橘若頭と怖がり姫

真木

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1 夜桜の離れ

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 母と一緒に極道の父子に保護されたのが、八歳の頃。
 極道に保護されるというのは奇妙な話だけれど、希乃きのにとってはその父子が救いの存在であったのだから仕方ない。
 八歳の子どもと同じくらいの知性しかない母は、ある日港の倉庫で柄の悪い男たちに乱暴されて、意識を失くしていた。希乃はひとり裸足でそこから逃げ出して、とても悪い人たちだが強い人たちだと噂されている――大きくなって、それが極道というものだと知った――たちばな家の門戸を叩いたのだった。
――お母さんを助けてください、大きくなったら私の全部で返しますから。
 玄関で土に頭をつけて頼んだ希乃は、ぽんと大きな手で頭に触れられて顔を上げた。
――本当に、全部?
 見上げた先には、涼しげだが目の光がとても強い、男の人がいた。希乃はその目に吸い込まれるような……惹きつけられるような怖さを感じながらも、こくりとうなずいていた。
――約束だよ。……大きくなったら、全部をもらうからね。
 男の人は満足そうにうなずいて、希乃を自分の目線の高さまで抱き上げた。
 この人はきっと強くて……でも確かに悪い人なんだろうと思いながら、希乃は仄暗い微笑みを浮かべる彼の瞳から目を逸らすことができなかった。
 母と希乃が橘家に引き取られて、時だけは平常に流れた。その間に起こったことは障りのあることばかりだったけれど、橘家の父子は母と希乃にだけは優しかった。
 ……たとえ名家だった元の家が廃墟になり、そこに住んでいた人たちが生死も知れない状態になっても、母と希乃は確かにずっと守られてきた。
 母のかすかな声を聞いた気がして庭に出ると、そこには見慣れた夜桜が咲き誇っている。
 深い闇の中に佇む名桜樹は古い時代には寺社にも献上されたもので、この家がどれだけ古く地縁に根付き、力を広げてきたか見せつけるようだった。
 でも鷹が翼を広げるように広大なこの家には、桜はこの一本しかない。家の名を表す力強い橘の樹が、華奢な桜の少女を囲うように立ち並んでいた。
「希乃、ここにいたのか」
 さくっと苔を踏んで後ろに立ったのは、仄暗い月夜が似合う男だった。恵まれた長身を黒いスーツで一分の隙もなく包み、低い声で希乃を呼ぶ。
「おかえりなさい……つかささま」
 希乃がこの家の後継者……橘組の若頭に頭を下げると、彼は上着を脱いで希乃に歩み寄る。
「頭なんて下げなくていい。こんなに冷えて……。熱を出したばかりなのにだめだろう?」
 子どもをあやすように言って、司は上着を希乃に羽織らせて目を覗き込む。
「どうした、希乃? 言ってごらん」
 初めて会ったときから彼は大人だったが、希乃も高校生になって、じきに大人になる。けれど彼は今も希乃のことを、庇護しなければいけない八歳の子どものように扱う。
「お母さんの、声が……」
 希乃は言いかけて、まるで子どものようだと言葉に詰まる。
「……泣いてる気がして。ごめんなさい。離れに近づこうとしたわけでは、ないです。でももう少し、ここにいてもいいですか……?」
 司は希乃の子どもじみた言葉を笑うでもなく、ただ庇護者の優しさでもって言った。
「のばらさんは元気で過ごしていらっしゃるよ。親父が風にも当てないように大切にしてる。そんな心配は忘れて……希乃は部屋に戻って、暖かくしような?」
 司は希乃の背に腕を回すと、甘い声音でささやく。
「風邪が長引いて、退屈したんだな。何が欲しい、希乃? 好きなものを言ってごらん。本でも菓子でも宝石でも……希乃が欲しいだけ、目の前に並べるから」
 そのまま背を抱いて歩き出す司に、希乃は瞳を揺らして言いよどむ。
――お母さんがいれば、何もいらない……です。
 子どもの頃から繰り返しそう告げてきた希乃に、司は愛おしむような目で何度も返す。
「俺が希乃の父で、母で、全部になるよ。だから……希乃の一番は、俺のものだな?」
 そんなどこか狂気じみた言葉をかけられるほど、自分に価値があるとは思えない。
 でも司は希乃が満足に言葉を返せなくても、そっと希乃の頭をなでて言う。
「希乃、希乃……いい子だな。時々悪い子にしてるのも、かわいいのな……」
 背を抱かれて連れられて行く中で、希乃は心細そうに振り返った。
 そこにははらはらと綺麗な涙を流すように、夜桜がいつまでも立ち竦んでいた。
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