距離を置いた。 
それが、彼女を守る唯一の方法だと信じて。



 * **

だが――
「僕の婚約者のエリスは、清純そうな顔をして、裏では違法薬の密売なんて……」


ラウルの証言が、王宮に届いたとき、セドリックは心の奥で何かが軋むのを感じた。


(エリスが……そんなことを? いや、まさか……)



だが、証拠は揃っていた。 偽文書、証言、密売の記録。 


そして、何より――リリアナが涙ながらに訴えた。

「お願いです、殿下。妹を信じてあげてください。 彼女は、きっと何かに巻き込まれたんです……!」



セドリックは、沈黙を選んだ。 王族としての立場、王政の安定、そしてリリアナとの整ったばかりの婚約を守るため。 すべてを守るために。



(もし、エリスが本当に無実だったら?) 
(だが、もし本当に罪を犯していたら?)


揺れる心。 だが、彼は真実を見極めることを放棄した。 
捏造された証拠をそのまま鵜呑みにし、断罪されたエリスを見放してしまった。



それが、彼の罪だった。



 * **

三年後―― 皇太子の立太子記念舞踏会。
王都最大の祝宴。 その中心に立つのは、“聖女”と讃えられた皇太子妃・リリアナだった。


白金のドレスに身を包み、微笑みを絶やさず、誰よりも優雅に舞う彼女の姿は、まさに王国の象徴だった。 だが、その舞踏会には、誰にも気づかれぬように、ひとりの女が潜んでいた。 “外交商人ロゼ”――その名で招かれた客人。 だが、その正体は、かつて断罪された少女、エリス・レイノルズだった。


舞踏会の終盤、セドリックがリリアナを称えるスピーチを始めた、


その瞬間だった。

天井の投影装置が作動し、壁一面に映像が映し出された。
・リリアナの密輸契約映像 
・身売りリストと金額表 ・賄賂の受け渡し記録 
・偽文書の作成現場(マリアの証言付き) 
・そして、王宮の文官に提出された証拠の束



会場が凍りついた。 

貴族たちはざわめき、民衆は息を呑む。 
誰もが、目の前の光景を信じられずにいた。


その中を、エリスが静かに歩み出た。 
顔も名も変えていたが、その瞳だけは、かつてのままだった。



「殿下。あなたは、真実を見抜く目を持ちながら、沈黙を選ばれた。  その沈黙が、一人の少女を地獄に落としました」



その声は、静かで、よく通った。 怒りも嘆きもない。
ただ、事実を告げる者の声だった。



セドリックは言葉を失った。 顔は違う。
だが、瞳の奥に――かつて愛しいと思った人の面影があった。

(……エリス? いや、そんなはずは……)



彼女は、もうこの世にいないはずだった。
 収容所で命を落としたという通知が、王宮にも届いていた。

(彼女は……本当に……)



だが、エリスは、セドリックにも“罰”を用意していた。

黒薔薇商会が集めた証拠は、すでに王政監査局に提出されていた。 


「皇太子が不正を黙認し、皇太子妃の犯罪を見逃した」 



その告発は、王政の根幹を揺るがすに足るものだった。



セドリックの沈黙は、ただの無関心ではなかった。 

それは、選び取った“保身”であり、 そして、ひとりの少女の命を見捨てたという、取り返しのつかない選択だった。



その夜、王都の空は、どこまでも澄みきっていた。 
だが、セドリックの胸の内には、重く、冷たい影が落ちていた。



 * *

結果――
・皇太子は王位継承権を剥奪され、王政参与の資格を停止 
・王族としての権限を制限され、政治の場から退くことに 
・王都では「沈黙の王子」として語られ、信頼を失う 
・次の皇太子には、まだ幼い第二皇子が指名された


 * **

元第一王子だったセドリック・アルセインは、生まれてから二十年以上、皇太子になるべく育てられてきた。 
そのために学び、振る舞いを整え、感情を抑えてきた。 王冠は、彼の人生そのものだった。


だが今は、彼は隔離された離宮の一室で、皇太子として育った期間よりも、はるかに長い年月を過ごすこととなる。 

その部屋には、窓がひとつ。 外の光は差し込むが、誰も訪れない。 
沈黙の王子にふさわしく、誰ともかかわらず、話すこともなく、 ひとり膝を抱えて過ごしていくことに。



リリアナの嘘に踊らされ、 エリスを見捨てた代償は、王冠よりも重かった。

「私は……何を信じていた? そして、何を見捨てた……?」



その声は、誰にも届かない。 壁に吸われ、風に流され、やがて音さえも失った。



王政は、静かに崩壊の序章を迎えていた。
 それは、誰かが仕掛けた復讐の果てではなく

―― 信じるべきものを見誤った者たちの、当然の帰結だった。




 * **

舞踏会の夜が明けた頃、エリスは静かに記録帳を開いた。
部屋には誰もいない。 窓の外では、鐘の音が遠くで鳴っていた。 
それは祝福の音ではなく、何かが終わったことを告げる音のようだった。




彼女は、ペン先を整え、一行だけを記す。



――《復讐計画:対象④ 完了》




その文字を見つめながら、エリスは紅茶を一口すすった。 
香りは穏やかで、味は静かだった。 
だが、彼女の胸の内には、まだ冷たい炎が灯っていた。


「あなたは、私を裁いたのではない。見捨てたのよ。  その代償は、王政の信頼という名の冠で払ってもらうわ」



誰に語るでもなく、誰に聞かせるでもなく。 
ただ、自分の中にある記憶と感情に、静かに言葉を落とした。



窓辺に立ち、朝の光を受けながら、彼女は呟いた。

「これで、四人。 でも――私の物語は、まだ終わらない」



その声は、風に乗って遠くへ流れていった。 
誰にも届かず、誰にも気づかれず。 
だが、確かにそこにあった。
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