橘若頭と怖がり姫

真木

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2 対価はいつ

 今年こそは学校に通おうと思っていた矢先に寝込んでしまって、希乃は落ち込んでいた。
 幼い頃から、虚弱体質だといわれていた。一月に何度も熱を出して、たびたび過呼吸になり、肺炎もわずらう。それではとても学校に通えるはずもなく、一生懸命勉強して入学した高校も半分以上欠席だった。
「まだ微熱がありますね。咳も出ていますし、今日は横になってよく休むのがいいでしょう。呼吸が苦しいときは迷わず吸入器を使ってくださいね」
「はい、先生……」
 せめて自分で病院に通おうとしたのだが、司は希乃のためだけに毎日のように医師を屋敷へ往診させる。入院が必要なときは医療機器を運ばせて看護師までつける徹底ぶりだった。
 その慈愛のおかげでここまで育つことができて、司にはどう感謝の言葉を伝えればいいかわからない。でも普通の子どもより手がかかった自分は、将来どれだけのお金を返せばいいのか空恐ろしくなるときがある。
「勉強、しなきゃ……」
 医師が帰った後、希乃はベッドから抜け出して資格試験の問題集を開いた。時々咳をしながら、机にかじりつくようにして文字を追う。
 大学まで行かせてほしいと願うつもりはない。なんとかして在学中に資格を取って、すぐに就職したい。
 それで母を連れて、屋敷を出て……きっと大人になった自分なら、八歳のときにできなかったこともできるはずだから。
「ふ……っ、けほっ、えぐ……っ」
 そう心は逸るのに、熱を帯びた体はじっとりと汗ばみ、咳は激しさを増していく。
 息が苦しくて、喉が焼けるようだった。吸入器に手を伸ばそうとして……この薬代だって安くはないのだと、手を引っ込める。
 にじんだ視界でがまんしていたとき、ふいに強い力で後ろから抱き込まれた。
「希乃、息を吸え! 大丈夫、大丈夫だから」
 口元に吸入器が当てられて、切羽詰まった声で呼びかけられる。呼吸を求めてあえいでいた喉は、反射のように流れ込んでくる空気を吸い込んだ。
「ゆっくりでいい……そう、いい子だな。苦しかったな、遅くなってごめんな……」
 背中をさする彼は、彼自身は何も悪くないのに苦しそうだった。
 希乃が震える手で吸入器を外そうとすると、まだだめだというようにその手の上から大きな手で押さえられる。
 体はすっぽりと胸に抱え込まれていて、とくとくと心臓の音が聞こえてくる。自分の心音と同じで、それはいつもより早く、乱れている気がした。
 十分ほどそのままの体勢で処置をされた後、司はようやく吸入器を希乃の口から外した。
「落ち着いたか?」
「ごめ……なさい」
「いいんだ。希乃にはまだ難しい」
 司は慈しみの目で希乃を見下ろした後、ふいに部屋に入って来ていた使用人を振り向いた。
「……俺はいつ、希乃から目を離していいと言った?」
 瞬間、声も表情も一変した。司はいつも声を荒らげることなく、ただ凍てつく声音と眼光だけで使用人たちを震え上がらせる。
「希乃はいつも守られていないといけない。痛くないよう、苦しくないよう、周りが頭から足の先まで世話してやれと言ったはずだ。……俺が払った対価に、見合わねぇなぁ?」
 司の声が名家の子息から極道のそれに変わって、使用人たちが次々と謝罪の言葉を返す間、希乃はかたかたと震え出していた。
 今はその脅しが自分に向けられたものではなくとも、満足に対価を払えない自分もいつかはその償いをするときがくる。
 どうしよう……どうやって、払えばいいのだろう……。迷路に落ちていく思考を遮るように、希乃の両頬が司の手で包まれた。
「希乃、震えてる。体が冷えたんだな。よしよし、ベッドまで連れて行ってやろうな……」
 子どもをなだめるように言って、司は希乃を抱き上げた。
 いつの間にか使用人は皆部屋の外に出ていた。司は希乃をベッドに寝かせて毛布をかけると、その横に寝そべって腕で包みながら言う。
「寝込んでばかりでつまらなかったんだな。もっと楽しい本をたくさん用意しよう。小さい頃は植物図鑑ばかり見ていたな。そうだ、温室でも作ってやろうか?」
「司さま……私」
 うん、なぁに?と甘やかすように問い返す司に、希乃は泣きそうな声で問う。
「わ、わからないんです……どうやって、お金を稼いだらいいのか。司さまの身の回りのお世話だって、家事だって、できること……何でもします。こんな、学校にも通えないような私でも、何かお仕事、もらえないでしょうか……!」
 息を詰まらせながら一生懸命言った希乃に、司は不思議そうに目をまたたかせた。
「希乃、金が欲しいのか?」
「それが……対価、だから……」
「……ああ、そうか。もう高校生だものな。欲しいもの、いっぱいできたんだな?」
 司はうなずいて、ほめるように希乃の頭をなでる。
「うれしいよ、希乃。小さい頃から、欲しいものを何にも言わなかったもんな。希乃の好きなもので周りを囲んでやりたかったのに、もどかしくて。はは、かわいいおねだりだな? お小遣いがほしいから、働きたいなんて」
「は、働きたいのは……ほんとなんです」
「かわいいのな、希乃……。俺のお世話って、一体何をするつもりだったんだ?」
 司は心底楽しそうにくすくすと笑い声を立てると、ふと濡れた目で希乃を見下ろす。
「いいよ、お小遣いをたくさんやろうな。ただ……俺以外にそうやってねだったら、仕置きをするからな?」
 希乃は一瞬、その目に飲み込まれたように見つめ返した。子どもの頃、初めて彼に抱き上げられたときのように、目が離せなかった。
「……悪い子の希乃に教育するのも、たまらなく愉しい時間だろうけどな」
 司は喉の奥で低く笑ってから、普段のように優しい手で、そっと希乃の髪を梳いた。
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